魔女のニコと人間ルー

徒家エイト

第1話

 殺風景という言葉は、きっとこの土地のためにあるのだろうとルーは思った。

 地平線まで広がる泥濘地。大地には延々と、人の背丈ほど小山が続いている。照り付ける太陽で、小山の頂上はからからに乾いているが、そのふもとは深い泥。まともに歩けたものではなかった。

 あちこちで、枯れた木や作物が、小山の中腹から突き出たり、根を空に向けてひっくり返ったりしている。

「昔はもっときれいだったでしょうに」

 山から突き出た「ファルマ農園」と書かれた看板の残骸をルーは放り捨てた。

 彼女は泥に埋まらないようかんじきを履き、どろどろに汚れた黒いオーバーオールを着ている。もとは白かったのだろう顔や、お団子にまとめられた烏羽色の髪も乾いた泥で汚れていた。かなり長い間、この場所で作業をしているようだ。

 オーバーオールの胸元には『ルー』という名前が、可愛らしく刺繍されている。

「まったく、こんなになる前に何とかしなさいよ」

 ルーは不機嫌だった。初夏の太陽は、泥からの照り返しもあってじりじりと肌を焼く。湿気もひどく、じっとりとした不快な汗で、シャツも髪も肌に張り付いていた。

 羽虫も湧いており、ルーの周りをぶんぶんと飛び回っている。虫よけの香を焚いていなければ、今頃虫刺されだらけになって、白い肌も真っ赤にはれ上がっていただろう。

「あの連中、今に見てなさいよ……。金は倍に吹っ掛けてやるわ」

 ルーはぶつぶつと言いながら、ちょろちょろと泥水が流れ出る穴に、筒状の物を差し込んだ。そこから延びる金属線を、腰に付けた手のひらサイズの機械に接続する。

「ニコ! この辺りは終わったわよ!」

 ルーが叫ぶと、小山の上にポンと人影が現れた。

「おおー、さすがルー。仕事が早い」

 ショートの金髪で小柄、子供のように大きな緑色の目と小さな頭。ルーの相方、ニコだ。

 泥だらけのルーとは対照的に、汚れ一つない作業服を着ている。容姿も子供っぽく明るい印象で、身長はルーより頭一つ分ほど低い。

 金髪から飛び出る耳は、笹の葉のように尖っていた。

「力仕事は私の領分じゃないんだけど」

 ルーは皮肉のように言う。

「ままあまあ、仕事の相棒なんだから、これぐらい協力してよ」

「まったく」

 ルーは口をとがらせながら、腰の機械をニコに投げた。ニコはそれを手際よく取ると、よしよしと撫でる。

「いやぁ、やっぱり魔鋼式はいいねぇ。このゴツゴツした感じが好きだなぁ。火薬式でも化学式でも出せない魅力だねぇ」

「起爆装置、かなり高かったのよ。無駄にしないでね」

「誰に言ってるの? わたしはニコ様だよ?」

「あなただから言ってるのよ」

「はいはーい」

 ニコはルーの元に飛び降りる。

「作戦開始は十五分後。村の連中にも言っといて。向こうの高台からならいい感じに見物できると思うよ」

「わかったわ。ま、ニコには言う必要はないでしょうけれど……、無事に帰ってきてね」

「りょーかい。じゃないと商売できないしね」

「……まあね」

 そう言って、ルーは泥に足を取られながらも足早にこの場を立ち去った。

 そしてきっかり十五分後。

 轟音とともに大地が爆ぜた。



 地面が揺れ、そこかしこから煙が上がる。その様子を、ルーはすっきりした様子で少し離れた高台から見守っていた。

 爆風で黒髪がなびいた。まとめられていた髪はすでにほどかれ、顔の汚れもきれいに落ちている。

 服装もオーバーオールから、商人が好むシャツにネクタイ、上からインバネスを羽織った仕事着に着替えていた。

「わしらの畑が……」

 隣には白髭を蓄えた老人が、呆然とした様子で立っている。そして周りを田舎の農家らしい恰好をした十名ほどの男女が、心配そうに大地を見つめていた。

「あれが畑なら、今育つのは蚊かハエぐらいですよ、村長」

 虫に悩まされたルーが、皮肉交じりに返す。

「それにああでもしないと、あのサイズのミズモグラは出てきません。この先あなたたちの畑が完全に泥沼になるのは嫌なんでしょう?」

「それは、そうだが」

「畑は農家の魂だ。嬢ちゃん、ちょっとは言い方ってもんがあるんじゃねえのか?」

 後ろにいた男が、喧嘩腰に近づく。だがルーは意にも返さなかった。

「ならば、もっと早めにご依頼頂きたかったですね。こんなに放置されてしまえば、魂と言えど発破をかけなくてはいけなくなりますので」

「ギルドにはとっくの昔に依頼を出してんだよ! あいつらが全然来ないからてめえらみたいな怪しい連中にわざわざ頼んだんじゃねえか!」

 男はとうとう怒鳴った。妻らしき女が、隣で心配そうに袖を引っ張る。ルーは顔色を変えずに言った。

「今どきギルドを信用するなんて、そっちの方がよっぽどですよ、おじさん。まあこんな小娘じゃ信用できないというなら、別に今から手を引かせてもらってもいいですが……?」

 その時、地鳴りがした。爆発の振動とは違う、地下深くからの音だった。音はみるみるうちに大きくなる。

 荒野が、再び爆ぜた。音はさほど大きくないが、土塊と土煙が高く吹き上がる。

 煙は風に乗ってすぐに晴れた。そこには、巨大なモグラ型の魔獣が一匹、怒り狂ったように髭を震わせていた。

「その代わりあれ、皆さんで倒してくださいね?」

 ルーが魔獣を指さす。男は何も言わずにすごすごと引っ込んだ。男が黙ったのを見たルーは、視線を巨大モグラへと戻す。

「ミズモグラ……、にしてはまたえらく大物ね。そりゃこんな惨状にもなるはずだわ」

 体長約八レテム。尻尾を含めれば十レテムはある。一レテムがだいたい片腕の長さ。十レテムは大型の乗合馬車と同じぐらいのサイズだ。

 魔獣と呼ばれる特殊な生物群の中でも巨大に分類される大きさであり、一般人が相手にできるような代物ではない。

「ルーさん、あんなのが相手で、ニコさんは大丈夫なのですか?」

 村長の老人が、心配そうにルーを見た。ルーは眉一つ動かさずに言った。

「あんなの……、ニコには遊びみたいなものですよ」

 身を潜めていたニコが、ミズモグラに向かって飛び出すのが見えた。



「うわ、デカ」

 ミズモグラが姿を見せた時、発破装置を持ったままニコは思わずそう叫んだ。せいぜい四、五レテム程度だと思っていた個体が、倍以上だったのだ。見かけ以上に長生きである彼女も、こんなに大きな個体は初めてだった。

「ええ、なんでこの土地であんな大物が育ったんだろ。うわぁ、気になるなぁ」

 ニコは舌なめずりをする。そして装置を投げ捨てると、脇に置いていた大鎌を握りしめた。背丈以上はあるかという大きな鎌だ。刃は金属ではなく、乳白色の物質。普通なら木製である柄も、すこし湾曲した白い棒でできていた。

「あんたの体の中、見せてもらうよ!」

 そう言って、鎌を片手に飛び出した。数十レテムの高さを一気に跳ねると、鎌を振り回し、ミズモグラへと切りかかる。

 ミズモグラは避ける隙もなく、ニコの斬撃を喰らった。体を裂け、鮮血が噴水のように噴き出す。

「よーしよし。効いてるねぇ。さすがヨロイネズミの骨」

 ニコは愛おしそうに、血で汚れた大鎌に口づけした。一方、ミズモグラは激しく髭を動かし、のたうち回っている。

「おー、怒ってる。そりゃそうか、ごめんねぇ、痛いことしちゃって」

 ニコは軽い調子で謝ると、再び鎌を構えた。

 ミズモグラは文字通り、普通のモグラを数十倍に巨大化させたような魔獣だ。表面は水にぬれたかのように湿っている。

 目はなく、代わりに感覚器である長いひげがピンクの尖った鼻から数十本伸びている。魔獣としてはポピュラーな種だ。

 ミズモグラは自らの敵がどこにいるのかを感じたのか、ニコの方を向いた。

「お、可愛いお顔だね」

 ニコはニヤリと笑う。

「でもひげがちょっと邪魔だなぁ。切っちゃおっか」

 そう言って、再び走り出した。鎌を振り、ひげを切る。だが、ミズモグラも防戦ばかりではなかった。

「シャァアアア」

 体を震わせるように嘶くと、濡れていたミズモグラの体表が、さらに水分を増した。そして体を震わし、体中からしぶきを飛ばす。

「うわっ!?」

 慌ててニコは目を閉じる。ミズモグラの体から飛んだしぶきで、大鎌や衣服が濡れた。すると、液が触れた部分が煙を上げて溶け始めた。液が飛んだ周囲の地面や岩も、煙を上げて溶ける。

「これがミズモグラの岩溶かしか。本物を浴びれるなんて幸運だなぁ」

 肌もじりじりと溶け、白い煙を上げて赤い真皮がむき出しになる。だがニコは心から楽しそうに笑っていた。

「あ、でも鎌が溶けきるのは嫌だから、さっさと終わらせないとね」

「なんだぁ、あれは」

 高台から見物していた村人たちが、ミズモグラの攻撃にざわつく。

「ミズモグラは地下を掘り進めるために、強酸性の体液を体表から分泌するんだそうです。敵に襲われたときはそれを相手に飛ばすんですよ。冒険者や学者は『岩溶かし』と呼んでいます」

 ルーが手元の紙を見ながら解説した。

「ゆえにミズモグラが生息する土地は、不毛の土地になるんです」

「なんということだ……」

 事前にニコから教えてもらっていて良かった。ルーは村人を前に専門家ぶれたことに安堵する。それと同時に、そこまで知っていながらほとんど対策もせずに突っ込んでいったニコへのいら立ちも募った。

「こっちの身にもなってほしいわね……」

「あのお嬢さんは大丈夫なのですか?」

 だから村長がそう聞いた時、ルーは少しだけ怒って返事をした。

「あいつは魔女なので。これぐらいで死にはしませんよ」

 魔女。

 人間の能力を超越した存在。

 ニコはまごうことなく、その魔女であった。



「魔女のニコ様をこの程度でやり過ごそうなんて。面白いこと考えるねぇキミも」

 ニコは笑っていた。やけどのように赤くなった肌が、みるみるうちに元の色に戻っていく。数秒もすると、ニコの体はすっかり元通りに治ってしまった。

 ミズモグラは何かを悟ったのか、もう一度体液を分泌し、それを飛ばそうと身構える。だが、

「それはもうダメ!」

 体を震わせるより前に、前足が二本とも切断された。力が抜け、前につんのめる。

「もうちょっと楽しみたかったけど、あんまり遊んでるとルーに怒られちゃうから、ごめんね」

 そう言うと、ニコは高く飛び上がった。そのまま大鎌を大きく振りかミズモグラモグラの脳天に、刃を突き立てる。

「シャッ!」

 ミズモグラは大きな悲鳴を上げた。それが最後の声だった、そのままずどんと倒れると、体をピクピクと動かし、やがて動かなくなった。

「ふぅ、一丁あがり」

 一仕事終えたニコは、額の汗を上で拭った。

 次の瞬間、ニコの足元からもう一匹のミズモグラが飛び出した。

「!?」

 避ける間もなく、ニコは丸のみにされる。

「ニコ!」

 ルーが叫ぶ。村人もどよめいた。

 だが、ミズモグラは一瞬の瞬きの後、真っ二つに両断された。

 体液が飛び散り、雨のように滴る。中から、仁王立ちのニコが、湯気を立てながら現れた。

「ちょーっとおイタが過ぎるんじゃない?」

 そして鎌を振るった。鎌は、ちょうど後ろから現れた三匹目のミズモグラの頭蓋を叩き割った。

 ニコはミズモグラたちの死骸を見回すと、ルーに向かって手を振る。

「ルー! もういいよー!」

「まったく……」

 ルーはそれを見て、頭を押さえながらため息をついた。



「バカ」

 呆れた様子のルーが、泥をかき分けるようにやってきた。

「一撃で殺ってたらそうならなかったのに。何匹かいるのだってわかってたでしょう?」

「いやぁその予定だったんだけどさ。あんなデカかったら遊びたくなっちゃって」

「あなたがいくら魔女だからといっても、命は一つしかないのよ」

「はいはい」

 話半分といった様子のニコに、ルーは深いため息をつく。そして背負っていたリュックサックの中から革製の水筒を取り出し投げた。

 ニコはそれを受け取ると、頭から水を被る。

「はぁ! それにしても良い体液だったね、刺激的で」

「村人がドン引きしてたわよ」

「させときゃいいんだよ。ルー、着替え」

 そう言いながら、ニコはボロボロになったつなぎを脱ぐ。簡素な下着だけの姿になったニコに、ルーは顔をしかめた。

「……あなた、見た目は可愛い女の子なんだから、もう少し恥じらいとか嗜みみたいなのを持った方が良いわ」

 ルーは着替えを投げる。

「百八十年生きてるから、そんなもん忘れた」

「長生きしてもこうはなりたくないわね」

 ルーはため息をつく。

「それにしても、本当に大物ね。それもこんなにたくさん」

 そう言って、ミズモグラの死骸を見上げた。

「これ、全部売ったら五百万はくだらないわよ」

 ルーの顔が、初めて緩んだ。

「ルー、顔が笑ってる。下品」

「笑わないでいられる? 予想外の稼ぎよ。私にとってこれ以上嬉しいことはないわ」

「やーね、人間って。魔獣を見たらお金お金で。もっと生命の神秘に心寄せなくちゃ」

「神秘じゃご飯は食べれないもの」

 そんなやり取りをしていると、村人たちが遅れてニコとルーのもとにやってきた。

 ニコはさっさとシャツを羽織り、ボタンを留める。

「魔女か……」

 村人はニコを遠巻きに見つめていたが、ニコは気にせず水を飲んだ。ルーはその様子をしり目に、村人たちの前に出る。

「依頼通り、ミズモグラの駆除に成功しました。もっと近くで見てみますか?」

 その言葉で、村人の視線がミズモグラへと移る。

「これが……、デカいな」

「何食ったらこんなになるんだ」

 皆、巨大なミズモグラを目の前で見て呆気に取られているようだった。

 ニコは村人の疑問に答える。

「こいつは魔獣だから、多分何にも食べてないよ」

 そして、大鎌を使って一気に腹を引き裂く。血が噴水のようにニコを襲い、真っ赤に彼女を染めるが、気にした様子はない。それどころか大きなナイフを取り出すと、躊躇なく開いた体内に入って行った。

 しばらくごそごそと蠢くと、やがて満足げな表情で出てくる。その手には人の頭ぐらいの大きさの、鈍く金色に光る金属球が握られていた。

「魔鋼。さすがにデカいね」

「いいわね、これだけで高く売れるわ」

 ルーも嬉しそうに金属球、魔鋼に触れた。表面は暖かく、熱を持っていた。

「みんなもこれぐらいなら見たことあるでしょ? これなしで生活してる人なんて、今どきいないはずだし」

 魔鋼。魔獣の命の源にして、人類文明のエネルギー源。

 何もせずとも常に熱を発生させるという特徴を持ち、単純な熱源から魔鋼機関を用いた光源、そして動力源としても、広く活用されている。

 人類は魔鋼を用いることで莫大なエネルギーを手にし、その文明は飛躍的に躍進した。現代では、生活になくてはならない必需品となっている。

「この村の需要なら、五年は持つでしょうね」

 ルーの言葉に、村人たちがざわつく。

「それだけあれば、村も復興できる……!」

「…………」

興奮する村人たちを、ルーはじっと見る。そしてリュックサックからノートを取り出した。

「では、さっそく代金をお支払いいただきたいのですけれども」

 朗らかだった空気が一瞬で凍り付いた。

「ルー、わたし、ちょっとこの子いじっててもいい?」

「傷物にしないようにね」

 ニコはそれだけ言うと、再びミズモグラの体内に潜っていった。

「あの、その……、代金のことなんだが」

「事前の取り決め通り、任務遂行の成功報酬として通商ギルド貨幣で七百万レク。死体の解体とその権利の譲り渡しでもう三百万レク。きっちり即金でお支払いいただけると言っていましたよね」

「それなんだが、もう少しまけてもらえんか?」

 村長が困ったような笑みを浮かべた。

「畑の被害も大きい。わしらはここを立て直さにゃいかん。そのためには人手もいるし、金もかかるだろう。じゃから」

「それはそちらの事情でしょう。契約書、ご署名いただきましたよね?」

 ルーは真顔で契約書を取り出す。そこには村長の名前がしっかりと記されていた。

「それは、そうじゃが……。いや、しかしいくらなんでもあまりにも法外な値段ではないか? ギルドに依頼すれば半額でやってくれると聞いたぞ」

「ギルドはギルド。うちはうちです。だいたい、ギルドがやってくれないから私たちを頼ったんでしょう?」

「ぎ、ギルドを介さない魔獣の討伐は違法だって聞いたことあるぞ! あんたら、闇でやってるうんだろう? なんでそんなデカい顔を」

 外野から声が上がった、ルーは鋭い視線で、声がした方を睨む。

「今更とやかく言うな! うちらはやれと言われたことをやったんだ! てめえらは払うと言ったもんさっさと払いやがれ!」

 その怒鳴り声に、村人たちは身を縮める。そこに血まみれ肉まみれになったニコが、ミズモグラの腹の中から顔を出した。

「なーに? なんか揉めてるの?」

「代金の支払いでちょっとね。たった一千万レクぽっちの支払いを渋り始めたのよ」

「まあ高いっちゃ高いからねー。ちょっとおまけしてあげたら?」

「駄目に決まってるでしょ」

 のんきにそう言うニコを、ルーは一刀両断する。

「わたしは魔獣の死体いじれたらそれで満足だしなー」

「私は不満足なの。契約がちゃんと文面通り履行されないとね」

 そして再び村長の方を向く。

「さあ、お支払いいただきますよ。ニコがミズモグラをばらばらにしてしまう前に。それとも」

 ルーはちらりとニコを見た。血塗れのニコは、よくわからないと言いたげに首をかしげる。

「なにか仕事?」

「村の方々に、お金を払わないとどうなるかを教えて差し上げて」

「えー、うーん」

 迷いながらも、ニコは鎌を手に取った。

「こんな感じ?」

 一陣の風が吹く。少し遅れて、村長の髭がパラパラと地面に落ちた。

「わ、わかりました……。ダニエル、役場の金庫を開けてきておくれ」

 村長はガタガタと震えながら、小刻みに頷くのだった。



「十、二十、三十……。はい、確かに。毎度ありがとうございました。またのご利用をお待ちしております」

 慇懃に頭を下げるルーを村人たちは恨めしそうな目で見つめていた。ルーの前には大陸で広く流通する通商ギルド貨幣で一千万レクにもなる札束が積み上げられている。

「うひょー、大金だねぇ」

「ニコ。あまり近づかないで。お金が血で汚れるわ」

 血まみれのニコも、興味津々といった様子で札束を見ていた。

「これだけあったら新しい大型のこぎり新調できるかな? 機械式のエンジンついてるやつ。ヨロイネズミも真っ二つに出来るらしいんだよね」

「使い道はまた相談して決めましょう」

 ルーはそう言うと、札束を油紙で丁寧に包み、鍵付きの革製トランクにしまった。

「領収書は必要で?」

「……お願いします」

「あて名は村宛でよろしいですね」

「はい……」

 ルーはさらさらと領収書を書き、村長に手渡す。

「ニコ、解体の方はどう?」

「いーかんじ!」

 ニコは茶色い大きな袋を掲げた。中はパンパンに膨れている。魔鋼を入れる専用の袋だ。

 魔鋼はただ置いておくだけで熱を生む。そして何もせずに放置すると、手が付けられない高温になるのだ。

 それを防ぐため、魔獣が体内で魔鋼を収納する臓器を乾燥させ、水で満たした専用の袋に入れて保管する必要がある。こうすれば、体温程度までの上昇に抑えられるのだ。

「魔鋼は回収して、体液は中和しといた。肉と内臓は腐りやすいから村の人にあげるよ! 骨はまた今度、道具持って来て何とかしようと思う」

「……肉も売らない? 臓器なんかも高値が付くんだけど」

「わたし、お金はべつにどうでもいいし」

 ルーは惜しそうに顔を歪めたが、やがてあきらめたようにため息をついた。

「では、うちのニコもこう言っているので肉と内臓の処理はそちらでお願いします。解体方法は普通の野生動物とさして変わりません。体液も今はもう危険はないです」

「腱のところ、めちゃくちゃ固いから、一番デカくて良い刃物使ってあげてね!」

 多額の支払いに慄いていた村人たちに、少しだけ明るさが戻った。そうしているうちに荷物をまとめたルーは、リュックサックを背負って立ち上がる。

「では、私たちはこれで。ニコ、帰りに水浴びして帰りましょう。そんな恰好でアシハヤドリに乗らないでよね」

 余すところなく真っ赤に染まったニコを見て、ルーは顔をしかめた。

 アシハヤドリは大型の鳥のような魔獣で、飛ぶことは出来ないが、馬よりも早く持久性に優れるとして重用されている。

 ただ飼育が難しく、乗りこなすにも訓練が必要なため、馬ほどは普及していない。

「うーん、できればもうちょっとあの子の体見てみたいんだけどなぁ。骨の構造がね、やっぱりデカいせいか少し普通のミズモグラと違うんだよ! あの個体は新発見の亜種かもしれなくて」

 ニコは名残惜しそうにミズモグラだった肉塊を見る。しかしルーは頑として聞かなかった。

「私たちは闇稼業よ。あんまり長く現場にいると碌なことにならないわ」

「ロクなことって?」

「なんとなくそんな気がするのよ。このままここにいると……」

「村長! お客様です!」

 村娘が駆けてきてそう叫んだのと、ルーが忠告したのと同時だった。

「誰だ、こんなところに」

「ギルドの方だと」

 ルーがびくりと肩を震わせた。

 すぐに、娘の後ろからアシハヤドリに乗った騎士が現れる。

「ギルドより依頼を受けて参上した、ホーチック・ダンカ連合ギルト騎士団のステラ・テルだ」

 騎士は女だった。革製の甲冑に身を包んでおり、大きく太い剣を腰に差していた。胸元には、連合ギルドの紋章が大きく掲げられていた。

ぼさぼさの茶髪を後ろでひとくくりにしており、顔にも傷がある。鍛えているのか、体格も良かった。怠慢な者も多いギルド騎士にしては珍しいと、ルーは彼女を睨む。

 ステラはアシハヤドリを降りると、くるりとあたりを見回した。

「……大型の魔獣が暴れているという情報を得たのだが、今は一体どういう状況だ?」

「それならわたしがもう倒しちゃったよ!」

「バカ!」

 自慢げに胸を張るニコの口を、ルーが慌てて抑えた。だがステラの視線はニコとルーに注がれる。

「貴様らは何者だ? 地の者ではないな?」

「わ、私たちは」

「この人らが、ミズモグラを退治してくれたんです」

 ルーが口ごもった隙に、村長が説明した。ステラは血まみれのニコと、その後ろにあるミズモグラの死体を見てから合点がいったように頷く。

「なるほど。それはご苦労だった」

 そして村長に向かって言う。

「この者たちには、ギルドから改めて報奨金を出す。善意での働き、感謝する」

 ルーは天を仰いだ。

「はて、我々はこの人らに直接退治の依頼を……」

 村長もそこまで言ってから、何かに気が付いたように目を丸くした。

「直接? それはダメだ」

 ステラは眉をひそめた。

「魔獣の討伐を伴う依頼は必ずギルドを通さなければならない。そして、魔獣の解体や素材も、公有物としてギルドの管理下にある。ギルドを介さない闇取引は違法で、刑罰の対象になるが。……貴様らはそんなことはしてないよな?」



