第5話 ロシアの間違い① 大国主義と独裁
1991年ソ連が崩壊、ロシアは市場経済を取り入れ、民主化を図った。この間(32年)大統領は二人だけである。メドメージェフ?プーチンの傀儡だったから実質、エリツインとプーチンだけである。90年代のロシアは惨めで、悲惨だった。アメリカのシンクタンクに丸投げしたショック療法と云われる経済政策の失敗は、ハイパーインフレを招き、GDPの大幅な低下(この10年間で半減した)を見た。スーパーマーケットの棚には商品がない映像を何回も私は見た。
プーチンを指名してのエリツイン退場は、彼の大統領時代の免責が条件であった。石油・ガス等の世界価格の高騰を背景に資源大国として経済は持ち直した。ソ連と云う大国の喪失感、そしてその後のあの悲惨を体験したロシア国民のプーチン支持は揺るがない。クリミヤの併合には60%の支持率が80%以上に跳ね上がった。2018年の大統領選には78%の得票率で圧勝した。
東欧諸国の民主化は人々がワルシャワ条約機構から脱して、自由を求めるものであった。東欧革命と云われる所以である。一方、ゴルバチョフのペレストロイカ、もっと改革を急げとしたエリツインにしても上からの改革でしかなかった。エリツインを語るにはこの話を持ってすれば十分であろう。
経済の急進改革に反対する議会(共産党が第一党だったが・・なぜ存命しているのか?私には不思議であった)と大統領は激しく対立した。最高会議議長だったハズブラートフが93年テレビで次のような発言をした。「大統領は当てにできない。どうしようもないどん百姓だ。(酔っ払いのジェスチャーしながら)これさえあれば、あいつはどんな大統領令にも署名する」。この発言(私もTVで観た)に激昂したエリツィンの対処は、「大統領令1400号」を公布。超法規的に現行憲法を停止した上でロシア人民代議員大会及び最高会議を解散し、議会を中心とする反エリツィン陣営の除去であった。
ハズブラートフは、最高会議の緊急会議を召集し、ルツコイ(副大統領)に大統領全権を付与し、最高会議ビルに立てこもって抵抗した。しかし、8月クーデターの再現とはならず、ロシア政府軍の圧倒的な攻撃により抵抗は失敗した(モスクワ騒乱事件)。前回の8月クーデターに反対して不十分ながらゼネストで応じたモスクワ市民だったが、市民を外に置いた両者の権力闘争にうんざりしただけだった。
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