第50話 エピローグ




 昼下がりの陽光は優しさを纏って、馬も喜んでいる。黒馬は主とその荷物だけを運び、いつもより楽な仕事だった。このままいけば夕暮れ前には次の街、ロベルックに到着する。女騎士は水袋に口をつけ、喉の乾きを潤した。


 体力の減りは少なくとも、早めに黒馬にも水をやり、再び次の街を目指して動き出した。しばらくはナントの街には帰れないだろう、それだけの覚悟と別れを済ませてきた。


 ナントの街で大きくやることが二つあった。セリアは真っ先に父であるジャンドゥ・バルムスタ枢機卿と面会した。


 再会の挨拶もそこそこに、旅の顛末を包み隠さず報告した。魔物化阻止の失敗、少年の結末、任務の失敗、自身の醜い心の内まで語った。


 セリアはどんな罰も叱責も受け入れるつもりで話した。任務を全う出来なかったどころか、自分から放棄したのだ。聖騎士団団長として許されることではない。


「この事態の責任を取り、私は団長の任を辞し、聖騎士団を退団する意向です」


 報告の最後はそう締め括った。ドラゴンを取り逃した責任は重い。極秘任務故、団員の誰もが知らないが、ナント支部の最高権力者であるバルムスタ枢機卿はその責任の重さを看過できない。それが自身の身内なのだから尚更だ。セリアも元より覚悟の上だ。


「………それで、聖騎士団を辞めて、あの少年を追うのかね?」


「………」


 言葉にならなかった。全てお見通しだと言うことだ。


「報告通りの強さなら無闇にドラゴンを刺激しない方が良い。討伐隊を結成することすら憚られる………それでも行くのか?死ぬかもしれないのだよ?」


「……元より覚悟の上です。このままでは私は自分自身を許すことが出来ません。その先に悲惨な結末が待っていようと、立ち止まる気はありません」


「………はぁ、セリアの頑な性格は知っていたつもりだったが………これも私の所為なのかも知れないね………正直、君があの少年を手に掛ける姿が想像出来なかった。その甘さは親ゆずりだよ、任務を与えた枢機卿として失格だ」


「そんなことありません!父の優しいは私の誇りです………」


「なら、君の優しいも私の誇りだ。身内で互いに言い合うことではないのかも知れないが、セリアの取った行動を私は否定しない、否定など出来ない。だから、君が信じた道を征けばいい。親は静かに見守るだけだ」


 セリアは涙が出る想いをグッと堪え、深く頭を下げた。他人が見れば公私混同も甚だしい。身内だから、身内に甘い、と叱責されるだろうが、バルムスタ枢機卿もそれは承知の上。いつまで経っても親は子にとって偉大であり、頭が上がらない存在だ。


 結局、退団ではなく、休職の形に収まった。これはセリア・バルムスタ団長付副官で、セリアがいない間にはの団長代理であった、マリエナの猛反対にあったからだ。


 マリエナは、休職の形すら納得していなかったが、周りが説得してその場は何とか収まった。しかし、セリアはマリエナの異様な雰囲気を感じ取っていた。仄暗い沼、底が見えない底なし沼のような瞳をしていた。


 しかし、今のセリアには危ない雰囲気を纏ったマリエナに心を割く余裕がなかった。目的以外のことには目もくれないと決めた。だから、こんなに早く躓くわけにはいかなかった。


 馬上であぶみを踏み直し、はぁ、と重苦しいため息をついた。バルムスタ枢機卿への報告を含めた聖騎士団での用事ですら、気が重くなるものだったが、もう一つのナントでの用事はそれを遥かに超えるものだった。


「覚悟はしていた、していたが………これほどまでに心に重くのしかかるものなのか………」


 ―――お兄ちゃんを返してッ!返してよッ!!!