「まったく信じられないわ!」

 ルーはジョッキを片手に叫んだ。

「ホントに何考えてんだか!」

 ニコもジョッキをテーブルにたたきつける。

「金を返せだなんて!」

「死体を渡せだなんて!」

 二人は同時に違うことを言った。

 あの後「闇稼業」がギルドに発覚することを恐れた二人は、金を返すと報奨金としてわずかばかりの金を受け取り、逃げるように帰ることになった。

 帰ってからやけ酒と言わんばかりにワインを開け、大切にとっていたチーズやハムも豪勢に食べることにした。一時間もしないうちに、二人はすっかり出来上がり、乱れたネグリジェ姿で管を巻く酔っ払いへと変わったのだった。

 ステラとその一団を倒すこと自体はさほど難しい事ではない。ニコはいかにして彼女たちを組み伏せようか考えていたものの、それを察したルーに止められたのだ。

「ギルド騎士なんてただの衛兵でしょ? あんなのわたしの手にかかれば一分もかからずに全滅させられたね!」

「そんなことして見なさいよ。私たち家ごと焼き払われるわよ。言うことを聞くほど偉い連中じゃないけど、表立って反抗できるほど弱い連中でもないわ。この国で仕事が出来なくなると、それはそれで面倒よ」

 ルーは干し肉をかみちぎる。

「それにあのステラって騎士、見るからに堅物だったでしょう? あれじゃ賄賂も無理ね」

 だから厄介なのよね。とルーは愚痴り、チーズを一つまみ口に放り込んだ。

 人里離れた森の中、街道からも少し離れ、旅人すらも近づかない場所に、二人の家はある。

 かつて木こり小屋だった建物で、木と石を組んでできた小さな一軒家だ。周りには魔獣を解体するための工房や、移動のため飼育しているアシハヤドリの小屋、そして倉庫などが併設されている。周囲は魔獣避けの香花に囲われ、大自然との境界線をなんとか確保していた。

 目立たないようひっそりと暮らしているニコとルーだが、その存在を知る者は多い。

 魔女のニコと人間ルーの冒険者コンビといえば、魔獣に関する問題を解決するなら、ギルドよりもずっと役に立つと評判だ。法外な報酬を請求されることを除けば、だが。

「ギルドの連中、どうせ魔獣なんか金の生る木ぐらいにしか見てないんだよ。あの子だって雑にバラバラにされて、ろくに記録も取られないで売り払われちゃうんだ」

 悔しそうに目を潤ませるニコ。そして、ジョッキのワインを一気飲みした。

「魔獣学の発展がまた一つ遅れちゃったよぉ」

「……まったく、あなたも大概もの好きよね」

「そう?」

「その自覚がない事も含めて」

 ルーは大きくため息をついた。

「とにかく、また別の仕事を探さなくちゃね。営業に行ってみようかしら」

「そんなにお金厳しいの? 今までも結構稼いでたよね?」

「どっかの誰かさんが、標本だ武器だって買いあさってるおかげで、ピンチなのよ、今月」

 ルーはそう言うと、再び帳簿に目を落とした。

 一千万レクの損失は大きかった。取らぬ魔獣の皮算用をしてしまった反省をしつつ、今日稼ぐはずだっただけの金をどのようにして補填しようか、ペンを走らせる。

その時、呼び鈴が鳴った。

「……お客さん?」

 ニコが眉をひそめて時計を見た。

 時間は夕方。日は出ているが、森の奥の家への来客には遅い時間だ。

「ニコ」

「了解」

 ルーが鋭く合図を送り、ニコは棚の上に置いていた短剣を取って鞘から抜いた。

 もちろん二人は名が通っているため、依頼人の方からやってくることは少なくない。だがそれと同じぐらい、二人を狙う野盗がやってくることも多かった。

 ニコは屋根裏へ、ルーは玄関へ向かう。

 その途中、ルーは廊下にかけられた絵画の裏から、リボルバー式の拳銃を取り出す。弾が入っていることを確認し、安全装置を外した。

「はい、どなた?」

 ルーは銃撃に備えて、体を柱の陰に隠しながら言った。扉の向こうから声がした。

「ニコ・ウル・コルテッカの家はここか?」

 聞き覚えのある声だった。ルーは眉を顰める。

「そうだけど……。あなたは?」

「ホーチック・ダンカ連合ギルド騎士団のステラ・テルだ。依頼があって参上した」

 やってきたのは、昼間二人から稼ぎを奪っていったステラだった。昼間の甲冑のままだが、部下はおらず一人のようだ。

「……テルさんですか。何用で?」

「コルテッカはいるか?」

「……いますけど」

「ここでは話せない。中に入れてほしい」

「……今開けます」

 ルーはピストルを懐にしまうと、玄関のかぎを開けた。

「食事中申し訳ない」

 ルーの赤い顔を見たステラは、にこりともせずに言った。ルーは女性としては背が高い方だが、ステラはそれよりも大きい。見下ろされる形のルーは、警戒を解くことなくステラを中へ招き入れた。

「コルテッカはどこだ?」

「ニコでしたら」

「ここだよ」

 ステラの背後に、ニコが降り立った。

「せっかく二人で楽しく飲んでたのに。しょうもない用事だったら怒るよ?」

 短剣を見せたまま笑うニコだったが、ステラは一瞥するだけで何も言わなかった。

「あれ、無視はひどくない?」

「魔女の戯言に構うほどあたしも暇ではない」

「うわぁ、引くわぁ」

「……こちらへ」

 ひりついた二人の間に強引に分け入り、ルーは客間へとステラを通した。



「それで、ご依頼とは?」

「北方山脈で、魔獣による被害が確認された。その魔獣の正体を探ってきてほしい」

 ステラが手短に言う。それに対し、ニコとルーはそろって顔をしかめた。

「そんなことですか?」

「不満か?」

「そりゃね。そんなのギルドからその辺の冒険者にやらせたらいいじゃん。わざわざわたしたちに頼むまでもないでしょ」

「だからその辺の冒険者に頼んでいるのだ」

 ステラは鼻で笑うように言い放った。ニコの口元がピクリと震える。

「へぇ。そいつはそうですか……」

「でも、ギルド騎士の高位にいるあなたが直々に来るということは、難易度が高い任務と言うことですよね?」

 ニコを制するようにルーが確かめる。ステラは小さく頷いた。

「これまで何組かの冒険者を派遣したが、皆任務を達成することが出来なかった。北方山脈は一万レテムを超える神の山々。地形も険しく、出現する魔獣も手ごわい。簡単な任務でないことは確かだ」

「へぇ。なら最初からそう言えばよかったんだよ」

 ニコが一転満足げに笑う。

「北方山脈なら、オニオオカミか、クジラサソリか。もしかしたらキョジンノマクラの群れかなぁ?」

「被害というのは具体的には? 魔獣の手がかりのようなものは判明してますか?」

 ルーが問う。ステラは一瞬だけ黙ってから、口を開いた。

「不明だ」

「はあ?」

 ルーは思わず言った。

「不明って、何もわからない魔獣の被害が出たって、どういうことですか?」

 ニコも口を出す。

「不明ならなんともしようがないんだけど。わたしらがその辺のノウサギを狩ってきてもいいってわけ?」

 そう言うと、ステラは手を組んだ静かに言った。

「……多くは言えないという意味で受け取ってほしい」

 その言葉で、ルーは顔をしかめた。

「それって」

「いいわ、ニコ」

 ルーはニコを制すと、ステラに向かって体を乗り出す。

「秘密裏に処理したい、ということで?」

「そうだ」

 ギルドが自らの不祥事を隠ぺいするために、こうした任務を闇の冒険者に依頼することは少なくない。現に二人も、何度か地元のギルドから、この手の依頼を受けたことがあった。

「にしても解せません。それは本当に魔獣によるものなんですか?」

「多くは言えないと言ったはずだ。依頼は北方山脈で我々が求める魔獣を見つけてくること。『どんなものか』は我々も知らない。逆に言えば、貴様らも知らないものだ」

「新種ってこと!」

 ニコが目を輝かせる。

「……そういうことだ」

 ステラは頷くと、机に上に分厚い封筒を置いた。

「依頼料の前払いだ。五百万レクある。依頼が成功すれば、さらに五百万レクを出す」

「なっ……?」

 ルーは目を丸くした。この手の依頼の相場はだいたい百万レクあればいい方だ。あまりに破格の報酬だった。

「言ったように、任務内容は一切他言無用。加えて今から一か月で成果が出なければ、失敗とみなす。異論は?」

 ステラはぎろりとルーを睨んだ。ルーはしばらく考えてから、言った。

「……経費も欲しいわ」



 1か月が過ぎた。

 ニコとルーの姿は、北方山脈山中の崖の上にあった。

 氷河によって削られた、数百レテムもの崖が、山の向こうから向こうまで消える。

 視界に入るすべての景色が、草木一つ生えず、分厚い雪に覆われている。

 空はめまぐるしく色を変え深い霧と吹雪に覆われたと思いきや、雲一つない晴れ間に変わったりもする。今は、薄い筋雲が、空の高いところに這っていた。

 こんな人の気配すらしない山奥に、小さな雪山が二つできていた。

 雪山の一つが崩れ、中から毛皮の塊がもぞもぞと動き出す。

「ルー、生きてる?」

 毛皮の中から、ニコが顔を出した。

「なんとか」

 もう一つの雪山、もとい雪が積もったテントから、ルーが顔を出した。

 白い肌は寒さのせいか青白くなっており、目元には隈が浮かんでいる。

 一方のニコは、血色の良い肌のままだ。特につらそうな様子も見せず、のそりと起き上がると体をほぐした。

 そんなニコを、ルーは恨めしそうに見つめて言う。

「でもそろそろ死にそう。最期に温かいものが食べたいわ」

「それだけ喋れたら上等。ちょい待ち」

 ニコは、テント横のかまどに袋から取り出した親指の爪程度の魔鋼を置いた。魔鋼はすぐに熱を持ち、周囲の雪を溶かしていく。

 この程度の魔鋼でも、火の代わりには十分だ。

 さっそく雪を詰め込んだ鍋を、かまどにかけた。

 お湯が沸くまでの間、ルーがニコに尋ねる。

「晩は異常なし?」

「まあね。ネズミがうろちょろしてたぐらい。狼ぐらい出てくれたらちょっと遊べたんだけど」

「やめてよ、人が寝てる横で。……寒すぎてほとんど寝れなかったけど」

「人間は不便だねぇ」

 ニコはしみじみと言った。


 ステラからの依頼を受けた二人は、さっそく旅支度を整えて出立した。一週間ほどで北方山脈に到達した二人は、なるべく人里から離れたところを転々としながら、新種の魔獣を探している。

「それにしても、本当にいるんでしょうね」

「たぶんね。ステラの言葉を信じるなら、だけど。まあこの辺は前人未踏の場所も多いから、新種がいても不思議じゃない」

 ニコは沸騰させたお湯でお茶を入れた。金属製のカップにお茶を注ぐと、それをルーに渡す。

 ルーは礼を言うと、しみじみとカップを持って、その温もりを取り込もうと、両手でカップを握って縮こまった。ニコは引き続き朝食の準備をはじめる。

「何食べたい?」

「あったかいものなら何でも」

「りょーかい」

 ニコは乾燥させた麦をお湯に入れ、粉末スープと干し肉、ジャガイモ、そして玉ねぎを刻んで鍋に投入した。

「まったく、人間ってのは不自由なもんだねぇ。魔女で良かった」

「相変わらず化け物じみてるというか、化け物そのものというか」

「化け物でーす」

「はぁ」

 ルーはニコの態度に呆れつつ、改めて感心する。

 魔女は体内に魔鋼を持つ、魔獣の一種だ。

 笹葉型の耳を除けば姿形は人間そのものだが、本来食事や睡眠の必要がなく、身体能力や治癒能力、寿命も人間をはるかに凌駕する。文化として食事を楽しんだり、睡眠を時間を取ることはあるが、あくまで人間の模倣だ。

 また魔女は集団で生活し、人間との接触を極力断っている。ニコのように人前で暴れる者はかなり稀で、どこへ行っても珍しがられるか、恐れられることが多い。

 寿命が長いうえ、老化の速度も遅く、ニコは今年で百八十歳になる。といっても本人もよく覚えていないらしく、大まかな年齢だ。

 だから睡眠や食事を必要とする人間のルーと異なり、ニコは一晩中雪の中で見張りをしていても、元気に朝を迎えられるのだ。

「今はそれがうらやましいわね」

 ルーは大きなあくびをした。

「ないものねだりしても仕方ないよ~。生き物が魔獣になるなんて無理だし」

「それもそうね」

 そうしているうちに、朝食が出来上がった。もうもうと湯気を立てる麦がゆを、ルーは覚ましながら食べる。

「美味しい?」

「美味しいわ」

「あの酒場より?」

「まあね。っていうか根に持ってたの?」

「そりゃね」

「もうちょっとほかに覚えておくべきことがあったでしょ、色々手がかりもあったのに」

 二人は、山に入る前に立ち寄った酒場を思い出していた。



 酒場が情報収集の場であることは、中世の昔から変わらない。ニコとルーも、北方山脈のふもとにある宿場町で、腹ごなしも兼ねて小さな酒場を訪れた。

 時は宵の口。石造りの酒場は、昔ながらの魔鋼灯に照らされている。

 店は狭いながらも旅人や商人、地元の人間で繁盛していた。二人はカウンターの席に座ると、さっそく店員に話しかける。

「ねえ、私たち、ちょっとギルドの依頼を受けてこの辺りに来てるんだけど」

「それはわざわざこんな辺鄙なところまで。ご苦労様だね」

 ルーが言うと、恰幅の良い店員の女は目を丸めた。

「親子の冒険者かい? こりゃ珍しい。父親はどうしたんだい?」

「親子ではないわ」

 ルーは即座に訂正する。一方ニコは、店員が持つヤギ肉入り麦がゆをじっと見つめていた。自分が先ほど注文した品だ。

「あら。それは失礼したね」

「それでちょっと聞きたいんだけど。この辺で変わった魔獣が出たって話はないかしら?」

 ルーが聞くと、店員はすぐに顔をしかめた。

「あんたらもかい」

「はい?」

 ルーが聞き返すと、店員は肩をすくめた。

「ここんとこ来る冒険者はみんなそんな依頼なんだよ。新種の魔獣だとかなんだとかを探してるんだと」

「……それっていつぐらいから?」

「さあ? もう何か月も前からだよ。みんな失敗して引き上げていくか、事故で帰ってこなくなる」

「そう……」

 ルーは俯いて顎に手を当てる。

「それで、何か手掛かりらしいものを持ってきた冒険者はいたの?」

 ニコが聞くと、店員は大きく首を横に振った。

「新種の魔獣どころか。最近は魔獣の数が減って、景気が悪いったらありゃしないんだよ」

「減った?」

「ここ何か月かかねぇ。ばったり少なくなっちまって。ウチみたいな酒場は、冒険者がバカ騒ぎしてくれるおかげでもってたようなもんだからさ。商売あがったりだよ」

「そりゃ大変だねぇ」

 ニコが口をはさんだ。同時に、一向に麦がゆを渡さない店員を恨めしそうに見つめていたが、店員もルーも、その視線には気づかなかったようだ。

 ルーは水を一口飲むと尋ねる。

「なんか変わったことでもあったの?」

「さあね。そんな話は聞かないけど」

 店員は肩をすくめる。

「ただ魔獣の不猟で、この辺りじゃ魔鋼の値段も吊り上げられちゃって。仕方がないから電気を引こうかって話になってんのよ」

 そう言って彼女は、店内を照らすランプを顎で指した。魔鋼の破片を燃料に、熱を光に変える一般的なランプだ。

「電気なら最初は金がかかるけど、そのあとは安くで明かりが手に入るっていうだろ? だいたい魔鋼はギルドが独占して、あいつらに頭下げなきゃ売ってもらえないからねぇ。いい加減ギルド頼みも卒業しようかってみんな盛り上がってんのさ」

「最近流行ってるわね。ニコ、ウチにも引いてみる、電気?」

「ルー、今は電気どころじゃない」

 ニコはまっすぐ麦がゆを見つめていた。ようやくその視線に気が付いたのか、店員が申し訳なさそうに頭を下げる。

「ああ、すまないねぇ」

「いや、別にいいって!」

「はい水。うちは井戸が湧いてるから、おかわりは自由だよ」

 店員はピッチャーを二人の前に置くと、麦がゆを持って他の客のところへと行ってしまった。

「私の麦がゆ……」

 ニコが悔しそうに呟く。

「あなた別に食べなくても平気じゃない」

「平気なだけで食べはしたいんだよ」

 ニコの言葉に、ルーはわからないという顔をして首を振る。

「私なら食べないけどね、食べなくて済むなら。そっちの方が安上がりだし」

「そういう人もいたけどね。でも食べる楽しみってのをわざわざ止めなくてもいいかって、百八十年生きてると思ってくるんだよ」

「十七年の人生じゃわからないわ」

 そんな話をしていると、店員が浮かない顔をして戻ってきた。

「……どうかしたの?」

 ルーが話を振ると、店員は一瞬迷ったように視線を動かし、それからため息とともに言った。

「なじみの客が死んだんだと。腕の良い冒険者だったんだけどねぇ」

「そう……」

「任務の途中だったらしい。この商売をやってるとこういうこともあるけど、最近は特に多くて参っちまうよ」

「それは……、残念だわ。故人に天国で祝福がありますように」

 ルーが祈りの言葉を唱えると、店員は申し訳なさそうに笑った。

「今から任務っていうあんたらに聞かせる話じゃなかったね。忘れておくれ」

「……ねえ、店員さん」

「なんだい、お嬢ちゃん」

 ニコが、神妙な顔で口を開いた。

「私の頼んだ麦がゆはまだ?」

 店員が大きく機嫌を損ねたのは、言うまでもなかった。


「別に魔女のあなたに人間らしい倫理観なんか求めてないけど、せめて無用のもめ事を起こさないだけの演技ぐらいはしてほしいわ」

 ルーは酒場での出来事を思い出して頭を押さえた。

「そりゃ無理な相談だねぇ。わたしはもうこれで百何十年やってきたんだから」

「よく今までやってこれたわよ。いつか刺されるわよ」

「わたしを刺せる奴がいたら、めちゃくちゃ気になるからぜひ現れてほしい」

 ニコは軽口をたたいた。そうしているうちにスープが煮立ち、ニコは鍋をかまどから上げる。特製スープの出来上がりだ。

「はい、今回は粉末スープの製法を変えてみたから、ちょっと違う味わいになってるはず」

「前のやつも結構好きだったんだけど」

「そんなこと言わないで飲んでみ?」

 スープを器に注ぎ、棒状に固く焼いた保存パンと一緒に並べれば朝食の完成だ。

「いただきます」

 ルーは手を合わせて、ニコは何も言わずに食べ始める。

「ん、美味しいわね」

 スープをすすったルーがそう褒めると、ニコは嬉しそうに笑った。

「でしょう? 鶏肉のだしの取り方に秘訣があるんだよ」

「二晩ぐらい寝ずに仕込んでたやつね。まったくよくやるわ」

 しばらく二人は食事に集中する。ようやく腹も膨れ体が温まったところで、ルーがため息をついた。

「それにしても、厄介な依頼を受けてしまったわね」

「それは確かにそうかもねぇ。だいたい新種がどうこうって話も嘘くさいし」

「もっと面倒くさい何かがあるかもしれないわね」

 ルーは不安そうに言ってから、気を取り直して笑った。

「まあ、私としては依頼料を貰って縁切りできたらそれで充分なんだけど」

「わたしは未知の魔獣に会えたらそれで満足。何か面倒ごとになるようだったら、ぶん殴ってあげる」

 ニコは勢いよくこぶしを突き出した。

「それは頼もしいわね。ニコのこぶし喰らって無事な人間はいないでしょう」

「そうそう、だから……」

 二人は同時に空を見上げた。

「……感じた?」

「ええ」

 険しい顔で、朝焼けの山向こうを睨む。

「風がおかしい」

 山中、うるさいぐらいに吹いていた風がやんでいた。せわしなく動いていた雲も、動きを止めている。

「ニコ」

「おう」

 ニコは大鎌を構える。ルーは少し後ろに下がって、猟銃を取り出した。弾を込め、睨んでいた方向に銃口を向け、スコープを覗く。

 生物の気配はなかった。それどころが、動くものの姿すらなかった。まるで時間が止まったようだ。緊張感だけが張り詰めていた。

 突如目前にあった峰の上の雲が割れた。

「!」

雲の切れ間には青空だけが広がっていた。

「何もいない……?」

 ニコがつぶやくが、ルーが叫んだ。

「いる! 正面!」

 その瞬間、突風が二人を襲った。雪が舞いあがり、地吹雪となる。固い雪が顔に打ち付ける。

「見えん!」

「しょうがないわね!」

 ルーは視界が遮られる中、胸ポケットから一発の赤い銃弾を取り出した。すでに薬室に送られていた鉛玉を手早く排出すると、代わりにそれを装填する。

 風が一瞬だけやんだ。世界が静かになる。

 その隙に、ルーは虚空に向かって撃った。弾丸は空気を切り裂き、数十レテム離れた何もないはずの空間で爆ぜ、赤い塗料をまき散らした。

「わかった!?」

「おう!」

 ニコはニヤリと笑った。大鎌を構えて飛び上がる。再び突風が吹き、赤い塗料が上へと移動する。

「行かせん!」

 大鎌が塗料に突き刺さる。だが、火花が散り、刃の先端が欠けた。

「嘘!?」

 ニコは驚愕して叫んだ。

 ヨロイネズミの骨は、この世で最も固いとまで言われる素材だ。岩にぶつけても、 欠けることはそうそうない。

 それが、何にもないはずの虚空で書けたことが、ニコは信じられなかった。

 だがすぐに鎌を構えなおす。

「正体ぐらいみせろこの野郎!」

 今度は塗料に、つまり魔獣の表皮に添わせるように大鎌を振るった。刃は何かに引っ掛かり、反動でニコを上空へと押し上げる。

「よしきた!」

 ニコは手袋を外して表面を撫でた。

「つるつるしてる。……金属? あったかい……」

 それは熱を持っていた。固く、凹凸のない肌だった。

「グォォォォオオオオオッ!」

 ボイラーが鳴るような音が、山中に響いた。同時にニコを乗せたまま、それは谷底に着地した。ズドン、という地響きと揺れが伝わり、谷底の雪に、二つの足跡をつける。

「何あれ。大きすぎるわ……」

 谷の上からそれを見た数十レテムは優に超えているように思えた。というのも、深い谷底からニコがしがみついている部分までが四十レテムはあるからだ。そのニコも、どうやら胴体のどこかにしがみついているらしく、体は垂直になっている。

