第二次檸檬戦争

外清内ダク

第二次檸檬戦争

 スビュクフィル――『自分が何を目的にして生きているのか完全によく分かっている人間(THBUCPHIL : The Human Being who Understands Completely well for the Purpose of HIs Life) 』というのが、この世に実在しない単なる都市伝説であることは、科学的にはっきりと証明されている。『未確認飛行物体』や『心霊現象』や『人生の幸福』と同様に、「見た」と主張する人間こそ大勢いるものの、その存在を示す証拠は何一つ見つかっていないのだ。

 一見、人間は誰しも目的を持って生きているようだが、その目的が本当は何であるのか、かつて何であったのか、というかそもそも、本当にそんなものがあったのか、実際のところ誰も分かっていない。ところが周囲の他の人間たちはみんな分かっているように見えるので、そういう話題になったとき、誰もが腕を組んで神妙な面持ちで頷く。「俺は分かってるぞ」ということをアピールするためにだ。この様子を見た他の人間が、これこそスビュクフィルだ、と勘違いして、目撃談を分析した論文をNature誌に送りつけるのである。


 ところが奇妙なことに、この一団は、彼らが何を目的にして生きているのかを完全に明確に理解しているようであった。これは考えられないことである。科学的に存在しないはずのスビュクフィルが、数十万人単位で一度に目撃されることなど。しかしこれは、紛れもない事実であった。

 一面に広がる赤茶けた砂漠を、大きなタイヤを6本も備えた車が駆け抜けていく。一台ではない。百台でもない。少なくとも一万台。あるいはそれ以上。それぞれの中には十数人の人間が乗っているはずだ。ただの人間ではない。ハダカよりはちょっぴりマシな程度に遠慮がちな武装をした――つまり、短機関銃や自動小銃、対戦車ライフル、手持ち無反動ロケット砲、車載の大出力レーザー砲などのことだ――兵士達である。

 赤い荒野の中心には、大規模な要塞があった。政府高官や、彼らを支持する富裕層が立て籠もり、数々の自動兵器によって守られたこの星最大規模の軍事施設である。数万台の車がそこに突撃する。もちろん要塞の砲台が片っ端からそれを撃ちまくる。赤土が飛ぶ。輸送車がひっくり返る。毎秒何千人という人間が死にながら、それでも兵士達は止まらない。死など恐れてはいなかった。誰もがいつ死んでもよいと思っていた。仲間が車ごとロースト・ヒューマンになっても、こう思うだけ――お疲れさま、あとは任せろ。

 全体の三割近くを失いながら、残りの輸送車が目的の距離に到着した。

 そのとたん、輸送車の右と左と後ろと前と、ついでに天井のハッチが一斉に開いた。中に詰め込まれていた兵士たちが豆粒のように、だが黒い洪水のように要塞に殺到する。輸送車の天井から顔を出した者が、車載レーザー砲を撃って撃って撃ちまくって仲間の突撃を援護する。彼らはみんな叫んでいた。銃声も爆発音も地震のような車のエンジン音も、全て掻き消すほどの声で叫んだ。数十万人が口を揃えて、主張することはただ一つ。

「子供達にコップ一杯のレモンジュースを!

 子供達にみずみずしい生のレモンを!」

 飽和攻撃。

 これが、後に『第一次檸檬戦争』と呼ばれることになる戦いの幕開けであった。


 とある国家で、軍隊の一部が突如としてクーデターを起こした。

 その原因は、言うまでもなくレモンジュースである。

 一握りの富裕層によるレモンジュースの独占は、今に始まった話ではない。長い時間をかけ、この国ではレモンジュースの流通を政府と富裕層が掌握する体制が構築されてきた。結果、レモンジュース一杯の価格は上昇の一途を辿り、一般国民、とりわけ貧困層は深刻なレモンジュース不足に陥った。

 政府によるこれらのレモンジュース政策は、大多数の国民の人としての尊厳を傷つけたばかりか、憲法に約束された基本的柑橘類の尊重の原則に全くもって反していた。そのため民衆の不満は日増しに高まり、各地でレモンジュース政策の改正を求める政治活動が活発に行われるようになった。これに対して政府は警察、時には軍隊を動員して活動を弾圧した。しかしこれが裏目に出た。なぜなら、政治活動を弾圧する側の警察官や軍人たち自身もまた、レモンジュース不足に悩む民衆の一人だったからである。

 かくして、軍隊の一部が政府に反旗を翻し、レモンジュース独占状態の解消と、安定したレモンジュース供給を求めてクーデターを起こしたのである。各地に潜伏していたレモンジュース活動家たちはこぞってこの動きに合流し、また軍隊・警察の中からも追従者が後を絶たず、ついに彼らは数十万の軍勢に膨れあがり、『レモンジュース解放軍』を名乗って政府中枢への総攻撃を仕掛けたのであった。


 とはいえ政府中枢の要塞は堅固であった。兵士の人数はレモンジュース解放軍の方が圧倒的に上回っていたが、要塞には一風変わった最新兵器が導入されていたのだ。それはとある軍事企業が開発した二足歩行の巨大な人間型ロボット兵器であった。この兵器は現存するあらゆる運動エネルギー兵器に対して99.87%の耐久性を誇る堅牢な装甲を持ち、単独で第二宇宙速度突破さえ可能にする高出力バーニア・スラスターを搭載し、状況に応じて換装できる12096種類のオプション装備を備えていた。この兵器の前では従来の兵器が8歳児の作った輪ゴム鉄砲に思えてくるほど強力な、革命的兵器であったのだ。

