切れた



築40年の古びた病院。

初めてメインで動く夜勤。非常口の緑のランプが暗闇を照らすが絶妙に気味が悪い。今にも出てきそうな……。

普段の明るい時間とは違う病院の雰囲気に未だに目は慣れない。余計なことは考えないでおこう。


足早に動いていく先輩看護師。

それに必死に追いつこうと私も走る。

しかし走ると怒られるため競歩程度で歩いていく。


認知症で夜に何度もトイレに起きる患者さん。

一人で歩くには不安定だから一緒に行きましょうと伝えても数分もすれば忘れてしまう。

私もいずれはこうなるのだろうと思って気持ちを落ち着かせて接していくも、病室のあちらこちらから離床センサーが反応しナースコールが鳴り続ける。

さすがに私もパニックになることで苛立ちが募ってしまう。


自分で優先順位を考えて何とかケアを施そうとするも全て空回りする。

その度に先輩看護師が横目に溜息をつく。


決まった時間に行うケアは殆ど決まっているが、複数重なれば優先順位を頭で組みたてて予測しながら行動しなければならない。


私は予測して考えて臨機応変に行動するのがとてもじゃないが出来るとはいえなかった。


オムツ交換、経鼻経管栄養の準備・注入、時間管理、ウロバックの管理、洗面の準備、何もかもが手際が悪かった。

一つ一つに時間をかけすぎて、それでも失敗をし、とにかく不器用だった。


気づけばもう8時半。

朝の申し送りの時間になる。

時間の進み方が恐ろしい程に早い気がした。


「おはようございます。」と言いながらやってくる先輩看護師や、そのまま無視する先輩看護師がぞろぞろとやってくる。


初めての朝の申し送り。

プリセプターがついてくれてると言っても申し送りは一人で行わなければならない。焦りはピークになってくる。


震えた唇で吃りながら患者の夜の様子を伝える。周りの先輩は眉間に皺を寄せ怪訝な表情を浮かべている。

時には「それってどういう事なんですか?」と目の奥が笑っていない先輩看護師に質問された。

冷や汗が滴り落ちていたのを今でも覚えている。

怪訝な表情を浮かべる度にプリセプターは補足してくれるがその度に私の心の中で焦りが生まれていた。



休憩室に戻りプリセプターと向き合うと、一つ溜息をつかれる。

「言ったところ、あんま出来てなかったっすね。」

「は、はい。すみません、焦ってしまって、その……」

「正直言って俺は悲しかったっすね。」

それだけ言い残し新人研修の書類を置いていくとカルテを入力しに戻ってしまった。

……言葉が出なかった。


一人取り残されると外から患者さんと先輩の会話が聞こえてくる。誰も私に関心は無い。

誰もそうは言ってない。そんなことはわかってるのにそんなことを囁かれてる気がした。

きっと幻聴だ。私の持病のせいに違いないんだ。


今まで言われてきた先輩からの言葉が脳裏に蘇り勝手に涙が溢れてくる。


「お疲れ様でした…」

覇気のない声でそう告げて覚束無い足取りでナースステーションから出る。更衣室のロッカーの前に立つと頭を思い切り揺さぶられたように目眩がしてくる。

振り切って、私服に着替え、ロッカーの扉を閉めると体の力が抜けそうになった。


車に乗り込むも視界がぼやけてくる。きっと疲れてるんだ。泣いてない。私は大丈夫だ。

ブレーキペダルを踏みながらエンジンボタンを押すとエンジンがかかる。ETCカードの音声が流れる。

電子タバコの電源入れ、タバコを吸った。普段ならメンソールの味がするはずなのにその日は塩辛かった。バックミラーには皮膚が赤く腫れ二重が分厚くなった不細工な私が写っていた。


……家に着くまでの過程は覚えてない。

気づいたらテーブルの上に多量の睡眠薬と抗不安薬の空シートが乱雑に置いてあった。

意識が途切れていく。


彼氏に「ごめん」の一言をメッセージに送って。




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