 これほど大きな魔獣を、ルーは知らなかった。

 ルーは叫んだ。

「ニコ、一時撤退よ! 分が悪すぎる!」

「やだね! 退くなら一人で退きな!」

 ニコの返事がこだました。

 そして懐から筒を二本取り出した。一本の蓋を開け、中から白いとりもちを出し、それの表面に着ける。

 そしてもう一本の筒をくっつけると、そこに導火線を繋いだ。

「面ぐらい見せろってんだ!」

「バカ! 何してるのよニコ!」

 ルーの叫びを無視して、ニコは導火線を引っ張って上へとよじりあがった。そして距離を取ってから。導火線に火をつけ、下へと落とす。

 火はすぐに線を伝い、筒へと吸い寄せられる。

 そして爆発が起こった。

「ギィィィィィイイイイ」

 爆発音とともに、建物がきしむような音が響いた。それは体勢を崩したのか、ニコも大きく揺さぶられる。

「ニコ!」

 ルーは叫ぶが、すぐに爆風に当てられ、顔を引っ込めざるをえなかった。

「あのバカ」

 風が収まり、悪態を付きながら谷底を覗く。

「…………」

 ルーは息を飲んだ。

 それに掴まっていたニコも、ぽかんと口を開けていた。

 それは透明ではなくなっていた。

 魔鋼と同じ、鈍い金色をしていた。生物らしい凹凸や血の気が一切見当たらない、なだらかな表皮を持っていた。

 ニコがいたのは、それの背中に生える突起の一つだ。ちょうど二つの大きな羽の間だった。頭はそこからさらに二十レテムは上がったところにあった。

 太い足と、これも体長と同じぐらいの長さをもつ、太くて巨大なしっぽがあった。

 頭は、蛇のように三角だった。目や口は見当たらなかっただ、木の枝のように曲がりくねった角が二本、頭の上から生えていた。

 生物というよりも、彫像や金属工芸品といった人工物のような雰囲気を、その生物は持っていた。

「龍……」

 ルーが呆然と呟いた。彼女が知る中で、一番近い存在がそれだった。だが、彼女の知る龍とは、大きく異なることもまた事実だった。

「始祖龍だ」

 ニコは恍惚としていた。初恋の相手に会ったかのように顔を赤らめ、目を輝かせていた、

「いたんだ。本当に……。すべての魔獣の母が」

ニコは獰猛に笑う。

「わたしは、あんたにずっと会いたかったんだっ!」

 ニコは大鎌を構えて、始祖龍の体を駆け上る。始祖龍は不快そうにニコに顔を向けた。そして体をねじらせると、ノミを取るかのように震わせた。

 振り落とされまいと、ニコは背中の突起に鎌をひっかける。やがてニコが離れないことを悟ったのか、始祖龍は動きを止めた。

「図体はデカいけど、あんまり器用じゃないみたいだね」

 ちょうどよい、とニコは再び頭を目指す。

 生物の体には、必ず急所が存在する。概して、それは頭部にある事が多い。

 胴体には歯が立たなかったが、頭のどこかを狙えば、始祖龍にダメージを負わせられるのではないかとニコは踏んでいた。

 その時、始祖龍の体が光った。

「え」

 強烈な閃光がニコを、そして見守っていたルーを襲う。

 光はすぐにやんだ。次の瞬間、ニコが叫びだした。

「あああああああああっ!」

「ニコっ!?」

 ルーも悲鳴を上げる。ニコは、苦しそうに胸元を押さえる。その拍子にそのまま谷底へ落下した。

 始祖龍はそれを見届けると、再び姿を消す。そして、突如暴風が巻き起こった。雪が舞いあげられ、視界がふさがる。

「逃げた……?」

 風はすぐに止む。世界に静寂が戻った。

「……ニコ!」

 ルーはすぐに谷底にロープを降ろした。医療用の道具をかばんにつめ、ロープ固く固定されていることを確かめてから、急いで谷を下る。

「ニコ!!」

 谷底は、始祖龍の羽ばたきで舞い上げられた雪のせいで、新雪が積もったようにまっさらだった。ニコの姿はない。

「歩きづらいわね!」

 腰まで雪に埋もれながら、ルーがいら立つ。

 それから、ルーは自分に言い聞かせるように大きな息を吐きながら言った。

「あいつは魔女。息が出来ないとか低体温とかじゃ死にはしない。この雪と風なら、落下の衝撃にも耐えられてるはず。落ち着きなさい、ルー」

 ルーは荷物からかんじきを取り出すと、足に装着した。そして頭だけ顔を出していた枯れ木を見つけると、適当な長さでその枝を折る。

「……ニコは魔女。魔女の生態は、魔獣と同じ……。つまり体内には……」

 ぐるりとあたりを見回す。まっさらな雪が広がる中で、一か所だけ、光の屈折が異なる場所があった。

「ニコ!」

 ルーは駆け寄る。そしてそっと枝を突き刺した。何回か周辺を刺すと、柔らかい感触のものに当たった。折りたたみ式のシャベルを広げ、急いでその場所を掘った。

 雪が半分ほど溶け、みぞれ状になっている。おかげで水分を持ってしまい、ルーが掘るには重たくなっていた。

 額に汗を浮かべながら一レテムほど掘り進めると、ニコの着ていた防寒着の一部が露出する。

「ニコ! しっかりしなさい!」

 雪の中に埋もれていたニコが、ようやく顔を出した。傷はないようだったが、目を閉じている。

「熱い……。ひとまず生きてるわね」

 ニコの体は人の体温以上の熱を放出していた。付着した雪もすぐに溶けてしまう。

「ニコ」

 ルーはそっとニコの頬を叩いた。

「起きて。もうあいつはいないわ」

 そう言うと、ニコがパッと目を覚ました。

「始祖龍!」

 そして思いきり体を起こす。

「始祖龍は!?」

「……いないわよ、その始祖龍とやらは。どこかに飛んで行ったわ」

 ニコは辺りを見回し、ルーの言葉が真実であることを察する。

「……そんな」

 ニコはがっくりと項垂れた。膝をつき、頭を落とす。

「あなたねぇっ!」

 そんなニコに、ルーがつかみかかった。

「私がどれだけ心配したと思ってるの! 無茶ばっかりして!」

「……別に関係ないでしょ、ルーには」

 ニコはルーから顔を逸らすと、ぽつりとつぶやいた。

「あれの貴重さがわからないなんて……」

 その言葉に、ルーも青筋を立てる。

「ええわからないわよ! あのバケモンの事なんか! あなたに比べたらあんなの……」

 ルーは言葉を詰まらせる。そして吐き捨てるように言った。

「倒しても金にならないでしょ。私たちの任務は、観測と報告だけなんだから」

「始祖龍を前に金の話だなんてありえないよ」

 ニコもまた、バカにするように言った。

「伝説の存在が、目の前に現れたって言うのに」

「だいたい何よあれ。魔獣? 聞いたことないわ」

「始祖龍。通称、すべての魔獣の母」

 ニコは、ルーと背中合わせに座ると静かに語り始める。

「魔女も含めたこの世のすべての魔獣は、始祖龍の身体を分け与えられることで誕生した、と言われてる。数十レテムある巨大な龍で、数千年に一度目覚めて、世界を一周して魔獣を産み落とし、再び眠りにつく」

「伝説なんでしょ?」

「ついさっきまでは」

 ニコは空を見上げた。

「あいつのことを調べたら、魔獣が……。私たちがどこから来たかわかるはずなんだ。その価値は、金貨何万枚にも代えられない」

 ルーは背中越しにその声を聞いて、じっとうつむいた。

「……私にはわからないわ」

「だろうね」

 沈黙が続いた。谷を吹く風が、二人の間を通り抜ける。

 最初に立ち上がったのはルーだった。

「……とにかく、目的のものを見つけた以上、任務は完了よ。戻ってステラに報告しましょう」

「わたしは、あいつを狩りたい」

「……私はごめんよ」

 ルーは顔をそむけた。ニコも目を合わせず、雪に埋まっていた大鎌を掘り起こす。

「ルーは別にいいよ。わたしだけで行くから」

「…………」

 その言葉に、ルーが唇をかむ。

「沈黙が、二人の間を支配する。

「……わかったわ」

 やがてルーが言った。

「始祖龍を狩りたいのなら、好きにすればいい。その代わり、私は任務を優先するわ」

「始祖龍の情報を渡せって言うの!?」

 ニコが噛みつく。

「そんな大事なコト、みすみすギルドの連中なんかに」

「渡すだけよ。貴女に倒せなかった始祖龍が、ギルドに倒せると思ってるの?」

「…………」

「情報を渡したところで、ギルドはあの魔獣をどうこうは出来ないはず。なら、別にいいでしょ?」

「……わかった」

 ルーの提案に、ニコはしぶしぶ頷いた。

「あとこれは、仕事上の相棒のよしみで言っとくけど」

 ルーはニコの大鎌を指さす。

「一回戻って準備した方が良いんじゃない?」

 刃がぼろぼろになったそれを見て、ニコは悔しそうに地団駄を踏んだ。



 二日かけて街に降りた二人は、魔鋼を使った遠距離通信『魔報』を使ってステラを呼び寄せた。

 ニコは一刻も早く戻りたがっていたが、天候が急変したせいで山に入ることが出来なくなってしまった。魔女と言えど、猛吹雪の中を進むことは物理的に難しい。

 早馬をかけてきたのか、ステラは一日足らずで二人の元にやってきた。部下はおらず、彼女一人だけだ。今日は、騎士の制服姿をしていた。

 情報収集につかった酒場で、三人は腰を下ろす。仕方なく同席したニコは、上の空のように虚空をぼうっと眺めていた。

「任務を達成したと聞いたが」

 ステラは飲み物にも手を出さずに聞いた。

「本当だろうな?」

 鋭く眼光が光る。

「本当かどうか、私たちに判断する術はありません」

 ルーもまた、睨みつけるように言う。

「私たちが見つけたものが、あなたたちの探しているものがどうかわからないもので」

「どんな魔獣だった。形は? 大きさは?」

 先を急かすステラに、ニコが言った。

「始祖龍だった」

「なっ……」

 ステラは目を見開いた。彼女がここまで感情をあらわにするのは初めてだ。

「貴様、なぜ」

「体長はおよそ六十レテム。背中に並んだ突起と二対の羽。周囲の風景と同化する能力を持ってる。体表は凹凸がなく滑らかで金属質。感覚器と思しき器官は見当たらない」

 ニコの報告を、ステラは呆気にとられながら聞いていた。ルーはエールに口をつけて言う。

「どうです? あなたたちの探し物で間違いないですか?」

「ああ、違いない。我々が求めていたものだ」

 そう言って、ステラはしばらく迷ったように視線を動かしていた。

「どうかした?」

「……貴様らは、始祖龍を知っていたのか? あれがどういうものか理解しているのか?」

「まあね」

 ニコが短く言う。

「そうか……」

 ステラはそう返事をすると、顔を上げた。

「報酬は約束通り支払おう。よくやってくれた」

 革のカバンを開くと、紙幣の束が詰め込まれていた。

「確認します。少し待ってて」

 ルーはすかさず手を伸ばすと、一束ずつ枚数を数えだす。ニコはつまらなさそうに、その様子を見つめていた。



 魔鋼機構特有のノイズが、魔鋼光球から鳴っていた

 魔鋼を加工した魔鋼線に、純度を意図的に落とした魔鋼合金を接触させると、熱量の変化によって、魔鋼光が暗くなる。

 この原理を応用し、遠隔地に点滅で信号を送るのが、魔報の仕組みだ。

 郵便ギルドの建物内に設置された、魔報伝室に、ステラの姿はあった。ステラはレバーを叩き、交換局に相手方に繋ぐよう信号を送る。

 やがて、相手に繋がったことを知らせる合図が来た。ステラは素早く信号を送った。

 すぐに返信が来る。

 それを紙に書き写すと、文章に変換した。新たな指示の内容だった。

 指示を受け取ったことを相手へ伝えると、魔報機を切る。

「面倒ごとになったな」

 ステラは独り言ちると、紙を燃える暖炉に捨てた。すぐに紙は燃え「その二人を始末せよ」と書かれた文面は、灰になって消えてしまった。



 夜。宿屋の窓からは、月明かりが差し込んでいた。ルーはランプをつけて帳簿に書き物をしていた。一方ニコは、ベッドに寝転がり、じっと天井を見ていた。

 ベッドのわきに置かれた大鎌は、綺麗に磨かれていた。刃も研がれて、月明かりが反射している。

「そんなに行きたいの?」

 ルーは、帳簿から顔を上げすにいった。

「行きたい」

 ニコもまた、視線を動かすことなく返事をする。

「正直、歯が立たないと思うわよ。あなた、途中で落ちたじゃない」

「体が急に熱くなったんだよね」

 ニコは自分の胸を押さえた。

「たぶん、あいつが私の魔鋼に何かした。だから熱暴走を起こしたんだと思う」

「下手すりゃ死んでたわよ」

「それは別にいいんだけど」

「良いわけないでしょ、ばか」

 ルーは顔を上げた。

「死んだら何にもならないじゃない。あなたが知りたいとか言ってる魔獣の謎も、知れないまま全部終わるのよ」

「……知らないまま生きたって、同じだよ。私にとっては」

「まだそんな……」

 ルーは声を荒げようとして、ふと窓の外を見た。

「ルー?」

 ニコもついルーの方を見る。だが、ルーは鋭い声で叫んだ。

「伏せて!」

 ニコの方へ飛ぶと、ルーはニコごとベッドの裏に転がり落ちた。

 その瞬間、ガラスが破られると、部屋が爆発する。爆風をやり過ごした二人は、すぐに立ち上がった。窓は吹き飛び、部屋には大きな穴が開いていた。ベッドには太い木の柱が突き刺さっていた。

「逃げるわ!」

「了解!」

 ルーは壁に掛けてあったかばんを、ニコは大鎌を持つと、部屋を駆け出る。

「良く気付いたね、ルー!」

「生憎、あなたみたいに力任せじゃ生きていけなかったもんでね! 勘だけは良いのよ!」

 階段を駆け下りようとすると、再び背後に何かが落とされる音がする。二人は振り返らなかった。

 すぐに爆発する。爆風が二人の背を押す。おかげで数十段を一気に駆け下ることが出来た。

「な、何事だ!?」

 宿屋の主人が寝巻のまま飛び出てくる。

「お勘定!」

「釣りは結構!」

 ルーは財布から札束を一つ主人に投げると、そのまま宿を後にした。

「な、なんだ……?」

 一晩の宿賃の何十倍もの金を手にしたまま、めちゃくちゃになった階段を見て、主人は呆然と呟いた。



 ニコとルーは、集合住宅の間の路地を足早に駆け抜けていた。月明かりのせいで、視界はそれほど悪くない。ルーは時節、背後の屋根の上に注意を向け、追手が迫っていないか警戒していた。

「なにあれ」

 ニコが不満げに唇を尖らせる。

「わたしたちを狙ってきたってことだよね」

「そうね」

 ルーは短く答えた。

「誰が?」

「知らないわよそんなもん」

 追手の気配が消えたことを悟ったルーは、ようやく歩調を緩めた。ニコも併せて速度を落とす。

「でも、一つ言えることがあるわね」

「何?」

「私たちを襲撃した連中、よっぽどバカか焦ってたかのどっちかよ」

「なんで」

「こんな満月の日に暗殺なんかする奴、普通はいないわ」

 二人の頭上には、大きな月が輝いていた。

「なるほど。そりゃそうだ」

「問題はなんで私たちが狙われたのか、よ。人から殺されるようなことなんかした記憶はないもの。……ニコ、あなたまさか」

「ないないない。最近はないよたぶん。きっと……」

「…………」

 ルーは疑いの視線でじっとニコを見る。

「だいたい、それを言ったらルーだって」

 今度は二人同時に空を見た。空に黒い人影が舞い、何かを落とす。

「しつこいっ!」

 ニコはすかさず大鎌で弾いた。それは放物線上に空を行き、頂点で爆発する。爆音が、夜の住宅地に響いた。

「ちょうど訳知ってそうな奴いるし、うだうだ話し合うより直接聞いた方が早いでしょ!」

「……そうね。怪我だけないようにしてよ」

「相手の心配してやって!」

 ニコは屋根の上に飛びあった。

「おいこら、寝込み襲おうだなんて良い根性しやがって!」

 身一つで屋根の上に上がってきたニコに、襲撃者はたじろぐ。襲撃者は黒いローブを羽織り、頭にはターバンを巻いていた。顔は見えない。体格から見て、男のようだった。

「なんでわたしたちを襲った!」

 ニコは問う。だが襲撃者は、答える代わりに剣を抜いた。

「返事は剣でってことだね。ならわたしだって!」

 勝負は一瞬だった。ニコは三回回転しただけだった。

 一回目で、相手の剣は遠くに飛ばされた。

 二回目で、ターバンが切り裂かれた。

 三回目で、首のすぐ横に刃が添えられた。

「喋らないと、このまま首を落とす」

「こいつ、本気でやるから喋っといた方が身のためよ」

 後から這い上がってきたルーが、襲撃者の背に短剣を当てた。

「ひっ」

 襲撃者の喉から空気が漏れる。

「誰からの依頼?」

 ルーが静かに聞いた。

「し、知らねえ! いっ」

 襲撃者が叫ぶ。同時に、ニコとルーの刃に力がこもった。二人は耳もとで囁いた。

「もう一度聞くよ」

「誰に頼まれたのかしら?」

 襲撃者は泣きそうになりながら首を振った。

「し、知らねえんだ、本当に! 相手は何も言っちゃくれねえ。顔も隠してたし、名前も名乗らなかった! 俺に聞いたってカス穴だよ!」

「……どう?」

「ま、しょうがないわね」

 ニコとルーは男越しに目配せをする。

「じゃあ次の質問よ。依頼内容は何? 私たちを殺せって?」

「そうだ! あの宿屋の二階に泊ってる、女二人組を殺せって! 道具も向こうが用意した!」

「道理で。爆弾なんてたいそうなもの使ってると思ったわ」

「最近炭鉱とかで使われてるやつだね、これ。化学爆弾だよ」

 ニコは片手で男の腰についていた爆弾を取る。

「市販品だ。ヴァルアリア火薬製造だって」

「じゃあ最後の質問よ。あなたはどこの何者? 言葉からして、ここの人間じゃないわよね」

「顔は北方系だけどなぁ。手にタコがあるから冒険者? その割には弱かったけど」

「冒険者がこんなしょうもないことやるわけないでしょ。あいつらプライドだけは高いのよ」

「じゃあ鉱山かどっかで働いてた感じかな? 体の感じを見るに良く動く仕事でしょ。その割には日焼けがないから、穴の中で働いてる。違う?」

「よくわかるわね、ニコ。確かにこいつは、鉱山労働者のスラングを使ったわ。たぶんあたりでしょうね。仕事にあぶれてマフィアにでもなったのかしら?」

「そうだよ! 俺はホーチックの出身で、一生穴掘りなんて嫌だって思ってマフィアに入ったんだ! それで振られたのがこの仕事なんだよ!」

「それは災難だったねぇ。ま、人生最後に美少女二人に挟まれて良かったじゃん」

「穴掘ってた方が良かったんじゃない? 今から需要も増してくるでしょうし、食えないなんてことはないはずなのに」

「うううう」

 男はついに泣き始めてしまった。

「どうする?」

 力を籠めるニコに、ルーは肩をすくめて答えた。

 翌朝、街の保安官本部に、簀巻きにされた男が転がされていた。男は街の宿屋を爆破した罪で、そのまま逮捕された。


「私たちが選ぶ道は三つある」

 宿場町にある鉄道の駅で、ルーは言った。

「このまま家に帰る。もしくは逃げる。隣国まで行けばさすがに大丈夫だと思うけど」

「三つめは?」

「襲撃者をぶっ潰す」

「三つ目で」

 ニコは血走った眼で答えた。

「このニコ様の命を狙っておいてのうのうと暮らそうだなんて、絶対に許せない」

「ニコならそう言うと思ったわ。……始祖龍はいいの?」

「一瞬で片づけて戻ってくればいいでしょ。始祖龍狩りの前の良い準備運動だよ、こんなの」

 ルーはため息をついた。

「そう言うルーだってさ、金にならないけど良いの?」

 ニコは笑う。

「まあね。正直、おおむねあなたと同じ気持ちよ。……暗殺者がのうのうと暮らすなんて、腹立たしいったらありゃしない。なんでこっちがこそこそしないといけないのよ」

「じゃ、行こうか」

「ええ」

 二人は右へ曲がった。

『ホーチック行、間もなく発車いたします!』

 駅員の声が、プラットホームに響いた。

 

