中層編1-8/長い一日

「おはようございます。こちらに記帳をお願いします」


 フタバが笑顔で迎え入れると、あらゆる冒険者が沸き立った。顔なじみの古参だろうが、最近ダンジョンに出入りするようになった新顔だろうが、沸き立った。沸き立って、隣でうるせぇと顔に書いてあるギィに寄ってたかった。


「なんなんだあの黒髪美人!?」

「昨日の兄ちゃんと顔そっくりじゃねぇか!」

「なんだよお前も隅に置けねぇな!」

「どこで捕まえたんだよあんな可愛い子達!」

「受け付け二人で並んでると……いいな……!」

「あんな得体の知れないお化けより何万倍もマシだぜ!?」

「お、おおおお嬢さんお名前を是非!」


 だんだんとヒートアップしてくる冒険者達に向かって、ギィはとうとうキレた。


「 書いたらさっさと行けこの冒険野郎共ぶっ刺すぞ!!」


 とうとう細槍を片手に振り上げたギィに、騒がしくしながらも捌けていく冒険者達。「今日は早く戻ってくるからねー!」「明後日に帰還しますゆえ、その時にはお名前を……!」「怒るとお師匠みたいに頭皮薄くなるぞー!」などと野次を飛ばしてそれぞれ森へと入っていくのを、「センセーはハゲじゃないし関係ないだろうが!」と叫びつつギィは全員の影が見えなくなるまで、小屋の扉に凭れながら見ていた。


「……ほんとにうるさいなあいつら」

「うふふ、元気なのは良い事ですよ。……けほっ」


 耐えきれず、と言ったふうにフタバが咳をする。一度ギィはフタバを見たものの、フタバはこれといって表情を崩す気配は無い。とんでもない負けず嫌いが来たものだ、とギィは軽く肩を竦めた。


「小屋での流れはミヨウから聞いてもらうとして。奥にはある茶葉やポットは適当に使ってくれて構わない」

「はい」

「ハンコの原型は二人に任せるから、適当に図案描いておいてくれ」

「……見なくとも、よろしいのですか?」


 意外そうな顔をするフタバに、ギィは少し苦い顔をして頭をかいた。


「苦手なんだ、そういうの」


 机に向き合う作業が苦手なのだと言うギィは、冒険者たちに見つからないよう鞄に隠れていたキューを呼ぶ。待ってました、とばかりに飛び出してきたキューは一度ギィの頭を掠めるように飛ぶと、フタバとミヨウの周りを旋回する。二、三度回ったと思ったらギィの肩に止まった。


「今日はついてなくていいのか」

「きゅ」

「ふぅん。そういうもんかね」

「きゅー」

「やかましい」


 肩に乗った小さなドラゴンと会話をしながら、ギィは森へ入る準備を進める。グローブを指の奥まで引き、まくった袖が落ちないようにチェックする。そうしているうちに、何処からか飛んできた銀の細槍がギィの周辺を漂い始め、美しく縦に整列した。腰のポーチの緩みがない事を確認し、ブーツの紐を解けないように結び直した後、背筋を正して一度鋭く息を吐いた。


「それじゃ、小屋頼む」


 ギィがカウンターの中にいる二人へ振り返ると、同時に「行ってらっしゃいませ」の声が返ってきた。その事に、ギィは少し面食らった顔をした。


「あの、なにか……?」

「忘れ物でもしましたか?」

「いや。……なんでもない」


 ギィは、先日のミヨウの挨拶で挙動不審になりながらもダンジョンへ入っていった冒険者たちの事をもう笑えないな、と思った。今まで特に返事があるわけでもなく、あるとすれば鈴の音一回とか、とてつもない冷気とか、インク壺が軽く音を立てて机に落とされるか、ぐらいであった。しかし、人間の声と表情で送り出される時の違いと言ったら雲泥の差であった。小屋から出たギィは、森へ入る前に二人に任せた小屋を振り返った。


「きゅー」

「まぁ、大丈夫だろ。不安だったらお前を置いてきたさ」

「きゅ」

「そうだな、今はヌシの問題が先だ。……こっちに集中できるっていうのは、有難いもんだけど」

「きゅ?」


 ギィは目頭を揉むと、ゆっくり目を開いて森を見た。その目は、深い森の色から朝日を浴びる若葉のように、明るく白んだような色になっていた。


「……脈が不規則なところがあるんだよ。嫌な予感がする」

「きゅ」

「ウルがやる事やってるのを祈るしかないな」


 昨日、騒がしく森へ入っていったウルを思い出す。今朝の帳簿にウルの帰還チェックは無かった。あの時間からダンジョンに入ったなら、ダンジョンで野宿している可能性もある。むしろ、普通に木の上で寝ている確率の方が高いまである。しかし、ダンジョンの地脈が整っていない事が、ギィの懸念を後押ししていた。スペクターも拗ねてどこかへ行ってしまっている今、ダンジョンで動ける味方は数少ない。


