第12話 ブラコンがただの風邪な世界で、陰謀論者に助けを求める兄の話

 毎朝恋人と一緒に登校するという習慣をすっぽかし、俺は朝一で、あのお方が待つであろう保健室に飛び込んでいた。

「助けてください!! どうかこの哀れな子羊をその偉大なるお知恵で救ってください、教祖様!!」

「ひっ……ごめんなさ……っ、な、何だ、君かい、青年……。よくボクがここにいると分かったな」

「どうせ保健室登校だと思いまして」

「敬ってるのか侮ってるのかどっちなんだ君は」

 かじっていたクロワッサンをポロッと落としたボクっ子十九歳JK教祖様こと祥子さんは、土下座する俺を、ベッドの上から引きつった顔で見下ろしていた。が、

「ん? 助けて? 救って? 教祖様?」

 徐々に状況を理解してきたのか、小刻みに震えながら目を見開き、

「ま、まさか青年、回心したのか……? ボクの主張をついに理解し、黒幕を倒して真実を暴くため、仲間に加わってくれると言うのだな……!?」

「あなたの主張は全然理解してないですけど、今年のブラコンが明らかにおかしいということだけはよーく分かりました! でもあなた以外、そんな俺を相手にしてくれないんです! 妹のブラコンを治すためならあなたの相手もしてあげますので、どうかお力添えを! お布施なら持って参りました!」

 俺はポケットから全財産である千円札四枚を取り出して床に叩きつける。

「いらん。ボクのうちは結構裕福だ。あと敬語はやめろ。教祖様呼びもやめろ。頼むから名前で呼んでくれ。ボクの方も君を親しい感じで名前呼びしたくてたまらないが、ただでさえ男の子を名前で呼んだ経験なんてないのに恋心を寄せる君の名前を呼ぶなんてとても緊張してしまうからこれからも青年と呼んでやろう」

「ああ、わかったよ。そういうわけで、また話を聞いてくれないか、祥子さん」

「呼び捨て希望」

「いや何かこれ以上特別な感情募らされたりしたら鬱陶しいから祥子さんで」

「お金なら出しますから。四万でどうですか」

「祥子さん、昨日は悪かった。正直あんたの言ってること全部を信じたわけじゃない。ブラコンが元から存在してないとか電磁波で全人類の認識が弄られてるとかは、さすがに呑み込めねぇよ」

 俺は千円札をポケットに戻して立ち上がり、

「でも、この感染症がただの風邪なんかじゃねーってことには完全に同意できる。協力して真相を暴こう。専門知識のある人間をおびき寄せるのが目的であれば、デモなりビラ配りになりにだってもちろん参加させてもらう」

 考えてみれば、悪目立ちもアリだ。入口には、共感よりも批判・反論の方が入ってきやすい。どんどんメディアに取り上げさせれば、感染症の専門家だって、ネット上での批判という形でこちらに接触してくるはずだ。

「……まぁ、不十分ではあるが、今のボクの境遇でわがままなど望めないな。いいだろう、当面はそれで。ようこそ、ボク達の団体へ。メンバーは実質的にボクと君だけだがな。二人きりだがな」

 目線で促され、ベッドの隣へと腰を下ろす。妙に『二人きり』の部分を強調されたのが怪しかったのでちょっとだけ距離をとっておいた。

「団体、か。名前とかはねーんだな。まぁ当たり前か、実質、祥子さんしかいなかったんだから」

「うむ。しかしこれからのことを考えれば正式な団体名ぐらいあった方が便利かもしれんな。そうだな、ら、らい、『雷太と祥子のラブラブ愛の巣』なんてのはどうだい?」

「俺がどうして一夜にして、こうも考えを改めたのか、ですね? はい、もちろん、まずはそこからです。聞いてくれますか」

「よし分かった、今のはボクの心の中限定の団体名にする。今後絶対口には出さん。だから敬語はやめてくれ。クロワッサン食べていいから」

 食べかけしかねーじゃねーか。でもサクッサクでバターがじゅわーってしておいしい。こいつ保健室登校のくせにパン屋寄ってから登校しやがったな。もぐもぐ。

「間接きちゅ……! カ、カフェオレもあるぞ……!? ほ、ほら、ゴクッと……そうそう、いい飲みっぷり! あ、でも全部は飲み切らないで! ちょっと残して返して! ……えー、こほん、それでは青年、昨日帰ってから何があったのか、聞かせてくれ」

 俺の手から奪い取ったペットボトルを宝物のようにそっとリュックにしまった祥子さんが、一つ咳払いをして俺に向き直る。咳払い一つでこの所業をなかったことにできると思っている辺りガチで人付き合いとかしてきていないことが伺えたが、それだけチョロいということでもあるので特にツッコまずに話を続けることにした。この団体、簡単に乗っ取れそうだな。