「ホーチックは、北方山脈南山麓だと一番大きな街よ。鉱山都市として発展していて、最近だと石炭の採掘で賑わってるわ」

「なんか最近聞いたことあるなぁって思ってたんだけど」

「連合ギルド北方支部の本部が置かれてる街でもあるわね」

 朝から列車でホーチックへと向かった二人は、夕方前には中央駅へと降り立っていた。

 背の高い石造りの建物が立ち並ぶ、荘厳な街並みだった。駅前の通りは馬車や魔獣車、最近見かけるようになった自動車が、行きかう人々の合間を縫うように進んでいる。

「さすがに人が多いねぇ」

「これなら紛れ込めるでしょう。私たちを狙った連中が、まだあきらめたとは限らないわけだし」

 人ごみを縫うように、二人は進む。街になじむよう、ニコは白いワンピースに淡いピンクのカーディガン、ルーは黒いクラシカルドレスに着替えていた。

「で、どこに行く?」

「そうね……」

「やっぱギルド本部?」

 ニコは、広場に建てられた街の地図を見る。

「明らかに怪しいでしょ、ギルドが。始祖龍の任務といい、ステラと言い、全部ホーチックで繋がってるわけだし」

「とはいえ、ギルドが私たちを暗殺する理由がないわ」

「やっぱり始祖龍じゃない?」

 ニコは地図上の『ギルド本部』を指で突き刺す。

「あいつら、わたしたちが『始祖龍』の存在を知ってることが不都合なんだよ」

「伝説上の存在とは言え、それ以上の価値があの龍にあるとは正直思えないわ。ギルドが興味を持つのなんて金か権力ぐらいでしょ。3レテム横の緑の男」

「はいはい。いーや、私は始祖龍だと思うね。その口封じに殺されようとしてるんだと思う。とう」

「ぐわっ!?」

 ニコは背後に迫っていた緑のシャツを着た男の手をねじ折った。男の手には短刀が握られていた。

「さすが。お見事ね、ニコ」

「どーも。やっぱ逃がしちゃくれないか」

 ニコはダメ押しで男の足に蹴りを入れる。骨が折れる音がして、男は悲鳴だか呻き声だかわからない声を上げた。

「一応尋問しとく?」

「どうせ何も知らないでしょう。聞くだけ無駄よ。それより、こいつがホーチックにいること自体が価値があるわ」

「その心は?」

「この街で正解」

 ルーもとどめとばかりに男へ蹴りを入れる。

「放っておけば誰か通報してくれるでしょ。面倒ごとにならないうちに行きましょう」

「そだね」

 二人は足早にその場を去った。途中、露天でパンと肉を挟んだ料理を買い、ベンチに座って頬張る。

「それで、さっきの話だけれども」

 ルーがパンを飲み込んだ。

「手掛かりがニコの言ったギルドの件しかない以上、そこから当たるしかないと思うわ」

「お、じゃあステラ殴りに行く?」

「二言目に殴るって言うと、頭悪く見えるからやめた方が良いわよ」

 ルーが半分食べ終わったかというときには、ニコはすでに食べ終わり、包み紙を手持無沙汰にいじっていた。

「このわたしを捕まえて頭悪いとはよく言うね。人類の生き字引な自信はあるんだけど。魔獣学でも権威だと思ってるよ」

「はいはい」

 ニコの言葉を受け流すルー。

「そもそも殴っても根本的な解決にはならない。私たちを狙う理由をはっきりさせて、それを止められるものを用意する必要があるわ。気づいてる?」

「狙う理由と止める材料ねぇ。ぶん殴ってギッタギタにするんじゃだめ? 後ろ?」

「ステラ個人の意思ならそれでもいいでしょうけど。多分、この首謀者はもうちょっとめんどくさい奴よ。そう」

 二人は横に飛びのいた。その直後、大きなハンマーがベンチをかち割る。

「何!?」

「いい加減邪魔すんな!!」

「ふぐっ!?」

 ハンマーを振るった男に向かって、ニコが足を振り下ろした。後頭部に蹴りを喰らった男はそのままぐったりと伸びてしまう。

「落ち着いてご飯も食べられないわね。これは早く何とかしないと」

「マジムカつく!」

 ようやく食べ終わったルーが食後の祈りを捧げ、ニコは機嫌悪く頬を膨らませていた。



 連合ギルドは、冒険者ギルドや通商ギルド、職人ギルド、農民ギルドといった各産業のギルドの連合体だ。

 ギルド時代と呼ばれるほど、各ギルドが大きな力を持つ現代において、その総大将である連合ギルドは帝国すら凌ぐほどの富と権力を持っていると言われている。

 その北方総支部本部は、北央大陸北部を管轄する連合ギルドの総支部であり、それにふさわしい巨大な建物だった。

「でけぇ……」

「これを作るのにいくらかかったのかしら……」

 ニコとルーも、本部庁舎を見上げてたたずむ。太く高い柱で支えられた正門は、まさにこの世の栄華を極めたギルドの象徴のようだ。

 本部中心に建てられた時計塔は、数百レテムは離れたであろう門からでも時刻が分かるほど高く巨大だ。正門から庁舎までは石畳で綺麗に舗装され、ギルドに用のある多くの人々でにぎわっていた。

「さてギルドに来たわけですが」

 先を促すように、ニコはルーを見た。

「そうね。まずは情報収集からじゃないかしら? やることはいつもと大して変わらないわ」

「了解。じゃあ適当に話を聞いて……」

 その時、時計塔の鐘が鳴った。思わず肩をすくめてしまうほど、大きな音だった。

「何事?」

 ニコは時間を確認する。しかし、中途半端な、普通は鐘を鳴らすような時間ではなかった。

 だが道を歩いていた人々は、やれやれと言った様子で端に避け、頭を垂れた。

「大物のご登場ね」

 ルーはぽつりとつぶやき、ニコの腕を引っ張って同じように端に避ける。

「なんでわたしがギルドなんかに頭下げなきゃいけないのさ」

「ただでさえもめ事抱えてるんだから、ここは大人しくしておきなさい」

 文句を言うニコの頭を、ルーは無理やり押さえつける。

 そうしているうちに、馬車が向かってくる音が聞こえた。

「旗まで用意しちゃって。皇帝みたいね」

「偉そうにしちゃってさ」

 ギルド旗を掲げた警備の馬が数頭行くと、派手な装飾を施した馬車の車列が数両通り過ぎた。

 周囲がざわつく。

「ギルド長様だ」

「まったく、忙しい時に勘弁してほしいぜ」

「鉱山ギルドに向かうんでしょうか……」

「ご苦労なこったな」

 その後も馬車や馬が続き、数分してようやく通り過ぎた。人々は緊張がほどけたように息を吐くと、三々五々各々の目的地へと歩き出す。

「さすがギルドの城下町は大変ね」

 ルーは半分は感心したように、そしてもう半分は呆れたように見つめた。

「死んでも住みたくないね」

 ニコは嫌そうに舌を出して吐き捨てる。

「……ところでそこのあなた」

「は、はい?」

 ルーはギルドから帰ってきただろう女性に声をかけた。恰好からすると、メイドのようだ。

「さっき鉱山ギルドがどうこうって言ってたけど、何かあったの?」

「え、いや」

「答えて」

「わたしたち、ちょっと時間なくて焦ってるんだよね」

 ルーとニコが笑顔で迫る。メイドの女性がたじろぎながらもぽつぽつと話し出した。

「じ、実は最近、鉱山ギルドが連合から脱退するっていう噂が流れてて……。ギルド長様が連合に残留するよう説得しに行ったるんじゃないかなって」

「脱退? なんでまた」

「鉱山ギルドは、最近炭鉱の需要が増したおかげで上がり調子なんですけど、ギルドが元々持っていた魔鋼の利益を圧迫しちゃってるので、生産を減らすよう言われてるらしいんです……」

「はぁ、あいつらの考えそうなことね」

「鉱山ギルドも最初は逆らえなくて、労働者をクビにしたり炭鉱を閉鎖したりで対応してたんですけど、そしたら周辺国がその炭鉱と、クビになった労働者を使って勝手に石炭を掘り出しちゃって」

「それで炭鉱ギルドも慌ててるってことか」

「はい……。私もそのあおりで仕事をクビになっちゃって、新しい雇先を探してたんですが……」

 メイドがしょぼんと肩を落とす。ルーは彼女の肩をポンと叩いた。

「あらそう。ま、頑張って頂戴」

「案外何とかなるもんだよ。じゃあ」

 二人はそう言うと、メイドに礼を言って別れる。

「内部抗争ね。めんどくさそうなことやってるじゃない」

 ルーがギルド本部を睨んだ。ニコは首を傾げる。

「始祖龍とわたしたちに何か関係あるかな?」

「組織の統制が崩れてるってことよ。何かこの機に乗じて良からぬことを考えてる奴がいる可能性はあるわね」

「それにわたしらも巻き込まれたってわけか。見つけたらギッタギタにしてやろう」

「頼んだわ」

 二人の目は凶暴に燃えていた。

 それから二人は、一般人に紛れて建物の中に入った。

 外装に勝るとも劣らない華美な作りで、吹き抜けの玄関には大きなシャンデリアと、金に塗装された彫像が飾られていた。

「はぁ。これ本物の金かしら?」

「メッキじゃないの?」

「確か金一マルグが八千四百レクだから、これが全部金なら体積から考えて」

「ルー、目立ってる目立ってる」

 真剣に値踏みを始めたルーの袖を、ニコがちょいちょいと引っ張る。多くの人が行き来する玄関では、二人の姿はかなり奇異だった。

「金に目移りするなんて哀れな人類だなぁ」

「金こそが力なのよ、普通の人類にとっては」

 ルーは咳ばらいをして言い訳をする。ニコはバカにしたような目をしつつ、声を潜めた。

「で、ひとまず中に入ったわけだけど、どうする? その辺に襲撃犯の手がかりが転がってるわけないだろうし」

「そうね。世間話がてら、受付嬢あたりから話を聞いてみようかしら」

「っていうかルーは大丈夫なの? ギルドは犯人だったら、ここ相手の根城でしょ?」

「どこに行っても狙われるんだったら、相手の懐に潜り込んで得られるものを得たほうがいいわ。それにここは騎士や衛兵も多いから、おおまっぴらに襲撃したりも出来ないでしょう」

「そりゃそうか」

「出来れば組織の内部に入り込みたいわね。情報を揃える必要があるわ。事情通の人間から話を聞くとか」

「適当に引っ張り出して殴ろうか?」

「あなたねぇ」

 その時、早鐘が鳴った。

 カンカンと打ち付けられる鐘の音に、人々は何事かとうろたえる。

「どうしたんだろう」

 ニコは鐘楼を見た。ギルドの中もざわめきが大きくなる。職員たちがあわただしくかけていくのが見えた。

「……嫌な予感がする」

 ルーはぽつりとつぶやいた。ニコは首を傾げる。

「なんで?」

「なんでって言われても……。ただなんとなく、よ」

「私が殴って何ともならない奴?」

「大抵のことは本来殴っても何ともならないのよ。……一旦ここを離れましょう」

 ルーは足早に、ニコはその後を追うように、本部から出ようと歩き出した。だが、それよりも早く、ライフルを持った衛兵たちが玄関の扉を閉めてしまう。

「……出してもらえませんか?」

「駄目だ」

 ルーが衛兵を睨む。しかし衛兵たちは首を横に振った。

「何かあったの?」

 代わりにニコが聞いた。すでに扉の周りには人だかりができていて、皆同じように不安そうな顔をしていた。

 衛兵は顔を見合わせたのち、ゆっくりと口を開いた。

「……鉱山ギルド本部が、何者かに爆破された」

「爆破?」

「各ギルドに向けた犯行予告も出ている。この場所も爆破される可能性がある」

 その言葉で恐慌が起きた。

「じゃあ開けろよ! 逃がしてくれ!」

「家に子供を置いてるんだ!」

「ならん!」

 衛兵は銃を人々に向けた。

「犯人はすでにこの場に潜伏している可能性がある! 何人たりとも外に出すなというのが騎士団長様からの命令だ!」

「そんな……」

 ニコとルーは、そろりと集団から抜け出し、柱の陰に隠れた。

「ないこれ。ついに建物ごとわたしたちを殺っちゃおうって算段なわけ?」

「そんな無茶な、とは言い切れないのが嫌ね……」

「さすがにここ事爆破されるとまずい……。どっか逃げ道探さなきゃ」

 その時、衛兵たちがぞろぞろと集まってきた。彼らは何かを探すように、ライフルを構えながらうろうろと走り回る。

「兵士が多いのは厄介ね。どこかに言ってくれないかしら」

「……っていうか、なんか多すぎない?」

 ニコは一人の兵士と、目が合った。兵士は驚愕の表情を浮かべたのち、

「見つけたぞ!」

 と叫ぶ。

 その叫び声で、二人はあっという間に取り囲まれてしまった。

「……殴って脱出できるかしら?」

 ニコはそう言うルーをちらりと見つめた。

「撃たれてもいいなら。主にルーが」

「……それは嫌ね」

 二人は拘束された。



 真っ暗で何も見えない空間に、ルーは置かれていた。声を出そうとするが、出ない。何かが自分の口を塞いでいる。

「んんんんん!」

 呻く。声の響き方から、それほど広い部屋ではないことが分かった。

 しばらく呻いていると、誰かがやってくる足音がした。

「手荒な真似をしたことを詫びよう」

 ステラの声だった。

「ここまで手こずるとは予想外だった。ただの闇稼業の者と侮っていた」

「んんんん!」

「安心してほしい。これまでのようにすぐに殺しはしない。方針を変えた。知っていることを聞くまでは、傷つけはしない。ただし」

 ステラは言った。

「もし逃げたり、こちらの協力を拒むような真似をすれば、安全は保障しない。君だけでなく、もう一人の魔女の命もだ。肝に銘じておきなさい」

 ルーは押し黙る。ステラはそれだけを言うと、再びどこかに行ってしまった。牢屋を閉め、鍵をかける音がした。

 身体からぐったりと力が抜ける。両手は後ろ手に縛られ、太いロープで何十にも巻き付けられて、ベッドに固定されていた。身じろぎ一つできない。

 ふいに、弱気な自分が顔を出した。

 やってしまった。自分のせいだ。

 ルーの胸に、後悔が去来した。

そもそも自分が、大金に唆されてステラからの依頼に手を出さなければ良かったのだ。そうすれば、今ごろは二人の家で、ニコと一緒に文句を言いながら過ごすことが出来ていたはずなのに。

 ふと、かつて暮らしていた路地裏が脳裏に蘇ってきた。

 ゴミ溜めという言葉がふさわしかったあの場所から、なんとかはい出ようともがいてきたのが、ルーの人生だった。

 ルーはスラム生まれの孤児だった。

 親の顔も知らない。ただ毎日、ごみをあさって暮らす毎日だった。

 それからニコと出会い、冒険者として名前が知られるようになり、あの時は手にすることも出来なかった大金をも手に入れた。

 すべてがうまくいっていると思っていたのに。これですべてが終わってしまうのか。

 いや、そんなことはもうどうでもいい。

 ニコはどうしているだろうか。

 ステラの口ぶりだと、彼女もつかまっているのだろう。だけど魔獣以上の力を秘めている以上、脱出はまだ容易かもしれない。

 でも彼女は、魔獣狂いの魔女は、自分を助けてくれるだろうか。

 これ幸いとばかりに一人で脱出して、始祖龍を狩りに行ってしまうのではないだろうか。

 …………。

 いや、まだだ。

 まだあきらめるには早い。

 何とかして脱出しなければ。こんなところで理不尽に死ぬわけにはいかない。理不尽に抗うと決めたあの日の自分に、今こそ報いなければならない。

 弱気な、何の力もない少女だった自分を追い出すと、集中して感覚を研ぎ澄ませる。

 遠くからジリジリという魔鋼灯特有の音がした。ということは、ここは日の光が届かない場所か、今が夜のどちらかだ。どちらにせよ、牢屋の中に明かりはなく、外からはよく見えないだろう。

 呼吸音、そして服がこすれる音もする。位置的に見張りのようだ。人数は一人。咳払いの声を聞くに、男だった。

 いける。いかなくては。

 ルーは体をよじらせた。

 少しでも動かせる場所はないかを探る。手指、足首から先、そして頭。その三個所が、拘束されていない部分だった。服はそのままだが、当然、荷物の類はすべて取り上げられている。

 指先をそっと右の袖口に沿わせた。目当てのそれを見つけ、思わず頬が緩む。

 ここまで奴らが見なかったのは幸運ね。

 ルーはほくそ笑む。

 袖の、少し生地が厚くなっている個所から、小さな針を取り出した。慎重に、物音を立てないようロープをほぐして、繊維一本一本を針で差し切っていく。

 一時間ほどかけて、手首を縛るロープが切れた。

 体を縛る方のロープは骨だ。これを切るのは時間がかかる。

「う、うううう、ううううう」

 そこで、呻き声をあげた。

「あうええ……」

「どうした」

 見張りの男が言った。ルーはすがるように一心不乱に叫ぶ。

「いあい! あうええ!!」

 口枷をされているので上手く喋れなかったが、言いたいことは伝わったようだ。男は少し迷った気配を出しながら、牢屋の鍵を開けた。

「口枷を外す。少し待て」

 そう言って、ルーの口を縛っていた布を取る。

「く、苦しいの! 助けて!!」

 枷が取れるや否や、ルーは叫んだ。

「死んじゃう……。み、水を……」

「ま、待て。わかったから」

 男はあわてたように離れると、水瓶から水を汲む。

 男の位置は、気配でだいたい察せた。

「体を起こして、水を飲ませてほしいわ」

「それは」

「おねがい」

 艶っぽい声で言うと、男はうなりながらもロープを緩めた。そして。

「ありがとう」

 体が動かせるようになった瞬間、ルーは頭突きをした。

「があっ!?」

 すぐに目隠しを外す。ひげ面の男が、鼻頭を押さえて呻いていた。

 ルーは留めとばかりに、男の股間を蹴り上げる。

「なぁっ!?」

「じゃあね」

 ルーは男の腰に下げられていた鍵束を取ると、すぐに牢屋を出て鍵をかけた。

「お、おいこら! 何をする!」

「出て行くに決まってるでしょバーカ!」

 そして壁に立てかけてあったライフルを手に取ると、

「じゃあしばらく静かにね」

 檻越しに、ストックで男の頭を殴った。男は静かになり、ずるずるとその場に倒れる。

「おやすみなさい。あなたが優しくて助かったわ」

 男が伸びたことを確認すると、ルーは走りだした。

 ここは地下牢のようだった。その中でも独居房のようで、ルーが収監されていた牢屋以外の牢はなく、すぐに堅牢な鉄の扉があった。

 鍵はかかっていない。ルーはそっと扉を開けた。扉の向こうには、左右に長い廊下が広がっていた。同じような扉が一定間隔で並んでいることから、一つ一つが同じような牢屋になっているらしい。

 廊下の奥にはそれぞれ、向かい合うように見張りが立っている。左手は行き止まりだが、右手の見張りの背後には、上へ向かう階段が見えた。

 見張りはそれぞれライフルを持っている。背中を見せればすぐに撃たれるだろう。

 ニコもこのどこかにいるのだろうか。

 おそらくいるだろう。

 そう確信すると、ルーは扉を閉めた。

「あいつなら、やってくれるわ……。まだいるなら……」

 ルーは壁の魔鋼灯から、魔鋼を取り出した。そして見張りが座っていたらしい椅子の上に置く。やがて魔鋼の温度が上がり、椅子から煙が立ち始めた。

 空気を送り込むと、大きく火が燃え上がる。

 扉を少しだけ開けると、火のついた椅子を入口近くに蹴り投げた。そして低い声で叫ぶ。

「火事だ!」

 見張りがこちらに走ってくるのが見えた。ルーはスカートの横を破くと、ライフルに次弾を装填する。

「おい、どうし」

 見張りが言う前に撃った。見張りは足を撃たれ倒れる。だが、一人だけだった。

 ルーは外に飛び出すと、階段側にいた見張りは持ち場を離れていなかった。ルーの姿を驚愕の表情で認めると、非常ベルを鳴らした。

「ちっ」

 ベルの音が響き渡り、独居房の扉が開かれ、見張りの兵士たちが顔を出す。

 ルーはそれを見るやいなや、全速力で走りだした。

「逃げたぞ! 捕まえろ!」

「捕まるか!」

 ルーは飛び掛かってきた兵士に回し蹴りを喰らわす。

「そこどけ!」

 銃を撃ち、蹴りで道を開く。階段前に陣取っていた見張りも、撃たれて倒れた。

 だが、あと一歩で階段に足を掛けられるというところで、太い腕がルーの足を掴んだ。これの一瞬が命取りとなる。ルーの身体は次々と掴まれ、のしかかられ、拘束される。

「クソっ!」

 ルーは悪態を付く。だが拘束が緩むことはない。

「手間かけさせやがって!」

「どうやって出てきた!」

「おい、早く報告に」

 その時、金属の破砕音が地下に響いた。続いて、何かがバキバキと壊れる音も。

 興奮していた男たちが静まる。

「……魔女の見張りはどうした?」

 誰かがぽつりと聞いた直後、扉が吹き飛ばされる音が響いた。

「……女の子に何してくれてんの? それもわたしの相棒に」

「ニコ!」

 ルーはなんとか顔を上げた。

 全身から湯気を出すニコが、分厚い鋼鉄の扉を紙細工のようにぐちゃぐちゃにしている見えた。

「……ニコ」

「ひぃ」

 男たちが息を飲む。

「全員今すぐどけぇっ! さもないと全員くしゃくしゃに丸めんぞぉ!」

 ニコは小さく丸められた扉を投げた。扉だった金属球は、男たちの鼻をかすめて目の前に落下する。重たい音がして、石畳が割れた。

「に、逃げろ!!」

 誰かが叫ぶと、男たちは一目散に階段を駆け上がって逃げて行った。

「ニコ……。ありがとう……」

 ニコの力をもってすれば、脱出自体は容易なはずだ。魔女を拘束するのに鉄の鎖では足りない。

 ならば騒ぎを起こして、見張りの目をこちらに向けさせればいい。

 ニコが自分を助けに来てくれるかはわからなかったが、どちらかがここを抜け出すためにはそうするしかない。

 結果、ルーは賭けに勝った。

「助かったわ」

「こっちこそ」

 ルーが礼を言うと、ニコも笑った。

「でも、今からが本番なんじゃない?」

「そうね、でも」

 ルーはニコの手を握った。

「貴女がいると思ったら、もう負ける気はしないわ」



「逃げられた?」

「申し訳ございません」

 ステラは深々と頭を下げた。ここは連合ギルド本部の中心。鐘楼を除けば最も背の高い建物の最上階にある、ホーチック市街を見下ろす部屋。主は一人の老婆だ。

 昼間は眺めのいい子の場所も、深夜の今は、暗い明かりがぽつぽつと見えるだけである。

「騎士団は一体何をやっているの!」

 老婆の怒声が響く。ステラはただ、彼女に頭を下げた。

「魔女の力を侮っていました。騎士団本部は半壊状態で、多くの囚人たちが騒ぎに乗じて脱走しています。騎士団や衛兵たちも負傷した者が多数出ており」

「黙りなさい!」

 老婆は激高する。ステラは言われた通り黙った。

「それで、何かほかに策はあるのでしょうね?」

「ただいま、市街と外を結ぶすべての街道や駅、港を封鎖して、市の警備隊も総動員して捜索しています。遠からず発見できるかと」

「急ぎなさい。始祖龍が来るまでに事を片付ける必要があるわ」

「……その件ですが、アルエーラ様」

 ステラは老婆に、連合ギルド長、アルエーラ・ジャベンに歩み寄った。



「派手にやったわね」

「ルーもね」

 集合住宅の屋根の上で、赤く燃えるギルド本部を遠巻きに見つめながら、ルーとニコは感慨深げに言った。

 二人は本部から脱出するため、力の限り暴れ尽くした。おかげで二人のいた建物は半壊し、あちこちから煙が上がっている惨状である。その混乱に乗じて、二人は何とか本部を後にすることが出来たのだった。

