中層編1-9/それは毒のように

 ギィの目には、不規則に脈打つ光が見えていた。そこへ銀の細槍を突き刺す。脈打つところに届くまで、深く突き刺す。届いた先端を固定するように、ぐり、と少しだけ回す。徐々に落ち着き始めた光を確認して、次の細槍を手に持つと木の枝で羽を休めていたキューを呼ぶ。キューが反応したので、その内飛んでくるか、と判断しそのまま次の所へ歩き始めた。


「……深層部の脈が安定していない。ウルのやつ、何処で何してんだ……?」


 通りすがりに引き抜いても良さそうな細槍があったので、指でひょい、と上げる仕草をする。ザクッと土から抜ける音がして、土に刺さっていたはずなのに汚れ一つない細槍はギィの元へ戻り、背後へ整列した。

 キューが後ろから飛んでくる気配がしたので、腕を上げてここへ乗れと言わんばかりに肘を曲げた。何に戸惑うわけでもなく、素直に前腕部分に止まったキューはやはりずっしりと重い。


「キュー、ヌシのところへ先行してくれ。昨日の様子だと今日で変わる」

「きゅ」

「最近は森の中がざわついてるし、モンスターも妙に気性が荒くなっている気がする。……いざとなったら頼むぞ」

「きゅ!」


 任せたまえよ、誰だと思ってるんだ。と胸を張る白く小さなドラゴンは、しれっとパンをもう一口要求すると、意気揚々と上へ飛び上がり見えなくなった。

 とりあえず、最悪の事態はこれで免れるだろうが。そう思いつつ、ギィは先日よりも瞬きが酷くなった森を見て目頭を揉んだ。


「あー、目がしんどい」


 ちょっと休憩しないと目が持たないと判断したギィは、目を閉じる。二、三度深く呼吸をすると枝や葉が風に吹かれて音を立てているのがよく聞こえた。

 七日ほど前位から、最深部前ギリギリまで潜ろうとする冒険者が多くなった。今クエストに出しているターゲットは浅めのところで何とかなるものが大半なので、ギルド側が諸事情あってランクの昇級テストでも行って調子に乗ったやつが増えたのか。それとも、誰かの噂が尾ひれをつけて最深部に何かある、とでも流れてしまったのか。スペクターの機嫌が悪くなり始めたのもその辺からだった気がするので、少し街で探りを入れてもいいのかもしれない。そう考えをまとめながら、目頭を何度か揉みむ。


「だいたい、このヌシが交代する時期に最深部への立ち入りとダンジョンの落ち着きのなさが重なるってなんなんだよ。そりゃ昔は悪いことしてたけど、そろそろ比率的にはトントンに……」


 ギィの小言がヒートアップする前に、うっすら開いた視界の端で一際派手に瞬く光が映り込む。また一つ段階が上がり、視界のコントロールが出来なくなっていく事に舌打ちをした。脈が光として更に見えるようになってしまった視界に顰め、眉間に皺が寄る。


「……誰だ勝手に死にかけてるやつは」


 ダンジョンが人間のエーテル吸収したら、翌日大変なんだぞ。と、ギィは酷く白んできた視界で走り出した。


 ***


「……ウルが戻ってきてない?」

「あぁ、頼みたい事があったんだが、例の香を撒いてからにしてくれと言われてそれっきりだ」


 ジェイは書類の束を抱えたまま、レイラに声をかけた。定期的に冒険者の昇級試験をするものの、最近妙に受験希望者が多くなり、早く行動範囲を増やしたい冒険者達の不満が爆発する前に、臨時で試験をするしか無かった。その事後処理の証ともいうべき紙束の山を、ジェイは抱えていた。


「頼まれごとがあるなら野宿せずに帰ってくるはずなのに」

「家にも帰ってないのか?」

「そんな形跡無かったけど……」


 うーん、と頬に手を当て考えるレイラ。


「昨日、お香忘れたーってここまで取りに来たのは、貴方を含めてみんな見てると思うのよ。物凄い勢いで扉開けてきた音も聞いてるはず」

「……昨日の音はそれか? だから蝶番が壊れてたのか?」

「大丈夫よ、あの子の報酬から引いておくわ」


 修繕費の事であるのは、いつもの容赦のなさからもよく分かった。レイラは腕まくりをする。書類仕事モードへと切り替えるルーティンだった。


「夕方前には仕事を片付けるわ。ダンジョンまで行ってくる」

「あぁ、頼む」


 話もついたところで、各々と仕事へと戻ろうとした時。ふと、思い出した様にレイラは書類を抱えたジェイへ振り返った。


「ちなみに貴方の頼み事ってなんだったの?」


 ジェイはぴたりと固まる。眼鏡が光に反射して、その目元はうかがい知れない。ここで下手にはぐらかしても面倒なだけだと諦めたジェイは、ため息と共にレイラにしか聞こえないような声で言った。


