六章 誰にだってある、意地と過ち
第22話
ドーゼン王国の王城、その中心にある玉座の間。
レッド率いる放逐者とコボルトの連合軍が暴れたこともあり、かつての絢爛さはなく、未だに破壊と血の痕がこびりついている。
傾いた玉座に座るのは王ではなく、まったく別の人間。そんな人間にすがるのは、本来玉座にあるべき王であった。
「結局、余は孤独な王。王になるべき男ではなかったのだ。王であれば、裏切り者と呼ばれた友の真偽を見定められたのだ。だがあの時余は、友の疑惑から目をそらし、さらに逃亡を許してしまった。あの日から、妻と娘の余を見る目は、目は……」
「あーはいはい。大変だったよねえ。本当、大変。すっごく大変」
足にしがみつく王を、玉座のレッドは気だるげにあしらう。玉座の周りには、怪しげな草や空き瓶が大雪のように積もっている。
レッドはじっと玉座からの景色を眺める。
「王様の中身も立場も、こっちの世界にはなかったものなんで興味はあったけどさ。いざ手にしてみると、うーん……ジャンル違いって感じかなあ。たぶんね、これがたまらなく好きな人間もいるんだろうけど。でも、どうなんだろうね」
そんなレッドの目に映る、こちらに歩いてくる白衣の女性。レッドと同じ放逐者であり、類まれなる知識と謎の戦闘力を持ち、その一方でまったくやる気を持ち合わせていない女。通称、博士である。彼女はこの世界に来てから、誰にも本名を名乗っていなかった。
「ん? どうしたんだい、博士! 注文した画期的かつ斬新なブツが出来たとか!?」
「薬学はわたしの専門外だよ。いやなに、そろそろここから出ていこうかと思ってね。悪いがこの国は、どうにもわたしの知的欲求を満たさない」
「えー。博士とはずっと仲良くしたかったんだけどなあ」
「わたしは別に。火葬法師も帰ってこないし、そろそろと思ってね」
「アイツはボリュームがデカいくせにお硬いし、どこに行ってもいいんだけどさあ。博士はなあ……」
未だに足元でぐじぐじと言っている王に負けぬほどに、うじうじとしているレッド。彼がこんなに他人に執着するのは珍しい。博士はそんなレアさなど一切構わず、決め手となりそうな台詞を口にした。
「今の状況は、わたしにとってハッピーじゃないのさ」
「ああ、それじゃあ仕方がないね。バイバイ、博士!」
ハッピーじゃないと聞いた途端、レッドは博士への執着をあっさり捨てた。ハッピーなのか、ハッピーでないのか。自分のハッピーも大事だが、他人のハッピーも尊重する。レッドは、ハッピーな男なのだ。
そのまま立ち去ろうとする博士に、レッドは思い出したかのように声をかける。
「そうそう、出ていく前にやって欲しいことがあるんだけど」
レッドは片手で王様の頭をなでつつ、つらつらと自分の要望を伝える。
要望を聞き終えた博士がまずしたのは、ため息をつくことであった。
「先日の手術もそうだが、やはりキミとわたしは、路線が違うようだ」
「気乗りしてない割に、すっごい完成度だったけどね、アレ。それで、今回の手術はやってくれるのかな?」
「仕方ない。一応、衣食住の恩義は知る身でね。ハッピーではないけど、やってやろう」
「うん。ありがとう。なにせ、これぐらいはやってもらないと……ボクがハッピーじゃないからね!」
他人のハッピーは尊重するが、自分のハッピーと比べてしまえば、それは自分のハッピーが勝つ。いくらなんでも、そんなにハッピーは便利な物じゃない。
そんなレッドの柔らかな笑みを見て、博士は自分の眼鏡を気だるげに直した。
◇
火葬法師の撃破。そしてフェイの復活から三日ほどの時が経っていた。
境目の森にある、ガラハの家。瞑想中の火葬法師がいいように火をつけたが、幸い家は無事であった。だがその爪痕は、森に深く残っていた。
「ふん!」
壱馬の蹴りにより、黒く焼け折れ曲がった木が根本から折れる。倒れた木は、なにやら正体不明の異臭を放っていた。壱馬の生身より遥かに丈夫な嗅覚センサーがイカれてしまいそうなほどに臭い。
「だから言っただろう。鼻を隠すか? と」
顔に幾重にも布を巻き付けているガラハが、壱馬に同じような布を渡す。ガラハの眉も、耐え難いとばかりに歪んでいた。
「いや、ここはもっと丈夫な……マスクを使う」
そう言うやいなや、怪人の姿へと変身する壱馬。丈夫なフルフェイスのマスクは、毒や異臭から身を守る力もあった。
