第13話 ブラコンがただの風邪な世界で、宣戦布告する兄の話

「そんなこと言われてもな……全然ピンと来ねぇんだが。そんなん、ブラコンはブラコンなんだから仕方ねーだろとしか言えないっつーか」

 そうだよな? だって、実際問題ブラコンにかかったら兄弟を好きになっちまうわけで。不可抗力のそんな現象を社会が受け入れないなんてこと出来るってのか? 兄妹恋愛がイケないことだからという全くの別問題を理由に、ブラコンを拒むなんて――……ん? 全くの別問題……? だよ、な……? うん。だって、そういうことになってるもんな……ん?

「じゃあ! ブラコンではないブラコンは! 何て表現するっていうんだい!?」

「は……はぁ? 相変わらず何言ってんのか……」

「だから! 感染症関係なく、元から兄や弟を大好きな女を、何て呼ぶんだって聞いているんだ!」

「そ、そりゃ……感染症関係なく、元から兄や弟を大好きな女、でしょ」

「ああ、そうかい! じゃあ! 姉や妹を大好きな人間は!? 母親を大好きな奴は!? 父親を大好きなのは!?」

「何が言いたいんだこの人……そんなん、シスコン・マザコン・ファザコンだろ。シスターコンプレックス、マザーコンプレックス、ファザーコンプレックスの略だ」

「何でブラザーコンプレックス略してブラコンだけ、ないのだよ……っ! 不自然だろう、明らかに!」

「それは……い、いやそれはほら、そんなシスコンとかの概念が生まれるよりもずっと前からブラコンという伝染病が人類に認識されてて、ブラコンと呼ばれてたからだろ。もちろん他のウイルス性疾患と同様、昔の人はウイルスによって症状が引き起こされてるなんてことまでは知らなかったわけだけど、とにかくシスコンよりずっと先にブラコンって呼び名があったのは事実だ。むしろブラコンっつー単語から連想される形でシスコンとかの言葉が生み出されたんじゃねーの? うん、あるな、それ。それなのに後からフェティシズムを指す意味で『ブラコン』なんて使い始めたら紛らわしくなっちゃうだろ」

「ボク、頭痛くなってきちゃったぞ!? そもそも何で兄や弟を好きになっちゃう感染症があって、姉や妹を好きになっちゃう感染症はないのだ!? 男ばっかり愛されるだけで誰も愛さないなんてズルいだろ!!」

「何言ってんだ、別に女の方が罹りやすいってだけで、兄弟いりゃ男だってブラコンにはなるだろ」

「なるのかよぉ!! どうすんだ、それはちょっと見てみたいと思っちゃっただろぉ!? いや、それでも結局得しているのは男じゃないか!」

「何も得はしてねーだろ……とにかくな、そういう、何で姉妹に対する症状はないのかとか諸々も、昔からさんざん研究されまくった結果、結局わかんねーことが多いんだよ、確か。でも、結局はただの風邪だしな。もはやそこに大規模な研究費が投じられることもねーってこったろ、要するに」

「そんな不可解な感染症を風邪と一緒くたにするなッ!!」

「それは百年前の学者さんたちに言ってくれよ……。てか実際、兄弟を好きになっちゃうこと以外は、ただの風邪と一緒なわけだしな」

 『風邪症候群を引き起こすウイルスのうち、とりわけ兄弟に対する軽度の依存症を出現させるもの』を指してブラコンウイルスと総称する――うん、改めてまとめてみても、それほど変な話とは思えない……思えない、よな……?

「青年……本当に……っ、本当に、露ほども、おかしいとは思わないのかい……?」

「…………い、いや、それは……っ」

 言葉に詰まってしまう。昨日までだったら、こうはならなかった。頭のおかしいぼっち女が騒いでいるだけだと、ドン引きしながら切り捨てていた。

 でも今は。実の妹のあんな様子を目にして。祥子さんの真に迫った訴えを間近でぶつけられて。俺の中で、十七年間築いてきたはずの常識が、揺らごうとしている。

 いや、違う。そもそも。そもそも本当に。この常識は、十七年間で築かれてきたものなのか……?