「……最深部の花を一輪」


 きょとんとしていたレイラは、言葉の意味を理解した途端に口角を上げた。


「ほんと奥さんのこと大好きよね」

「やかましい」


 ***


「いやぁ、しまった。僕もうっかりしてたけど、みーくんも楽しいのが悪いよね」


 うんうん、とウルは一人森の中で腕を組んで頷いた。猛ダッシュでギルドへ届いていたラナ特製のお香を受け取る際に、身体強化をしたままだったので、うっかり入口の金具がバキッとかメキョッとか妙な音を立てて動きが悪くなってしまった。……後で何とかなるだろう。ギルドの扉よりもこちらの方が余程重要なのだ。と、ウルは歩きながらポケットからお香の入った瓶を取り出す。暗い紫色をした不思議な粉が、森の光を浴びてかすかにキラキラと光って見えた。


「撒き終わったら、まだ二人ともいるかな。時間的に微妙だなぁ。いや、僕がダッシュで帰ればいけるいける。ご飯とか一緒に食べたいな! みーくん何が好きだろう。ギィみたいにナマモノ駄目とかあるかな」


 思わず独り言がぽんぽんと飛び出てくるくらいには、ウルは気分が良かった。


「……ウルくん、だってよ」


 にしし、とウルは擽ったそうに笑う。数年前から姉についていく形でダンジョンへ出入りするようになってからは、年上ばかりで呼び捨てや名前すら呼ばれること無く「ガキ」と呼称されることが多かった。元々ウルの同年代が少なかった事もあり、友達らしき友達というものはいなかった。

 ギィに関しては立場が特殊なので、親しいけれど友達というには少し距離があった。お互いの事は知っているけれど、いまいち一歩が踏み込めない。そんな距離感でも楽しくやれていたし、小屋のものも好き勝手使える仲だし、それでいいと思っていたが、ここでミヨウの登場である。

 どうせなら、ダンジョンの管理者とギルドのランカー冒険者の気安い貸し借りではなく、友人としての会話もしてみたい。そこに新たな友人も巻き込めたら、さぞ楽しいだろう。


「目指せ、二人とも大親友! は、ちょっと調子に乗り過ぎかな……? いやだいぶ調子に乗ったな……」


 ぽりぽりと頬をかく。しばらく歩けば、夕方により暗くなってきた光とは関係なく一段と暗くなった。ダンジョンの最深部へ入ったという、わかりやすい目安だ。ここからは、草木が鬱蒼と生い茂り、苔に足も取られやすく、生息するモンスターも一層気性が荒く、強いものが多い。

 姉と組んで来ていた時は二人がかりでやっとの相手を何度か倒したが、よっぽどのことが無ければ二度と相手にしたくないモンスターばかりであった。


「さて、この辺からで良いかな」


 本来ならば、これはギィの、ダンジョンの管理者の仕事だった。年に何度か、会長代理から直々にギルドへ依頼がある。それは当事者が何らかの理由によってこの作業が出来ない故に、最高ランクの冒険者達のみへ依頼されるシークレット扱いの依頼だった。シークレット故に報酬は高いが、特殊性が高かったり、単純に危険だったり。副会長が直接持ってくる時もあれば、小屋での記帳の際に直接管理者から依頼されることもある。今回は、後者のパターンで、ギィともう少し仲良くなりたいと思っていたウルからすれば絶好のチャンスだった。

 直々に瓶からお香を地面へさらさらと撒くと、マッチで火をつける。すると、粉は一瞬で燃え上がり灰となった。そこから癖の強い香りが広がる。少しだけ苦味のある甘い香りは、周囲に漂い、森の奥へと吸い込まれて行った。

 それを何度か繰り返す。とあるエリアを囲うようにしてお香を撒くウルは、火をつけようとして、やめた。


「……、熊みたいなやつだな。初めて見た。このお香、苦手じゃないのかな」


 茂みの奥、赤く輝く瞳がウルの一挙手一投足を観ていた。ウルは腰を低くし、じりじりと後退する。腰からダガーをゆっくり抜くと、刃にエーテルを流し込んだ。途端、熊のようなモンスターはウルへ駆け、鋭い爪を振り上げた。


「うわ、早い」


 地面を転がるようにして回避したウルは、一度モンスターから距離をとって改めてモンスターを観察した。モンスターは何度かウルへの攻撃を繰り返すものの、それはかすかに肌を掠める程度の傷しか負わせていない。その事に少しだけ焦りのようなものを示したモンスターに、ウルは「意外と知性が高い」と、呟いた。

 熊のような体躯ではあるものの、その爪は鳥類のものに近い。耳は尖っており、目付きは猛禽類のように鋭い。頭部には鋭い一角もある。爪や角、毛皮を持っていけば、何かしらギィは知っているかもしれないがそれはこのモンスターを倒してから考える事だ、とウルはエーテルを身体の脈にのせて巡らせた。ぶわり、と身体が熱くなる。少し前にギルドの扉を壊してきたパワーが、今では頼もしい。


「よし、久しぶりに頑張ろう」


 姉はエーテルを外へ出す事に特化していたが、ウルはエーテルを内へ巡らす事に特化していた。強く一歩を踏み込めば、先程までと比べ物にならない速度でモンスターの喉元へ翔ぶように潜り込んだ。

