渡りパンツと岬の老人
川谷パルテノン
灯台
すっかりと老境。刻まれた皺の隙間には小人が住まうという逸話を幼少に聞いていた老人は自らがその時になって馬鹿げた話であるとつくづく思うのだった。灯台の管理が彼の仕事だった。区に依頼されたわけではない。公費を巡って取り壊しが先延ばしになったオブジェを彼が勝手に管理していた。立ち退きを強制され一度は逮捕までされた老人だったがひっそりと出戻っては役場の人間の苦労を増やした。
彼が洗濯を終えると訪問者。腐れ縁とでもいうべきベテラン職員だった。ベテランは老人の顔を見るなり微笑んだ。今日は何をしましょうかね。小脇に抱えた将棋盤。ジャケットのポケットの膨らみは駒であろう。老人はベテランを一瞥するとカセットコンロを灯した。
コーヒーの香りが揺らぐ中でふたりは将棋をさした。ベテランはわざと負け続けた。込み入った話をする前に煽てようという算段だが、老人はそんな思惑をとおに見抜いており頷くはずもない。王手。つまらないゲームだった。
ベテランは老人にもう何度目かもわからないお願いをした。彼自身はあまり手荒な真似をしたくはなかったのだ。彼から、というよりはこの放置された灯台から意味を奪いたくないというような人情さえあった。しかしながら立場上、老人の行いを認知することはできない。だから彼は言った。そろそろここを出てください。老人は洗濯物が乾いた頃だと一人つぶやくと灯台の欄干のほうへと上がって行った。ベテランは将棋盤と駒を片付けて冷めたコーヒーを飲み干すとその後を追った。
「昔はよう海どりが飛んできた。いまはどこに行ったかわからん」
「ぼくが子供のころにはもう見かけなかったですよ」
老人は洗濯バサミを外すと下着を風にのせて飛ばした。ベテランはその奇妙な行動に少し慌てた。
「あんなふうに飛んでたんだ」
パンツが風に舞う。カモメに見えないこともないとベテランは思った。
「もう必要ないからな。運ぶ元気もない」
「それは」
「迷惑かけてすまんかった」
「こちらこそ」
ベテランは必要のない申し訳なさを感じた。
「家財といっても大した物じゃないが捨てといてくれ。最後の迷惑」
「これからどちらへ」
「さてね。あのパンツが行き着く先かな」
「じゃあまた将棋がさせそうですね」
「勘弁してくれ」
老人のパンツは落下しそうになっていたところで少し浮力を取り戻すともう少しだけ飛んだ。ベテランと老人、それから刻まれた深い皺の隙間から小人たちもまたそれを見守っていた。
渡りパンツと岬の老人 川谷パルテノン @pefnk
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