名古屋市営地下鉄東山線、陽当たり良好

雨蕗空何(あまぶき・くうか)

名古屋市営地下鉄東山線、陽当たり良好

 地下鉄のドアの窓ガラスに、俺の顔が映っている。

 左から右にごうごう流れるトンネルの壁を背景にして、見返してくる反射の俺の目は、大丈夫、涙の跡は残ってない。

 俺はもう、泣いてない。


 名古屋市営地下鉄東山ひがしやま線。藤が丘ふじがおか方面。

 名古屋市内を東西に貫く路線の東向き、名駅めいえきさかえを通過して東山公園ひがしやまこうえんを経由し、終点の藤が丘までつながる。


 ドアそばの手すりにつかまって、スマホを確認する。

 メッセージの通知。


――泣いてない?


 つい、舌打ちをしてしまった。

 気遣ってるのは分かる。分かるけど、聞き方というか、なんというか。


――泣いてねえよ


――そっか

――高校最後の大会なのに勝てなかったって聞いたから、くよくよしてるかと


 また、舌打ちをしてしまう。


 杉浦すぎうらは別に、彼女でもなんでもない。

 ただクラスが高校三年間ずっと一緒で、話す機会がなぜかやたら多い、それだけの関係だ。

 それがどうしてか、こんな調子のやりとりになる。


 地下鉄が駅に停まる。池下いけした駅。

 人が出て、入る。

 また動き出すまでの間に、メッセージを送った。


――うるせえよ

――そう思ってんならずけずけと踏み込んでくんな


――ごめん


 謝るなよ。

 謝るくらいなら、最初から、そんな、変に意識しちまうほど、近づいてくるんじゃねえ。


――悪いと思ってんなら、デートの一回でもしてなぐさめてみろよ


 勢いで、送った。


 地下鉄が、駅に停まる。覚王山かくおうざん駅。

 人が出て、入る。

 オシャレな街と評判のこの場所で出入りする人間は、自分とは違うヒエラルキーに感じられた。

 車両がまた、動き出す。

 メッセージの返信は、来ない。


 やっちまったか。

 ついムシャクシャして、困るような内容を送ったけど、完全にダメなやつだったかもしれない。

 別に本気で言ったわけじゃなくて、ただ鼻で笑って流してくれれば、それでいいのに。


 次の駅に停まった。本山もとやま駅。

 乗り換え駅な分、人の出入りが激しい。

 車内がかき回される感覚に、俺の心もぐらぐらと連動するようだった。

 そして車両はまた動き出して、それでも返事が来ないからあせって何か言おうとして、そのタイミングで返事が来た。


――いいけど


 え。と、俺の口から声が出た。

 地下鉄の走行音で、周りには聞こえてない、はず。


 考え込んだ。

 いいけど、って、なんだ。

 俺と杉浦はただのクラスメートで、別に付き合ったりはしてないし、そもそも好き合ってるわけでも、ない、はず、だけど。

 じゃあ俺は、なんでデートしろなんて、送って。


 考えてる間に、次のメッセージが来た。


――今どこ


 俺は車両の外を見た。

 地下鉄はちょうど駅のホームに滑り込んで、目の前のドアが開いた。

 ホームの黄色い壁は、ここが動物園の最寄り駅だとアピールするように、動物の絵で彩られていた。


――東山公園ひがしやまこうえんまで来た


――りょ


 りょ、ってなんだ。何を了解したんだ。

 そう思っている間に、車両はまた動き出して、次の駅に向かう。

 次の星ヶ丘ほしがおか駅が、家の最寄り駅だ。

 だから降りるつもりで、ドアの前に立って、地下鉄がホームについて停まって、ドアが開いて。


 そこに、杉浦はいた。


 俺があっけに取られている間に、杉浦は俺を押し戻すように乗ってきた。

 ドアが閉まり、車両が動き出すのと同時、杉浦は半分泳いだ視線をこっちによこして、指先でしきりに自分の髪をいじって、口を開いた。


