ストップヒーロー

@Allan_kimagure

ストップヒーロー

 弟が死んだ。

 僕は直接見ていないが、交通事故で亡くなったようだ。母親が幼稚園に迎えに行き、偶然、よそ見運転をしていた車に衝突してしまったようだ。母親は奇跡的に助かったが、弟はもう救急が駆け付けたときには、息を引き取っていたという。

 だが、この出来事が起きてから、もう数年は経っていた。

 確かに、少し言い方には語弊があった。僕の言い方では、まるで先ほど起きたように感じてしまうだろう。

 しかし、僕にとって、この出来事はまるで昨日のことのように思える。僕は当時の小学2年生のままで、いつもと同じように学校に行き、家に帰れば弟とヒーローごっこをしている。その日常はずっと変わらなくて、これからも変わらない。そんなフワフワとした夢心地に浸っている感覚がずっとあった。まるで、宇宙空間に一人取り残されたように。

 そうして、僕がフワフワと宇宙空間を漂っていると、突如、後頭部に痛みが走り、浮かんでいた僕の精神は学校の教室で寝ている僕の肉体へと戻される。

 「ハッ!」

 目が覚めると、そこは僕が通っている学校の教室だった。だが、その教室は小学2年生のではなく、中学1年生の教室だ。

 「ようやく起きたか。」

 僕の目の前にいた先生が、眉を顰めながらそう言うと、周りの人たちはゲラゲラと僕を指さしながら笑う。どうやら、授業中に眠ってしまったようだ。

 「今大事なとこを教えているんだ。寝るんじゃない。」

 先生にそう注意され、

 「すみません。」

と僕は頭をへこへこと情けなく下げ、謝る。

 「たく。」

 先生はそう文句を言い残すと、再度教壇に戻り、国語を教える。相変わらずつまらない授業だ。今は、文法の授業で、体言だの用言だのよくわからないことを教えている。日本語を喋れているんだから、こんなこと勉強しなくていいだろ。そんな風にさえ思える。

 そう、これが僕の日常。いつもと同じように、学校でつまらない勉強を教わり、退屈のあまり寝てしまう。そんな平和ボケしていて、最悪の偽物の日常だ。

 キーンコーンカーンコーン。

 学校のチャイムが鳴る。

 ようやくだよ。学校のチャイムが鳴るまで、とても長く感じる。もう今日の授業は終わったので、速攻で帰宅する。僕は特に部活に入っているわけではないので、皆が部室に向かう中、僕は昇降口へと向かう。そんなもんだから、僕のモットーは即帰宅、急がば回らずだ。

 僕は昇降口で靴を履き替え、家に速足で帰る。帰り道の途中、学校のグラウンドで野球部やサッカー部の声や物音がする。バットで野球ボールを叩く音、サッカーボールがネットに弾かれる音、掛け声などがグラウンドを超え、僕の耳にも響いてくる。

 それらの音は僕には関係無かったので、僕はその響いてきた音を捨て、その場に取り残す。そして、足を速め、誰よりも早く家に帰っていく。まるで周りの時が止まったように。

僕は家に着くと、玄関に入り、すぐに階段を駆け上がり、自分の部屋に入る。そして、自分のベッドになだれ込むようにダイブをする。ベッドに入ると、瞼がゆっくりと閉じていく。体からは力が抜け、まるでベッドに溶け込むように、体がベッドに溶け込んでいく。

 一瞬、暗闇に放り出されたのち、目を開けると、目の前には弟がいた。僕の手には、当時流行っていたストップヒーローの人形が握られていて、対して弟の手には、怪獣の人形が握られていた。

 ストップヒーローとは、時間を止めることができ、しばしばその能力を用いて怪獣をバタバタと倒していくヒーローだ。彼はビームなどの能力は無いが、その能力でどんどん敵を倒していき、幾人の子どもたちを惹きつけた。そのため、当時はこのストップヒーローが人気を博し、人形などのグッズがとても売れた。

 今にして思えば、情けないヒーローだ。力で勝負するのではなく、時を止めて、その間に敵を倒すのだから、情けないったらありゃしない。

 でも、僕と弟はそのヒーローが当時好きで、ヒーローごっこをしていた。僕はヒーローをやりたかったので、弟に半ば強制的に怪獣役をさせ、弟をよく倒していた。

 「時よ、止まれ。」

 ヒーロー役の僕がそう言うと、怪獣役の弟はピタッと体の動きを止める。そして、その隙に僕は弟を攻撃していた。

 「うわー。やられた。」

 母には「お兄ちゃんなんだから、少しは代わってあげなさい」と言われていたが、僕はヒーローでありたかったので、駄々をこねて、弟に怪獣をやらせた。弟はきっとヒーロー役もやりたかったはずなのに、うんともすんとも言わず、怪獣役を引き受けた。情けない兄だ。