 心臓が、早鐘を打つ。

 ま、まさか。本当に。俺たちの脳は。黒幕による電磁波で……

 ――いやいやいやいやいや! んなわけねーだろ! あっぶねー、また騙されるとこだった! 洗脳されるとこだった!

 真雪が患っているブラコンがただの風邪じゃないことは確かだが、さすがにこの人の陰謀論は飛躍が酷すぎる。話を聞く価値はあるが、おかしなところはちゃんとおかしいと指摘してやらないと。それが、本当の仲間ってもんだ。

「いやな、祥子さん、言われてみれば確かにそうだ。あんたのそのツッコミは鋭いよ。ツイッターか何かで呟いてみな。『ブラコンがブラコンって呼ばれてんのおかしいよな。それならシスコンも~~』みたいに鋭い切り口(笑)でズバっといけばバズってくれるはずだ。でもな、真に受ける奴なんていねーよ。『その発想はなかったw』って、斬新な視点のジョーク扱いされて終わりだ」

 だってそれは、ただの屁理屈で、単なる言葉遊びでしかないのだから。

「何故だ、指摘されればその矛盾を認識出来る土壌がありながら、何故君達はその矛盾が生じた経緯を探ろうとはしないのだ……っ」

「経緯なんてないからだろ。ブラコンがブラコンと呼ばれて、ただの風邪扱いされている、その理由――そんなの、『昔からそうだったから』だけで、充分なんだ。別にブラコンだけじゃない。昔からそうだったから、なんて理由で社会に根付いてることなんていくらでもある。道理が通っていなくても、植え付けられた価値観はそうそう変えられるもんじゃねぇ」

 言っていて、自分でもズルいと思う。こんなこと言い出したら、元も子もないのだ。でも、それが紛れもない現実なんだとも思う。だから、直視するべきだ。祥子さんは、現実を受け入れるべきだ。

 ついつい語調が強くなってしまったことには後悔しながら、それでも目の前の祥子さんから視線は外さない。ここまで熱く議論をしてきた。条件付きとはいえ、仲間の契りも結んだ。もはや他人ではない。俺の説得に、頷いてほしい。

 しかし、彼女はその目に。涙は溜めながらも、意志を曲げるような色だけは決して灯さず、

「違う……後から強引に書き換えられたものだから、歪みが生じているのだ……っ。本当はありもしなかった歴史を無理やり脳に刻み付けられただけだから、現実の現象との間に齟齬が残ってしまっているのだ。しかし、奴らにとってはそれで充分だった。表面的な認識さえ変えてしまえば、あとは君達が勝手に、自らの認識にとって都合良く、物事を解釈してくれるのだから」

 その口ぶりには確かな信念と、愚かな人類に対する皮肉が、たっぷりと込められていて。

「……そっか。わかったよ、祥子さん。やっぱり俺たちは、分かり合えなかったみたいだな」

 もはや、ここまでだった。彼女のことは決して嫌いではないし、進むべき方向も同じだったはずなのだが、やはり根本が違い過ぎていた。

 俺は、ブラコンの常識には疑いを持ち始めている。あの妹を治すためには、常識なんかに囚われてる場合じゃない。でも、トンデモ陰謀論なんかには絶対にハマらねぇ。あくまでも科学的に、合理的に、真雪の症状を消失させるための手立てを見つけ出してみせる。

