冬の大三角形

一花カナウ・ただふみ@2/28新作配信

冬の大三角形

 ふと見上げた空には、砂時計みたいな形が目立つオリオン座。寒くなってきたと感じていたが、もう冬なのだ。

 息を白く曇らせながら夜空を見ると思い出す。

 明るい星を指先で繋いでいく。ベテルギウス、シリウス、プロキオン――冬の大三角。教えてくれたのは家庭教師の先生だった。



*****



 不特定多数の通う塾や予備校に行くには健康面に不安があった。なんせ流行病で世の中はざわめいている真っ最中。ニュースで報じない日々はないくらいなのだ。受験生である私が大事な試験の日に病人になっては大変だというわけである。

 そんな事情で、近所に住んでいる秀才と噂の先輩に家庭教師をしてもらうのはどうかと彼に白羽の矢が立った。バイト先が規模の縮小をするとのことで、バイトの拘束時間も減っていれば収入も落ち込んでいると聞き、ならば声をかけるだけかけてみようという話である。

 三つ歳上なので、直接関わりがあったのは小学生の頃が最後だ。当時、背の高い先輩を格好いいと思っていた。たぶん、私の初恋の人である。

 連絡は兄経由でしてもらって、まずは試しだと彼はやってきた。


「こんにちは、美冬さん」

「ここここ、こんにちは。橘先輩」


 久しぶりに対面した先輩は記憶にあった彼よりも数倍格好よかった。大学に行って、服や髪型に気をつかうようになったのだろう。雑誌の表紙にいそうな感じで、びっくりした。

 いや、マジで。兄が兄だけに。

 兄と橘先輩は中学の同級生で、でも特に仲がよかったわけではないらしい。クラスの集まりが時々ある都合で連絡先を交換していただけである。兄が橘先輩と仲良しであれば、もうちょっとマシな見た目になっていたことだろう。残念だ。


「俺、あまり人にモノを教えるのって得意じゃないんだけど、相性もあるだろうし、今日はお試しってことで」

「は、はい、橘先輩! ……って、橘先生、のほうが正しいですよね……?」


 つい記憶のままに先輩呼びをしてしまったが、よく考えたら先生として招いているのだ。先生呼びの方がいいに違いない。

 私が恐る恐る尋ねれば、橘先輩はふっと笑った。


「別にどっちでもいいよ。呼びやすいようにしてくれれば。先生って呼ばれるほど教えることはできないと思うし」


 さあ始めようと促されて、私は自分が使っている試験対策本を引っ張り出す。模試の結果を見てもらいながら、私は試験対策本に書かれた問題を解き始めた。


「――あー、なるほどね」


 後ろから手元を覗かれて、私はびっくりした。距離が近い。


「あ、ごめん。俺と同じ間違った方法をやってたからさ。そこはね、こうするといいんだ」


 ペンを貸して、と言われて素直に渡すと、図形に一本の線を引いた。


「補助線を入れるならこっち。理由は――」


 さすがは理工学部に通っているだけある。少し苦手な図形の問題も、橘先輩の説明ならすんなり頭に入った。

 模試の中にあった類似問題を解くように勧められて、もう一度解き直したら前よりも早くすんなりと解けた。教えるの、上手じゃん。


「……へえ、面白いな。俺と同じミスばっかりしてる。気づくまでが大変だったんだよなあ、クセがついちゃってて」

「そうだったんですか」

「自分の解き方を見直すのに理屈から叩き込み直したから、その辺りは説明できるんだよね」


 よい先生を手に入れたと思えた。


「私、頑張るので、これからも教えていただけませんか?」

「うん、俺でよければ」


 こうして、橘先輩と一緒の受験勉強が始まった。





 勉強は順調だった。模試の結果もちゃんと良くなった。両親も喜んでくれたし、私もすごく楽しかった。

 冬の足音が近づいてきたある日。

 家庭教師の時間が終わると、玄関先まで見送りに出る。橘先輩は空を見上げて、不意に指差した。


「冬の大三角だ」

「?」

「オリオン座、わかるでしょ? それで、あの明るい星とあっちの明るい星を結んで冬の大三角。もう一つ面白いものがあるけど、今はまだよく見えないから、また今度教えるね」

「星、お好きなんですか?」

「特に好きというわけでもないんだけど、なんかそれだけ印象に残っていて。すごく明るい星だから」


 そう告げてはにかんだ橘先輩はなんか可愛らしかった。歳上の男性に可愛いと思うのは変だけど。


「確かに目立ちますね、正三角形」

「だろ? 冬に見られるから、思い出したら探してみてよ」

「はい」


 そんなやり取りを、今もはっきり覚えている。



*****



 小さな手が私の指先を握って引っ張った。


「ママ、どうしたの?」

「お空に三角形ができてるなあって思ったのよ」


 そう答えてしゃがみ込み、ベテルギウスを指差す。しかし、ほかの星は見えなかった。娘の身長では建物が邪魔なのだ。


「おほしさまはさんかくじゃないよ」

「そうね」


 星座の話も冬の大三角の話もまだ娘には早いかもしれない。


「パパといっしょにお空の本、見てみようか。三角形のお話、できると思うよ」

「うん。やくそく」


 指切りをして、歩き出す。

 あれから十年経って、私の苗字は橘になっていた。

 大学受験は無事に突破して、橘先輩と同じ大学の理工学部に通った。先輩は大学院まで進んで、私が志望した研究室に彼はいて。

 夜遅くまで研究室に残っていた私に、空を見上げながらあのときの話の続きをしてくれた。

 冬の大三角は冬のダイヤモンドの一部でもあるのだと教えてくれた。その流れで、なぜかプロポーズされて、今に至る。


「今日は星が綺麗ね」


 たくさんたくさん、星のお話をしよう――私は小さな手を握りながら、愛する旦那さまの待つ場所に向かうのだった。



《終わり》

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