「ごめんなさい。荷物まで探す余裕がなかったわ。あなたの鎌、置いてきてしまった……」

 ルーは悔しそうに頭を下げた。ニコは目を丸める。

「……え、いや、うん。別に大丈夫」

 信じられない、と言った様子で自分の手を見つめた後、ルーを気遣うように言った。

「ルーも自分の荷物ないでしょ。お金も、何もかも」

「そうね、これからどうしようかしら」

 二人は大きくため息をついた。着の身着のまま逃げ出したせいで、今ではすっかり身軽になってしまっている。

「街から逃げる、ってわけにはいかなさそうだしねぇ」

 街は眠りについている時間だが、通りのあちこちを騎士たちが走り回っている。早鐘が鳴り響き、物々しい雰囲気に包まれていた。

「この様子だと、街から外に出るのは無理ね。しばらくどこかで潜伏しないと」

「……家に帰りたい」

「珍しいわね、あなたがそんなこと言うなんて」

「……そう、だね」

 ニコは小さくため息をつく。

「どうしちゃったんだろ、わたし」

「疲れてるのよ、色々あったんだから」

「……疲れてる、か」

 ニコは自分の体を見回した後、ルーをじっと見つめた。

「な、なに……?」

 ルーは思わずたじろぐ。そんな彼女を、ニコは抱きしめた。

「ニコ……?」

「なんか、ここにルーがいて良かったなって思って。ほんとにいるのかどうか確かめたくなった」

「なによそれ」

 ルーは苦笑した。そして戸惑いながらも、ニコの背中に両腕を回す。

「私はここにいるわ。あなたのおかげで」

「良かった」

「ごめんなさい。私の浅慮で、大変な目に会ってしまったわ」

「それはわたしも一緒だし。わたしたち、相棒なんだから。二人で何とかしようよ」

「……そう、そうね。相棒、だものね」

 ルーの頬が緩んだ。

「……と、とにかく、街から出るにしろなんにしろ、一時的な拠点を見つける必要があるわ」

 ルーは我に返ってニコを静かに離した。

「包囲が弱まるまで、数日が数週間か、あるいは数か月か、潜伏しなくちゃ」

「それって、相手が諦めるまで逃げるってことだよね」

「まあ、言い方を変えればそうなるわ」

 ニコは不機嫌そうに顔をしかめた。

「……わたしらをこんな目に合わせた連中に、なんでわたしらがこそこそしなくちゃいけないわけ?」

「なんだか、あなたらしさが戻ってきた気がするわ」

「わたしは元々わたしだよ」

 そう言うと、ニコの瞳孔が開いた。

「わたしらをこんな目に会わせて、無事に済ませるわけないじゃん。ギッタギタにしてやりたい。……けど」

 ニコは一転、不安そうに俯いた。

「ルーをまた危険な目に会わせるかもしれない。さっきは何とかなったけど、今度は」

「構わないわ」

 ルーは言い切った。

「相棒なんでしょ。あなたがそうしたいなら、私は協力する。腹の虫がおさまらないのはわたしだって同じだもの」

 そして笑った。

「それに私の相棒はニコ様なんでしょ? 大丈夫、今度も上手く乗り切れるわ」

「……ありがとう」

「こちらこそ」

 そして、月を見上げると、東の方角を指さした。

「この街の東側、港に近い方に貧民街があるわ。大きな街だから、それなりの規模があるはずよ」

「じゃあしばらくそこで紛れるか。それで準備して、あいつらをぶっ飛ばす」



 ホーチックの東には、大きな川がある。この川の港から、ホーチックの石炭が輸出されるため、港周りは大きく発展していた。

 そして発展の影のように、貧民街もまた大きく広がっていた。

 深夜にも関わらず、酒場には明かりがともり、道端には焚火に当たりながら酒瓶を煽る男や、建物の陰で客を待つ娼婦の姿があった。

「いやぁ、こういうとこはどこ行ってもこういう感じだねぇ」

「…………」

 能天気に道の真ん中を歩くニコに対し、ルーは渋い顔であたりを見回していた。

「ルーはあんまり好きじゃない?」

「好きな奴なんていないわ、こんなとこ」

 ルーは吐き捨てた。

「でもまあ、ここの奥ならしばらくは安全でしょうね」

「そうだねぇ」

 ニコはそう言いながら、絡んできた男を数レテムほど吹き飛ばした。

 そうしながら進んでいくうちに。建物はどんどんみすぼらしいバラックになり、周囲もゴミや廃材であふれていく。道端に人が転がっていることも珍しくなくなってきた。生きているのか死んでいるのかもわからない。

「この辺かな?」

「何か適当な建物があればいいんだけど」

「あれとかいいんじゃない? たぶん教会だと思うんだけど」

 ニコが突き刺されたナイフをへし折りながら指さしたのは、一軒だけポツンと存在する、古い教会だった。木造のあばら家が多い中、その家だけは石造りで、玄関に彫刻まで掘られた立派な作りをしている。

「そうね、でもあの旗はいただけないわ」

 ルーはため息をついた。

 教会の鐘楼には、骸骨をモチーフにした旗が張り付けられていた。下には『我ら無敵のトーファ団』の文字がある。

「ダサい」

「確かに」

 ニコも苦笑する。

「でもまあ、泊まらせてもらうにはちょうどいいでしょ」

「そうね。泊まらせてもらえたらの話だけど」

「お話すれば泊めてくれるよ」

 そう言うと、ニコは教会の敷地に軽い足取りで入って行った。その瞬間、銃声が鳴った。ニコの足元の地面が爆ぜる。

「おー、大歓迎だ」

 さすがに歩みを止める。上の方から声が響いた。

「おいごらぁ! てめぇ誰の許しでトーファ団様の基地に入ってやがる!」

 若い、それこそ子供の声だった。声の調子からすると、どうも少女のようだ。

「きみぃ、子供は寝る時間だよぉ!」

「うるせぇ! オレを子供扱いするな!」

 罵声とともに銃弾が帰ってきた。騒ぎに気が付いたのか、教会の明かりが点く。

 ニコはそっとルーの元まで後づ去る。そんな彼女に、ルーは耳打ちした。

「お話しできなさそうね」

「まだ拳がある」

 教会の扉が開いた。中から棒や鎌、銃で武装した人間たちがぞろぞろと出てきた。

「こんな時間にカチコミたぁいい度胸だねぇ」

 煙草をくわえた背の高い女が、金属のこん棒を叩いて前に出てきた。

 よく見れば、後ろにいる者も含め、全員が女だった。

「いやぁ、ちょっと今宿無しでねぇ。しばらくここ泊めてくれない?」

 ニコが朗らかに言う。煙草の女は青筋を浮かび上がらせた。

「ああ? 何言ってんだ嬢ちゃん」

「アタシらの怖さを知らねえみたいだなぁ」

「……怖いもの知らずはあなたたちよ」

 ルーがぽつりと言った。

「うーん、そっか。じゃあもうちょっとお話しなきゃいけないかなぁ」

「話なんかすることねえよ。今すぐぼこぼこに」

「ちょいとお待ちな」

 よく通る女の声がした。その声に、少女たちが背筋を伸ばす。

「どきな」

 人の群れがさっと割れた。奥に、一人の女が立っていた。煽情的な紫のドレスに身をまとい、長くくせのついた髪が艶やかに光っている、妖絶という雰囲気の似合う女だった。

「リンゴ、腕っぷしが強いのがあんたの良いところだけどねぇ。もう少し相手を見なきゃ、やけどするところだったよ?」

「ね、姐さん……」

 姐さんと呼ばれた女は堂々とニコとルーの元まで歩いてきた。

「妹たちが失礼したね。あたしはこいつらの面倒を見てるトーファって言うもんだ。気の良い連中なんだけど、いかんせん喧嘩っ早くてさ。怖い思いをさせたね」

「いや、別に怖い思いはしてないです」

「別に意味でヒヤヒヤはしたわ」

 二人が首を横に振ると、トーファは噴き出した。

「そうかい。そいつは良かった」

 そう言って、教会をちらりと見た。

「綺麗とはいいがたいところだけど、それでもよかったらいくらでも使っておくれ」

「姐さん!」

 リンゴと呼ばれた、最初の煙草の少女が、抗議するように叫んだ。だがトーファは鋭い眼光でそれを制する。

「いいだろ別に。それに、こいつらがここにいてくれりゃ、あたしらにも得がある」

「得って一体」

「……可愛い女の子が増える。目の保養になるじゃないの」

 その言葉に、ニコは思わず笑った。

「可愛い女の子だってよ。良かったねぇ」

「……百八十歳は女の子なのね」

「心は若いんだよ」

「さ、中に使っていない部屋があるから、好きにしておくれ。リンゴ、案内してあげな。失礼なことをしちゃダメだよ」

「……うす」

 リンゴはまだ納得していないようだったが、それでもしぶしぶ二人を教会の中に招き入れた。

「……トーファ姐さん、なんでまたあの二人を」

 取り巻きの一人が、そっと尋ねた。トーファは目を細めてニコとルーの背中を見つめた。

「こんな貧民街の最奥まで無傷で歩いてきたんだ。ただものの訳ないだろう? 見ない顔だし、城盗りにきたわけでもなさそうだ。なら無駄に喧嘩しない方が吉ってわけよ、それに、金髪の耳を見たかい?」

「耳?」

「魔女だよ、あいつは。初めて見た」

 そう言うと、トーファは太ももに差していた煙管を取り出し、煙草の葉を入れた。

「火、貸してくれる」

「はい!」

 取り巻きは嬉しそうに火種を差し出した。



 教会の中は、棚やソファで雑多に仕切られていた。かつて信者が集ったであろう聖堂も、生活感があふれる場所に代わっている。

「ここが空いてる。好きに使え。毛布は裏にあるから一人二枚まで持っていっていいぞ」

 リンゴが案内したのは、聖堂の隅にぽつんと置かれていた二段ベッドだった。空いているという言葉通り、荷物も何もない。

「ここにいるのは女だけだ。変な心配はしないでいい。ただ物盗りと素性の詮索、あと喧嘩はご法度だからな」

「わかったわ」

「ありがとー」

 二人は礼を言うと、さっそくベッドに腰掛ける。

「それで、あんたらはなんて呼べばいい? アタシはリンゴでいい」

「わたしはニコ」

「私はルーでいいわ」

「ニコにルーな。わかった。飯はいるか?」

「いただけると嬉しいわ。今日は一日何も食べてなくて」

「わたしはいらない」

「本当にいいのか? まあ用意はする。ちょっと待ってろ」

 リンゴはそう言うと、部屋を後にした。

「あんなに乱暴だったくせに、嫌に面倒見がいいね」

「トーファとかいう女が取り仕切ってるらしいわね。そうとう人望があるのでしょう」

 ルーはベッドに倒れこんだ。決して清潔とはいいがたいシーツだったが、牢屋のものよりもマシだった。

「素性は詮索するなっていうぐらいだし、ま、私たちの正体が露見することもないでしょうね」

「好都合。にしても何なんだろうね、ここ。マフィアの根城にしてはちょっと違和感あるし」

 ニコはそっとあたりを見舞わず。家具が雑多に置かれ、少女たちが共同生活している様は、避難所といった雰囲気似合っているように思えた。

「まだ起きてるかい」

 そこに噂をしていたトーファが現れた。

「ええ」

 ルーは返事をして体を起こす。

「迎え入れてくれてありがとう。本当に助かったわ」

「いいってことよ。困ったときはお互い様さ」

 トーファは不敵に笑った。そこに、盆を持ったリンゴが現れた。リンゴはトーファの姿を認めると、ピンと背筋を伸ばす。

「姐さん!」

「リンゴ、あたしはちょっとこいつらと話がある。食事はそこに置いといて、あんたはもう寝な」

「はい! ありがとうございます」

 そう言うなり、リンゴは盆をルーの前に置いて、さっさと部屋を出て行った。

 リンゴが置いて行ったのは、鉄製の食器に入った豆のスープと固いパン、そしてチーズと水だった。スープは湯気が出ていた。

「ま、食べながら聞いとくれ」

 その言葉で、ルーはさっそく食事に手を出す。それを見たトーファは顔をしかめた。

「そう言って本当にバクバク食べだしたのはあんたらが初めてだよ」

「食べながらって言ったのはトーファじゃないの」

 ルーが悪びれもなく言う。

「まあそうだけどね」

 トーファはくすくすと笑った。

「ここはね、貧民街で一人になった女を集めてる、避難所みたいな場所なんだよ。あたしがここの世話をしてる。いつの間にか『トーファ団』とかいうマフィア崩れの集団になっちまったけどね」

 ルーはふと上を見た。

 聖堂の二階部分の通路にはライフルやクロスボウ、果ては大口径の歩兵砲が並んでいるのが見える。

 通路にも槍や砲、銃、弓といった武器が雑多に積み上げられていた。

「軍隊じゃないの?」

「仕方ないさ。この教会は、貧民街の城みたいな建物でね、みんな欲しがるんだ。だからよこしまなバカ共が四六時中攻め込んでくるんだよ。自衛用さ」

「そりゃ大変だ」

「だからあんたらにもあの子たちはピリピリしてるんだ。あんまり刺激してやんないでよ」

 そう言うと、トーファは身を乗り出した。

「で、ここからが本題なんだけど……。あんたら、なんで騎士団に追われてるようなことをしたんだい?」

 その言葉に、ニコとルーは目を見開いた。ニコはとっさにルーを見て、ルーはコホンと咳ばらいをする。

「……騎士団に追われるわけなんて」

「手配書が回ってる」

 誤魔化そうとしたルーの前に、トーファが一枚の紙を見せつけた。そこにはニコとルーの名前、そして特徴と罪状、あまり似ていない似顔絵が描かれていた。

「……詮索は禁止なんじゃなかったの?」

「あたしは別さ。みんなを守んなきゃいけないからね」

 トーファの顔から笑みが消えた。

「困ってるやつは助けたいとは思ってるが、とはいえあたしも守るべきものがある。余計なもめ事を抱え込むのは正直避けたいんだ。それに話してくれれば、解決に向けて手助けが出来るかもしれない。……話してくれないかい?」

 ニコとルーは顔を見合わせた。そして、ニコが口を開く。

「……何もしてない。しいて言うなら、始祖龍っていう伝説の魔獣を見つけただけ」

 それから、これまでの経緯について話をする。

 トーファはそれを聞くと、眉間に深い皴を寄せた。

「それは……、ひどい話だねえ」

 そう言って、ルーを胸に抱き寄せる。

「大変だったね。よく頑張ったよ、ルー」

「っ! ど、どうも……」

 ルーは顔を赤くする。そしてすぐにトーファから離れた。

「ってな、なにを……!」

「あんたから、こうしてほしいって言う気配を感じただけさ。かわいい女の子が悲しむのは、あたしが一番嫌いなことだからね」

「わたしはー?」

「ニコはそういうタマじゃないだろ。魔女なんだし」

「魔女差別じゃない?」

「アタシは百八十歳のばーさんを慈しむ趣味はないんだよ。ま、せいぜいゆっくりしていきな」

 トーファはそう言うと、改めて二人に向き合った。

「さて、事情はだいたい分かったが、あんたらはこれからどうする気だい? ここに住むって言うなら面倒は見たげるが」

「「ギルドをギッタギタにする」」

 ニコとルーは同時に言った。トーファは思わず吹き出す。

「そうかい。威勢のいいことで。具体的にどうするかは決めてるのかい?」

「連中が求めてるのは始祖龍よ。恐らくこれを独占して、何かをしようと企んでる」

「だから、奴らより先に始祖龍を狩って、こっちに手出しできないようにする。そのうえで」

「首謀者をぶちのめすってことか。血の気が多いね。嫌いじゃない」

 トーファは少し考え込むように俯いた。

「なら、あたしにも考えがある」

「ホントに!?」

 ニコが目を輝かせた。

「ああ。ただ」

 トーファが天窓を見た。うっすらと白み始めていた。

「もう夜も更けてきた。あんたらも色々あって疲れただろう。今日はいったん休みな」

「ええ! わたしは別に」

「あんたはいいだろうが、ルーが限界だよ」

「……私も、大丈夫よ」

 そう言うが、ルーの顔は青白かった。声にも張りがない。

「嘘をつくんじゃないよ。人間は休まなきゃいけない。一旦寝て、起きてからまた話そう」

 トーファはルーの頭を優しく撫でると、二人の元を去った。

「……ごめんなさい、ニコ。少し休ませてもらうわ」

 ルーはそう言うと、二段ベッドの下にもぞもぞと入り込む。

「あ、うん……」

 ニコは何かを言いたげに、手を伸ばして、すぐに引っ込めた。

「おやすみ、ルー」

「おやすみなさい、ニコ」

 ルーはすぐに寝息を立て始めた。

 その様子を見て、ニコは自分の両手を見る。

「眠たくないなぁ」

 ぽつりとそうつぶやいた。

「お腹も、減ってない」

 出された食事を見る。ルーは完食していた。

「……魔女だもんな、わたしは」

 そう言うと、少しだけ目を閉じた。そして、ルーの横に腰を下ろすと、

「ごめんね、ルー」

 そう言って、彼女をそっと抱きしめた。

「一緒に帰りたい……」



「兎にも角にも情報収集よ」

 朝もだいぶ過ぎ、間もなく昼に差し掛かろうかという頃、ようやく起きたルーは、開口一番ニコに言った。

「得るべき情報はただ一つ。始祖龍がいつ、どこに現れるか。それをギルドの誰が狙っているのか」

「それを知ってどうするわけ?」

「奴らより先に狩る」

 ルーは机を叩いた。ニコは意外そうに目を丸める。

「え、いいの?」

「奴らが欲しがってるのは明らかに始祖龍よ。なら、先にそれをこちらが手にする。交渉材料になるだろうし、何より迂闊に私たちを殺せなくなる、『何か』が始祖龍にはある」

「……ルーの勘はよく当たるもんなぁ」

 ニコは腕を組んで頷く。

「さて、じゃあ今までの情報を整理するわ」

 ルーは教会に転がっていた地図を広げた。この地方の地図で、いくつか印がつけられている。

「このバッテンは何?」

「さあ? 元々ついてたやつよ。多分聖域とか、教会とかの印じゃないかしら」

 ルーは新たに印を書き加えた。

「私たちが始祖龍と出会ったところがここ。今まで通りの形で予想するなら、奴はすでに北方山脈のどこかに潜伏している可能性が高いわ」

「体色を変えられるのが厄介だね。目撃情報も期待できないし……」

「そう。でも一個だけ、繋がりそうな情報がある」

 ルーは険しい顔で言った。

「ギルドの連中は、始祖龍がどこに現れるかをある程度察知していた。つまり、次の出現地点と時期を予測する方法があるはずなのよ」

「なるほど、確かに……」

「ニコ、あなたが知ってる始祖龍についての知識、改めて全部話してちょうだい」

 ルーの言葉に、ニコは渋い顔になった。

「知ってるって言っても……。始祖龍はすべての魔獣の母と言われていて、空を覆うほど巨大っていうだけ……。大昔天の向こうから現れたって言うのもあったっけ」

「何かほかにないの? 満月の夜に現れるとかそういうの」

「そう言う話は聞いた記憶が……」

「なんか面白そうな話をしてるじゃない」

 トーファがカーテンから顔を覗かせていた。

「始祖龍とやらの話かい?」

「ええ」

 トーファは二人の正面に腰を下ろす。

「そいつは魔女に伝わる伝承なんだろう?」

「そうだよ。魔女族の昔話」

「なら、この教会が役に立つかもね」

「え?」

 ニコが首を傾げる。トーファは答えを示すように、天井を指さした。二人が上を向く。

「ここは元々、魔女の教会だった……。ってニコは気づいてなかったのかい?」

 そこには、星空を抱くように飛ぶ巨大な龍の絵が描かれていた。

「それで、ついでにちょっと手伝ってほしいんだけど」

 トーファはにこりと笑った。



「魔女に力を与えた存在なら、信仰の対象になっていてもおかしくないわ。っていうかあなたなんで今まで気づかなかったの?」

「いやぁ、教会なんてもう百七十年ぐらい行ってなくて……」

「不信心者ね」

「ルーだって行ってるの見たことないけど」

「金もくれない神なんて信じるだけ無駄だからよ」

「わたしだって真実を教えてくれない神だって」

「あんたら仲いいねぇ」

 言い争いを始めたニコとルーを、トーファは微笑ましそうに見つめた。

「でも、結構ヤバい頼みごとだってわかってるのかい?」

「もちろん。でもわたしら」

「これが本業よ」

「そうかい、それは頼もしい。リンゴ、開けな」

「はい」

 リンゴは、聖堂の奥、洗濯物干しになっていた女神の像を横にずらした。像は簡単に動き、奥に地下へと続く階段が現れる。

「古代の地下墳墓への入口さ」

 トーファは魔鋼を受け取ると、先頭に立って階段を下りた、リンゴ、ニコ、ルーも続く。リンゴは銃を持っていた。

 長い階段を下ると、狭い通路に出る。トーファは魔鋼を通路脇に設置されていた置き場に置いた。照明装置が点灯し、通路が明るく照らされる。

 土がむき出しの通路の壁には窪みがいくつも掘られ、そこには布にくるまれた人の骨が安置されていた。

「ここを守るためにこの教会が建てられた、と思ってるよ、あたしは」

 トーファはそっと亡骸の布をめくった。そこには握りこぶしほどの、黒く輝く金属球があった。

「……黒魔鋼」

「じゃあこの人たち、みんな魔女だったんだ」

「そう」

 魔鋼は、魔女、魔獣の体内にあって、今日の文明のエネルギー源となっている重要な存在だ。無から熱を生み出すとされているが、その期間は永遠ではない。使用しているうちに減衰し、黒く変色する。そして数年もたつと、ただの黒い金属球になってしまう。

 これが黒魔鋼だ。

 状態の良いものは富と生命の象徴とされており、巨大な物であれば宝飾品として高値で取引される。また『魔女の黒魔鋼』は市場に出回らず。特別貴重なものとして扱われていた。

「こんな仕掛けがある事、いままでここを根城にしていた連中は気づかなかったんだろうね。だから、盗掘もされずにきれいに残ってるんだ」

 トーファは、安置された黒魔鋼を優しく撫でた。

「で、何が問題なの?」

 ルーは辺りを見回す。

 一見すると、ただの墓場にしか見えなかった。ほとんど荒らされていないという点では珍しいが、特に危険があるようには見えない。

「ここから先さ」

 トーファが角を曲がる。そこには棚や椅子を積み上げて作られた、急ごしらえのバリケードが設置されていた。

「この地下墳墓は、網の目みたいにホーチックの地下に張り巡らされていてね、出入り口の何か所かあるらしいんだ。全容はあたしにもわからない」

 トーファは声を潜める。

「リンゴたちはこの通路を使って、敵対する組織を上手く葬ってきた。んだけど、何日か前に厄介な奴が入り込んできちゃってね」

 リンゴはライフルに弾を込める。そして、慎重にバリケードの一部を解体した。

「見えるかい?」

 隙間が生まれ、ニコとルーはそこから奥を覗きこんだ。

 犬が一匹寝ていた。黒い毛並みで、狼のような精悍な顔つきをしていた。

「三頭犬だ」

 頭が三つあった。体躯も、通常の犬より大きく、体高で人の背丈ほどある。

 魔獣の一種、三頭犬だった。

「起こすんじゃないよ。このバリケードも破られたら、こいつが上に出てきちまう」

 トーファは声を潜める。

「リンゴ、戻しな」

「はい」

 リンゴがバリケードを戻し、二人も後に退いた。

 ひとまず戻ろう、というトーファの言葉で、四人は言葉少なに地下墳墓を後にする。

 地上に上がり、入り口を閉じたところで、ようやく緊張の糸が切れた。ニコはこの時を待っていたかのように口を開く。

「で、あれを退治してほしいってわけだ」

「そういうことさ」

 ニコの言葉に、トーファが頷く。

「あたしらは、この地下墳墓を利用することで、貧民街の抗争を優位に戦ってきた。ところが何日か前にあいつが入り込んで、ほとんど使えなくなっちまったんだ」

「今敵対組織に攻め込まれたらヤバいし、何より三頭犬が地上に出たら、貧民街は大変なことになる。みんな不安に思ってんだ」

 リンゴも深刻そうな顔で俯く。

「ま、あれ一匹を倒すのは簡単。何なら今からでも出来る」

 ニコはなんでもない事のように言って、拳を振るった。

「でも、少し気になることがあるな」

「気になること?」

 トーファが訝しんだ。

「なんだい、それは」

「三頭犬が、こんな狭いところに入り込んだ理由」

 ニコは聖母像を見つめる。

「三頭犬ってのは、本来夜行性で、昼間は洞窟や洞穴で寝ている。とはいえ体躯の大きな魔獣だから、もっと広いところに住むのが定石なんだよね。こんな人間一人ぶんぐらいの場所じゃなくて」