「はぁ、長い一日になりそうだ」

「きゅー」

「……なんでお前もう小腹すいてるんだ。ほら」


 ギィはポーチから木の実を練りこんだパンを取り出す。キューが食べられる大きさに割ると、中空へ軽く投げた。それを口で受け取ったキューは、嬉しそうに咀嚼していた。


「食ったら自分で飛べよ。お前最近重いんだから」

「きゅ!?」

「とりあえず昨日刺した槍の回収からいくかぁ」


 ***


「へ、変態よ……。この量を実質二人で捌いてたなんて……!」


 昼も過ぎてしばらく、一通り冒険者を見送り余裕が出てきたフタバは過去の帳簿を見てわなわなと震えていた。


「ギィさんが文字全般苦手なだけで、きちんと情報を処理出来る方というのは把握してたけど、このスペクターという方の補完能力はどうなって……!?」


 震えるフタバを横目に、ミヨウは「あー、昨日のおれと同じ心境だなー」と見守りながらマグを二つ取り出し、お茶を注いでいた。小屋には、何故か色んなものが三人分揃っていた。新しく揃えた訳でもないマグやちょっとした生活用品は、元々ここに三人いたような痕を残している。

 ギィの家も三人分の食器や部屋があったのをミヨウは思い出した。キューは除くと考えても、一人で暮らすには多いそれらに疑問を抱いたのは、家にいたフタバだった。


「お料理を作らせてもらっていた時にね」


 寝る間際、フタバはベッドに陣取って神妙な顔で口を開いた。双子に宛てがわれた部屋は、ベッドが大きい事以外は清潔感もある普通の一人部屋だった。他にも一部屋空きはあったが、双子が一部屋で良いと押し切った結果、この妙にベッドの大きな部屋を貸してもらた。そこに二人で転がって寝るのは幼い頃に戻ったような気がして、しばらくくすくすと笑いあっていた。


「ギィさんとキューちゃんの生活空間にしては、ものが多いと思ったの」


 ぽすぽすと枕の形を整えながら、ミヨウはフタバへ振り返った。


「……誰か他にもいるってこと?」

「いえ、最近動かされた感じはなかったし今はいないと思う。多分、ご家族とか、一緒に住んでた方かしら」

「一緒に住んでた人……」


 その一緒に住んでた人の痕跡を、小屋でも見つける事になるとは。一人でダンジョンの管理をしているようだし、そもそもダンジョンの管理という言葉が未だ耳慣れないし、謎が多い人物だなぁ、とフタバにお茶を入れたマグを差し出す。ようやく落ち着いたのか、過去の帳簿をペラペラと捲りながら、フタバは口を尖らせていた。最上層にいた頃には到底出来なかったフタバの幼い頃の癖がまだ生きていて、ミヨウは少し嬉しくなった。


「悔しいわ。ギィさんのアドリブに対して、ここまで整理された情報でまとめられているなんて」

「姉さん、どこに向かって張り合ってるの?」

「最上層で兄様の秘書としても仕事をぶん回していた私のプライドが……!」

「いや、兄様は姉さんに書類渡す時点でだいぶ纏めてくれてたし業務の方向性が違うから……」

「大恩人に得意分野で恩をお返しできると思ったら、先にとんでもないのがいたのよ!? げほっごほっ」


 完全に外行き用の皮が剥がれ盛大に咳き込むフタバに、ミヨウは苦く笑って背中を摩った。


「ほら、まだ完全に落ち着いてないんだから興奮しないで」

「ごほ……っ」

「お茶飲んで。ゆっくりね」


 仕方ない、とばかりにミヨウが入れたお茶を飲むフタバ。しばらくして少し落ち着いたのか、大きく息を吐いた。


「ごめんなさい、ありがとう。けほっ」

「せっかく落ち着いたんだし、姉さんの薬を確保しないといけないね」

「でもアレは、最上層の製薬技術じゃないと手に入らないんじゃないかしら」

「近い効能で代用出来ると良いんだけど……」

「この際、味は構わないから、なんとかしたいわね……」


 うぅん、と二人で腕を組む。ふと、ミヨウは思い出したように手を打った。


「あ、ウルくんなら何か知ってるかも」

「……ウル、くん?」


 片割れの珍しい呼び方に、目を瞬かせるフタバ。普段から誰であろうと敬意を表す敬称をつけがちな弟が、一歩踏み込んだ敬称で呼んだ。片割れの友好関係が中層に来てから物凄いペースで広がっている。


「あ、えっと昨日話をした冒険者だよ。ギィさんと親しいみたいで、ダンジョンで採取出来るものの使い方はウルくんの方が詳しいって」

「なるほど。冒険者様……」


 それであれば、詳しいのも納得出来る。最上層において冒険者とは耳馴染みのない役職で、どちらかと言えば最上層よりも下の階層にいる無法者、という印象が強い。しかし、最上層への娯楽を持ち込んでくれるのも、また冒険者であった。上層から最下層までの話を歌や楽器と共に語るそれは、最上層の人間の胸を躍らせ、それらを文面におこして本にするとたちまち大人気となる。

