中層編1-10/ランタン
「いっ……!?」
ギィは突然、左の手の甲を切り裂かれた。痛みに思わず足を止め、傷口を見る。鋭いナイフ、ではなく鋭い切り口の石で切られたらしい。ちかちかと明滅が激しつなりつつある視界の端で、血の着いた石が転がっていた。それなりに太い血管まで切れたのか勢いよく血が流れ出す。
「石でも蹴り上げたのか? ……うわ!?」
止血しようとした瞬間、突然何かに腕を捕まれた。走っていた為温度差が分からなかったが、少し息を整えた今、ギィは確かに冷気を感じ取っていた。
「スペクターか!? お前何を」
次の瞬間、問答無用と言わんばかりの痛みが更に膨らんだ。
「痛……!? 傷口を抉るな馬鹿野郎!」
何がしたいんだお前、と声を荒らげるギィは前腕部分に、指でなぞられているような奇妙な感覚に襲われた。何事だとそこを見れば、ギィの血で文字が綴られていた。
『彼女が起きた』
「は?」
『先に行ってる』
「先に行くって、行ってどうするんだ。物飛ばすぐらいじゃ止められないだろ……って、どっか行ったぞあのお化け……」
疑問を口にするうちに、いつの間にか寒くなくなっていた。そして物凄く手が冷えきっていた。血の勢いが幾分か緩やかになっているので、止血のつもりらしい。
ほんとにしょうがないお化けだな、とギィは簡単な手当だけすると気を取り直すように息を吸い込んで、細槍を握り直す。細槍に森のみどりがきらりと反射した。細槍に乗って飛んでいってもいいが、あまりやらない事をして今のヌシに慣れない気配を感じとらせるのもいけない。
地面を強く蹴り、走る。途中、小型のモンスターや動物が走り抜けるギィに驚いて草むらや木陰へ飛び込む気配がした。
「っ、はぁ……! チッ、何処だ……!?」
瞬きが強くなる。しかし、近いのは分かるが眩しくて見つけられない。ここまで森の気に当てられては己でのコントロールは難しい。
「誰か! この辺でくたばりかけてないか!?」
なんとか脈打つ光を見ないよう目に意識を向ける。比較的白みが落ち着いてきた視界で、大量の木の根と蔦が地面に落ちているものに向かってゆっくりと蠢いていた。みしり、ぱきり、と木の根は音を立てて落ちている何かに勢いよく群がっていく。
「まだ生きてるか!? 返事しろ!!」
木の根に群がられた隙間から、かすかに手や足が見える。それが白む視界でも確かに動いたのが分かった。まだ生きている。木の根と蔦に集られた反射の動きでは無い。まだ意識がある。
「エーテル全部吸われたら終わりだ根性で持たせろ! 今こいつらを剥がす!」
木の根をかき分け、時には細槍で振り払う。蠢く木の根を上から刺して動けなくしたり、時には槍を足場にして、群がられた人間へ駆け寄る。
浮かせた細槍で檻を作るように場所を確保すると、振り払ったといえど大量に残っている木の根や蔦を引きちぎる。木の根の方はそれほどでもなかったが、蔦の方が皮膚の下まで肉を突破って取り込もうとしていた。蔦が木の根よりも先に肉へ到達している。木の根はかなり明るくなってからじゃないと活動出来ないが、蔦に関してはゆっくりとでも暗闇で動ける。夜明け前からここにいたのは確かだった。
「くそ、いつから倒れてたんだあんた……!?」
瞬き、白む視界で蔦と木の根を振り払うと、見覚えのあるグローブが出てきた。思わず、ギィは息が止まった。
「お前ウルか!? ウルなんだろ!?」
ぴくり、と指が動く。それを見たギィの顔から一気に血の気が引いた。群がられた人間の顔の辺りの蔦を急いで剥がす。そこから、覗いたのは頬の傷。良く見えない視界でも、それははっきりと見てとれた。
「っ……! とりあえず死ぬなよ馬鹿!阿呆!冒険野郎!」
ウルの口元が、かすかに笑う。ギィがウルのまわりの木の根と蔦を粗方引き剥がす頃には、息も絶え絶えになったギィをうっすらと目を開いたウルが見ていた。
「な、なんで死にかけてんだお前……。ほんと……、なに……。エーテル吸われて死ぬよりもその傷で、死にそうじゃん……」
ウルを見ながら息を整えるギィは、ポーチからいくつか薬品を取り出すと、順番にウルの身体へじゃばじゃばとかけていった。顔へも容赦なくじゃばじゃばとかけた。様々な色の液体がウルの服へ染み込んでいき、よく分からない色がじわりじわりと広がっていた。
「うぇ……、ちょっと……雑すぎ……」
「うるせぇ。その蔦アホみたいにしぶといから、小屋戻ったら、……一本ずつ引き抜くからな……」