 レモンジュース解放軍はたった一機の、何かのジョークか、でなければテレビアニメとタイ・アップしたオモチャのような兵器を相手に、とても苦戦した。これほど強力な兵器と戦う方法はたった一つしかなかった。つまり物量による無理押しであった。対弾性が99.87%ということは、1万発撃てば13発は効くということである。それに望みをかけて、何百万発という弾を撃ち込み続けるしかなかった。

 その過程で何万もの兵士が命を落とした。ここにもまた、今まさに死にゆこうとする兵がいた。別の元気な兵が、死にかけた友を抱き起こした。

「しっかりしろ!」

「俺は……もうだめだ……」

「弱気なことを言うんじゃない!」

「頼む、俺の妻と子に、レモン……ジュースを……」

「ああ、まかせろ。届ける。必ず飲ませてやる!」

 兵士はそれを聞いて、安心したように笑みを浮かべた。そのまま、ぴくりとも動かなくなった。まぶたを閉じることもなかった。手にした銃を取り落とすこともなかった。ただ生きているときの気持ちのまま、生きているときの姿のまま、死を迎えたのであった。その最期を看取った兵士は、友をゆっくりと赤い土に寝そべらせた。母なる火星の土の上に。

 そして立ち上がった。彼の目の前には、恐るべき鋼鉄の巨人が屹立していた。その堅牢なる装甲は、あちこち穴が空き、剥がれ落ち、青白い火花を飛ばしていた。あと少しだ。もう一歩なのだ。

 兵士は叫んだ。咆えた。そして走った。この巨人を打ち倒すために。

「子供達にコップ一杯のレモンジュースを!

 子供達にみずみずしい生のレモンを!」


 実際のところ、レモンジュース不足は人体の健康に重大な障害を引き起こすのだ。火星入植者によって創られたこの国においては、地球のようにふんだんな野菜類、柑橘類は手に入らない。工場による人工的な合成では、シンプルな炭水化物やタンパク質は比較的容易に作れるものの、複雑な構造を持つ必須微量タンパク質、すなわちビタミン類を作ることは大変難しい。

 したがって、ビタミンは天然の野菜から得るしかないのが現状である。ところが太陽から遠く離れたこの惑星には、地球ほど多くの日光が届かない。そこで天然の野菜は、安定した日照が得られる静止衛星軌道上の農業プラント衛星で育てられ、定期的に輸送ロケットで地上に送られる。そのため生産効率は非常に低く、それに比して生産コストはとてつもなく高騰しているのである。

 政府によるレモンジュース政策は、そうした事情を背景とするものであった。結果として、火星住民のビタミン不足は深刻なものになった。重篤な各種ビタミン欠乏症が火星じゅうに蔓延した。特に乳幼児期のビタミン欠乏症は容易に死に至る。新生児が成人まで生存する確率は、著しく低下していった。

 レモンジュースさえあれば生き残れた子供が、一体何十万人いただろうか?

 民衆を突き動かしたのは、そうした生への欲求であったのだ。

 誰にも止められはしない。

 怪物のような強さを持つ巨人にさえも。


 音を立てて、巨人が倒れた。どこかの天を衝くほど巨大な塔に住む人工知能コンピュータがこの光景を見たら、悲鳴を挙げて嘆くことだろう。

 ともかくもクーデターは成功し、政府は倒れた。レモンジュース解放軍の手によって政府中枢の地下に保存されていた大量のレモンが市場に放出され、国中がよだれの出るようなすっぱい香りに溢れた。人々は皮を剥くのさえ惜しんで、そのままレモンに齧り付いた。なんと爽やかな酸味であることか! 果汁がレモンの中から湧き水のように溢れ、人々の喉を潤していく。体の隅々まで、すっきりとした冷たい感覚が流れ込んで行き渡った。


 当然、民衆はレモンジュース解放軍に喝采を送った。ところが困っていたのは解放軍の指導者で、彼は難しい顔をして、側近に相談を持ちかけていた。

「さあ、問題はここからだ。当面はいいにしても、火星の総人口に行き渡るだけのレモン生産力はこの国にはないのだ」

「そのことは俺も考えていた。そこで提案なんだが、我々はレモンの供給源を外部に求めるべきだ」

「……なんだって?」

「この世界と薄皮一枚隔てた向こうには、豊かな国が存在する。ビタミンに溢れかえるあまり、フライに添えられたレモンを軽く絞っただけで満足し、食べもせず捨ててしまうような、完全に思い上がった奴らの国がな。奴らは今ごろ、たかがレモンジュースのために戦争までしている我々のことを、笑って見ていることだろうよ」

「なるほど、つまり……」

「そのとおり。侵略だ!」


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 そこまで読み進めたぼくは、ブラウザのスクロールを止めた。窓の外に聞こえる子犬の悲鳴のような音を聞きつけたからだ。ぼくは立ち上がる。『カクヨム』を表示するブラウザを閉じもせず、吸い寄せられるように窓に貼り付き、空を見上げる。

 空を埋め尽くす、何万という、巨大なレモンイエローの紡錘。

 それが全てワープ・アウトした輸送艇であることは、考えるまでもなかった。紡錘から豆粒のような兵士たちが撒き散らされた。彼らは一斉にパラシュートを広げ、地上へと――ぼくらの国へと殺到してくる。

 おかげでぼくには、はっきりと分かった。

 ――第二次檸檬戦争の幕開けだ。



THE END.

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