 黒幕なんて、電磁波なんて……アホらしくて付き合ってらんねぇよ。

「青年……」

 背を向ける俺を、もはや祥子さんも引き留めようとはしない。彼女の方もさすがに悟ったのだ、俺たちの袂別を。

「じゃあな、祥子さん。活動もいいが、たまにはちゃんと教室にも行って、青春を享受しとけよ? ……あんた結構、可愛いんだからよ」

 振り返りもせず、軽く手を挙げ――全てを終わらせた俺は保健室を後にし――


「ふーん、他の女にもそーゆーこと言っちゃうんですね、兄さんは」


 一瞬で身をひるがえして保健室様に出戻りをし、避難のために扉を閉めようとするも、

「無駄ですよ、兄さん。あたしから逃げようだなんて」

 目の前に立っていたその女は。既に俺の胸へと全体重でしな垂れかかっていて、

 だから俺は、

「なっ、なっ、なっ、なんで……ま、真雪……っ」

 十六年間の兄生活で培われてしまったその反射で、両腕の力全てを、妹を抱き支えるためだけに使ってしまっていて。

「あったかいです、兄さんのお体」

「に、兄さんって、誰だ……?」

 ギャルギャルしいその見た目に不釣り合いな、清楚極まりない微笑みと穏やかな口調で、真雪のようなその女は――

「兄さんは、兄さんじゃないですか。あたしがお慕い申し上げている、たった一人の殿方です」

「ブラコンじゃねーか……! 清楚系敬語ブラコンじゃねーか……!!」

 間違いなく俺の妹であるその真雪さんは、凛とした雰囲気と控えめな金木犀のような香りを漂わせながら、俺のことをお慕い申し上げてきやがったのだった。殿方って何だぁああああああああああああああああ!!

 おいおいおい、え? おいおいおい、嘘だろ、おい! まだ終わってなかったのかよ、まだ変質し続けんのかよ、このブラコンの症状は! しかもこんな短期間で! こんなのってウイルスに対抗する体の反応として、あまりにも不自然なんじゃないか? 甘々と素直に甘えてくるブラコン症状だって、ツンデレブラコン症状だって、背徳的なブラコン症状だって、要はウイルスに対抗するために必要な生体防御反応だったわけだろ? だったら、何ですぐに変わっちまうんだよ、特定のウイルスに対抗するつもりなら、その反応に一貫性を持ってくれよ!

 まさか。マジなのか……? マジで、原因はウイルスなんかじゃないってのか……? 

 まぁでも背徳的な感じじゃなくなったことに関してだけは結果オーライだったな。うん、あれだけはナシだ。手に負えない。

「それとも、もうただの兄さんではありませんか……? しかし、兄さん、今は二人きりではありません。臥所を共にした際のように、雷太さんとお呼びしてしまっては、あたし達の本当の関係が……」

「背徳的な設定も残してんじゃねーか……!」

 ――この二日間で何度目だろう、膝から崩れ落ちたのは。それでいて、妹の体だけはお姫様抱っこでしっかり支えてしまっている。妹に痛い思いなんて一つもさせてはいけない、そんなルールが身に染みついてしまっているから。

 真雪はもう俺が知っている妹ではないのに。俺を蔑んでいた妹はこの世からいなくなっていて、そこにはもう、ほんのりと頬を染め、「兄さん……っ」と、潤んだ瞳で俺を見上げる、得体の知れない美少女の存在だけが残されていて。

 さすがに。さすがに気付く。どんなバカだって、気付かざるを得ない。こんなふざけた光景を目の当たりにして、それが常識だから現実だからと、ただただ受け入れてしまうような愚民には、俺はなれない。

「青年……」

 俺が全てを悟ったそのタイミングで、後ろからポンと肩に手を置かれる。さすが、よくわかってる。俺の背中から、ちゃんとこの意志を汲み取ってくれたのだ、この人は。

「青年よ、何か言うこと、あるよな?」

 だから俺も、はっきりと応えよう。俺はもう、自分を変えた。次は、世界を変える。その思いを、しっかりと口に出そう。


 これは、セカイに対する、俺たちの宣戦布告だ。


「電磁波だっ!! 俺のことを大嫌いでいてくれた妹がこんな風になっちまうなんて、電磁波で脳を操られているとしか考えられねぇ!! 騙されねぇぞ、俺は!! ぜってーに真雪を取り戻す!! やっぞ、祥子さん! 俺たちで黒幕を見つけ出して、きっちり落とし前つけさせてやろうぜ!!」

「青年きゅん……! しゅき……!」


 こうして、この瞬間。俺たち『団体』の、セカイに対する闘争の火蓋が切られたのだった――


「ねぇ、兄さん。その女って殺してもいいんでしょうか」

 ヤンデレじゃねーか。清楚系背徳ヤンデレブラコンじゃねーか。

 

 くそぉ。早くまた、妹に無視されたい。

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ブラコンはただの風邪 アーブ・ナイガン(訳 能見杉太) @naigan

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