「まって何か口に垂れてき、うわまず……、何これ……?」
「ポーションと……森の……っ植物避けだろーがよ馬鹿……。あーあー、なんだその傷……、と、痣、新種の毒か? 死にかけかよ。……ミヨウに案内つけたら薬品一式、持ってきてくれないか……?」
ゼェハァと未だ整わない息で恨み言のように話すギィに、ウルは力なくケラケラと笑った。
「ギィってば、そんな目で来てくれたの……?」
「あ?」
「だって今、キラッキラの薄緑だよ。ほとんど見えてないでしょ」
ウルの指摘通り、ギィの目は普段の深い森の色とは似ても似つかない爽やかさすら覚える薄緑色が、脈打つように輝きを纏っていた。ギィは、その目を忌々しそうに細めた。
「アホみたいに眩しい」
「ごめーん。ちょっと、……後ろから切られちゃって」
あまりにも軽く言うものだから、ギィは一瞬聞き流してしまいそうになった。ちょっとそこまで買い出しに行ってくる、と同じ軽さで、この男は今なんと言ったのか。
「……は?」
「刺されちゃったから、お香半分しか撒けてないんだ。ごめん」
軽く言う割に、ウルの表情は申し訳なさでいっぱいだった。そんなウルに対し、ギィもバツが悪そうに頭をかいた。
「その仕事、さっき無意味になったかも知れん。ごめん」
「……うそぉ」
***
「ど、どうやってコレお知らせすれば……!?」
とんでもない会話を残していった三人組がもう少し離れるまで待ってから、ミヨウは慌ててフタバへ振り返った。
「可能であるなら、とりあえずギルドへの報告はした方が良いでしょうけど……」
フタバもフタバで、予想外の出来事に顔色を悪くしていた。
「お、おおおれちょっとギルドまでひとっ走り……!」
「駄目よ、貴方あの三人を迂回してギルドまで行ける道を知っているの?」
あんなギラついた様子の三人組の背後から顔面蒼白で小屋の受付が走り抜けていけば、何か勘づかれたと察知される。一人は弓を持っていた。どれだけ足が早かろうと射抜かれる可能性が高い。
フタバがそう話せば、ミヨウはそわそわと落ち着きが無いながらも椅子へ座った。
「じゃあ、一体どうすれば……」
「今の私達にあの三人組を懲らしめて事情を吐かせる力は無いわ」
「何か、あの人たちに分からないように遠くへ緊急事態を伝えられる方法……」
ダンジョンへ入る冒険者になら伝わる方法。誰でもいい。あの三人組を捕まえるなり、追い越せる人間なり。ギルドへ、ウルの危機と三人組の捕縛を伝えてもらわないといけない。
──よく見えるんだよ、コレ。
「……ランタン」
「え?」
知らない土地、見ず知らずの人間しか来ないこの土地で、最上層から逃げ延びてきたばかりの人間が何をできるのだろう。そう苦い顔をしていたフタバは、何かを思いついたような声をあげたミヨウを見た。
「ランタンなら皆分かる!! あれは遠くまで見えるってギィさんが言ってた!!」
「ランタンでいったいどうやって……」
「姉さんこっち来て! 早く!!」
ミヨウは興奮したようにフタバの腕を掴むと、急いで外へと飛び出す。腕を引かれるがままに走ったフタバは咳き込むも、それを無理やり飲み込んでいた。
「コレ! これ夕方だったのに、凄く明るかったんだよ!」
「これは……、反射板がついているの……?」
上を見上げるフタバは、一度派手に咳き込む。慌ててミヨウはフタバの背をさする。それに礼を言って、フタバは再び咳き込まないよう、ゆっくりと見上げた。煙突のような柱に滑車がついており、その頂点にはここから見てもよく磨きあげられたことが分かる鉄板が上下に、まるで円形の屋根のように取り付けられていた。下へ漏れた光も、上の鉄板が反射して余すところなく遠くへ光るように設計されたそれは、夕方前でも良く見えるだろう。
「そうなんだ! これなら皆見えるし、こんな時間にランタンが上がってたら不審に思うでしょ!?」
「これは……イケるかも……!」
「待ってて、今奥からランタン持ってくるから!」
走って小屋へ戻って行ったミヨウは、何度かドッタンバッタンと小屋で暴れた後、嬉しそうな顔をして扉から出てきた。
「見て! あったよコレ! これがランタ……」
とすり、とミヨウの頭の上を掠めて何かが地面にとんでもない勢いで突き刺さった。物凄く覚えのある感覚に、ミヨウはうっかり死ぬところだった事を思い出しつつも、振り返る。
そこには、ギィが謎の技術で扱っている銀の細槍が誇らしげに突き刺さっていた。勢い余ってしなっている。フタバはあまりのギリギリっぷりに唖然としていた。