 まずは肩口。素材は欲しいのであくまで後処理のしやすさを選んでしまったのは冒険者のサガだろう。鋭さを増した刃がモンスターの肩を切り裂く。途端、吹き出した深緑色の液体にウルは慌てて距離を取った。


「げえっ 嘘でしょ毒持ちなの!?」


 この森の生物が毒を持つ場合、それは大抵、深い緑色になる。故に最深部を覆う深緑色は嫌厭されるし、その色の瞳を持つギィは一部の冒険者達から距離をとられている。古参のものは、管理者だろうが会長代理だろうが、ただの若人に対する扱いをするが、事情を知らない新参はそうでもない。若いのにダンジョンの前で偉そうに指図する人間が、どんな苦労や苦難を乗り越えてそこに立っていようが、気に入らないものは気に入らないのだ。


「こりゃ素材剥ぎ取るのは、諦めた方がいいかなぁ」


 毒にまみれては、素材から何かを作り出そうにも触れただけで爛れてしまう可能性がある。いつもお世話になっている道具職人にそんなリスクは負わせたくない。ギィへの報告と持ち帰れそうなサンプル提供だけで、他は諦めよう。そう思った時、だった。

 ひゅん、と頬を矢が掠めた。そのまま勢いを殺しきれない矢は木に刺さり、ビィンとしなっている。何事かと視線を矢が飛んできた方に逸らした瞬間、モンスターはウルへ体当りをするように接近してきた。とがった角がウルの脇腹目掛けて飛んできた。続け様に、背後から矢を射る音がかすかに響く。どちらが致命傷になるかは、考えるまでもなかった。


「クソッ」


 誰が、何故、など考える余裕もない。モンスターの角をダガーでなんとか軌道を逸らしつつ、致命傷を避ける。避けつつも二の腕に矢が刺さる。いくら身体強化をしようとも何度かこれを繰り返せば、ウルの身体は身体強化の負荷とモンスターや謎の弓士からのダメージで満身創痍だった。


「はぁ……、あー、めっちゃ痛いんだけど……」


 しかし、モンスターを仕留めないことには自分が殺される。ウルはダガーを構えると矢が飛んできた方角と自分の間にモンスターを挟むように立ち回る。これで弓士は移動せざるを得ない。その間に、この熊のようなモンスターを仕留めなければ。一際ダガーへ、エーテルを回す。ダガーが唸るような音を出す。危険を察知したモンスターは満身創痍のウルへまだ動く腕を振りかざした。一気に脚のみへ力を回したウルは、瞬きの間にモンスターの喉元を裂いていた。勢いよく深い緑色と血液だろう赤い液体が吹き出す。

 真正面から体液を浴びたウルの顔には、痣が浮き上がった。吹き出した体液は、そのままモンスターの全身を汚す。これでは、素材として使い物にならないことは明白だった。

 そのままモンスターの身体を盾に暫く様子を窺っていたウルだが、いくら待てど弓士の気配はしない。物音も最深部でよく聞く、少し重たい梢の擦れる音と、生き物のかすかな移動の音のみ。


「弓士は……行ったのか……?」


 最深部まで入ってこられる冒険者なぞ、そういない。それに加え弓を扱う冒険者は数が限られるが、どれもこんなことをするような人間ではない。

 ひとまずは手持ちの薬で応急処置をするしかない、とモンスターの影から離れ鞄中を漁るウル。苦い顔をしながら違う種類のポーションを何度か飲むものの、その顔色は悪くなるばかりだった。


「うわー、この毒、新種……? こりゃ、一回小屋に引き返すか……」


 重そうに身体を「どっこいしょー!」と、立たせたウルは、突然背後から切られた。


「……え?」


 背中をばっくりと斜めに切られ、ウルはその場に倒れた。夕刻も残り少なく、光は最深部の植物に奪い取られ、周辺は微かに自然発光する植物の明かりのみ。そのはずだったが、突然松明のような明かりが灯る。そこには、やけに興奮したように弓を持った男と怯えたように松明を持つ男、そして剣を持って震える男がいた。


「は、はははよくやったぞ! これでウルは死ぬ! このモンスターの討伐もオレたちのものに……!」


 弓を持った男は、弓をその辺へ放り出すとナイフを取り出し傍で事切れているモンスターを解体しはじめた。雑な手つきで引き裂かれるモンスターからは、ぶしゅり、と体液が飛び散る。飛び散ったそれはその場にいるもの全てに降りかかる。剣を持った男など、己の腕に体液がつく度、見ている側が可哀想なほどに飛び上がって怯えた。


「あ、アニキ。これ毒なんじゃ……?」

「なんだって?」

「ウルってやつにも、おいらの腕にも、み、見た事ねぇ痣が……!」


 剣を持った男の言う通り、ウルにも男の腕にも毒々しい痣が浮かび始めていた。途端、狼狽えてモンスターの解体を素早くやめた男は弓を拾うと、何やら言葉を続ける男二人を無理やり引き連れて、その場から去っていった。


「……は、はは。僕も例に漏れず、って、やつかな」


 どんな苦労や苦難を乗り越えてそこに立っていようが、気に入らないものは気に入らないのだ。そういう人間は、どこにでもいる。

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