第3章
第19話
チャペルの重たいドアが押し開けられて、大樹が礼拝堂の中に入ってきた。
両手で松葉杖をつきながら、一歩ずつ、ゆっくりと中央の通路を上ってくる。背中にチェロのケースを背負い、脚には膝までの装具を付けているせいでひどく歩きにくそうだ。少し離れて、後から由美と貴宏が着いてくる。二人は心配そうに彼の様子を眺めている。
初めて大樹とチャペルで合同練習をする日だった。沙希は朝からひどく緊張していた。
ヤノフスキーのコンサートのあと、彼の演奏に刺激されたのか、大樹はチェロの練習に熱心に打ち込んでいた。そして少しすると、そろそろピアノとチェロを合わせましょう、と言い始めた。最初はいろいろと理由をつけて、もう少し待ってほしい、と誤魔化していたのだが、もともと彼をけしかけたのは沙希のほうだった。いつまでも先延ばしにしていられるはずもなかった。
お披露目リサイタルを病院のチャペルで開けるのか、まだわからなかった。あのピアノが本当に奇跡的に生き返るのかどうかさえ闇の中だ。しかし、大樹のほうから自分に言って来てくれたことが嬉しくて、そのうちに誤魔化しきれず約束してしまったのだ。
後になって、自分の軽率さにひどく落ち込んだ。いざ一緒に演奏を始めて見たら、突然後頭部を殴られたような奇妙な状態になってすぐに練習を中止する——そんなシナリオを思い描いて何度もぞっとした。大樹に自分の無様な姿を見せるのは嫌だった。それだけは何とかして避けたかった。
大樹と約束を交わした翌日、沙希はどんよりとした気持ちで一人チャペルに忍び込んだ。激しいフラッシュバックに襲われた前回以来、ピアノには触れていなかった。
そっと鍵盤に指を乗せて目を閉じた。『Le Cygne』の楽譜を思い浮かべる。自動的に指が動き出すくらい、体に染みついている曲だ。恐る恐る弾き始めた。次の小節へ進むたびに、いまにもやって来そうな衝撃に身構えてしまい、演奏自体はひどい出来だった。でもどういうわけか、どこまで弾いてもあの痛ましいフラッシュバックはやって来なかった。
目を閉じて指が動き始めたとき、目蓋の裏に浮かんだのは灰色の空の下に浮かぶ煤けた校舎の姿ではなかった。それは森だった。木々の覆い茂る深い森。その木陰に二人の少年たちの姿が見え隠れしていた。彼らは楽しそうだった。二匹の子犬のように顔を綻ばせてじゃれ合っていると、空から光が差し込んだ。片方の少年が吸い込まれるように光へ向かって歩き出した。するともう一方の少年が駆け寄って縋りつくようにして引き留めている。やがて二人は争いを始めた。そこまで行ったとき、こめかみの辺りに強烈な頭痛がやって来た。沙希は目を開けて、鍵盤から手を離した。
なぜかはわからなかったが、前に比べるとだいぶよくなっていた。ヤノフスキーの演奏に感銘を受けたせいなのか、それとも健翔との間に起こったことのせいなのか。とにかく、何かが変わったのは確かだった。曲がりなりにももうあと少しのところまで弾き続けることができたのだ。そう思うと感慨深いものがあった。
ただ、完治からはほど遠かった。あの少年たちの諍いはいったい何なのだろうか。もしそれが自分の心のうちを映し出すものなのだとしたら、自分はあの二人のことをどう思っているのだろうか。よくわからなかった。自分の胸のうちだというのに、まるで鍵の掛かった分厚い扉で守られた倉庫みたいに、心の中は閉じられていた。
今日もまだ、課題曲の『Le Cygne』を通しで弾ける自信はない。だが大樹の姿を見ていると、弱音ばかり吐いていられなかった。しっかりしなくてはと朝から何度も自分を鼓舞していた。