「それでも、臭い」
壱馬の率直な感想である。身体に異常はなくとも、まだ臭い。並の殺人ガスなら弾くマスクの防塵性すら無視してくるとは、いったいどんな異臭だ。そんな異臭を放つのは、目の前の木だけではない。
「臭いと言っても、まだこちらはマシな方だよ。ヴィルマが行っている、東側。あちらは更に臭い。焼け死んだリスやウサギが、この木を越える腐臭を放っているそうだ」
「それは、あまり想像したくないな。火葬法師め、あれだけ気持ちよく死んでみせたのに、未練がましい真似をする」
火葬法師の炎は呪いの炎である。そして、呪いは主が死んでも残る。火葬法師の炎に巻かれた商業地区と境目の森の消火活動はとうに終わっている、だが、燃え残った死体や灰が放つ異臭が、復興作業の足を大いに引っ張っていた。
「この異臭は、いわゆる魔術的なものだろう。残骸は、エルフの女王が引き受けるそうだ。女王ならば、処置の方法も思いつくだろう」
「下手に吹き飛ばして妙なモノを残すよりは、そちらのほうがいいか」
壱馬は発射寸前だった毒ガスと指ミサイルを引っ込める。力付くで吹き飛ばしても、呪いのようなものが残ってしまっては仕方ない。餅は餅屋、魔術はエルフだ。
持ち前の怪力で、木を処分する壱馬。ガラハは壱馬が壊した木を束ねていく。
さくさくと作業を進める二人の後ろから、まるで這うような足取りで近づく影があった。
「な、なにか、お手伝いすることはありますか……?」
ささやくような声で、二人にたずねるフェイ。声のボリュームに、燃え残った木にしがみつくようにして立っている姿と、その有り様は壱馬による改造手術の前より、更に弱々しかった。
「いや、特には……」
「ちょうどいい。この木の束を、向こうまで運んでくれ」
ガラハの言葉を遮り、壱馬はゆわえられた木の束をフェイに渡す。壱馬が軽々と持っていた束を受け取ったフェイは、重さに耐えかね、そのまま崩れ落ちた。
思わず助けようとするガラハを、壱馬は手で制する。
「それじゃあ、頼んだぞ」
「わかりました。任せてください」
壱馬にこう言われ、フェイは脂汗をにじませつつ笑顔で答える。
フェイは木の束を抱えたまま立ち上がろうとするが、束の重みに負け、まったく動けない。フェイは木を手放すと、プルプルと震えつつも立ち上がる。まずこうして立ち上がってから、改めて束を抱えようとするが、それでもまだ持ち上げることは難しかった。
「よいしょ……よいしょ……」
ずりずりと、フェイは木の束のロープを掴み、地面をずるように運んでいく。
「ほどけたら、自分で結わえろよ!」
「は、はい!」
壱馬に言われ、返事をするフェイ。その途端、フェイの身体が突如宙に浮いた。ぐるんぐるんと回りつつ、そのまま地面に身体を打ちつける。
誰かが妙な魔法を使ったわけでも、変な能力で干渉してきたわけでもない。ただ、フェイの神経がまだ身体に馴染んでいないだけだ。
物を持つ。言葉にすれば簡単だが、その際に求められる身体の機能は多い。神経の異常により、力を入れるべき筋肉も動かすべき部位も理解できず、フェイはこのような空中錐揉み回転をする羽目になった。改造手術とは、そういうものなのだ。
それでもフェイはあきらめずにまた立ち上がる。フェイが長い時間をかけて遠くに行くまで、ガラハはその背を見守っていた。
「辛いな。これは」
ガラハは、歯を食いしばりつつ、そんなことを呟く。
「仕方がない。ここで手を貸してしまい、神経や身体がなじまないまま定着してしまったら、フェイは一生寝たきりだ。無理にでも動いて、まともに動ける身体に仕上げるしかない」
「わかっていても、辛いな」
これが最適だと理解できても、納得できるわけではない。だが、理解したから手は貸さない。ガラハは、己を律することができる人間であった。
壱馬は変身を解き、一度人間の姿に戻る。
「もともと、優しくするつもりはなかったが……いかんせん、フェイの回復と定着速度が早すぎる。術後三日で歩けるようになるだなんて、今までに聞いたことがない。経過観察しているこちらも、まったく手が抜けない」
ヴォートの技術を使ったのが影響しているのか、それともフェイ本人の素質なのか、とにかく、フェイの回復速度は前例がない早さであった。今でもところどころ包帯を巻き付けてはいるが、このペースなら来月には全部取れてしまいそうだ。