 ミヨウの話を聞く限り、中層の冒険者は詩人というより旅人や日銭稼ぎや荒くれ者といった気質が強いようだ。良くも悪くも詩人の語る基本的な冒険者というものに近い。


「それと、スペクターの事も少し教えてもらって……」

「スペクター……、さん……?」


 フタバの気配が途端にピリつく。そこまで目の敵にしなくても、と思いつつミヨウはスペクターの特徴を話していなかったことに気が付いた。


「あのね、スペクターは見えないモンスターなんだ」

「……見えないモンスター……?」


 予想の斜め上からの言葉に、フタバは首を傾げた。


「うん。便宜上スペクターと呼んでいるけれど、正確にはお化けに近いらしい。お化けだからおれ達の目には見えないし、気難しいからコミュニケーションも取りにくい」


 あ、スペクターに敬称つけるとそこのインク壺とか本とか飛ばされるから呼び捨てにするのが安全だよ。と、続けるミヨウ。思わずフタバはインク壺を見た。


「……貴方、お化けとか幽霊とか苦手じゃなかった? 禁領まわりの怪談話を聞いてしまったら、三日は一緒に寝ていたのに」

「そ、そそそれはめちゃくちゃ昔の話!!」


 ミヨウは慌てて話を戻すように、わざとらしく咳払いをした。


「そう! だから、スペクターとの差別化は出来てるんだよ。そこは安心していいんじゃない……?」


 見えない上に、癇癪持ちで冷気も酷い。ほんとに冷たい。それに対して人間で華があってコミュニケーションがとれる。カウンターでの仕事ならば、どちらの方が適正なのか火を見るより明らかだ。

 ミヨウの言い分に一理はあると思ったのか、フタバはピリついた気配を消した。


「需要と適正の差別化は分かったけれど……」

「けれど?」


 まだ何か悔しがる点を上回る何かが必要なのか。ミヨウは少し構えたが、フタバはミヨウが危惧した方向とは別の方面が気になったらしい。


「こんなに裏方の事務作業ができるお化けなんて、聞いたこともない。しかも文字も綺麗。最上層の怪談話では、こんなに理性的なお化け出てこないわ」


 それとも中層ではわりといるのかしら。と、顎に人差し指をあてるフタバ。


「今スペクターはどこかに行ってしまっているらしいんだけど、そのうちスペクターとも一緒に仕事をするようになるかも」

「スペクターさ……、スペクターの事を調べておくなら今のうち、という事ね」


 インク壺を飛ばされるというインパクトが強かったのか、フタバもスペクターへの敬称はやめることにしたらしい。それがいい、あれめっちゃ怖かった。と、ミヨウは頷いた。

 ふと、小屋の扉が開く。そこには、何やら興奮冷めやらぬといった表情をした冒険者三人がいた。その内一人は目がギラギラとしており、二人は怯えつつも高揚している。奇妙な空気を纏っていた。三人組の誰もが妙に顔色が悪く、怯えた様子の一人には、奇妙な痣が腕に浮かんでいた。

 ミヨウはどこかで見たような顔だと、記憶を遡る。フタバは奇妙な冒険者達の雰囲気に疑問を抱きつつも、挨拶をした。


「も、戻ってきたんだ。サインだけさせてくれ。取ってきたものは無い」

「かしこまりました」


 採取したものが無いなど、過去の帳簿を見ても珍しい。しかし、ここで詮索しても良い事は無いだろうと判断したフタバは、特に触れること無く記帳が終わるのを待つことにした。


「ほら、これでいいだろ」

「はい、ありがとうございます」


 記帳には震える文字で三人分の名前が書いてあった。フタバが確認し終えたのを見てから、リーダーであろう記帳した男が、他二人を小屋から急いで出る様に背中を荒く押す。


「おら帰るぞお前らッ!」

「で、でもアニキやっぱり言った方が……!」

「ダンジョンで、あんなこと……」

「うるせぇ! 結局お前ら止めずに見てただろうが!」


 怒鳴り散らす男に無理やり押されながら、ドタドタと出ていく三人組。ミヨウは初めてここに来た時にいた三人組だと言うことを思い出した。


「あの三人組……」


 スペクターの怒りに触れ、ギィに行動の制限を掛けられていた三人。伝えられていた三日は過ぎたが、その後の沙汰はどうなったのだろうか。先程の様子も気になるし、三日前に見た時は妙な痣もなかったはずだ。

 ミヨウはこっそりと窓辺に近付いて三人の会話に聞き耳を立てた。フタバも三人組の不審な挙動が気になっていたのか、ミヨウに目配せすると同じく窓辺に移動し、聞き耳を立てた。怯えた様子の二人に何処へも喋るなと言った脅しのような会話が続いていたが、暫くすると二人は黙り込んでしまった。それを見ると、男は汚い引き笑いをした。


「きひひっ オレたちが、ギルドのトップランカー、あのウル・シェーンドにとどめを刺したんだ! 順位がひっくり返るぞ……!」


 遠ざかる三人組の足音を聞きながら、ミヨウは血の気が引いていくのを感じていた。手足が冷え、体から嫌な汗が吹き出るような感覚に襲われる。

 昨日、色々話してくれた彼が。みーくん、と呼んでくれた彼が。まだ何も知らないけれど、少しずつ仲良くなれたらいいな、と思わせてくれた彼が。


「ウルくんが、ころされた……?」

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