ステンドグラスから日射しが差しこんで、うっすらと汗の滲む大樹の額が照らし出された。聖母マリアが見守るなか、彼は祭壇のそばまで近づいて来た。太腿まである長下肢装具はもうだいぶ前にとれて、本当ならもっと早く歩けるようになっているのだが、背中に背負ったチェロケースの重みで足を踏み出すのに苦労しているのだ。由美も貴宏も、車椅子で行けばいい、チェロケースは誰かに運んでもらえばいい、と何度も言って聞かせたのだが、どうしても自分で背負っていく、どうしても自分の足で歩いて行きたい、と言い張って、彼は譲ろうとしなかった。
沙希は正面奥にあるピアノの前に座って、じっと見守っていた。内心では駆け寄って手を貸してやりたかったが、きっと大樹は手助けを受け入れないに決まっていた。彼はまるで、そこに世界が存在しているのを一歩一歩確かめるかのように、慎重に足を踏み出して前に進んだ。
祭壇が置かれている聖所と呼ばれる部分は床が一段高くなっている。十センチほどのその段差に、下肢装具をつけた彼の爪先がひっかかった。大樹の体が大きく前に傾き、前のめりに倒れそうになった。
嗚呼、という誰かの叫び声が礼拝堂に響いた。
しかしギリギリのところで片足を前に出し、彼はなんとか体を支えた。病魔に冒された細い腕をしならせるようにして松葉杖を握り締めている姿を見ていると、痛みが走った。いまにも右腕の上腕骨が真っ二つに折れてしまうのではないかと気が気でなかった。彼の額からは汗が噴き出していた。
しかしそんな心配をよそに、大樹はとうとう一人で舞台まで辿り着いた。聖所中央に用意されていた椅子に腰を下ろすと、大きく息をついて言った。
「沙希さん、待たせてごめん」
大樹はケースからチェロを取り出して椅子に座り直した。膝下に装具をつけているせいで、チェロを抱える姿勢が取りにくいらしく、何度か体勢を整え直した。ようやく落ち着くと彼は顔をあげた。ピアノのほうを向いて小さく頷く。
沙希は深呼吸をして鍵盤に手を触れた。冒頭の小節を弾き始める。
少し遅れて大樹がチェロのパートを奏で始めた。最初にしては悪くない出だしだ。初めてとは思えないくらいテンポも合っている。瞳を閉じた。体の中が少しずつ温かいもので満たされていく。ずいぶん遠いところまでやって来た——そんな気持ちに包まれる。
だが、中盤を過ぎた辺りから指の先が痺れ始めた。
少年たちがまた何かを言い争っていた。たったの三分半程度の演奏すら持たないなんて——そう思うと余計に焦りが生じ、頭の両側から分厚い板で挟み込まれるような頭痛がやって来た。
グッと歯を食いしばって弾き続けていたのだが、おそらくひどい演奏だったのだろう。気がつくと大樹がチェロを弾く手をとめて、こちらを振り返って眺めていた。それを見て鍵盤から手を離した。全身が汗だくになっていた。
「沙希さん、大丈夫?顔が真っ青だよ」
大樹は驚いたふうもなく、冷静な声で言った。
「大樹君、私、病気なんだ。心の病気——」
「やっぱりそうなんだ」
「知ってたの?」
「まあ、うすうすは——。合同練習に誘っても先に延ばしてばかりだったから、変だなと思ってた」
「そっか」
「本町第二小の光景のせい?」
「え?」
「病気の原因になっているのって、あの学校が津波に呑まれるのを見てたせい?」
「大ちゃん」
二人のそばに駆け寄って様子を覗っていた由美が大樹を遮った。珍しく眉間に皺を寄せて、振り返った大樹に向かって首を振った。
大樹は再びこちらに顔を向けた。それから呟くように言った。
「嘘までついてたんだ?」
その言葉に息をのんだ。
「一緒にデュオを演奏しようって言ってたくせに、本当は自分がピアノを弾けないこと知ってたんだ」
容赦のない糾弾の言葉に胸が詰まって返事ができなかった。
「僕には生き甲斐を捨てちゃったら生きてる意味ないよなんて言ってたくせに、自分は平気で嘘をついてたんだ」