 涙混じりの甲高い叫び声はいつまでもセリアの頭に残り続けた。罵られて当然、寧ろ、殴られなかったことが不思議だった。顔面を思いっきり打たれた方が良かった。頬の痛みを感じられれば、罪の意識も少しは散漫しただろう。


 セリアはダンジョン教会での報告を終えた足で、ゼルの生家を訪ねた。訪れないわけにはいかない。肝心なことは伏せ、少年の訃報を伝えた。


 魔物化したとは言えなかった、ドラゴンに成って人の手の届く範囲に居ないとは言えなかった。それはギメス会関係で話せない事情もあるが、それ以上に息子が魔物に成って、人々を傷付ける可能性があるとは到底言えなかった。


 だからと言って、死亡の報せを伝えるのが最善かと言われれば、セリアには判らなかった。ただ、死を覚悟した少年のことを想い、生死が判らない行方不明よりも、生死がはっきりしている方が良いと思った。生死が判別しない行方不明なら家族はいつまでも少年の帰りを待つだろう。死がはっきりしているなら前に進みやすい。どちらが正しいと言う答えは一生掛けても見つからないだろう。


 少年の死を伝えるとゼルの母親は肩を震わせ泣き崩れた。父親は気丈に振る舞い、母親の肩を抱き締めていた。二人共悲しみに暮れていたが、セリアを責める言葉は一つも吐かなかった。流石だな、セリアは少年の純粋さと芯の強さをその両親に見た気がした。


 そんな両親の隣には、慣れない来訪者にどうしていいか判らず、ポカーンとしていた少年の妹、ソフィがいた。大人の難しい言葉を理解することは出来なかったみたいだが、狼狽する両親を見て、見る間に顔が青ざめたのをセリアは忘れることが出来ない。


 ソフィは女騎士を朧気に覚えていたのだろう、必死に、お兄ちゃんは?お兄ちゃんは?と両親に問いかけていた。肩を震わせ、涙を噛み殺している母親に代わり、父親がソフィを諭していた。もう、ゼルは帰って来ないんだ、その光景はセリアの心をズタズタにするには十分だった。


 ブラックシープの人形を握り締めたソフィは大粒の涙を浮かべ、全てを理解した。大好き兄はもう帰ってこない。それがどれほど重たいものかセリアには想像すら出来なかった。ただ、その少女が真っ直ぐに兄を慕っていたのがその瞳を見て嫌と言うほど理解できた。セリアは改めて自分の行ないの罪深さを再認識させられた。


 重たい気持ちを引きずろうとも、己に楔を打って前に進まなければならない。全ては自分が招いた結果だ、甘んじて受け入れる。セリアは手綱を握り直し、真っ直ぐに前を見つめた。


 馬の足取りも順調な頃。黒馬の嘶きが響いた。黒馬を宥めるセリアの前には人影が現れていた。


「あぁ、助けておくれ、騎士様!」


 未だ騎士の格好をしているセリアを認めたその人影は焦燥に駆られていた。何か只事じゃない事態に巻き込まれているのか、その人影は黒いローブを着た老婆だった。所々薄汚れているローブをフードまで被っているが、顔が見えないほど露出がないわけではない。大きな鷲鼻に濃い皺の寄った目尻。何故こんなお年寄りが一人で街道にいるのか疑問に思いつつ、セリアは素早く馬を降り、老婆に近づいた。


「どうしたんですか?随分焦っているようですが………」


「あぁ、魔物じゃ、魔物に襲われて、命からがら逃げて来たのじゃ」


 魔物、やはり魔物の出現が頻発しているようだ、セリアは細剣を引き抜き、辺りを警戒した。


「おばあちゃん!その魔物はどんな魔物でした?」


「あ?どんな魔物………はて、どれにしようか………そうじゃな牛頭ごずじゃった」


「ゴズ?聞いたことのない魔物だな………何か特徴はありましたか?」


「あ?特徴って………そのまんまじゃ、牛の頭をした魔物じゃよ」


「牛の頭って、ミノタウルスですか!?そんな凶暴な魔物までこの近辺に出現するのか」


「ミノタウルス………今はそんな名前で呼ばれておるのか………歳を取ると今と昔とで乖離があるのぉ」


 真剣に考え耽るセリアを横目に老婆は何やらブツブツ独り言ちていた。ふと、我に帰るセリアは老婆の様子が気になった。いきなり飛び出して来た時の焦燥感は今は感じられない。寧ろ、年相応の落ち着き払った振る舞いに不気味さを感じた。まだ若いとはいえ、セリアも聖騎士団の団長を務めていたからにはそれなりの修羅場を経験してきている。年長の探索者や聖騎士団員に経験で劣っても、相手の力量を推し量れないことは稀だ。そう言った意味ではこの老婆は得体が知れない、その一言に尽きた。