「出迎えてやろうと思って、もともと駅まできてた、から」


 それから、うつむいて。


「デートするなんて思ってなかったから、全然、そういう格好してないんだけど……」


 杉浦の服装に目をやる。

 ラフなシャツに、デニムに、スニーカー。

 いや、俺だってキメた服装してるわけでもねえし、というか、そもそも。


「別に、今日デートしろなんて、一言も言ってねえだろ」


「だって」


 杉浦の声は、ともすれば地下鉄の走行音でかき消されそうだ。

 そんな細い声で、うつむいたまま、杉浦は言った。


「また別の日にってしたら、冷静になって、勢いで言っただけだとか、言われそうだから」


 地下鉄が停まる。一社いっしゃ駅。

 開くドアは、杉浦が背にしてる方とは反対方向。

 人の出入りから孤立したように、ともすれば俺が杉浦を壁際に追い詰めているような構図で、杉浦はずっと指先で髪をいじって、うつむいていた。


「……いや。いやいや。それダメだろ。

 それつまり、勢いで言ったことに流されようって、そういうことだろ」


「そうだよ」


 ドアが閉まる。車両が動き出す。

 徐々に高鳴っていく走行音に対抗するように、杉浦は声を強張らせた。


「流れに乗らなきゃ、進めないって思ったんだよ」


 杉浦の背後で、トンネルの背景が流れる。

 車両後方に向けて。それがだんだん、斜め下に向かって。

 それに連動するみたいに、杉浦の目が俺に向けて、強く持ち上がった。


「そうでもしなきゃ、このなんだかよく分からない気持ちが、日の目を見ることもないって思ったんだよ」


 夕焼けの光が、車両内を染め上げた。


 つい目を細めたのは、太陽光がまぶしかったからだと思う。

 杉浦の顔が赤く見えたのも、夕日のせいかもしれない。

 瞳がうるんで見えたのも、きっと、太陽の錯覚だ。

 杉浦の背後で、市街地を走る背景が流れていき、やがて上社かみやしろ駅のホームに入った。


 地下鉄東山線は、一社駅を過ぎると地上を走る。

 建設当時は住宅地じゃなかったから地上に線路を作った方が安かったとか、そんな話を聞いたことはあるが、このさいどうでもいい。


 夕日に照らされた杉浦の顔が、まっすぐこっちを見上げている。

 その赤くて少し陰のある顔は、ちょっと今まで知らなかったくらい、きれいだった。


 俺たちと反対側のドアが開いて、人が出入りして、閉まった。

 また走り出す地下鉄の中で、俺たちは見つめ合った。

 心臓がうるさい。

 耐えきれなくなって、俺は視線を外した。


「あー……デートするにしても、もう夕方だし、これからどこ行くよ」


「藤が丘まで行けば、ミスドとか……」


 困って考え込むようなトーンをしている。

 杉浦も考えなしかよ。


「あのまま星ヶ丘で降りて、星ヶ丘テラスにでも行った方がよかったんじゃねえの?」


「じゃあ」


 そらした俺の視線の先に、杉浦が回り込んできた。


「次は、それで」


 次があるのが、確定しているらしい。


「……分かったよ」


 それを、内心喜んでしまってる俺がいる。


 気持ちの整理がつかないまま、状況だけが進んでしまった。

 自覚もしないうちに、どうやら俺の恋心らしきものは、日の目を見てしまったらしい。


 地下鉄は本郷ほんごう駅に停まり、過ぎて、次は終点、藤が丘。

 線路がカーブして、東に向けて走っていた車両が、北向きになった。

 西日の角度が変わって、杉浦の顔がさっきより、くっきりと照らされた。


 うれしいのか、はにかんでいるのか、目をそらしてぎこちなく笑う杉浦の顔は、赤くて、きれいだった。

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