叔母
ひよりの叔母のユキミは、両親と死別した後も実家に住み続けている。
かつては、ひよりの父も一緒に、兄妹と父母の4人で暮らしていた生家だ。
ひよりの父である兄も亡くなってしまっているから、幸せな思い出のつまった家を守れるのはユキミしかいなかった。
「この家に"
500ミリリットル入りの缶をそのまま口につけてゴクゴクとノドを鳴らしたあと、ユキミがひとりでにつぶやく、お決まりの独白だ。
アルコール度数5パーセントの柑橘系のチューハイと、出来合いの
高校を卒業以来、地元の市役所で働き続け、今は"主任"の役職についている。
小柄で
それも、もっぱら、上に弧を描いた半月型の目を、細い三日月の形に細めて、くしゃくしゃと笑ってばかりいる。
ヒトミシリに由来する不器用なポーカーフェイスのひよりと比べたら、ともすれば、ユキミのほうが幼く見えるほどだ。
まがりなりにも勤勉な公務員で、ほがらかで
およそ適齢期の一般独身男性が希望する「
いかんせん、今年の夏に35才の誕生日を迎えるというのに、いまだ浮いたウワサのひとつもないのは、当人の独白どおりの事情が大きいのかもしれない。
ぎりぎり結べる長さの黒髪を、お風呂あがりで濡れたまま後ろに強引にひっつめている。
10年以上前に来日した洋楽ロックバンドのライブツアーのTシャツと、高校時代の学校指定のジャージのズボンがパジャマ代わりで。いずれも、プリントや生地がくたびれてヨレヨレになっている。当人は「使い込むほどに味が出る」などとうそぶいて
そのくせ、
ビスクドールめいた美しい容姿の
なんといっても、大好きだった兄の大切な忘れ
「ねえ、おこづかい足りてる? 今日もクラスの友達とカラオケ行ってきたって言ってたでしょ、あんた」
だらしなくアグラをかいて
正座をくずしてお尻をペタンとタタミに置いた格好で、手近な
「う、うん。でも、大丈夫。みんながオゴってくれたから……」
「毎日みんなにタカってばかりいたら、じきに
「…………」
ユキミの軽口に、ひよりは無言でうつむいた。叔母にウソをついているのが後ろめたかったからだ。
クラスメイトに誘われて、放課後はいつも市街地へ寄り道をしていると伝えているが、本当は、この家まで自転車で片道30分かかる海沿いの霊園へ通いつめ、1人で父の墓参りをしているのだ。
だが、叔母のユキミは、自分の軽口が
どうにか話題を変えて取りつくろおうとしたとき、ちょうど、かんじんな
「そうだ、そういえば! 昼間、あたしの職場に、あんたのお母さんから電話があったよ」
「え」
「お母さん、あんたに本当に申し訳なかったって。すごく
「…………」
「それで、一度こっちに来て、あんたと会って話がしたいって……」
「イヤだっ! 絶対にイヤっ!」
ひよりは、手にしていた
ユキミは呆然として立ち上がり、ひよりの前に正座をした。
「あんたとお母さんを2人っきりにはしないから。大丈夫だから、ね? お母さんも、あんたを心配して……」
「イヤイヤイヤっ! お母さんになんか、死んでも会いたくないっ!」
「ひより!」
「なんで? なんで、あたしばっかりっ……あたしばっか……っ!」
言いかけて、ひよりは、立てたヒザの上に顔を埋めてワンワン泣きじゃくった。
ユキミは、ハッと胸を打たれた。
なぜ、自分ばかりが、一方的に
娘に許しを
やるせない怒りが満ちて、頭の中がカアッと熱くなった。
「ごめん、ひより」
ユキミは、
忍びもれる
イチゴ柄のプリントをあしらったパジャマは予想以上に
「そうだよね。お母さんに会うも会わないも、決めるのは、あんたの方だよね。選択肢は、あんたのもの。分かった。分かったから、ひより」
「…………」
「誰になんと言われたって、あんたの口から"お母さんに会いたい"って言葉を聞かない限り、あたしが許さないよ。お母さんをあんたには会わせないから。約束するから」
「ホント? 絶対に……?」
「絶対に。約束する」
「でも、あたし……一生、お母さんに会いたくなんかなれないかも?」
ひよりは、くしゃくしゃに歪んだ顔を上げると、すねたような口調で言った。
ゆったり開いた
みずみずしい若さのはじける真っ白い肌は、まぶしいほど美しいのに。左側の
4つとも、ひよりの母親が愛用している細身のタバコの先端と、ほぼ同じ大きさのはずだ。
ユキミは、はげしい
「いいよ、もちろん! あんたが望まない限り、あんたのお母さんの話もしない。
「ありがと、叔母さん……」
「こら! 叔母さんて呼ぶな」
「ごめん。ユキミさん」
ひよりは、涙で濡れた顔のまま、ちょっと照れくさそうな笑みをこぼした。
大人のはしくれとして、ユキミは、目の前の少女の
でも、ひよりを抱きしめて泣きわめくかわりに、満足そうに微笑んで、
「よろしい」
と、少女のすべらかな白いおでこを、指先で軽くつっついた。
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