「ちょっと待って」ようやく身体の中から押し出されるように声が出た。「最初にお披露目リサイタルの話をしたときは、私も自分でこんなに酷いって知らなかったの」
「でもそのあと気がついたんでしょ?それでもまだ嘘をつき続けたんでしょ?」
「それは…」
「やっぱり子供だと思って馬鹿にしてるよね?難病の子供を励ますためならそんな嘘も大目に見てもらえるって、そう思ってるよね?人を傷つけないようにしてるつもりで余計に傷つけてることに気づいてないよね?いつも独りよがりで、自分の中だけで話が終わってるよね?大人って皆そうだけど、沙希さんは飛び抜けてそうだよ」
「大ちゃん」と由美が再び大樹を制した。強い口調だった。彼女には似合わない激しい言い方だった。
大樹は口を噤んで床の上を見詰めた。
彼の言い分は百二十パーセント正しかった。もう何もかも認めて謝るしかなかった。それなのに、悔しくて言葉が出て来なかった。それを認めてしまうと、自分が壊れてしまいそうで怖かった。大人は皆そうやって自分に嘘をつくことでギリギリ地面の上に立っているんだよ、と彼に言ってやりたかった。子供みたいに本当のことだけに寄りかかっていられないんだよ、あなただっていつかわかるときが来るよ、そう言ってやりたかった。そしてそう吐き出しそうになる寸前で言葉を呑み込んだ。
彼にはそんな日は来ないのかもしれない、という考えが頭を過った。この子は、澄みきった水のように、透明な光みたいに、いつまでも純粋なままこの汚れた世界から零れ落ちていくのかもしれない。
「本当にごめんなさい」
結局、陳腐な謝罪の言葉しか言えなかった。
「大樹」様子を覗っていた貴宏が割りこんだ。「オレからも謝るよ。オレも知ってたんだ。けど、なかなか言い出せなくってな。時期が来たら伝えようとは思ってたんだ。悪かったな」
礼拝堂が沈黙に沈んだ。どう砕いたらいいのかわからないくらい分厚い沈黙だった。
だが、一瞬の間をおいて固くへの字に噤んでいた大樹の口元が緩み、彼はこちらへ向かって顔をあげた。
「これでおあいこだね」
沙希は驚いて顔をあげた。
「沙希さんがいなくても、僕は大丈夫だよ」
「はあ?」
「沙希さんが演奏できなければ、僕は一人でソロを弾くよ。ヤノフスキーみたいに無伴奏チェロを弾くから大丈夫だよ」
「そう…」
「もう一度繰り返すけど、僕がチェロを弾くのはそれが僕の生き甲斐だからだよ。ミーちゃんのことで自分の生き甲斐を捨てかけてたのは、沙希さんの言うとおり。でももう迷わないよ。僕は沙希さんがリサイタルに出られなくても一人で演奏する。生き甲斐って、そんなことで左右されるようなものではないって、ミーちゃんが教えてくれたような気がする。生き甲斐って、この世にたった一人取り残されたとしても、それでもそれさえあれば生きていけるようなものだって、ミーちゃんがそう教えてくれたような気がしてるんだ。だから僕は、沙希さんがリサイタルに出られなくなっても平気だよ。そのときは僕、一人でチェロを弾くよ。それってきっと、沙希さんと一緒に演奏するのと同じくらい楽しいに決まってるから」
呆気に取られて言葉を失った。
いつの間にか、大樹は大きく成長を遂げていたらしい。しかも彼は汚れた大人の世界を一気に飛び越えて、ずっと先のほうまで一人で行ってしまったみたいに見えた。
この世に照らせない闇などないことに彼は気づいたのだ、と思った。彼は自分がそれに気づいたことに気づいてはいないかもしれない。けれど、いまの彼はまるで彼自身が真っ暗な世界を照らす光であるみたいに眩しかった。