「ああ、大変なんだよ、祥子さん。真雪のツンデレ症状が完全に治って、親の前では以前通りのあいつ、つまりは俺のことが大嫌いな妹に戻っていたんだ。だが、それは真雪の演技だった。未だブラコンなのにブラコンじゃないフリをしているだけだったんだよ! いや、単にブラコンが長引いているということだけが問題じゃないんだぜ? わかるか? ツンデレにはあんなクレバーな演技はできない。つまりは、あいつのブラコン症状がまたもや、そのタイプを大きく変化させたってことなんだ! そしてその新たな症状ってのが大問題でな……。真雪は、親の前では兄を嫌う妹だったのに、俺と二人きりになった瞬間、長年連れ添った恋人のような雰囲気を醸し出してきて……兄妹同士のガチ禁断の愛を! 囁いてきやがったんだ! これは誰にもバレてはいけない関係なんだと、妹の顔ではなく女の顔で、あいつは……! あんなのはブラコンの症状としてあり得ない! 聞いたことがねぇ! あれほど重症化するもんが、ただの風邪なわけねーだろ!」

 昨日もあんな風にしっとりとしたキスをしてきただけじゃない。その後、俺の部屋を去る前にわざわざベッドに粘着クリーナーをコロコロして、自らの痕跡を消していったのだ。しかも自前のコロコロである。家のやつのシート枚数が減っていたら母さんに違和感を持たれるからという理由でマイコロコロを隠し持っていやがったのである。そこまでして証拠隠滅することか!? まるで何かやべぇことしたみたいになっちゃうだろ!

 かと思えば、相反するような行動も見せてくる。今朝のことだ。家族四人揃っての朝食中、俺の前に座った真雪はいつも通り俺に見向きすることもなく、不機嫌そうに黙々と箸と口を動かしていた。何だ結局治ったのか良かった良かったと安心していたのも束の間、俺の足に、ちょんちょんと不思議な感触が襲った。真雪の足先である。テーブルの下で、つまり母さんたちに見えない位置で、真雪がスキンシップを図ってきやがったのだ……!

 テーブルの上では、両親からの「あら、すっかり治っちゃったのね。つまんなーい」「アハハ、冬の風物詩も今年はもう見納めかー」なんて茶化しを「はいはい、朝から夫婦でイチャつかないの、遅刻するよ?」とか冷めた態度で流しながら、テーブルの下ではその足先で俺の脚をくすぐっていやがったのだ。

 黒ソックスに包まれた真雪の華奢な足先は、俺の足首、脛、膝を絶妙な塩梅で刺激しながら登っていき、内ももをフェザータッチで焦らすようにゆっくりと撫で上げ、そしてついに股間寸前まで近づいたところで――母さんが「ん? どうしたの、雷太。食欲ない?」と首を傾げるのと同時に、スッと引っ込められてしまった。いや『しまった』って何だよ!? 引っ込められていいんだよ!

 そんな風に俺が動揺を隠し切れずにいた一方、その間、真雪はずっと無表情だったのだから恐ろしい。めざましテレビの温泉宿特集を眺めながら、足先では兄の股間周りを焦らしまくっていたのだ。

 母さんたちが身支度のためバタバタし始め、息子たちへの注意が完全に消えたタイミングで、妹は何の言葉も添えることなく、ただ目を細め、口角を上げ、頬を染めて、心底愉しそうに、意地の悪い微笑みを、俺だけに向けて浮かべたのだった……。

「小悪魔ぁっ……!! 俺のことを大嫌いなはずの妹が小悪魔ぶって兄をエロからかいしてきやがる……! 親に隠れてタブーを犯すそのスリルに、得も言われぬ愉悦を感じ取っていやがるんだっ!! こんなのが、ただの風邪なわけがない! だって、だってあんなの……、許されるわけがねーんだ! 背徳的ブラコンだけは、ダメ、ゼッタイ!!」

「……………………」

 昨晩から続いた地獄の苦しみを俺が一気に吐き出すも、それを聞いた祥子さんは、手を組んで俯き、一点をジッと見つめるような姿勢で固まっていた。ん? どうしたんだ? もしかして、俺がもはや四つん這いになって床に拳叩きつけていたことに引いているのか?

「何だよ、祥子さん、黙りこくって。俺はこんな、誰にも話せないような禁断の秘密を、あんたに相談してるんだぜ? まぁ、驚くのもわかるが」

「……その感覚は……あるのだな……やはり……」

「あ?」

 目をかっ開いたまま、やっとこさ言葉を絞り出してくれた祥子さんだったが、その絞り出された言葉の意図するところがまるで分からない。

 何だよ、その感覚、って。

「……つまり君には、君達兄妹には、いや、君達人類には……っ、……兄妹同士で恋愛をしてはいけないという価値観が、インセスト・タブーが、備わっているわけなんだな……?」

 声を震わせながら、祥子さんは恐る恐るといった感じで、俺に顔を向けてくる。

 は……? 相変わらず何言ってんだ、こいつ……?

「当り前だろ、そんなの……。怖っ。兄妹恋愛とかあり得ないだろ、常識的に。基本的に世界中どこでだって。エロ漫画じゃねーんだから」

「じゃあ何でブラコンが世の中に蔓延していることは普通に受け入れてんだよ、お前らぁああああああ!!」

「ひっ……! な、何であんたはいつも急に絶叫するんだ!?」

「それくらいおかしなことに溢れているからだよ、世界が!! 兄妹がイチャつくことに対する忌避感が根付いているのに、何でウイルス性のブラコンはただの風邪として当然のように軽視出来るんだ!? 矛盾しているだろう、その態度は! ウイルス性のブラコンって何だ!! その世界観でも兄妹もののエロ漫画の需要あんのかよぉおおおおお」

 それは別にいいだろ。ほっとけよ。

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