孤独な放課後

 ひよりが浜野弓高校はまのゆみこうこうの2年2組に転入してから初めての週末を迎えようとする、金曜日の放課後。


「ひよりちゃん! 浜野弓高校ハマコー最初の1週間は、どうだった?」

 頭の左右で結んだ黒髪をウサギの耳みたいにピョンピョンさせる女子生徒・今岡いまおか カンナが、まさしく小動物さながらに、用心深く探るような上目づかいを無邪気な明るい声でカモフラージュしながら、隣の席から呼び止めた。


 チョコレート色の合皮のスクールバッグの持ち手を肩に引っ掛け、早足で自分の机を離れようとしていたひよりは、軽く息をのんで立ち止まり、ふり返った。

 ――淡々と、クールに。淡々とクールに……。

 すさまじい早口で自分の頭に繰り返すうちに、何を質問されたのだったか忘れてしまった。小さく開きかけた朱色の唇は、そのまま間の抜けた形で凍りつく。


 だが、カンナは、月曜日から金曜日までの間に、この転校生がひどくハニカミ屋で物静かな少女なのだと決めつけていたから、互いの沈黙がその場を冷たくしらけさせる前に、急いで本題をタタミかけた。

「あたしたち、これからカラオケ寄ってくんだけど。ひよりちゃんも、どうかな?」


 今岡いまおかカンナが腰かけている座席の左側には、彼女と仲のいいクラスメイトが3人、いささか照れくさそうな神妙な笑顔で集まっていた。

 カンナの机に片手を置いて、スレンダーな体を斜めに寄りかからせている女子は、矢田部 彩羽やたべ いろは

 青空の映える窓の下枠に尻を乗せて、横並びに座っている男子は、鶴久 陽太つるく ようたと、武笠 玲司むかさ れいじ。潮の匂いを軽やかに吹きこんでくる風に、白いワイシャツの背中を気持ちよさげになぶらせている。


「ほら、ひよりちゃんの歓迎会っていうか。……といっても、そんなオオゲサなもんじゃないから、軽いノリで、ね?」

 と、カンナは、淡い小麦色の小さな顔に白い歯をニッと輝かせつつ、どっちつかずに促した。


 矢田部 彩羽やたべ いろはは、肩の上にくるんと内巻きに落とした髪の毛先を、細く長い両手の指で丹念にもてあそびながら、気怠けだるげな横目で全開の窓辺を一瞥いちべつし、おとなびた口をはさむ。

「そこの男ども、てんで度胸がないもんだから。あたしたちをダシに使って香坂こうさかさんを誘おうって魂胆こんたんなの。そのかわり、カラオケ代は全部2人コイツらにオゴらせるから。遠慮しなくていいよ」


 ミルクをたっぷり注いだ紅茶をモチーフとする髪の色は、むろん天然モノではない。

 ライトオークルのリキッドファンデーションに、パステルピンクのチークとリップグロス。5才上の姉が愛読するファッション雑誌のオサガリにより、「限りなくナチュラルメイクに寄せたしっかりメイク」も、とっくに履修済みなんである。


「も、もちろん! 香坂こうさかさんがクラスメイトになってくれたお祝いだもん。まかせて」

 鶴久 陽太つるく ようたは、細長い上体を前のめりに突き出しながら、高い声をはずませた。


 飾りけのない素朴な容貌ようぼうと心なしか舌っ足らずの口調のせいか、わりと長身にもかかわらず、あどけない印象が強い。

 だが、未知の恋愛に対するロマンティックな憧れと好奇心は、見かけによらず人一倍で。「内気で美人の転校生」というラブコメ定番のヒロインが実生活に登場したことで、自動的に胸がときめいて仕方がない。


 あからさまに浮ついてみせる親友の童顔を、黒縁くろぶちメガネの薄いレンズごしに横から見上げた武笠 玲司むかさ れいじは、

香坂こうさかさんの歓迎会だから、香坂こうさかさんの分はゴチするけど。"その他2名"の女子の分までは持たないからね、オレは」

 と、よく通る滑舌かつぜつのいい声で、すかさずクギをさした。


 中肉中背で顔だちにも目立った特徴とくちょうはないが、地元では由緒ゆいしょある大きな寺の次男坊である。まっすぐな青竹を思わせる姿勢しせいの正しさと清潔感せいけつかんが、ひとりでに出自を匂わせる少年だ。

 学業の成績も良いため、同学年の女子たちによる非公式の「人気ランキング」では常に上位を誇る。次期生徒会長間違いなしとの呼び声も高い。


「"その他2名"って何よ! 失礼ね」

「そーよ、そーよ!」


 彩羽いろはとカンナが、盛大せいだいに文句をはやしたてれば、陽太ようた玲司れいじも、負けじと応戦して、


「うわっ! すぐに手を出すんだから、暴力オンナ!」

香坂こうさかさんの爪のアカでも煎じて飲ませてもらいなよ、"その他2名"」

「そーだ、そーだ。ちょっとは女子力上がるかもしんないぞ? "その他2名"!」


 すべて、消極的な転校生をクラスになじませてくれようという、見えすいた茶番だ。

 そんなの分かってる。それでも、ひよりの心は、より深く孤独に沈む。

 優しさ由来のかげりを知らない明るさで、和気藹々わきあいあいと結束する彼らに、むしろ、どんどん置いてきぼりにされていく気分なのだ。


 我ながら、ひどくイジケた心理状態だと思う。

「誘ってくれて、ありがとう。でも今日は、ちょっと……」

 ひとことづつ絞り出すごとに、胸がチリチリ痛む。


 完全に乾ききったと信じていたカサブタの端に、爪をひっかけてめくったら、思いがけず血があふれた。けど、妙にヤケッパチな衝動がうずいて止まらなくて。

 そのまま泣きながら最後までカサブタをはがしてしまったら、治りかけていた元のキズより、もっと大きく皮膚が裂けたみたい。

 そんな自虐的な感傷が、ひよりを突き動かす。


「ごめんね」

 ひとりぼっちのミジメな転校生を誘ってくれた彼らの善意を断るのに、当のミジメな転校生が謝罪を口にするのは、おこがましいんじゃなかろうか……そこまで卑屈ひくつに考えながら、ひよりは、わざと、しおらしく頭をゆっくり下げてから、後ろを向き、開けっ放しのドアに歩いた。


「そっか、残念。また誘わせてもらうねー、ひよりちゃん!」

「バイバーイ。また来週」


 とってつけたような女子2人の声が、かすかな安堵あんどを含んでいるように聞こえたのは、いくらなんでも、ひよりの被害妄想ひがいもうそうが過ぎる。


 やがて、すぐにケロッと明るさを取り戻した男女数名の楽しげな笑い声が、ひよりの背中を廊下に追いたてた。

 教室には他にも生徒たちは何人か残っていたから、それがカンナらの笑い声だったとは限らない。ましてや、ひよりを彼らの間から締め出す意図なんか、あったはずもない。


 それなのに、ひよりは、この先まだ2年ちかく残っている高校生活が、ひどく居心地が悪いものになるに違いないと確信して。

 切れの長い目尻の片方を、白く華奢きゃしゃな指先でひっそりとこすりながら、履き慣れないサンダルの足音を不器用にパタパタ響かせて踊り場に急いだ。

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