第20話 少しずつ、ゆっくりと


「わ、わたしもダレン様が好きです!!」




 自分の言葉にいたたまれず、両手で顔を覆うアリス。

 どうしよう、どうしようと、そればかり考えていたが、ゆっくりと体が揺れたと思ったら、ダレンが膝をまげその場にへたり込んでしまっていた。

 力を無くしたかのように、ぺたりと尻をついている。それでも腕のなかのアリスを離すことはなく、いつまでも彼の腕から解放される様子はない。


 そっと指の隙間からダレンの顔を覗き込むと、彼は声も上げず静かに泣いていた。彼の美しい瞳からハラハラとこぼれ落ちる雫は、月夜に浮かび上がりアリスの心を穏やかにしてくれていった。


 ダレンの腕の中から、そっと彼の頬に手を伸ばす。

 人の涙はこんなにも暖かいのだと。溶けるほど優しく、愛しいものなのだと初めて知った。


「ダレン様」


 アリスの声にゆっくりと視線を動かし、ふたりの瞳が重なる。


「アリス。ありがとう、嬉しい。嬉しいんだ。すまない……」


 膝に乗せ、腕に抱えていたアリスを力強く抱きしめながら、それでも涙を止める術を彼は持ち合わせてはいなかった。

 そんな彼の首に両手を回し、アリスもしがみつくようにダレンを抱きしめた。


 月明かりの中、抱き合うふたりはいつまでも泣き続けていた。



 夜の冷気がふたりの身体を冷やし始めるころ。


「くしゅんっ!」


「アリス! 寒いか? すまない、そうだよな。もう夜も遅い、戻ろう」


 慌てた様子のダレンは、咄嗟に自分の上着を脱ごうと肩に手を置いて気が付いた。『ああ、アリスの尻の下だった……』と。

 格好つけてアリスに自分の上着を貸せてやろうなどと、邪な慣れないことを思いついたのに、さすがに尻の下の上着を引きはがしてかけるわけにはいかない。

 それくらいの常識はわかるつもりだ。


 そんなダレンの残念そうな表情と視線から、彼の考えがわかったアリスは「ぷっ」とたまらず噴き出してしまった。

 その笑いがふたりの緊張の糸を緩め、顔を見合わせ大声で笑い始めるのだった。


「わはははは」

「あはははは」


 可笑しくて、嬉しくて、照れくさくて。

 そんな、幸せな笑いだった。



 夜の中庭に響き渡る笑い声で二人の耳には聞こえない……、不穏な息づかいが静かに忍び寄っていた。


「きゃあ!!」


 気がつけばアリスは大きな何かに背中を押され、地面に押し倒されていた。


「アリス!!」


「ハッハッハッ。ワオ~~ン」


 二人の楽しそうな笑い声につられ、小屋から抜け出して来たジョンだった。


「ジョン! 重い。ど、どいてえ」


 そんなアリスの願いも届かず、ジョンはアリスの顔をベロベロと舐め回し、ダレンが止めに入った時には、アリスの顔はジョンのよだれでベトベトだった。


「ジョンやめろ!! アリスの初めての口づけは俺のものだ!お前でも許さんぞ。すぐに離れろ。離れるんだ!」


 ダレンがジョンを引きはがそうと必死に悪戦苦闘している中、彼の言葉を聞き逃さなかったアリスは、ジョンの下敷きになりながらも一人悶絶していた。


『は、初めての口づけ? これが? これがそうなの? 私の初めては犬のジョンなの?』


 どうしよう? 今更どうしたらいいの? と、あらぬ方向に向かう思考を止めることもできずに、アリスは暖かいジョンの下で縮こまっていた。

 暖かいジョンの下敷きになりながら、少しずつ冷静になってみると、

『犬に顔を舐められたのはジョンが最初じゃない。領地にいた野良犬だわ』

 の、野良犬!? アリスの頭はもうぐちゃぐちゃになってしまい、考えることを放棄してしまった。


「ワフワフ、ワフフ~~ン」


 アリスから引きはがされたジョンは「そらついて来い」とばかりにしっぽを振りながら元気よく走り出していた。


「おい、こら待て! ジョン。許さないぞ!!」


 ジョンの後を追いかけてダレンも走り出した。一人残されたアリスは、ジョンの暖かい下敷きから解放されると寒さでブルッと肩を揺らし、


「まってくださーい! おいていかないでーーー!!」


 と、ダレンとジョンを追いかけ中庭を走り出していた。



 


 翌朝、なぜか応接室に呼ばれたアリスは、そこに小さく丸まったダレンとともに、セバスチャンとマリアからお目玉を食らったのだった。


「そうなるだろうとは思っておりましたが、こちらにも準備がございます。

 それならそうと言ってくださらないと、私共が大変な思いをするのですよ。

 もっと現当主としての自覚をお持ちください!」


「あなたの事ですからね。何もわからずに流されるのではないかと心配していましたが、そうならなかったことは褒めてあげましょう。

 ですがそれだけです。これからは、辺境伯爵家の妻としての教育をしっかり受けてもらいます。覚悟なさい、良いですね!!」


「はい」

「はい」


 鬼より怖い二人に叱られ、ダレンとアリスは並び肩を落としていた。




 まだまだふたりの春は遠いけれど。

邸の皆も、領地の皆も、二人を温かく見守ってくれることだけは確かだ。

 

 少しずつ、ゆっくりと、ふたりはいつも一緒に笑いあう。

 そんな未来を夢みながら、顔を合せては微笑みあうのだった。



「ワフ~~~ン」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アリスの恋 ~小動物系女子は領主様につかまりました~ 蒼あかり @aoi-akari

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