そんな彼の変化に気づかずに彼に赦しを乞うなんて、いかに的外れなことだっただろう。いまの彼の前では、こちらの抱え込む闇そのものが彼が放つ輝きに包み込まれて無効にされてしまうのだ。大人になるというのは薄汚れた世界を受け入れることなのだなどと、わかったふうなことを言って現実から目を背けていた自分が本当に恥ずかしかった。
いつまでも呆然と彼を見詰めていると、貴宏が言った。
「さすが大樹だ。本当にお前の言う通りだな。生き甲斐って本当にそういうものだとオレも思うよ。たぶん誰かを愛することと同じなんじゃないかな。その人とただ一緒にいられるだけで幸福に満たされるっていうか。好きなことも同じで、ただそれをしていられるだけでもう十分幸福になれるんだよ」
「先生、陳腐な言いまわしだけど、珍しくいいこと言ったね」
「おい、陳腐と珍しくは余計だっちゅうの」
貴宏が大樹の頭をゲンコツする振りをすると、大樹は声を立てて笑った。彼の笑い声を聞いたのは初めてだった。
「でも沙希さん」と大樹は言った。「諦めないで、少しずつ練習していかなきゃダメだよ」
突然やって来たさりげない言葉に息が詰まった。
こんなに色々なことがあったあとで、彼は何の力みもなく、なお自分のことを励まそうと言葉をかけてくれた。心なしか、眸には自信と優しさが漲っているように感じられた。その姿が、ふと、初めて言葉を交わしたときの天翔の姿と重なり合った。十五年前、帰りの会のあと、彼はいまの大樹と同じくらい眸を輝かせながら、こう言ってくれたのだ。
「さっきはありがとう」
濡れ衣を着せられた貴宏と、中途半端に首を突っ込んで窮地に陥っている自分のことを救い出してくれたのは彼のほうだった。それなのに彼は、ありがとう、と言ってくれたのだ。
いま思い返してみるとよくわかった。あの言葉に自分がどれほど救われたことか。健翔の耳に兄の声が聞こえてきたように、仮設住宅の四畳半の暗闇の中で蹲っていたとき、自分の耳にも彼の声が届いてきたのだ。たとえこの世界がどんなに深い闇に包まれているとしても、いつか必ず夜明けの光が差し込む時が来る——。ヒキコモリに終止符を打って通信で高校に通い始めようと決心したとき、自分にもそういう彼の声が聞こえていたのだと、いまようやく理解できた気がした。
「沙希さん」と大樹は続けた。「僕のためにじゃないよ。沙希さんがピアノを弾くのは、沙希さんのためにだよ。僕は、僕のためにチェロを弾くよ。沙希さんは、沙希さんのためにピアノを弾けばいいんだよ。そしたら二人で一緒に演奏する時がやってきたとき、僕たちはお互いの演奏に耳を傾けられる気がする」
結局またいつものように立場が逆転してしまうのだ。いつだって最後には自分のほうが子供のような立場になってしまうのだ。
「わかった」
そう絞り出すだけで精一杯だった。
絶対に諦めないよ。何があってもよくなって、自分のためにあの奇跡のピアノを弾くよ。そう呟いてみたが、声にはならなかった。
何回目かの合同練習で、二人は特別ゲストを迎えた。
『Le Cygne』が完成に近づいているという話を耳にして、ミーちゃんがどうしても聴いてみたいと言い出したのだ。
チューニングを澄ませ、二人の準備が整うと、沙希は礼拝堂の正面ドアの手前でスタンバイしていた貴宏に手で合図した。彼が手を振り返す。チャペルの重たいドアが開かれる。
扉の向こうで午後の陽光が氾濫しているせいで、一瞬、目の前が真っ白になる。やがて光の中から小さな人影が姿を現した。カチっ、カチっと、松葉杖が礼拝堂の木造りの床を踏みしめる音が静かに木霊する。
「大樹お兄ちゃんがいつもしてるみたいに、ミーちゃんも一人で歩いて行きたいです」
心配そうな表情を浮かべている大人たちに向かって、ミーちゃんは強い意志を感じさせるはっきりとした口調でそう言ったそうだ。