「たまたま奴が入れるところがここだったんじゃないの?」

 ルーの言葉に、ニコは頷いた。

「そう。あの子はこんなところに逃げ込まざるを得ないぐらい、何かに追われてたんじゃないかって思うんだ」

「……つまり、三頭犬以外にも何かが潜んでいる可能性があるってことだね」

 トーファが言う。

「そういうこと。何が、どれだけ、どこにいるかはわからないけど」

「……最近、この辺の魔獣がどうもおかしな行動をしてるって冒険者の間で噂になってたんだよ。ニコの推理は正しいかもしれないねぇ」

「ま、全部殴るからいいけど」

「…………」

 リンゴが何か化物を見るような目でニコを見た。

「魔獣が入り込めるということは、この地下墳墓は街の外と通じているってことよね」

 ルーがふと気が付いたように言う。

「そうだね。そういう話もあるよ」

「じゃあ、ここを利用すれば脱出できる……」

 ルーはニコの肩を掴んだ。

「ニコ、ひとまず地下墳墓にいる魔獣を全部吹っ飛ばしてきて。私はその間に、何とかして始祖龍の出現地点を特定するわ」

「りょーかい! 任しといて」

 ニコは親指を立てた。

「そういうわけだから、協力してもらうわよ、トーファ、リンゴ」

「ああ。元はあたしらの依頼だからね。出来ることはなんでもさせてもらうよ」

「え、マジっすか……。たぶんこいつ滅茶苦茶強いっすよ、ウチらじゃなんとも」

 リンゴだけが渋い顔をしていたが、トーファが彼女の肩を叩く。

「何言ってんだい! 女は度胸、腹くくりな! ここを守るためでもあるんだよ!」

「うう、はい……」

「こいつら、まともな仕事もなくてふらふらしてるんだ。好きに使ってくれていいよ」

 トーファの言葉に、ニコはさっそく笑みを浮かべる。

「じゃあさっそく三頭犬倒しに行くから、手すきの武器だけ何か探してきて。刃物系がいいなぁ」

「わ、わかりました!」

「私はこの教会を探るわ。何かここに伝わってるものはない? 絵でも書物でも」

「ほとんど売られちまってるけど、残ってるがらくたがあったはずだ。案内するよ」

 こうして、ニコとルーはそれぞれ動き出した。



「リンゴ、行くよ!」

「ひいいい! ダメっす! これはダメっすよ!」

「うるせえ、そのまま突っ込め!」

「ひぃ!」

 地下墳墓で、ニコとリンゴが槍を持って三頭犬に向かっていたころ、

「ここが宝物庫だったところね」

「そうだよ。今はガラクタ置き場になってるけどね。ただ、仕掛けがあるならここじゃないかい?」

「ええ、さっそく隠し扉を見つけたわ」

「……やるねえ」

「ここに戸を作るのは定石だもの」

 ルーとトーファは宝物庫を探索していた。

「ニコ姐さん! なんっすかこれ!」

「スライム、知らない? 有名だけど」

「気持ち悪っ」

「触ったら解けるから気を付けてね。じゃあ突っ込め」

「溶けるって言ったばっかじゃないっすか!」

 ニコとリンゴが松明を掲げて、スライムに突撃していたころ、

「厄介ね。ここの扉は金貨しかない……。もっと始祖龍の手がかりになるようなものはないのかしら」

「まったく、あんたも大概だねぇ」

「ニコに付き合おうと思ったら、これぐらい必要なのよ。これも隠し戸ね。暗号かしら。魔女文字は面倒だわ……。トーファ、辞書を取って頂戴」

「はいよ」

「『必要なもの・贄・勇気』……。後は何かしら。ああ、それをここにはめて……」

 ルーとトーファは暗号とにらみ合っていた。

 そして三日が過ぎた。



「見つけた!」

「見つけたわ!」

 三日後の昼過ぎ。ニコとルーは、女神像の前で、互いの顔を見るなり叫んだ。

「街の外に出る道! 警備もいないし、見つからずに脱出できる!」

「隠し扉を見つけたの! そこに次の始祖龍の出現地点がわかる機械時計あったわ! これで奴がどこにいつ現れるかわかるのよ!」

 ルーが持っていた機械を見て、ニコが目を見開く。

「え、何それ、すごくない?」

「え、ニコさすがね! 道見つかったのね」

「そんなことよりそれ何!?」

「ああ、これね」

 ルーが持っていたのは、一見すると惑星儀にレンズをつけたような機械だった。ニコも知る大陸の地図が、くすんでいるが描かれている。

 土台部分には龍のリリーフが掘られており、『神聖なる始祖の龍は、この地に眠る』という魔女文字が掘られていた。

「説明するより実際にやって見せたほうが早いわね。こっちに来てちょうだい」

 二人は教会の屋上にある小さな広場に上がった。遮るものもなく、日当たりが良い。ルーは機械を地面に置くと、レンズを太陽に向けた。惑星儀に光点が現れる。

 そして横に取り付けられたゼンマイを回すと、惑星儀の土台に据え付けてあったダイアルを今日の日付に合わせた。

「行くわよ」

 そう言ってスイッチを入れる。すると、惑星儀がぐるぐると縦横に動き出した。光点が大陸のあちこちを指し示す。やがて、動きが止まった。

 光点は北方山脈の北端を指していた。

「この光の点は、今始祖龍がどこにいるのかを表してるわ」

 そう言って、ルーは一枚の地図を広げた。

「それは?」

「北方山脈の中にある、魔女教会の関連施設の場所を記した古地図よ。初日にも見たでしょう?」

「ああ、あれ。あの印、そう言う意味だったんだ」

「光点はだいたいここの神殿を指しているを思われるわ」

 ルーが指さしたのは、山脈の北端、オーサ火山山頂の神殿だった。

「惑星儀によると、始祖龍はここ二か月ほどこの神殿に留まってる。今向かえば、何とかここで奴と会えるはずよ」

 ルーは地図を懐にしまった。

「大方ギルドの連中も、この惑星儀を手に入れたのでしょう。でも地図は手に入らなかったから、北方山脈をしらみつぶしに探すしかなかったんだわ」

「なるほどねぇ」

 ニコは感心して頷いてから、改めて惑星儀を見つめた。

「それにしても、こんな機械があったんだ……」

「私も初めて聞いたわ。おそらく、現代の技術じゃ再現は無理ね。古代の魔女文明が優れていた証左でもあるわ」

「なんで山奥に引っ込んじゃったのか……」

「自然とともに生きるのが魔女の掟なんでしょ? こんなに精巧な機械を作る技術があったのに」

 屋上の扉が、勢いよく開かれた。息を切らして現れたのはリンゴだった。

「に、ニコ姐さん!」

「ん? どーしたのリンゴ」

 その時、一本の矢が二人とリンゴの間に飛んでくる。それを合図に、雨のように矢が飛んできた。

「敵襲っす!」

「わかった!」

「ああもう!」

 ニコとルーは屋内に転がり込んだ。もちろん、惑星儀を持っていくことは忘れなかった。

「しばらく大人しいと思ってたけど、派手に来たもんだねぇ」

 武器を手に右往左往する女たちをしり目に、トーファは煙草をくゆらせていた。

「それにしてはかなりの重武装じゃない? 戦争でもしてるの?」

「敵対組織が連合を組んだらしい。数の力で押し切ろうっていう発想さ」

 銃声が響く。爆発音がして、ほこりが降ってきた。

「にしても」

 トーファは飛んできた矢を手に取った。長く、大きな矢じりと硬い羽が付いている。

「こいつはギルド矢じゃないか。魔獣退治用の、かなり強力な奴だよ。チンピラが手に入れるには高価すぎる」

 その言葉に、ニコとルーは気まずそうに顔を見合わせた。

「たぶん、ギルドが裏で手を引いたわね」

「そりゃ何日も同じとこいたらいつかバレるか」

「ギルド連中も本気なんだねぇ。落ち目の連中が良くやるよ」

 トーファは呆れたようにため息をついた。そこに、偵察に出ていたリンゴが戻ってくる。

「連中、やっぱりここを囲んでるだけですぜ」

「妙だね。いつもなら馬鹿みたいに突っ込んでくるのに」

 報告を受けたトーファは、神妙な顔で顎を撫でた。

「数は?」

「五百人ってとこでしょうか」

「ふぅん」

 トーファはニコとルーを睨む。

「どう読む?」

「参謀がいるわね」

 ルーがすぐさま返した。

「奴らの目的はきっと、ここを取り囲んで私たちを外に出さないようにすることじゃないかしら」

「なんで? 何か意味あるの?」

「今までは、私たちを殺したり、制御下に置くことを目指していた。その対応が変わったということは、おそらくギルド連中の状況も変わったという事よ」

「どう変わったとみる、ルー」

 トーファの問いに、ルーは少し考え込んでから答えた。

「……私たちの動きさえ封じておけば目的を達成できる段階。おそらく、始祖龍を手に入れる具体的な計画が整ったという事ね」

「じゃあ急いで出発しないと、奴らに先を越されるじゃん!」

 ニコが叫ぶ。それに対しトーファが笑う。

「なら、地下墳墓から抜け出せばいい。そこからなら、うまく奴らを撒けるだろう」

「でも、そうしたらここは」

 ルーが窓の外を見た。教会に通じる道は、すべてバリケードで封鎖され、向こうからは銃や矢を構えた男たちの姿が見えた。

「なに。何日かぐらい耐えてみせるよ。どうせ甲斐性のない連中だ。三日もすれば飽きて撤退するさ」

「…………」

 ニコもじっと外を見る。ルーは顔をしかめて悩んでいたが、やがて絞り出すように言った。

「ニコ、仕方ないわ。ここはトーファの好意に甘えて先に」

「……なんかヤダ」

 ルーの言葉を、ニコは遮った。

「わたしが、こいつらにわたしたちがしっぽ撒いて逃げるなんて、ヤダ」

「ニコ」

「それに、この連中がここに来たのはわたしたちのせいでしょ。なら、わたしたちで何とかしたい」

「……珍しいわね、ニコがそんなこと言うなんて」

「ルーだって、わたしのために先に行こうって言ってくれたんでしょ」

 ルーは少しだけ顔を赤くした。

「ま、まあ。あなたは始祖龍にこだわってたし」

「ありがと。でも本当は、ここの人たちを助けたいって思ってるんじゃない」

「それは……」

「なら、わたしはルーのために提案する」

 ニコはルーの手を握った。

「あの男たち、ギッタギタにしよう!」



 割の良い仕事だと、男は思っていた。

 貧民街のギャンググループを率いる自分に『トーファ団襲撃の依頼』が舞い込んできたのは、つい昨晩のことだ。

 話を持ち掛けてきたのは、普段は対立している他のグループ。普段なら一蹴するところだが、『依頼料』の多さに魅かれつい頷いてしまった。

 不思議に思ったのは、ただトーファ団を襲撃し、そこにかくまわれた女二人を連れ去るだけで、男の十年分の収入にあたる報酬が約束されたという点だ。

 その半分はすでに男の懐に納められ、グループの仲間と盛大な前祝を行った。

 襲撃の武器まで提供され、まさに至れり尽くせりの待遇だ。そんな大金を持っている人間は、この町にはいない。つまり外から来た何かしらによる依頼だ。

だが男は、顔の見えないその依頼者が、何を目的に、どんな理由でそれを求めているのか想像もつかなかった。

「聞かない、知らない、調べない、か」

 男は呟く。怪しい話に突っ込むことは身を亡ぼす。今はただ、金の勘定をすればいいのだ。

 トーファ団は女だけの集団。にもかかわらず、優れた戦術で、いつも男たちは翻弄されていた。城を取られてからは、包囲してもいつの間にか背後を取られているなど、神出鬼没な動きに磨きがかかっている。

 だが今日は、数千人を引き連れての襲撃だ。奇襲の対策も万全である。依頼にかこつけて、煮え湯を飲まされ続けたトーファ団の連中に一矢報いれるかと思うと、男の胸も弾んだ。

 そう考えてきた時、空から人が降ってきた。

「え?」

「きゅえ」

 男の部下だ。変な声を出したかと思うと、そのまま伸びてしまう。

「なんだ?」

 男が振り返ると、後ろを囲んでいたはずの部下たちが、まるで集めたごみのように倒れ、山積みにされていた。

「……なんだぁ!?」

「あ、おじさん」

 視線を足元に卸すと、幼く見える少女がいた。あまりに場違いで、男の頭が混乱する。

「痛くはしないから、しばらく寝ててね」

 そう言われた瞬間、自分の身体が空を舞った。

 少女に吹き飛ばされた、と気が付いた時には、日も暮れあたりには誰もいなくなっていたのだった。



「相変わらず出鱈目みたいな強さね……」

「姐さんはあんな調子で地下墳墓の魔獣もちぎっては投げ千切っては投げで……」

 ニコが一人で数百人の男たちを倒している様子を、ルーとリンゴは地下墳墓の出入り口から遠巻きに見守っていた。

「こんな入口がいくつもあるの?」

「そうっす。大体は祠とかに偽装されてて、見つけるのは難しいっすね」

「これで背後を取ってたのね。考えたものだわ」

「ただいまー」

 血まみれになったニコが帰ってきた。すべて返り血だった。



 その日の晩。月は雲に隠れて見えない。普段よりも暗い夜だった。

「色々ありがとねぇ」

「代金は必ず払うわ」

「別に良いよ。こっちもお礼みたいなもんだから」

 旅支度を整えたニコとルーに、トーファは笑って首を振った。トーファは当座の食料に路銀や道具などを揃えてくれたのだ。

 服装も着たきりになっていたワンピースから、旅用の革のジャケットとパンツに着替えている。背中にはリュックサックを背負い、武器として剣を携えていた。

 おかげで、二人は万全の態勢で出発することが出来たのだ。

「よく手に入ったわね」

 ルーが感心すると、トーファはいたずらっぽく微笑んだ。

「ここは金さえあれば何でも手に入る。……だいたい金がないだけさ」

「よかったの? 私たちに使っちゃって」

 ルーは申し訳なさそうに言う。

「いいっていいって。だいたい、この金はニコが倒した魔獣と、ルーが見つけた宝を換金した金なんだから。礼を言うのはこっちだよ」

「おかげで久しぶりに肉が食える!」

 リンゴも笑う。トーファはその様子を微笑ましく見つめると、改めてニコとルーに対し頭を下げた。

「昼間はありがとね。これでしばらく連中も大人しいでしょ」

「ボッコボコにしたからねぇ。ひっしぶりにしっかり暴れた気がする」

「魔獣退治は暴れたうちに入らねえのか……」

 満足げなニコにリンゴは青ざめる。ルーはその様子をしり目に、トーファに言った。

「魔獣の素材と貴金属は解体したうえで、それぞれ別の場所に流したから、足が付くことはないはずよ。手に入れた金は必ずトーファが一人で管理しなさい。行方知れずになれば、仲間割れになりかねないわ」

「はいよ。にしても、ルーは慣れた手つきだったねぇ」

「……昔、こんな場所に住んでたわ。私は仲間と集まって商売をしてたのよ。金を持ち逃げされて解散したけど」

「ふぅん……」

 トーファは興味深げにルーの話に耳を傾ける。ルーは少し居心地が悪そうに眼を逸らした。

「金は大事よ。人を狂わせるぐらいに。だから、大金は慎重に扱わないと身を亡ぼすわ。気を付けてね。せっかくいい仲間たちなんだから」

「はいよ。忠告ありがとう」

トーファはひらひらと手を振った。

「また話がしたい。落ち着いたらいつでも遊びに来な」

「そっちこそ。みんなで遊びにきてね」

「ケーキを焼いておくわ」

 ニコとルーはそれぞれ別れの挨拶をすると、女神像から地下に潜った。

 トーファが入り口を閉め、すぐに静かになる。魔鋼による光だけが、静かに地下墳墓を照らしていた。

 ニコはすたすたと歩き始め、ルーがその後に続く。

「このまま街の北側に出られるんでしょう?」

 ルーの声が響いた。

「そう。関所を超えた先にある、鍾乳洞に通じてるんだ。そのまま山脈に入って行ける」

「好都合ね。なるべく急ぎたいわ。きっとギルドの連中も始祖龍がどこに現れるか把握しているでしょうし」

 ルーは厳しい表情で言う。

「目的地はかなり険しい山奥だから、ステラと言えども人間には簡単には進めないはず。魔女のあなたが頼りよ」

「了解した!」

 ニコは威勢よく叫んだ。



 しばらく進むと、手彫りの壁は自然の岩に変わった。整備された墳墓から、洞窟へと入ったらしい。照明もなくなり、ニコは魔鋼動力の懐中灯を灯す。

「もう少しで外に出るよ。ルー、大丈夫?」

「ええ。これぐらい平気よ」

 足場が悪い中、ルーは少し遅れていた。

 一時間ほどして、ようやく風が吹き込んできた。やがて周囲がぼんやりと明るくなり、鳥や虫の声が聞こえてくる。

「出口ね」

 洞窟の出口は、人一人がどうにか通れるような狭い隙間だった。

 外に出ると、人の手が加えられていない森の中。雲が晴れ、月が出ていたおかげで、暗闇に慣れた目には十分すぎるほど明るかった。

「朝までには山に入りたいわね。ここは街道も近いし、なるべく一目は避けたいわ」

「わかった。じゃあ、はい」

 ニコは足を止めて腰をかがめた。突然の奇行に、ルーは首を傾げる。

「何?」

「おんぶ」

「は?」

 ニコの言葉に、ルーは思わず叫んだ。だがニコは悪びれなくいう。

「多分、私がルーをおぶって言った方が早いでしょ? 暗いし、道もないし、ルーには危ないよ?」

 ルーは視線を宙にさ迷わせる。だがニコの提案に反論できるものがないことを悟ると、あきらめたように彼女の背中にまたがった。

「お願いするわ、ニコ」

「お願いされた!」

 ニコは軽々と立ち上がると、そのまま駆けだした。

「重くない?」

「全然。むしろ軽すぎ。ちゃんと食べたほうがいいよ」

「そう。じゃあ事が終わったらステーキにでもかぶりつこうかしら」

「それは素敵」

 ルーはニコの背中にピタリを頭をつけた。

「……全然平気そうね」

「そう?」

「心音がいつもと変わらないわ」

「魔女だからね」

「でも、心臓の音がする」

「…………。そうだね」

 ゆっくりと、だが力強い心音を、ルーは聞いていた。

 夜の森が風のように流れていく。倒木や岩を飛びはねながら、ニコはルーを背負い進んでいく。

「ルー、何か面白い話してよ。暗いし退屈」

「無茶を言うわね」

 ルーは渋い顔をするが、すぐに口を開いた。

「トーファと一緒にいると、あなたと出会ったときのことを思い出したわ」

「……なんで?」

「あんな貧民街だったじゃない。私とあなたが初めて会ったのは」

「そうだっけ」

「そうよ」

 懐かしむように、ルーは目を閉じた。

「私は商売をやった仲間から追い出されて、路地で途方に暮れてたわ。そしたら、迷い込んできたケンザンネズミに襲われて、死にかけてたところを助けてもらったのよ」

 ケンザンネズミは体中に鋭い針を持つ、獰猛な魔獣だ。縄張りを求めて街に入り込むことがある。そんな一匹に、幼いルーは襲われた。

「ケンザンネズミはよくいる奴だからね。あんまり覚えてない」

「そう? あなたったら倒した瞬間お腹を裂いて、中身を目を輝かせながら観察し始めたのよ。あれは忘れられないわ」

 襲われていたルーのことなど眼中にないようで、ニコは夢中になって魔獣を解体していた。

 ルーはしばらく呆気に取られてそれを見ていたが、やがて声をかけた。

「『それ、いらないならちょうだい』なんて初めて言われたな、わたしは」

「なんだ、覚えてるじゃない」

「血まみれの魔女に声をかける女の子なんて、忘れられるわけないじゃん」

「あの時は魔女だなんて知らなかったわ。めちゃくちゃ強いヤバい女ぐらいにしか思わなかったもの」

「……ルー、それ今も思ってるでしょ」

「そうね」

 ルーには商才があった。

 その日暮らしの人間が多い貧民街でその才能を開花させ、周囲の人間を誘って商売を始め成功を収めたのだ。

 しかし大金が手に入ると、周囲の人間はルーを疎むようになる。幼かった彼女を排除して、金をすべて手に入れようとしたのだ。

 ある日、仲間の一人が金を持ち逃げしたことをきっかけに、ルーはその責任を背負わされ、排除された。

 途方に暮れているところで出会ったのが、ニコだったのだ。

「ニコったら、魔獣の素材があるのに『こんなのどうするの?』って聞いたでしょ。それこそ信じられなかったわ」

「金儲けには興味なかったからね。別に食べなくても死なない身体だから、お金が必要になる機会も少なかったし」

 ルーは面白がって笑い、ニコは少し照れくさそうに鼻を鳴らした。

「……変わった奴だとは思ってたけど、本当に変な奴だったわね、あなたは」

 ルーはしみじみと呟いた。

「降りる? 降りるか?」

「事実を言ったまでよ」

 おどけるニコに、ルーはぴしゃりと言う。

「ねえ、ニコ」

 ルーは、ニコの耳元に口を寄せた。

「あなたは、どうして魔獣が好きなの?」

「……なんで急に?」

「ずっと、あなたには必要以上に干渉しないつもりだった。仕事相手、ぐらいのつもりでいたわ。でも」

 ルーは一瞬だけ言葉を詰まらせる。

「……でも、それだけじゃ、なんだか……、その」

「寂しくなった。違う?」

 ニコが言った。ルーは少し迷ったが、小さく頷く。

「……そう。そうよ」

「そっか」

「あなたには、迷惑かもしれないけど。あなたのことがもっと知りたいって、思ったの。色々あったせいかしら」

「たぶんそうだろうねぇ」

 ニコはそう言って、しばらく黙った。

 風を切る音だけが、二人の耳に届く。

「わたしはね」

 しばらくして、ニコが再び口を開いた。

「寂しかったんだよ、ずっと」

「寂しかった?」

「そう。わたしは人間と違って、眠らなくてもいい。食事もいらないし、水だって飲まなくても生きていける。呼吸をする必要だって、本来はない。人間とは全く別の、生き物と言ってもいいのかわからない存在」

 だけどね、とニコは続ける。

「魔女はさ、人間とは交わらないように暮らしてるけど、生活様式は人間と一緒なの。小さいときはなんで必要もないことするのか不思議で、バカらしくて、だから魔女の村から抜け出したんだ。だけど」

 ニコは遠くを見た。

「人間社会に出て、自分がいかに異質な存在なのかを思い知って、怖くなって、寂しくなった。だから自分が、『魔獣』という存在がどこから来たのかを知りたいと思ったんだ。そうすれば、寂しくなくなると思ったから」

「……貴女が人間の真似をしてるのも?」

「そうすると、少し寂しくなくなる気がしたから。バカバカしいよね」

 そう言って、ため息をついた。

「調べれば調べるほど、魔獣は異質だった。ルーは進化論は知ってる?」

「……生物は環境に応じて姿形を変えてきたっていう奴?」

「そう。そうやって少しづつ姿を変えていって、適応した生き物が生き残って、そうじゃない奴は絶滅する。化石って言って、昔生きていた生物の骨から、今じゃいなくなった生き物の存在も明らかになってる」

