第10話 『戦後文明論』 世界編 纏め


アメリカ、ロシア、中国、日本の『間違い』を見ることによって、ウクライナ・ロシアの問題を頭に於いてのことであるが、新冷戦と云われる現状を考えて見ようとしたのだが・・文明論なんて大層な題をつけたものだと思う。


先日、TVで日中国交回復50周年の番組をやっていた。その中で周恩来が日中関係の先を見越して、「民を使って官を動かす」と民間交流から始めていた。また、それに自民党の中の中国派と云われる議員たちが呼応していた。戦争をしても(日本が仕掛けたのだが・・)結局、仲良くやって行くしかない、それがお互いの利益にもなる。狭い今の考えだけではいけないことを語っていた。周恩来は日本に2年留学している(思っていた学校には行けなかったが)。

国の指導者は歴史を長いスパンで見て、相手の歴史に尊敬を根底に持つ。その様にあって欲しいと思う。

近代は西洋文明がリードして来たとされるが、その原点はギリシャ文明とされる。キリスト中世で一旦それは完全に途絶えた。ギリシャ哲学・科学等の知識はイスラムがアカデミーを作ってアラビア語に翻訳してキープして来たのである。イスラムはそれらを取り入れることで遊牧民の文化を華麗な都市文化に変えたのである。


民主主義が絶対!民主主義国家は独裁国家を倒してよい。これはネオコン(新保守主義)と云われる人たちの論理である。独裁かどうかはアメリカが決める。荒っぽい論理と云わざるを得ない。

アサド、北のお兄さん、ミヤンマーと独裁は倒れて欲しいと個人的には思うが、個人の思いと国家の作法をごっちゃにしてはいけない。

ナチスは選挙を通して政権を取ったのである。ドイツはワイマール憲法と当時もっとも民主主義的と云われた憲法を持っていた。独裁は権力を握ってからである。民主主義の中から全体主義が生まれたのである。日本も、アジアの中では真っ先に議会政治を取り入れ、大正デモクラシーも経験している。

今のアメリカを見ているとアメリカデモクラシーも大丈夫かいと思ってしまう。相手をかまっているより、先ずは自分の足元を見つめたい。JAPANもしかり。


 先の2度の対戦はいずれも欧州から発火した。今欧州はそれらを踏まえ、EUという新しい試みを積み重ねている。拡大のテンポが少し速すぎないかと危惧している。それとアメリカ主導のNATOとは少し距離を置いた安全保障のあり方を模索する時期に来ているのではないか・・。それを今回のウクライナ・ロシア問題で感じている。

 どの様な形になるかは別にして、いずれ戦争は終わる。ロシアをヨーロッパの孤児にしてはいけない。プーチンも不死身でではない。


今の世界で国連の存在を否定する人はいないだろう。戦争・紛争での難民はかつてはもっと悲惨だった。飢えと、病気、行き倒れ・・少なくとも今は国際支援の手が乏しくても届く。国連に無力感を抱くのは、安全保障会議が機能しない事である。先の大戦の戦勝国だけが常任で拒否権を持つ。冷戦が終わったとされた時に新組織にすべきだった。

敗戦国、ドイツ・日本を入れるとか?アフリカ・南米からも交代で代表者を入れればいい。そして拒否権をなくして三分の二多数決にすればとか・・。日本はアメリカが2票になると云われないようにしなければいけないが・・。


次回は最終回、日本の再生について考えて見たい。




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