「ミノタウルスがこの辺りに出ているなら討伐しなければなりません。おばあちゃんはここで待っていて下さい」


「あ?お主、こんな年寄を魔物が彷徨う街道に一人置き去りにしていくのかえ?それでも騎士か!」


「いや、そう言うわけでは………」


 老婆の急な変貌に戸惑うセリアは言葉を上手く紡げなかった。言っている内容は的外れなものではない。セリアが居ない間に魔物が襲って来ないとも限らない。なら、一緒に行動するべきだ。今は騎士ではないんだが、少し内心で苦笑いしつつ、セリアは老婆の安全を優先した。


「では、次の街までお送りしましょう。この馬に乗って下さい」


「それだと騎士様が乗れんじゃろう」


「私は結構です。心配しなくても手綱は私が握りますから安心して乗って下さい」


「ふむ、年寄は馬に乗るものなのかえ………」


 また老婆はセリアとの話を終えるとブツブツと独り言を呟いていた。セリアはそれを気にするでもなく、手綱を握り、自身は歩いて次の街へ向かった。ミノタウルスのことは気になるが、ロベルックの聖騎士団に報告すればいいだろう、それだけ済ませてすぐにペーシに旅立つつもりだ。クワイガン・メルギヌス団長にも会わずに去ろう。前回のように足止めされては敵わない。女騎士は少年との思い出が脳裏を過った。


「あの小僧は元気にしておるかのぉ………」


 不意打ちの言葉に心臓を掴まれた思いのセリアは老婆を見た。聞き間違えか、只の独り言なのか、気にならないと言えば嘘になるが、追求するようなことでもない気がする。しかし、心の中に嫌なモヤモヤだけが残った。


「おばあちゃん、先程、何か言いましたか?」


「いや、何も。他人のことなんて気にしなさんな」


 それとなく訊いてみたが、何事もなく返された。それよりも、と話を切り替える老婆を怪訝に感じながら、とりあえず話を聞くことにした。


「お主、ドラゴンスレイヤーを知っているかね?」


「ドラゴンスレイヤー?いや、聞いたことはないですね」


「何じゃ、そんなことも知らんのか。巷で噂になっとるぞ。王都の北の都で最近頭角を現して来た探索者だそうじゃ。世俗に疎くてはならんぞ」


 老婆に世俗云々を語られるのは癪だったが、実際にセリアは最近の世間の動きについてはあまり把握していなかった。自分の求めている情報に絞って集めているのだから仕方ない。他のことを気にかける余裕もないから、割り切って考えるべきだ。ただ、ドラゴンスレイヤーか、それについては気になる。会うべきかもしれない、セリアは不可思議な老婆の雰囲気を忘れ、意識がそちらに向いた。


「お主がペーシに向かうなら出会うこともあるじゃろう」


「ん?なぜ私がペーシに行くと………?」


「あー………あれじゃ、王都へ行くなら誰しもが通る町じゃろう?当てずっぽうで言うたまでじゃ」


「………」


 なるほど、ペーシは王国の東側の要所だ。王都を目指すなら必ず通る場所だ、と思う反面、怪しいとも感じる。王都へ行くと言った覚えはないが、話の要領を得ないような、核心を突かれたような、そんな掴みどころのない話をする老婆を怪訝に感じるセリアは自然と足が止まっていた。


「ほれ!何をボーッとしておる。早くの次の街まで連れて行ってくれ。わしは疲れたわい」


 老婆に急かされ、セリアは先を急いだ。老婆の言う通り、運良くペーシの町で件の探索者に出会えれば、一目見るのも悪くないだろう。目的の為には利用することも視野にいれなければならない。


 平原の先に小さくロベルックの街が見えた。とっぷりと暮れて夜になる前に辿り着けそうだ。セリアはロベルックの先の先まで見通しそうなほど遠くを見つめている。手探りの旅はまだ始まったばかりだ。目的に繋がるならどんな小さな情報でも拾ってやる、泥水を啜ろうが必ず成し遂げてみせる、手綱を握る手に自然と力が入る時、小さな嘶きが女騎士と老婆以外誰もいない街道に響いた。


 

 

 


 


 

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禁忌のスキル書『ドラゴン』 鬼頭星之衛 @Sandor

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