 ニコの声は、少しだけ沈んでいた。駆ける速度も、心なしか落ちる。

「魔獣だけは、その進化の外にある。ある日突然、様々な種類が何もないところから現れたみたいに。……結局百年かかっても、魔獣は特異な存在だってことしか、わたしはわからなかった」

「それで、始祖龍を」

「うん。『すべての魔獣の母』っていう伝承が事実なら、わたしたちがどこから来たのかがわかる手掛かりがあるはず。だから、調べたい。その体を」

 ニコは再び前を向く。森を抜け、二人は月夜の草原に入った。草のざわめきが耳を覆う。

「……ねえ、ニコ」

「なに」

「あなたが、魔獣がどこから来た、どんな存在のものなのかなんて、私には想像もつかない。だけどね」

 ルーは腕に少しだけ力を込めた。

「あなたはここにいるし、温かいし、心臓もちゃんと動いてる。それは、私が保証してあげる。あなたはずっと、ここにいるわ」

「……ありがと」

 ニコは短く小さく呟いた。



 一晩中駆け抜けたおかげで、翌朝には北方山脈の山中にたどり着いた。

 緑はまだ見えず、黒い岩肌と、ところどころに残った白い雪だけが世界を構成している。空は鉛色の雲が、低く垂れこめていた。

「この調子なら、明後日の朝にはたどり着けるわね」

 ルーは地図を見る。

「ギルドより先に着けるかな」

「あなた、アシハヤドリの早駆けより速かったわよ。私たちより先に出ていたとしても、きっと追いつけるわ」

 もうしばらく進んだのち、谷間を流れる沢で、二人は休息を取っていた。ニコは沢に飛び込み、筋肉や魔鋼を冷やしている。ルーはその間、見張りがてら大きな岩の上で食事をとっていた。

「ニコは大丈夫?」

「任せて! 体も温まっていい感じ」

 ニコの身体からは湯気が立ち上っている。顔も赤く上気していたが、息切れはしていなかった。

「あまり無理はしないでね。あなたが頼りなんだから」

「わかったわかった」

 ニコは適当な返事をして、再び水の中に潜る。

 ルーはふと周りを見回した。視界の端で、何か妙な気配を感じたからだ。

 だが辺りには、魔獣はもちろん小鳥の気配すらない。しばらくきょろきょろとしていたが、

「ねえ、ニコ……」

 その時、銃声が谷に響いた。



「っ!?」

 音を聞いたニコは、反射的に顔を上げる。

「……ルーっ!」

 目の前で、ルーが血を流して岩から転がり落ちていた。

「ルー!」

 近づこうと立ち上がる。だがすぐに、ルーのすぐそばで銃弾が跳ねた。

「……クソっ!」

 ニコは動けないことを悟る。

「良い判断ね」

 老婆の声がした。

「動くと、次はその黒髪が爆ぜるわ。顔は綺麗なままが良いでしょう?」

「誰だてめえ!」

「私に向かって誰とは。無礼にもほどがあるわね」

 黒のジャケットにマントというギルドの制服を着た老婆だった。背は高く、背筋もまっすぐと伸びている。白髪で顔は皴が多いが、利発な顔つきだった。

「ステラ……!」

 その横にライフルを構えるステラの姿もある。銃口からは紫煙が上っていた。

 ステラは銃口をまっすぐルーに向けたまま、短く言った。

「この方は連合ギルド北方支部のギルド長、アルエーラ・ジャベン様だ」

「……今までさんざんわたしらを殺そうとしたのもお前だな」

 ニコが睨む。アルエーラはすました顔で頷いた。

「そうよ」

「なんでだ」

「邪魔だったからよ」

 それから、続ける。

「でも事情が変わったわ。私たちに協力しなさい」

「誰が」

「しなさいと言ったわ。二度は言わない」

 アルエーラは小さく手を振り下ろす。ステラは発砲した。

「きゃっ!」

 ルーの足から鮮血が噴き出る。

「ルーっ!?」

「協力しなければ、今この場で黒髪の女を殺す。協力するのなら、見逃してあげるわ」

「ニコ……、わ、私のことは」

「わかった」

 ニコは唇をかんだ。

「協力する。だから、ルーは助けて」

「ステラ、彼女に治療を」

「わかりました」

 アルエーラがそう指示し、ステラがルーに近寄った。

「妙な気は起こさないでちょうだいね、ニコ・ウル・コルテッカ」

「……ああ」

 銃を構えたギルド騎士団の騎士たちが、ぐるりと二人を囲んでいた。

「わたしの鎌……」

 そのうちの一人は、ニコの白い鎌を持っていた。ニコは悔しそうにそれを睨んだ。

 そんなニコに、アルエーラは興味もなさげに言った。

「言うことを聞かなければ、最初に死ぬのは黒髪の方」

「ルーだ」

「私は必要のないことを覚えるのは苦手なの、ニコ・ウル・コルテッカ」

「……わたしに何を求める」

「まずは道案内をしなさい。始祖の神殿まで」



 崖沿いの険しい山道を十人ほどの集団が一列になって進んでいた。

 先頭はニコ。その後ろに、ライフルをニコに合わせたステラが歩く。

 ルーは担架に乗せられていた。撃たれた腹と足は包帯が巻かれたが、すでに血がにじんでいる。そんな彼女にも、アルエーラは部下に銃を突きつけさせるのを忘れなかった。

 アルエーラは籠に乗り、つまらなさそうに山肌を見つめていた。

 太陽がようやく顔を出し、あたりを照らしている。時折トンビの鳴き声がする以外は、静かで穏やかな道のりだった。

「本当に魔獣はいないのか」

 道中、ステラは信じられないと言った様子で、ニコに尋ねた。

「いない」

 ニコはぶっきらぼうに答える。

「この辺りは魔獣の巣窟だ。普通の冒険者は近づこうともしない」

「……最初に始祖龍にあったときも、魔獣は全くいなくなってた。もしかしたら、始祖龍は魔獣を遠ざけてるのかもしれない」

「貴様は何もないのか」

 ステラの問いに、ニコは黙る。

「……別に」

 そう言って、ニコはそっぽを向く。

「そうか」

 ステラはそう言って、ニコをライフルでつついた。

「先を急げ。我々の情報では、始祖龍が神殿にいる期間は間もなく終わる」

「……はいはい」

 ニコはちらりと後ろを振り向いた。

「どうした」

「ルーは無事?」

「……熱が出ている。先ほど薬を塗りこんだ」

「無事かどうか聞いてるんだけど」

「……傷が化膿しかけている」

「…………」

 ニコは歯を食いしばる。

「何をしているの!」

 アルエーラの怒声が飛んだ。

「……アルエーラ様がお怒りだ。ここで留まることは貴様のためにならんぞ。……ルーのためにも」

「……わかった」

 道のりは長かった。

 村どころか人家もまるでない。にもかかわらず、舗装されたかのように状態の良い道が、続いていた。

「古代人は優れた技術を持っていたようですが、この道もそうなのでしょうね」

 休憩中、アルエーラが興味深げに地面を撫でる。すぐさま付き人が布を差し出し、アルエーラはそれで手を拭った。

「整備の必要がない道とは……。今までギルドでもいくつか確認していましたが、まさかこれほどまでに優れているとは。この技術があれば、我々の権威もさらに盤石になるというのに」

 そう口惜しそうに行って、アルエーラは悔しそうに道を睨んだ。

「ルー。大丈夫?」

 ニコは担架に寝かせられたままのルーに、水を飲ませようとしていた。だが意識がもうろうしているルーは、うまく飲み込むことが出来ない。水稲の水はぽたぽたと地面にこぼれてしまった。

「ごめんなさい……」

「……布に染み込ませて吸わせろ」

 ステラはそう言って、布切れを渡した。ニコはひと睨みした後、黙ってそれを受け取る。

 布を水に浸すと、ニコはそれをルーの口元に持って行った。ルーは力なくそれを吸い始めた。

「……ありがと」

「喋らなくていいよ、ルー」

「意外と、優しいのね」

「失礼だな。わたしのことなんだと思ってるの」

 ニコはそう笑って、ルーの頭を撫でた。

「それは……、私の、大切な……」

 ルーの口はかすかに動いたが、声が出ることはなかった。ニコは口元に指を持っていく。か弱いが、呼吸はしていた。

「……ルー」

「貴様は、ルーがそんなに大切なのか」

 その様子を見ていたステラが、ふと尋ねた。ニコは顔も上げずに答える。

「お前に言う義理はない」

「……そうか」

 ステラは短く言う。

「魔女は、人間個人には関心がないものだと思っていた。人の文化を模倣はするが、寿命も生態もまるで違う生き物だ。そこまで個人に熱心になる魔女など、私は初めて見た」

「うるさい。わたしは魔女落第なんだよ」

「そうなんだな」

 ステラはニコの背後から手を差し出した。ニコは一瞬警戒したが、すぐに布のことを思い出し、濡れたそれを彼女に放り投げる。

「水が飲めるならまだ平気だ。なるべく早くことを終わらそう」

 ステラはその布を懐にしまう。

「わたしは、あんたが何考えてるのかの方がよくわかんないんだけど」

「私は自分の職務を全うしているだけだ」

「……なんで始祖龍を狙う」

 ニコが尋ねた。

「答える義理はない、とでも言っておこうか」

 ステラはそう言ってから、声を潜めた。

「ギルドの時代を守るためだ」

「は?」

 ニコが眉を顰める。ステラはその反応をよしうしていたかのように、鼻を鳴らした。

「世界は、急速に変化している。内燃機関がこのまま発達していけば、魔鋼機関は衰退し、やがて滅ぶだろう。そうなれば、ギルドの権力も失われる」

 ステラは足元に転がっていた石を投げた。

「アルエーラ様はそれを憂慮されている。ギルドが倒れ世界が乱れることのないよう、すべての魔獣の祖と呼ばれる始祖龍を支配し、そこから得られるであろう莫大な魔鋼を手中に収めようとされているのだ」

「はぁ!?」

「始祖龍は魔獣を、つまり魔鋼を生み出すことが出来る。人工魔鋼をいくらでも生み出すことが出来れば、ギルド、ひいてはアルエーラ様のお力はまずます盤石になり、人類の文明も発達するだろうとのお考えだ」

「何それ。結局権力のためじゃん。ステラはなんでそんなのに」

「答える義理はない」

 そう言って、ステラは空を見上げた。

「出発だ。立て」

 それから一晩かけて、一向は山中を進んだ。道は途切れることなく続いてた。雑草一つ茂ることなく、崩れている個所もなかった。

 標高も高くなり、雲がはるか下に見える。空の青は深い藍色に代わり、遮るものは見えなくなっていった。

「着いた」

 門代わりの二本の鉄柱の奥。開けた土地に、白くつるりとした材質で建設された、直方体の建物があった。装飾の類は何もなく、太陽の光をわずかに反射している。

 周囲は噴気が上がっており、時折硫黄の匂いが漂っている。そんな場所にあるにも関わらう、神殿に劣化した様子は見えなかった。

「あれでいいんだよね」

「そうだ」

 ステラは籠を開けた。

「アルエーラ様、到着致しました」

「ずいぶんかかったわね」

 アルエーラは文句とともに籠を降り、神殿を見るなり目を細めた。

「あれが始祖の神殿……。本当にあったのね」

「参りますか?」

「あたりまえでしょう。ついてきなさい」

 そしてアルエーラはニコに向かって命じる。

「お前、先頭を行きなさい。妙な真似をしたら黒髪は殺します」

「……わかった」

 ニコは頷く。

「ちょっと」

 その時、ルーが担架から体を起こした。

「棒か何かを彼女に渡しなさい。ニコがさっさと死んでもいいなら別にいいけど」

 騎士たちはステラの元に集まる。しばらく話し合った末、ステラがライフルを差し出した。

「弾は抜いてある。撃発も弾倉も取った。こいつはただの棒だ」

「これはどうも」

 ニコはライフルがステラの言葉通り、ただの棒であることを確認すると、銃身を握って、ストックで地面を叩いた。

「うん、ちょうど良さそうだ。何か叩けばいいの?」

「ええ。その道の端を」

 ルーに言われた通り、ニコは道の端を思いきり叩いた。舗装が割れる。光の届かない暗闇が隙間から顔を覗かせた。

「ふらふら歩くと死ぬわよ」

「まっすぐ歩けってことかな? 死にたくなかったらぴったり後ろ歩いてきて。あと」

 ニコはステラをじろりとにらんだ。

「ルーに何かあったら、その時点で全員殺す」

「……早く進め」

 ステラに促され、ニコはゆっくりと進みだした。

 ニコたちは一列になって進んだ。罠を警戒しながら進んだおかげで、かなり時間がかかってしまった。小一時間ほどかかって。入口に到達する。

「近くだと大きいね」

 ニコは神殿を見上げた。

 巨大な直方体の中心にに、入り口とらしき大きな穴が綺麗な四角形に開けられていた。大型の乗合馬車でも、そのまま入り込めそうな大きさだ。

 建物の材質は不明だが、近くに寄ると淡く光っているように見える。照明がないにも関わらず、長い廊下が良く見えた。そして相変わらず、壁画や文字、装飾は何もなかった。

「継ぎ目がない。一枚岩なのかな?」

「どうでもよいことよ、早く行きなさい」

 壁に触れていたニコを、アルエーラが急かす。ニコはちらりとルーを見たが、意識を失っていたため、すぐに前を向いた。

「……何もないとはいえ」

 ニコは途中拾った舗装のかけらを廊下の奥に向かって思いきり投げる。すると、廊下の壁の一部がせり出しだ。まるで生地からパスタを絞り出すように、細い棒状になって次々と廊下を塞いでいく。

「な、なんだこれは」

「侵入者を拒む罠かな? どういう原理なんだろ」

 棒はニコが投げた破片の軌跡に沿って出現し、最終的に反対側の壁へと破片を押しつぶしていた。

「さてどうしたものか」

 ニコがうなっていると、廊下は何事もなかったかのように元に戻る。

「……そもそもこれは何のための罠なんだ?」

 ニコは廊下に入るか入らないかの位置まで進むと、そっとしゃがみ込む。

 床は壁と同じ素材のようで、傷一つない。

「……ふぅん」

 ニコは再びポケットに手を突っ込み、その位置から破片を廊下に向かって投げた。壁一部が先ほどのように棒状にせり出し、破片を押しつぶす。だがそれを見て、ニコは唇を持ちあげた。

「そーゆうこと」

 そう言って立ち上がると、そのまま一歩を踏み出した。

「おい!」

 ステラが呼び止める。だが、壁はまったく動かなかった。

「みんなも来なよ」

 ニコは途中まで歩き、くるりと振り替えた。

 騎士たちはおそるおそる一歩を踏み出す。壁は何の反応も示さなかった。

「どういうことだ」

 ステラがおそるおそる近づきながら尋ねる。ニコは少しだけ笑って答えた。

「これ、たぶん掃除をするだけなんだよ」

「掃除?」

「非生物にだけ反応して、除去する機能。その証拠に、押しつぶされたはずの石の破片がない」

 ニコは床を指さした。そこには塵一つ残っていなかった。

「生き物だったら、ここは突破できるんだ」

「……なぜ」

「生き物を通す必要があるから、かな?」

 長いと感じた廊下は、案外すぐに終わった。ニコたちは神殿の中庭らしき場所に出る。

 広さはどの街にもあるような中央広場と同じ程度。つまりかなり広い。四方を壁に囲まれ、床も相変わらず謎の建材で舗装されて雑草一つ生えていない。天井だけが取っ払われ、藍色の空が一行を見下ろしていた。

 反対側には再び廊下の入口がある。

「ここにも何かあるのか?」

「どうだろうね」

 ニコはライフルで床をつつく。特に異常はない。そのままゆっくりと先に進んだ。

「……何のために作った?」

 ニコは再び自問した。

 始祖龍の出現を予想出来た文明が、ここにわざわざ作った施設。

「巣か」

「何?」

 ステラが首をひねった。ニコは同じ言葉を繰り返す。

「始祖龍の巣なんじゃないかな、ここ」

「人間が作ったわけではないということか」

「まあ、巣箱的なやつかもしれないけど。そもそもここは祈りをささげるような場じゃない。もっと実用的な目的のためにあるように見える。つまり奴の家として作られたんじゃないかってこと」

「じゃああの罠は」

「簡単に始祖龍に近づけさせないため、かな? そのわりにはこの中は罠がほとんどない。矛盾した意思を感じる」

「巣だろうが何だろうが、どうでも良いです。ここに始祖龍が来るかどうかが大切なのですから」

 アルエーラはニコの言葉を一蹴する。

「つまらないことに時間をかけていないで、早く先に進みなさい」

「……ロマンのわからん婆さんだこと」

 ニコはぼそりと呟く。そして先にあった廊下の入口を見つめてから、足を止めた。

「どうしたの」

「ちょっと先には進めなさそう」

「何を言って」

 アルエーラが青筋を立てた瞬間、ステラがライフルを構えた。ニコも剣のようにライフルの銃身を握る。

「来るよ」

「魔獣です」

「なっ……」

 奥の廊下から、魔獣の大群が現れた。

 ニコは目を見開く。

「……見たことないやつだ。何あれ」

 魔獣はオレンジ色の体色をした鳥だった。体高は3レテム、全長は4レテムほど。ずんぐりとした体形で、飛行は苦手そうだ。

 群れは百匹近くで、廊下を埋め尽くしていた。先頭の一団が、後ろから追い当てられるように、中庭へと出てくる。

「魔獣は詳しいんじゃなかったのか」

 ステラがニコを責める。ニコは興奮と困惑が混じった表情で、その魔獣を見ていた。

「あんなの、見た事も聞いたこともない。鳥の魔獣は基本的に南の方にしかいない。北方山脈にいる奴なんて、どこの本にも載ってなかったし、見たこともない」

 魔獣の集団はようやくニコたちに気が付いたようだった。黒い、感情の読めない瞳を向けてくる。

 そして、鳴き声を上げると波のように向かってきた。地響きが響く。

「く……。構えっ!」

 ステラが叫ぶと、騎士たちがライフルを構えた。

「撃てっ!」

 騎士たちが一斉に発砲する。命中し、血を出して足を取られる個体もいたが、魔獣の群れは止まらない。

「君らどういう子たちなの?」

 ニコはそう言って飛び上がると、ライフルを思いきり魔獣の横っ面にたたきつけた。頭蓋骨が砕かれたのか、顔をひしゃげながら倒れる。代わりにニコのライフルも、木製のストックが砕け散り、鉄の銃身が曲がった。

「やっぱもろいな。ステラ私の鎌返せ!」

「……鎌を渡せ!」

 騎士が鎌を差し出した。ニコはそれを乱暴に奪い取ると、そのままの勢いで魔獣たちの首を刈り取る。

「やっぱり手になじむ!」

 魔獣たちの集団に突っ込むと、そのまま八つ裂きにしていく。

「このままいくぞ! 全員走れ!」

 ニコは後ろに向かって叫んだ。

「わたしが道を作る! 生きたきゃ続け!」

 そう言って文字通り、魔獣を吹き飛ばして道を作った。騎士たちもそれに続く。

「おらあああああ!」

 羽毛と血が、雪と雨のように飛び散る中、ニコたちは突き進んだ。

 廊下に入ると同時に魔獣の群れを抜ける。

 ニコは振り返って一度外に出ると、数体の魔獣を切りつける。そしてその死体で入口を塞いだ。

「これでしばらく大丈夫なはず」

 上のわずかな隙間から顔を覗かせたニコは、そのまま魔獣の体を滑るようにして戻ってくる。

「にしても、こんなところで新種の魔獣の群れが現れるなんて……」

「我々を寄せ付けないための罠としてここにいた、ということでは?」

 アルエーラの問いに、ニコは首を横に振る。

「それだったら三頭犬とか土人形とか、もっとふさわしい戦闘能力の高い魔獣を選べばいい。あの魔獣は初めて見たけど、見たところさほど戦いに特化しているってわけじゃなさそう」