「……」
「だ、大丈夫生きてる。おれ生きてるからね!?」
「ほ、ほんとに……?」
「いきてるいきてる」
慌ててペタペタと己の片割れの顔を触りまくるフタバ。うーん、こういう時の過保護っぷりはもうちょい何とかならんものか、と産毛の一つ一つまで確認されそうだったのでベリっとフタバを引き剥がしたミヨウ。
「そ、それよりも何でギィさんの槍が?」
「あの人ノーコンなんですか?」
「姉さん?」
にこやかにガチトーンのフタバにミヨウは思わず振り返ったが、それどころでは無い、と飛んできた槍に視線を戻す。よく見れば、槍には布が巻き付けられており、ところどころ汚れている。槍に巻き付けられた不自然なそれを解き、広げる。そこには、ギィのものだと分かる雑な字があった。
「『ウルに使うから、小屋の薬品一式持ってきてくれ。案内は槍がする』……えっ初めてのお使い!? というか案内が槍ってなに!? ウルくん無事!?」
「……色々文句はあるけれど、ここは手分けするしかないようね。私がここで気付いてくれた誰かを待つから、森へは貴方が行って」
不満を飲み込んだフタバは、小屋へ戻ると棚にあった薬品一式を傍にあった大きな鞄へ詰め込んでいた。その間、ミヨウは突き刺さった槍を引き抜こうと踏ん張っていた。
ダンジョンへうっかり入ってしまった時には「抜くな」と言われたものを、今こうして引き抜く事が不思議な心持ちだった。とはいえ、今は人命がかかっている。奇妙な気分を堪能する時間もなく、少し前後に動かせばわりとあっさり細槍は抜けた。
改めて握った細槍を見る。植物をモチーフにした繊細な装飾。今思えば、ギルドの看板に使われていた模様と、手紙の封をしてあった封蝋の模様に似ていた。よく見ると、一部は中がくり抜いて装飾がされており、と普段から振り回され、飛ばされている槍とは思えないほど華奢な槍だった。
「ミヨウ、これで全部よ」
フタバが重そうに鞄を扉の外へ運んでいた。慌ててミヨウはフタバから鞄を受けると、それを肩にかけた。
「ありがとう、これ結構重いね。槍だけじゃバランス取れない。人間に持たせた方が安全ってことか……」
「……絶対に間に合わせなさい。ゲホッ……私、まだウルくんに会ってないもの。挨拶ぐらいしたいわ」
フタバは、ミヨウを見ていた。ミヨウも、フタバを見る。お互いになんの合図もなく頷き合うと、ミヨウは槍を持ち直した。
「えっと、二人のところまで連れて行ってくれるんだよね……?」
ミヨウが不安げに問い掛けた途端、槍はギィが背後で飛ばすかのように中空を舞う。そして、掴めと言わんばかりに一番握りやすいところをミヨウへ向けていた。おそれつつもしっかりと掴めば、槍は勢いよく飛び出した。
「おわぁ!?」
握ったミヨウがなんとか振り落とさない程度のスピードでびゅんびゅんと森の中目掛けて飛んでいく。
「お、落ちる〜!?」
ミヨウの言葉に、まるで「落ちない落ちない」と言いたげに上下する細槍。ミヨウの情けない悲鳴を聞きながら、フタバは槍を掴んで飛んで行ったミヨウを見えなくなるまで見送っていた。
「……大丈夫かしら」
様々なニュアンスを持たせて呟いたフタバは、高く輝くランタンを見上げた。本当に眩しく、よく見える。遠くまで光をとばすことを目的とした鉄板は、磨き抜かれているが年季も感じさせる。滑車の錆び方など、良い例だろう。いつからコレは、ここにあり、いくつもの冒険者の目印になっていたのだろう。そうして今日もまた、緊急事態を知らせる為に輝いている。
揺らした方が、異常事態に気付いてくれるかしら。と、フタバは滑車の下へ歩を進める。
滑車の傍へ歩み、ロープを掴もうとした時だった。
「っさむ……!?」
思わず両肩を竦めて、身を抱き締めてしまうような寒さがフタバを襲った。突然の温度差に、咳も止まらない。いったいなんなのだ、と咳き込みながら周囲を見渡すも何も見えない。
「ごほっ、ゲホッ。な、なに……?」
ちりん、と鈴の音が響く。フタバの意識は真っ暗になった。
ダンジョンキーパー~巨塔のダンジョンは死にかけらしい~ 烏丸 @kara-suma
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。ダンジョンキーパー~巨塔のダンジョンは死にかけらしい~の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。