 今なら喜んで代わってあげるのに。もう今となっては遅いが。

 とにかく、これが僕の本当の日常だ。昔から変わらない、そしてずっと変わらない僕の日常。ストップヒーローが時間を止めている限り。僕はヒーローであり続けられる。

 そう。これが普通の日常であるため、僕は弟の葬式でも涙が出なかった。だって、弟は瞼を閉じれば、すぐそこにいるのだから。周りがどれだけ泣こうと関係ない。僕にはいつもと変わらない日常が流れている。

 すると、

 「啓太、ご飯できたよー。」

という声が僕の鼓膜を伝い、脳に届くと、僕はまたハッと目が覚める。

 僕は起こされたことにイラッとし、誰も聞こえずに舌打ちをする。また偽物の日常だ。

 僕は頭をポリポリと搔き、ベッドから出て、階段を下りる。そして、リビングへと向かうと、テーブルに母が作った料理が並べられていた。

 「いつまで寝てるの。ほら、ご飯できたよ。」

 母がそう口酸っぱく言うと、僕は、

 「へーい。」

と適当に返事する。

 その態度に納得いなかったのか、母は父に告げ口をする。

 「ちょっとお父さんも、この子になんとか言ってやって。」

 母がそう言うと、父は、

 「まあ、今の年頃は成長期で眠いんだから、仕方ないよ。」

と母を宥める。

 そんな甘い父に、母は「はぁ」と深い溜息が出る。

 僕はそんな両親のどうでもいいやり取りを気にせず、ご飯を口に掻き込む。

 母は僕の食べている姿を見て、

 「ほら、また箸の持ち方、間違っている。」

と注意してきた。僕は昔から箸の持ち方が違うようで、ずっと間違い続けたままだ。だが、直す気も無い。僕は下手な箸の持ち方でご飯を掻き込み終わると、

 「ごちそうさま。」

と言い、また部屋へとすぐに戻る。

 母は何か言いたげだったけど、僕はすぐに階段を駆け上がったため、その注意は免れた。

 僕は再度、部屋に戻り、ベッドに横になる。だが、先ほど寝ていたからか、中々寝付けない。寝付けないことに段々とイライラが募っていく。

 仕方ない。

 僕は少し外に出て、散歩することにした。外に出ることは好きじゃない。でも、昼間の外と違って、夜の外は何の音もせず、誰も見かけない。この夜にだけ世界に静寂が訪れる。この夜だけは僕の世界だ。

 僕はコンビニもゲーセンも無い、何にもない道をひたすらトボトボと歩く。階段を上り、河川敷沿いの道を歩く。川は昼も夜も変わらず流れ、せせらぎの音を奏でる。その音は別に不快ではなかった。

 僕はそうしてしばらく川を眺めながら歩いていると、前方から中年の女性が歩いて来ていた。僕はそっと避けるように横にずれる。そうして、何事もなく通り過ぎようとすると、

 「あれ、啓太君?」

と僕を呼び止めるような声がする。僕は体がビクッと動き、ドキドキと心臓の鼓動が高鳴る。そして、恐る恐る声のする方を振り向くと、先ほどの中年の女性がいた。

 誰だ?

