第9話 『戦後文明論』日本の間違い 脱原発を宣言できなかったこと


2011年(平成23年)3月11日の津波に呑みこまれる映像はショックだった。そして次の日に起きた原発事故はさらにショックだった。

人は間違い起こすと書いた。間違いから学ばないとしたら・・、しかもそれが再生の二度とないチャンスだとしたら。そのチャンスに真面に対処してこなかったとしたら、そんな大きな間違いはない。

あの日僕は外に出ていた、大学時代に学部は違ったが同学年だった女性と逢っていた。久しぶりに関西に来たからと、お誘いを受けたのだ。楽しい気持ちで自宅に帰って、テレビをつけた。海が燃えている、アナウンサーの声が震えている。一体何事?しばらくことを掴むのに時間がかかった。

映っているのは気仙沼。石油コンビナートのタンカーが燃えているのだ。画面が揺れた。今日の14時46分に大地震が発生、三陸沖を大津波が襲ったと知った。昼間に逢った彼女は気仙沼の出身だ。慌てて携帯に電話を入れた。彼女の声は震えていた。

実家は宇都宮に転じているが、親戚も友人も多いので心配だと語った。そして横浜に娘がいることを思い出した。「何よ、今頃、昼間どうしてたのよー!」。勤めている会社から家まで歩いて帰ったと云った。

翌日、福島第一原子力発電所の爆発事故が報道された。神戸の震災を経験した私だが、津波と重なったこの事故は想像を絶していた。

三宮に出て、ちょっと早いが居酒屋に入った。いつもの陽気な感じは店にはなかった。あっちでぼそぼそ、横のテーブルでもグループがぼそぼそ。東北のことを話していた。横の人に声をかけた。一人で来た人も何か話したそうだった。私と隣のテーブルに皆が集まった。

あーでもない、こーでもない、どうなるのか?どうすればいいのだ、あなたはどう考える、見知らぬ者同士の簡単な挨拶を交わしての議論が始まった。こんなのは初めてだった。

昭和の最後の年を最後に、バブルの崩壊、金融機関の破綻、不良債権問題、平成に入って失われた10年、そして20年、日本は長期低落傾向にあった。そこに3年前の2008年、リーマンショックが起きた。非正規雇用者のテント村がTVに連日映っていた。

この国はどこに行くのだろう?

原子力の安全?大阪湾と東京湾に面しては一基もない。絶対安全はないと思っていた。でもここまでの事態は想像もしていなかった。原発の問題が、被災地は勿論、巷でも、学校でも、企業でも、国会でも話し合われた。

トイレのないマンションであることも知った。数々の自然エネルギーについても知識を深めた。電力の民営化も議論された。

この年の12月16日ドイツのメルケルは10年後の原発の廃止を決めた。折角後押しをしてくれたのに、民主党政権はこれに続けなかった。脱原発宣言をして居れば政権は持ったと私は思っている。菅の脱原発宣言は辞めて行く首相の個人的なもで「屁のツッパリにもならなかった」。泥鰌内閣の野田は「新設はしない」とは云ったが、やるのか、止めるのかヌルヌルとはっきりしない。財政通をもって自認する彼によって原発の問題は消費税論議にすり替えられて、挙句は小沢一派との分裂に至った。支持し期待していたが、民主党政権につくづく絶望した。それは日本の政治に対する私の絶望でもあった。

時代の大転換は、戦争か、革命である。二つでないとしたら、未曾有の予期しなかったような大災害かである。再生可能エネルギー?単なるエネルギーの問題より、国民を一つに纏められ、国民に参加と活力のエネルギーを与える二度とないチャンスだった。

この様な時に転換しないなら、何をもって転換・改革が出来るのだろう。旧態依然を続けるしかない。あれもこれも変えられない。単に再生エネルギーが進んだという問題ではない。中心の一つを変えれば周縁の全てが変えられることがある。

 日本にはまさにあれで、あの時だった。

あの大災害で小さな自治体(市町村)懸命の努力を知った。それに対して県という中途半端さを思い知らされた。廃藩置県以来の単位でしかない。東京・大阪の大都市の繁栄は地方に押し付けて成り立っていたのだ。課題だった道州制、地方の再生、創生の道につけたのではないか、大きなイノ―ベーションの可能性をもたらせたのではないか?日本に大きなグランドデザインが描けたのではないか、と思ってしまう。

海に沈んで行った立場の人の側から、東北大震災・原発事故を描いた物語を私は書いた。私が書いたものの中で残せるものがるとしたらこれしかない。その中で日本が生んだ服飾界の世界的デザイナー川久保玲の言葉を引用した。

《空気をデザインするというのは、形になっていないものにもデザイン性があるということです。いろいろなものが影響しあって、重なりあって、アクシデントがあって、そこから生まれる何かなんですね。それほどデザインは幅が広くて大きいものだと思いますし、それだけに人に与える影響力もあるんです。でも、形になっていないものは、往々にして、わかりにくい、価値がないと、みなされます。ですから、何か新しいことを探すのであれば、そういう見えないことに対して、価値を認めるというようなことが実行されないと、新しいものが作れる・・日本にならないですね》

最後に私の父の話を。これから都市の時代と田舎から出て来て、商店街で店を始めたが、後発はいつも叩かれる。商売替え2度3度、父はまず止める。店は一か月、2カ月閉まることがある。子供ながらに、「僕なら次の商売考えて閉めるけど」と心配して云った。

「あのなぁ~、細々とでも食えてるんや、そんな時に考えたものはロクなものでない。まず止めるんや!やめて、必死になって、考えた答えが答えや」と云った。

追:結局東電にも国にも責任がないと最高裁は決定した。

  これだけの事・惨事、電源喪失の不始末不備も多々ありながら誰も責任を取らない。不思議な国だ。

追:今でも野田佳彦の顔をTVで見れば、しばきたくなる。

書いた物語『切り取られた日付の町』

https://kakuyomu.jp/.../1177.../episodes/1177354054880456883

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