第4話 『戦後文明論』 9・11とアメリカの中東政策


『池上彰よりやさしいイスラム社会』と云うのを書いた。読んだ方から、「返って頭の中が混乱しました」というコメントを貰った(笑)。イスラエル対アラブ、アラブの中でも湾岸諸国対イラン、スンニ派対シーア派、世俗派と原理主義、アラブの盟主を目指すエジプト、フセインのイラク、アラブを取り巻く周辺諸国の利害と干渉、書いている本人ですら分からなくなったのだから、致し方ない。こと左様にイスラムの中東は複雑にして分かりにくい。


更に、中東を混乱させたのが9・11からのブッシュの「対テロ戦争」「これは戦争だ!」発言である。アメリカ国民だけでなく世界中が震撼した。まさに「Oh, my God!」であった。アメリカの衝撃ぶりは、ブッシュの支持率が91%に跳ね上がったこと、アフガン侵攻に反対したのは、バーバラ・リー下院議員ただ一人だったことで分かるだろう。しかしテロは戦争ではない。戦争は国家対国家のものである。テロは如何に規模が大きかろうと集団が起こしたものである。アフガニスタン侵攻は肯定できるものではない。外にいるから云えることではあるが、「国民が熱くなっているとき、指導者たるものは冷静でなければならない」。でないと大局を見誤ることになる。アフガン侵攻はイラク戦争(この時は上下院156人が反対)に繋がり、フセイン独裁を倒しイラクを民主化したとしたが、結局、混乱の中からISというモンスターを生んだだけで、民衆が民主化を求めて起ちあがった『アラブの春』にアメリカは有効に対処出来なかった。シリア内戦ではプーチン・ロシアの介入を許してしまい、アサド政権は打倒できず、多くの難民をヨーロッパに送り込んで、この戦争に反対したメルケルを困らせる結果になってしまった。アフガン侵攻には協力したプーチンだが、対イラク戦争には反対した。「独裁国家だから戦争していい!(ネオコンの考え方)」は、プーチンが明日は我が身と考えたとしても不思議ではない。


イランとアメリカの緊張関係が長く続いている。イランを好きなアメリカ国民はいない(革命後のアメリカ大使館人質事件)、アメリカを好きなイラン人はいないと云われている。その関係を溶かす一歩になるかと思えたオバマの核合意、トランプになって卓袱台返しになってしまった。バイデンになっても解決になっていない。1978年のイラン革命までは両国の関係は良好であった。

イラン国民がアメリカに不信感を持ったのはイラン帝国時代のモハンマド・モサッデク(スイスで国際法の博士号を取得した民族主義者)首相の失脚事件である。モサッデクは51年に石油国有化政策を実行した。それまでイラン国内の石油産業を独占的に支配し膨大な利益をあげてきた英国資本のAIOC(アングロ・イラニアン・オイル会社、現:BP)のイラン国内の資産国有化を断行した。イラン国民は熱狂的にモサッデクを支持した。しかし、アメリカのCIAや英国の情報機関は軍の一部や皇帝(シャー)を動かせて、民主的な選挙で選ばれた首相を失脚させたのである。

皇帝(シャー)モハンマド・レザーは、1963年に農地改革、森林国有化、国営企業の民営化、婦人参政権、識字率の向上などを盛り込んだ「白色革命」を宣言し、上からの近代改革を推し進めたが、宗教勢力や保守勢力の反発を招き、イラン国民大多数は、政府をアメリカの傀儡政権であると認識していた。皇帝は、自分の意向に反対する人々を秘密警察によって弾圧し、近代化革命の名の下、イスラム教勢力を弾圧し排除した。これらの不満が集まっイスラム原理主義のホメイニー師を担いでの皇帝打倒の革命となったのである。


ソ連のアフガン侵攻、アメリカのダブルスタンダードの民主化、社会主義も民主主義も信じられないとしたら・・イスラムの原理主義に回帰するするしかないのか?と私は理解している。今回は上手く纏められたかな?

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