 僕はその女性が誰か分からなかったが、数分の後に、思い出す。

 「あ、幼稚園の美咲先生?」

 僕がそう言うと、女性は笑顔で大きく縦に頷く。

 美咲先生とは、僕と弟が通っていた幼稚園の先生だ。僕は弟と同時期に幼稚園に通ってはいなかったが、この先生が偶然、僕と弟のクラスを両方担当していた。

 「そうそう!覚えていてくれたんだ!」

 彼女は最初嬉しそうにするが、スンと嬉しさを抑える。そして、彼女は、

 「今、中学生よね。学校はどう?」

とどうでもいい質問をしてくる。

 僕は、

 「まあ、普通です。」

と可愛げなく適当に返事をする。そんなもんだから、段々と会話が詰まっていく。

 そして、彼女から他愛もない質問が終わると、彼女は深刻そうな顔をする。

 「その、弟の啓史君のことは残念だったね。」

ととんでもないことを言いやがる。

 僕はそのせいで、心臓がドクドクと鳴り、耳もザワザワと耳鳴りが酷く騒がしくなる。僕の世界から静寂が消え去ってしまった。

 ストップヒーロー、今だ、時を止めろ。

 僕は今すぐに時を止め、家に猛ダッシュで帰ろうとしたかったが、ストップヒーローはそれを許してくれなかった。

 「その先生も今でも思い出すの。啓史君のこと。」

 先生は容赦なく僕に言葉を叩きつけてくる。

 やめろ。お前がその名を口にするな。

 僕は段々と怒りがマグマのように沸々と沸き起こる。今にも爆発して、噴火物が先生に当たりそうだった。

 僕は冷却するために、先生を無視して、家に速攻で帰る。そして、夜なのにも関わらず、玄関のドアを勢いよくバンと閉じ、ドスドスと階段を音を立てて上がる。部屋に入ると、ベッドに入り、本物の日常へと戻ろうとする。

 怒りで疲れたのか、ギラギラしていた瞼が徐々に閉じていく。

 また、帰ってこれた。

 僕はそう思うが、なぜだが今日はいつもと違っていた。暗闇の世界のままだった。その暗闇が徐々に僕の心にまで浸食し、不安に駆り立てる。

 「な、なんだよ、これ。俺の日常を返せよ!!」

 僕はその暗闇の世界で一人でそう叫ぶと、目の前に小さな男の子が現れる。弟だ。

 「な、なんだ。帰ってこれたのか。」

 僕はホッと安堵する。だが、目の前にいた弟が、

 「帰ってきていないよ。」

と残酷な言葉を言い渡す。

 「な、なに言ってんだ。現にお前もここにいるじゃないか。ほら、俺の体だって元通りに。」

 彼はそう言いながら、自分の体を見直すと、いつもの子どもの大きさには戻っていなかった。そう彼は中学生の偽物の体のままだった。

 「あ、あれ、どういうことだよ。元に戻れよ!」

 僕は声を荒げながら、自分自身の体をバシバシと叩く。

 そんな様子の僕に、弟はまた言葉を投げかける。

 「兄ちゃんの体はそれが本当の姿だよ。元に戻るとかないよ。」

 弟は、気が狂ったような僕と打って変わって、淡々と冷静に告げる。

 「な、なんだよ、それ。お前と楽しく遊んでいたのが、本物だろ。なあ、もしかして俺がヒーロー役を渡さなかったのに怒っているのか?もし、そうなら今度はずっとヒーロー役させてやるから。」

 僕は泣きじゃくり、弟にしがみつきながらそう言う。

 だが、弟は首を横に振る。

 「僕はヒーロー役ができなかったことに怒ったことなんて無いよ。だって、兄ちゃんは僕のヒーローなんだから。だから、もう自分の本当の日常に戻って。今度はストップヒーローみたいに情けないヒーローじゃなくて、時間をかけて闘う新しいヒーローになってよ。」

 弟はそう言うと、徐々に弟の体が薄く消えていく。

 「僕はもうここに現れない。兄ちゃんのすぐそばで見守っているから。」

 そして、弟は一粒の涙を落とし、消えていった。

 僕はというと、まるで滝のように涙をボロボロと流していた。視界が涙で朧げになる中、世界も暗闇から太陽に照らされた世界へと変貌していく。

 そして、そこで僕は目が覚めた。僕は偽物の、いや本物の僕の体でも涙は流れていた。僕は手をグーパーと何度も握り返し、改めて自分の体を実感した。

 そして、濡れていた目をパジャマの裾で拭き、部屋を出て、勢いよく階段を駆け下りた。

 「あ、あんた、昨日は何し…。」

 母の小言が響く前に、僕は急いで和室に向かった。そして、和室にあった啓史の仏壇に手を合わせた。情けないことに、今まで手を合わせられなかった。そして、心の中で一言、

 ありがとう。お前の本物のヒーローになれるよう頑張るよ。

とそう言い残すと、僕はこれからの日常を精一杯生きると意気込む。なんだか晴れやかな気分だ。

 あ、そうだ。

 僕は何かを思い出したように、啓史の仏壇にストップヒーローの人形を置く。

 お前はいいって言ったけど、やっぱりお前にもヒーローが似合うよ。俺がヒーローとなるまではそれを代わりに置いとくな。

 僕はこうして前に進んだ。もうストップヒーローによって時が止まることは無くなっていた。

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