ガラハは壱馬にたずねる。
「なるほど、三日で歩けるようになるだなんて、聞いたことがない……ね。お前はどうなんだ?」
「どう、とは?」
「とぼけるな。お前も改造人間なんだろう。だったら、改造が終わってから歩けるようになるまで、どれだけの時間がかかったんだ? 三日以上かかったんだろ?」
「……十日だ」
「なるほど、倍以上か。それは朗報だ」
「嫌味か?」
「いいや、ウチの娘が素晴らしいとわかっただけだ。親にとって、コレほどの朗報はないよ」
ふふふと笑うガラハと、ぶすっとした様子の壱馬。同じ敵と戦ったこともあってか、二人の距離感はわずかに近くなっていた。
「それでも、フェイがもう少しちゃんと動けるようになるのには、時間がかかるんだな?」
「まともに動けるようになるまで三十日ほどかかった俺の意見なんて、参考にならないだろ」
「ならば、上手くいっても十日はかかるか。やはり辛い。辛い話からは、逃れられん」
そう言うと、ガラハは壱馬に背を向ける。
「集めた廃材を、エルフの女王の元へ運んでくる。もうだいぶ、溜まったからな。後のことは頼んだ」
じゃあなとばかりに手を上げ、その場から立ち去るガラハ。壱馬はさほど気にもとめず、そのまま自分の作業に戻る。
廃材が積まれた馬車に乗ろうとするガラハ。ちょうどそこには、束を一つ運び、疲労困憊のフェイがいた。切り株にしなだれかかるようにして休んでいる。
ガラハは優しい言葉をフェイにかけようとして、ぐっと呑み込む。
優しさは厳禁だ。壱馬がフェイの治療後に言った言葉だ。無理矢理にでも日常生活を送ることで、身体の使い方を学び、神経を定着させる。その際、優しさは障害となる。
だからこうして、フェイを無理に連れるような形で、境目の森の家まで帰ってきた。無境の村や商業地区では、優しさから逃れられなかったからだ。
そんなガラハに気づいたフェイが、声をかけてきた。
「なにか手伝えることは……ありますか……?」
フェイは言葉をつまらせつつも、そんなことを言ってみせた。言ってみせたのだ。
聞いた瞬間。ガラハの中にあった優しさが消える。こんなものは、腹に溜め込んでいるだけで無粋である。フェイもまた、優しさが不要であることを、腹の底からわかっていたのだ。ガラハは別のところに積んであった廃材を持ってくると、フェイに告げる。
「この廃材を、馬車に積んでおいてくれ。時間は、いくらかかってもいい」
「わかりました」
フェイは切り株から立ち上がると、よろけるようにして廃材を手にする。
なぜ、助けてくれないのか。
なぜ、わたしの体のことを考えてくれないのか。
そのような恨みや怒りが、フェイには一切無い。ただひたすらに、黙々と自分のやれることをやる。
フェイの強さを、見誤っていた。ガラハは心中で謝罪し、決意を固めた。
親として、この娘に恥じ入るような人間であってはいけないと。
「少し、外に出てくる。後のことは任せた」
ガラハはそう言うと、フェイの返事も待たぬまま、走るようにして森へと消えた。
◇
しばらく、呆然としていたというのが正しい。なぜなら、このあたりの後片付けをしていたはずのガラハが、唐突に走り去ったからだ。しかもその走り去った方角は、商業地区や中央ではなく、外に向かう方角であった。
ハッと気づいたフェイは、抱えていた廃材を捨てる。その過程で再び転んでしまったが、そんなことはどうでもよかった。地面に這いつくばったまま、フェイは叫ぶ。
「イチマさん、来てください……イチマさん!」
しばらく叫んでから、フェイは間違いを犯していたことに気づいた。これでは、満足に動けない自分が助けを求めているかのようではないか。それでは、厳しさを良しとする今の壱馬が来るわけもない。
「イチマさん! わたしではなく、父さんが! 父さんが大変なんです……!」
そう言い換えた途端、草むらをかき分け壱馬がやって来た。
「ガラハに何かあったのか?」
何らかの異変が起こっている、そう察してからの壱馬の動きは迅速であった。
だが、この躊躇とすれ違いによって発生した、数分ほどの遅れ。
その遅れのうちに、ガラハは無境の村より姿を消していた。
悪い奴らは眠らない!~誰かが歌う子守唄~ 藤井 三打 @Fujii-sanda
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