二本の松葉杖を前に出し、杖で体重を支えながら片足を前へ送り出す。その動作を繰り返しながら、ミーちゃんは少しずつ、沙希と大樹が待つ聖所に近づいてくる。ミーちゃんが着けることになっている義足は、業者がサイズ調整に手間取っていて、この日には間に合わなかった。義足の到着を楽しみにしていたミーちゃんは、それを聞いて少しがっかりしたらしい。でも、すぐにそのあと付け加えたそうだ。
「でも、ミーちゃんにはもう一本あるから大丈夫です。それでちゃんと歩いて行けるから、大丈夫です」
ミーちゃんの御両親が正面扉の後ろからじっと見つめている。一歩一歩、精いっぱい力を振り絞ってステンドグラスのマリア像に向かって進んでいく少女の姿を見守っている。二人ともこの日のために、勤務する学校に無理を言い、平日の授業日に休みを取ってこのチャペルへやって来たのだと言う。二人とも俯きがちにじっとミーちゃんを見守っている。
ミーちゃんが通路の先頭まで辿り着いた。大樹と沙希に向かってペコリと小さく頭を下げると、彼女は控えていた看護師の手を借りて最前列のベンチに腰を下ろした。肩を上下させて息をしている。看護師はミーちゃんの額に手を当てて熱を調べた。それから小さな手首に指を押し当てて、しばらく腕時計に目を遣りながら脈拍を確かめた。少しすると、ミーちゃんの呼吸も落ち着いたようだった。看護師は顔をあげると、沙希に向かって何度か頷いた。大丈夫、ということらしい。
大樹と目を合わせる。鍵盤の上にそっと手を乗せて目を閉じる。曲の最後まで弾けたことは、まだない。神様、なんとかミーちゃんのために、力をお貸しください。そう心の中で呟いてから、冒頭の小節を弾き始める。
少し遅れて大樹が『Le Cygne』のメロディーを奏で始める。
この数週間のうちに彼の演奏は一段高いところに達したような感じがする。やさしくて、繊細で、透明な音色。ヤノフスキーがアンコールで弾いた独奏に負けないくらい力強く、胸の奥まで染み込んで来る。大樹の奏でる音には、きっと彼にしか出せない音がある。この世に生を受けてから、彼が生きてきた喜びや悲しみが、彼という器を通して蒸留水のように純化され、しっとりと澄み渡っている。そんな音だ。
伴奏しながら胸が一杯になる。なんとか最後まで弾き続けたいと、何度も自分に言い聞かせる。
視界の端にミーちゃんの笑顔が映っている。大樹の奏でるチェロの音にすっかり心を奪われて、無我夢中で聴き入っている。ピンクのニット帽からぶら下がっている毛玉が小さくリズムを取るように揺れている。楽しそうだ。リハビリルームでいつも目にする苦しそうな表情が嘘みたいだ。彼女はいつだって弱音一つ吐かず、歯を食いしばり痛みに耐えて来たのだ。痛かったよね、ミーちゃん。よく頑張ったね、ミーちゃん。心の中で彼女に囁きかける。いまここにいてくれて、二人の演奏を聴いてくれて、ありがとう、ミーちゃん。
ふと、看護師長が言っていた言葉が脳裏を掠めた。もしあのとき病院を辞めてしまっていたら、今日、このミーちゃんの笑顔を見ることはできなかったのだ。
最後の小節が迫ってくる。頭痛はやって来ない。どうやら神様に願いが通じたらしい。
演奏が終わると、礼拝堂に拍手が木霊した。由美さん、貴宏、ミーちゃんの御両親、そして付き添いの看護師も、笑顔を浮かべて手を叩いている。最前列のミーちゃんも、小さな白い手で必死に拍手をしてくれている。
大樹がピアノに向かって振り返った。目を合わせて頷くと、二人は前を向いて御辞儀をした。
いつまでも嬉しそうに手を叩いていたミーちゃんの姿が、いまでも瞼の裏に焼きついて離れない。
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