「突破した今となっては関係のない話でしょう。行きなさい」

「…………」

 ニコは考え込みながらも、アルエーラの指示に従って前を歩き始めた。

 次の廊下も相変わらず殺風景で、特に罠らしきものはなかった。大量の魔獣が出てきたにもかかわらず、床も壁も傷一つない。

 しばらく進むと、今度は大きな部屋に出た。講堂程度の広さで、今度は天井がある。部屋の中央には大きな柱があり、その奥には再び廊下の入口があった。

「なんだこれ」

 ニコは一応警戒しながら柱へと近づく。つるりとした白い柱だ。建物と同じ建材らしい。凹凸や切れ目はどこにもない。

 遠くから異常がないことを確認すると、ニコはそっと柱に近づいた。

 その瞬間、柱が赤く光った。

「ああああああああ!!」

 それと同時に、ニコを激痛と熱が襲った。鎌を落とす。断末魔を上げて体を抱え込みながら倒れる。

「どうした」

 ステラは何もないようだ。不信な表情で恐る恐るニコに近づく。

「身体が……っ!」

 ニコははいずって柱から距離を取る。部屋の入口までどうにか戻ると、痛みが治まりようやく息をついた。呼吸は荒れ、額には玉のような汗が浮かんでいた。

 柱の色は元の白に戻っていた。

「なんだ……」

 ステラは柱に触れた。今度は青色に代わった。驚いて手をはなすが、体に異常がないようだ。

「……なんだったんだ」

 ステラは不思議そうに自分の手を見つめる。

「あなたは何事もないようね、ステラ」

 アルエーラは言う。

「おおよそ、魔女に対してだけ反応するような仕掛けがあったのでしょう。行きましょう」

「ニコはどうされますか?」

 ステラが尋ねると、アルエーラはごみを見るかのように倒れ込むニコを見た。

「置いていきなさい。この調子では使い物にはならないでしょうから」

「始祖龍は」

「あなたたちが何とかするというのが最初の計画でしょう。これ以上はくどいですよ?」

「失礼致しました」

「黒髪の女は連れて行きます。傷物でも生贄には十分でしょうから」

 そう言って、アルエーラは騎士たちを歩かせ始める。その途中、ニコの鎌を拾うと、そのまま持って行ってしまった。

「ま、まて……」

 ニコは手を伸ばすが、ステラが一瞥しただけで誰も足を止めることはなかった。

「くっそぉ」

 魔鋼のある位置を押さえながら、ニコは床を殴った。

「魔獣避けか……。始祖龍がやった奴と同じだな」

 そう言って柱を睨む。

「なんでまたそんなものを……。そんなに魔獣を寄せ付けたくないのか……」

 ニコは壁にもたれかかると、腰に下げていた水筒から水を飲む。柱を恨めし気に睨むが、再び前に進もうとする気持ちは起きない。それが悔しく、ニコは再び床を殴った。

「……ルー」

 ニコは反対側の廊下を睨む。すでにルーたちの姿は見えなくなっていた。

「くっそ」

 そう吐き捨てると、ニコは立ち上がった。そして、全速力で反対側へ走る。

 なるべく柱から距離を取る、だが柱の位置を超えた瞬間、再びそれは赤く光った。

「あああああああ!」

 ニコは倒れ込み、のたうち回る。本能的に後ずさり、逃げようと這う。

「ふんっ!」

 ニコは手を噛んだ。血がにじむ。逃げようとする足を止め、踏ん張った。

「こんにゃろがぁ!」

 叫び、一歩前に出た。

「がああああああ!」

 また一歩前に進む。血と汗が混じったものが、体中からにじみ出る。それでもニコは、歩みを止めなかった。

 カタツムリのように遅く、だが確実に前に進む。

 長い時間が過ぎ、ニコは体の痛みが和らいだことに気が付いた。顔を上げると、すでに廊下に入ろうとしているところだった。

「ぬ、抜けた……?」

 ゆっくりと体を起こす。まだ痛んでいるような感覚に陥るが、さっきまでほどではない。

「やった……」

 ニコはぽつりと言うと、先を睨んで走り出した。

「ルー!」

 全力で走ったおかげで、一瞬で廊下は過ぎ去った。

 ニコは外に出ていた。直方体の神殿の裏側のようで、地面は白く舗装されていたが、壁と天井はなくなっていた。中庭の倍以上の広さがある。

 周囲は岩肌に囲まれ、噴気が上がっている。おかげですこし暑かった。

「ルー!」

 ルーを運んでいる騎士団一行は、裏庭の中心にいた。

「こんの!」

 ニコは勢いをつけて走り出し、拳を握りしめる。そのまま騎士たちを殴り飛ばそうと構えたが、出来なかった。

 ズドン、という音とともに、土ぼこりが舞った。

「おお」

 騎士たちの目の前に、始祖龍が姿を現した。音もなく広場全体が陰に覆われる。始祖龍は大地に立って、ニコたちを見下ろしていた。

「いつの間に」

 気配を察知できなかったニコは、呆然と始祖龍を見上げた。

「あら、着いたの」

 アルエーラが興味なさげに呟いた。

「でも遅かったわね」

 そう言って、両手を上げた。

「始祖龍よ。生贄を用意しました!」

 始祖龍は下を向いた。目はないが、顔はアルエーラたちを、そしてその前にあった台に乗せられているルーに寄せられていた。

 始祖龍はしばらくじっと見つめていたが、そのままルーを食べた。

 というよりは、取り込んだ、と言った方が正しい。口を開けるまでもなく、ルーを吸い込んだ。

「っ!」

 アルエーラを除く全員が、目を見開いた。

 ニコは呆然とそれを見つめていた。だがすぐに、拳を握りしめた。

「か、返せ……」

 そして始祖龍に向かって駆けだす。

「ルーを返せっ!」

「案ずるな・心配しないで・大丈夫・無事」

 ルーの声がした。ニコが立ち止まる。

「ルー?」

「この人間・ヒト・女の子・少女・は・こと・案ずるな・心配しないで・大丈夫・無事」

 始祖龍の額に人影が映し出された。やがて影ははっきりとルーの姿が映し出される。

「意思伝達・意思疎通・会話・話し合い・のために・必要・借りる・寄生・ヒト・少女・発声・思考・器官・生体」

 ただ単語を並べただけの文章だったが、おおよその意味をニコは理解した。

「意思疎通のために、ルーの体を借りてるってこと?」

「そう・肯定」

「……そんなことが」

 ニコは信じられないものを見る目で、始祖龍を見上げた。

 額に映し出されたルーは、眠っていた。見たところ、苦しんでいる様子はない。

 始祖龍はアルエーラたちに顔を向けた。騎士たちは後ずさるが、アルエーラは一歩あえに出た。

「人間・人々・なぜ・理由・私・始祖龍・呼ぶ・聞く・求める」

 それに対し、アルエーラは叫ぶ。

「我々に力をお与えください! 魔鋼の輝きを、永遠に文明を照らすものにしてください!」

 始祖龍は頷いた。

「わかった・承知・了解」

 すると、始祖龍が震えた。その姿がぼやけて見える。高音が響き、思わず一同は耳を押さえた。

「力・能力・与える・授ける・私・使命・本能」

 その言葉と同時に、始祖龍の皮膚にひびが入った。ひびは振動とともに広がり、やがてうろこのように全身に広がると、ぽろぽろと剥がれ落ちた。

「危ない!」

 ステラがアルエーラを抱いて後ろに飛びのく。剥がれ落ちた皮膚は、始祖龍の足元で山となった。始祖龍と、そして魔鋼と同じ、鈍い金色をしていた。

「力・能力・欲しければ・求めれば」

 皮膚をはがした始祖龍は、一回り小さくなったように見えた。

「食べる・食べろ・取り込め」

 ニコは呆気に取られてその様子を見ていたが、やがて騎士たちの様子がおかしいことに気が付いた。

 アルエーラも含め、剥がれ落ちた始祖龍の皮膚を羨望のまなざしで見つめていた。

「お、おい……」

 ニコは思わず声をかける。その時、騎士の一人が皮膚に手を伸ばすと、そのまま口に運んだ。

 それをきっかけに、他の騎士たちも次々と皮膚を食べ始める。

「な、なにを……」

 ニコは信じられなかった。さっき魔獣から落ちた、明らかに食べ物ではないそれを、騎士たちはご馳走のようにもさぼり食べている。

 アルエーラも手を伸ばし、動物のように口いっぱいに頬張る。

「くそうっ!」

 ステラは涎を垂らしながら、伸ばそうとする手を押さえつけていた。

「ステラ!」

「ニコ! 私をここから離してくれ!」

 ステラが叫ぶ。ニコは迷わず、ステラを金色の山から引きずり話した。

「どうした! 何があった!」

「……美味そうなんだ。あの。金色の得体の知れないものが……。信じられんが、食べたくてたまらない」

 ステラは口惜しそうに言う。

「食べたい……。だが、あれを食べてしまえば」

 ステラが歯を食いしばるのと、騎士たちに異変が起きたのはほぼ同時だった。

 騎士たちは動きを止めた。やがて、喉をかきむしりうなりだす。

「何が……」

「あああああ!」

 アルエーラもまた、胸を押さえて叫びだした。

 その時、騎士たちの服が破けた。みるみるうちに、巨大化していく。頭髪は伸び、体は筋肉質へと変わり、鈍い赤色へと体が染まる。筋肉が盛り上がり、男女の違いはほぼ判らなくなってしまった。

 だが、すぐに数人の騎士だった何かはその場に崩れ落ちた。肉が腐り、ピクピクと蠢いたのち動かなくなる。

 半数以上の何かは、同じように倒れ、動かなくなった。

 そしてもう半数は、

「ぐぁああああああ!」

 魔獣と言って差し支えない姿になり、空に向かって咆哮を上げた。

 アルエーラもまた、魔獣と化する。

「あ、アルエーラ様……」

 ステラは呆然とアルエーラだった魔獣を見つめる。

「なってこった」

 ニコも頭を押さえた。

 始祖龍は言った

「我々・私・要望・答える・渡した・力・能力」

「これが……。そうか……」

 ニコは始祖龍を睨んだ。

「お前が、魔獣を生み出してたんだな」

「そう・正しい」

「どういう、ことだ……」

 ステラはいまだ衝撃から脱せていないようだった。そんな彼女に、ニコは早口で言う。

「魔獣は、魔鋼を体内に有することで、生きるためのエネルギーを摂取する必要がない。ゆえに巨大化したり、戦闘能力を強化したりすることが出来る」

 そう言って、ニコは皮膚片の山を見つめた。

「魔鋼がどこから来たのか、ずっと謎だった。その答えがあそこだったんだ。すべての魔獣は、始祖龍の皮膚を食べることで誕生した。さっきの鳥も、きっと……」

「なんなんだ、始祖龍は」

「さあね」

 ニコはステラの襟首をつかむと無理やり立たせた。

「それをゆっくり語らってる暇はなさそうだよ。しっかりしろ」

 騎士だった魔獣たちは、凶暴な視線をニコたちに向けていた。

「アルエーラ様……!」

 アルエーラだった魔獣も、その中に混じっていた。最も、彼女だったことがわかるのは、体に残った服の切れ端からのみだが。

「記憶や理性はないのか」

「あれ見てあると思うんだったら、そう信じとけば」

 ニコは両手をパキパキと鳴らした。

「わたしはないと思うけどねっ!」

 そう言い残すと、魔獣に向かって走り出す。魔獣はニコに向かって、鋭い爪を持つ腕を思いきり振りかぶった。ニコは股下に滑り込んでそれをかわす。その際に、転がっていた大鎌を拾った。

「今までのぶん、ギッタギタにしてやるっ!」

 ニコはそのまま、魔獣の首を刈り取った。返す刀でもう一体の魔獣にも手をかけるだが、魔獣は鎌を爪で受け止めた。

「うそ」

 そしてニコを鎌ごと放り投げる。

「こんにゃろ!」

 受け身を取るが、ニコはかなりの距離を飛ばされた。魔獣は間髪入れずに突進してくる。

「やっぱりちょっとは賢いか!」

 飛びあがって避けるが、魔獣もまたニコの後を追って跳ねた。そして蹴りを喰らわす。

「ぬっ!?」

 吹き飛ばされるニコ。勢いをそのままに、床にめり込む。さらにもう一体の魔獣が、起き上がれないニコに向かって飛び掛かった。

 爪が喉元に迫る寸前で、なんとか鎌を使って受けとめる。だが体勢も悪く、力で押し込められようとしていた。

 そこにアルエーラだった魔獣、さらに別の魔獣も襲い掛かる。計三体の魔獣が、ニコに対して爪を突き刺そうとしたところで、

「……アルエーラ様!」

 ステラが剣を抜いて、それを防いだ。

「助かる!」

 一瞬の隙をつき、ニコは魔獣を吹き飛ばす。二人は背中合わせになって、それぞれ剣と鎌を構えた。

「わたしが二体。お前が一体。倒したらすぐにルーを救出して逃げる。今後わたしらに手出し無用。これでいい?」

「……ああ」

「じゃあ交渉成立!」

 ニコは鎌を振るった。首を一気に狙うのではなく、まず爪を切り落とす。

「があああああ!」

「うるせえ!」

 そして一体の首を切り飛ばした。心臓を狙ってくる爪を柄で受け止めると、そのまま刃を魔獣の手の甲に突き立てる。

「とりゃ!」

 手を裂くと、もう片方の腕を切り落とし、体をひねって首を切った。

「ステラ!」

 ステラは剣で爪の攻撃を受け止めていた。だがじりじりと押されている。

「……アルエーラ様」

 ステラは、魔獣に向かって言う。

「これまで、ありがとうございました」

 そして力を抜いた。剣が爪の間から外れ、ステラの体を貫こうと襲い掛かる。

 ステラは身をかがめてそれを避けると、一瞬で間合いを詰め、下から上へと胴体を切りつけた。

「しゃああああ!」

 血が噴き出し、魔獣が悲鳴を上げる。血まみれになりながら、ステラは魔獣の口に剣を突き刺した。

 魔獣は目を見開いて倒れる。しばらく蠢いていたが、ステラは決して剣を抜かなかった。やがて魔獣は動かなくなった。

「御免」

 ステラは魔獣に、静かに頭を下げた。

「……終わった?」

「ああ」

「じゃあわたしはあっち相手するから。邪魔しないでね」

 そう言って、ニコは始祖龍と向き合った。

 魔獣たちと戦っている間、始祖龍は何をするまでもなくじっとニコたちを見つめていた。

 ニコは声をかける。

「色々面倒ごとをありがとう。そろそろルーを返してくれるかな?」

「ルー・少女・人間・返す・返却?」

「そう。わたしの大事な相棒なんだ」

「相棒・あなた・おまえ・きみ」

 始祖龍は首を傾げた。そして、顔をニコに近づける。

「相棒・わたし・と・同行・君・あなた」

「は?」

 始祖龍は笑ったように見えた。

「わたし・と・相棒・なる」

「……私と相棒になりたいって?」

「そう・希望」

「……ルーはどうなる? お前の中に囚われたままなの?」

「そう・肯定」

「なら嫌だ。ルーを返せ」

「なぜ・疑問・不思議」

「わたしの相棒はルーだけだから」

 そう言うと、ニコは始祖龍を、その中にいるルーを見た。

「大方、わたしを用心棒にでもしたいんでしょ。自分が作り出した魔獣があっさり殺されてビビってるんじゃないの?」

「そう・肯定」

 始祖龍は言う。

「わたし・必要・使命・増える・増殖・繁栄。わたし・与える・わたし・そして・そのために・だから・よって・増える。だから・来訪・来た・上陸・空・宇宙・から」

「…………。何を言ってるのかよくわからないね」

 ニコは鎌を構えた。

「もう一回聞くけど、ルーを返してくれない?」

「否定・いやだ。彼女・必要・意思疎通・思考・生存」

「そう」

 ニコは飛び上がった。

「じゃあ力づくで返してもらうね!」

「拒否・拒絶」

 始祖龍がルーに背を向けた。

「逃がすか!」

 首筋に鎌を突き立てる。刃は跳ね返されることなく、浅く突き刺さった。

「やわらかい……っ!」

 歯が立たなかった最初の邂逅時を思い出す。

 脱皮したてだからか。

 いける。

 勝機を確信する。

 だがすぐに異変に気が付く。

「抜けない!?」

 刃は刺さったまま抜けなくなってしまった。鎌ごと傷口が再生したらしい。

「マジか」

 ニコは口を尖らす。その時、始祖龍が羽を広げた。

「くっそ」

 ニコは悪態を付いて、鎌の柄にしがみついた。まもなく始祖龍が飛び立つ。強烈な風がニコに吹き付けた。

 始祖龍は一瞬で、雲がかすむ高度まで上昇する。

「諦めろ・受け入れろ・相棒・喪失・わたし・新たな・相棒」

「受け入れるかバカ! それ以上ルーの声で喋んな!」

 ニコは怒鳴った。始祖龍は首を傾げる。

「なぜ? 怒る・理由・理解不能」

「それは……」

「相棒・与える・利益・一致。わたし・可能・利益・与える・あなた・ニコ」

「…………」

 ニコは、足で始祖龍の首を挟んだ。力を入れ、なんとか鎌を抜く。

「……わたしがルーと組んだのは、相棒になるときにルーが出した条件が、わたしにとって都合が良かったからなんだよ」

『あなたが好きなだけ魔獣を狩れるように、私は努力するわ。だからその利益を私にも分けてほしい。こういう契約でどうかしら?』

 幼かった少女が言うにはあまりに大人びた内容だった。おおよそ金や権力というものに無頓着だったニコは、より多くの魔獣が狩れるという言葉と、実際に彼女が天才的なまでに仕事を斡旋してくれることに満足し、一緒に仕事をするようになった。

 ニコは鎌と足を使ってよじ登る。

 鎌を体に突き刺すたび、身体が砕けて、金の粉が待った。

「だから、あんたのいうように、利害が一致してるだけだった。ルーが利益をわたしにくれて、わたしもルーに利益をもたらす。そんな関係だった」

「なぜ? わたし・始祖龍・与える・利益・ルー・以上」

「無理だよ」

 ニコは諭すように言った。

「ルーがわたしにくれたものを、あんたはわたしに渡せない。いや、世界中の誰だって、ルー以外の人間が渡せるもんか」

 始祖龍の頭部、ルーが眠る位置に、ニコはやってきた。

 目を閉じるルーの額に、ニコもそっと頭を当てる。

「ルー。ルーと一緒にいて、わたしは生まれて初めて初めて家に帰りたいって思ったんだよ。ルーと一緒に魔獣を狩って、それで美味しいご飯を食べて、ベッドで眠って、しょうもない事で笑いあって。そんなのに価値があるんだって、初めて思えたんだ」

 ニコは涙を流した。

「帰ろうよ、ルー。一緒にさ」

「帰る・帰還」

「……そう。帰らせて。この子と一緒に」

 始祖龍は何も言わなかった。

 代わりに、額にひびが入った。日々は大きく広がり、やがて額が割れた。中からルーが出てくる。

 ニコはあわててルーを受け止めた。その拍子に始祖龍から落下する。

 始祖龍はちらりとニコたちを見ると、そのまま姿を消してしまった。

「……無茶するわね」

 ルーが力なく言った。

「いつものことでしょ」

 ルーを抱えて、ニコが言う。

「どうするつもり」

「なんとかするって。言ったでしょ。二人で帰ろうって」

 ニコはルーの頭を胸に抱え込むと、自らも顎を引いて目を閉じた。

「落ちるよ、しっかり目閉じてて」

 二人は湖に落下した。

 大きな水しぶきが上がる。

 しばらくして、ニコは顔を出した。片手にルーを抱えていた。

「岸まで行くよ」

 泳ぎながら声をかけるが、ルーは答えなかった。ぐったりと目を閉じ、傷跡からは血が流れていた。

 岸にたどり着くと、ニコは柔らかい草地を見つけ、そこにルーを寝かせる。

「ルー」

 ルーの顔は青白く、生気を失っていた。体温も低い。

「一緒に帰ろうって言ったじゃん。起きて」

 だが、ルーは呻き声すら上げない。胸に耳を当てると、心音が小さく聞こえるだけだった。

「…………」

 ニコは違和感に気がついて、懐に手を入れた。そこには、始祖龍の皮膚の一部が入っていた。

「あの時の」

 鎌で体をよじ登った時に、粉となって舞い散った皮膚を思い出す。

「……ルー、食べて」

 ニコは少しだけルーの体を起こすと、皮膚の粉を口に含ませた。

 ルーは微かに口を動かす。

「飲み込んで」

 濡れている布切れを取り出すと、それを口に運ぶ。ルーは水と一緒に、始祖龍の皮膚を食べた。

「っ!」

 ルーは目を見開く。そして苦しそうに呻き、暴れた。

「んんんんん!!」

「大丈夫、大丈夫だから」

 ニコはルーを抱きしめた。

「大丈夫。きっと大丈夫。わたしが、わたしたちがいるんだから、きっと」

 自分に言い聞かせるように呟く。

 ルーの体が熱くなるのを、ニコは感じた。心拍数が上がり、呼吸も荒れる。

「大丈夫、大丈夫だから」

 ニコの脳裏に、変貌してしまった騎士たちが浮かんだ。必死に首を振って、頭から追いやり、ぎゅっと目をつぶった。

「……痛いわ」

 ルーの声がした。ニコが顔を上げる。

 そこには、いつものルーがいた。

「色々ありがとうね、ニコ」

「ルー……」

 ニコはルーの頬に触れる。

「わたしのことわかる? 喋れる? なんか暴れたいとかそういうことない?」

「ないけど……。え、何? 私何されたの」

 そう言って自分の腹に手をやる。

「……傷が治ってる」

「始祖龍の体を食べさせて、ちょっとだけ魔獣になってもらったんだよ」

「……え?」

「ほんとにちょっとだから。多分大丈夫なはず。きっと」

「……まあ、色々聞きたいことも言いたいこともあるけど」

 ルーは息を吐いた。ニコは優しく笑った。

「帰ろうか」

「そうね」



『ホーチック日報 号外

 アルエーラ・ジャベンギルド長行方不明。新ギルド長選出へ』

『連合ギルド北方支部は、ギルド長アルエーラ・ジャベン女史が北方山脈視察中に行方不明になったと発表した。これを受けて連合評議会は今日、新ギルド長選出のための手続きに入る見通し。ジャベン女史の警護についていた、ステラ・テル騎士団長以下騎士団員七名の行方も分かっていない』

 そんな記事が、ホーチックの市内を駆け回っていたころ。

「じゃあ、頑張りな、リンゴ。村の人に迷惑かけるんじゃないよ」

「はい、トーファ姐さん!」

 ミズモグラによって大きな被害を出した村で、リンゴはトーファと手を握りしめていた。

「いやぁ、畑仕事はお嬢さんたちにはしんどいかもしれませんが、頼みましたぞ」

 村長の言葉に、リンゴは力こぶを作った。

「任せてください! ニコ姐さんの期待にもしっかり応えたいんで!」

「う、そ、そうか。それならいいんだが……」

 村長は顔を青くする、その手には『人材紹介費:三百五十万レク』と書かれた領収書が握られていた。

「にしても、仕事を紹介してくれるなんてありがたいこったね、これであの教会に固執する理由もない。みんなでもっといいとこに住めるよ」

 トーファは満足げに頷く。

「ほかにもあぶれてる連中を見つけてきたら、あんたらに紹介すればいいんだろう? ニコ、ルー」

 そう言って振り向くが、そこには誰もいなかった。

「トーファ姐さん、ニコ姐さんもルー姐さんももう帰るってさっき」

 リンゴが恐る恐るいうと、トーファは苦笑しながら頭を押さえたのだった。


「なんかめちゃくちゃ久しぶりに帰ってきた気がする」

「気がするじゃなくて、本当に久しぶりじゃない。ひと月ぶりよ」

 家の戸を開けたニコは、部屋の空気を肺いっぱいに吸い込んだ。。

「トーファたちを村に案内してなければもうちょっと早く帰れたのに」

 ニコが恨めし気に言うが、ルーは肩をくすめる。

「いいじゃない。仕事を紹介するの、ニコだって賛成だったでしょ?」

「帰ってからでもよかったじゃーん」

 そう言って、ニコはソファに倒れ込む。

「ちょっと、先にシャワーぐらい浴びてきてよ」

「いいじゃんちょっとぐらい。めちゃくちゃ頑張ったんだし」

「こんだけ苦労したのに、大赤字よ。全く、くたびれ損もいいところだわ」

「そうかなー」

 ニコはゴロゴロとソファを転がる。

「ところで体の調子は? 魔獣の体には慣れた?」

「魔獣って。あなたほど人間やめちゃいないわ」

 ルーはお腹を押さえる。

「ちょっと小食になったのと、疲れにくくなったぐらいじゃないかしら。そんなに変わった感じはしないわね」

「そう、ならよかった」

「ま、これからどうなるかわからないけど」

 ルーはそう言って、荷物を置いた。

「ところでニコ……」

 ルーはダイニングの椅子に座って口を開いた。

「……その、始祖龍の事なんだけど」

「ん? どうかした」

「本当に、良かったの?」

 ルーは顔を落とす。

「始祖龍を調べたら、魔獣の起源とか、魔女の謎とかがわかるんでしょ。なら、……始祖龍と一緒にいたほうが良かったんじゃないかって、思うんだけど……」

 ニコは体を起こす。

「……ルーは、わたしが始祖龍と一緒に行った方が良かった?」

「そんなの嫌よ!」

 ルーはとっさに叫んで、思わず口を押える。

「……嫌。だけど、あなたが望むなら、仕方がないと思ったわ。私たちは、結局そう言う関係なんだって」

「どういう関係なんだろね、私たちは」

 ニコは笑うと、ルーの向かいに移動した。

「私も、百八十年生きてて、ルーみたいな関係になったのは初めてだからさ、正直よくわからないんだけどね」

「私みたいな関係って……」

「んー」

 ニコは少し考えて、笑った。

「一緒にいたいってこと。始祖龍から一方的に教わるんじゃつまらない。ルーと一緒に、自分の手で魔獣の謎を探っていきたい」

「……私も、よ」

 ルーは照れくさそうに言う。

「あなたと一緒にいたい。あなたと暮らすために、お金を稼ぎたい」

「じゃ、おんなじだね」

「そうね」

 二人は見つめあって微笑んだ。

「お腹すいた! そろそろご飯にしよ」

「そうね。今日は帰ってきた記念に豪勢にいきましょうか」

 森の中の小さな家は、今日は夜遅くまで明かりが灯ったままだった。


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魔女のニコと人間ルー 徒家エイト @takuwan-umeboshi

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