第21話

 森が燃えていた。

 木が燃え、動物が逃げ惑い、空気が灼ける。

 火葬法師の炎は、生き物を弔う炎である。その勢いは、先日街を燃やしたときよりも強い――はずだった。


「不敬なる、不敬なる!」


 火葬法師の手より放たれる業火。渦を巻く炎は標的を狙い、そのまま標的の剣にて断ち切られた。


「火は力であり、本来敬意を払うべき存在だというのはわかる。だが、お前という余計なものが入った時点で、まったくそんな気はなくなるな」


 ガラハは、そんな言葉と共にミドルソードの切っ先を火葬法師めがけて向ける。周りでくすぶる炎が触手の形を取り襲いかかるが、ガラハは火葬法師を睨んだまま、たやすくすべて切り捨てた。

 見張り台にいたガラハは、森を焼く不自然な火を察知。すぐさま駆けつけると、火葬法師の前に立ちはだかった。報せは残してきたが、未だ自警団も援軍もない。彼は一人で、互角以上の立ち回りを見せていた。


「まるで魔物のように襲ってくる凶悪な炎だとは聞いていたが、いかんせん殺気もありありだ。異世界だの異世界人だの、そういうことを忘れてしまえば、そこまで突飛なものではない。かつての魔王軍にも、似たような炎を使う魔物がいたよ」


 ガラハは火葬法師の炎を、その剣にて断ち切って見せる。魔法を使うことなく、気迫と技で怪しの炎を斬る。このガラハの消火活動により、境目の森の延焼は最小限に収まっていた。


「ぬううううううん!」


 火葬法師の装束のあちこちから炎が吹き出す。彼は、あまりにわかりやすく怒っていた。


「許すまじ! 許すまじ! 死は救済、そして慈悲! 救済を拒む者の気を発見し来てみれば、さらなる不敬! 沈思黙考のため、我がこの地に残ったことは正解であった!」


 ぴくりと、ガラハの眉が動く。

 火葬法師の言う、救済を拒む者。すなわち、死から逃れようとしている者。心当たりは、一人しかいなかった。ガラハは息を吐くと、下げ気味に構えていたミドルソードを、上段に構える。


「どうやら、私が見張り台にいて、ここにいち早く駆けつけたのも正解だったらしい。お前がこれ以上先に行くのも、これ以上口を開くのも、決して許さん」


 火葬法師の熱気に負けぬ気迫が、ガラハの目とミドルソードの切っ先より放たれる。

 二つの強大な気配がぶつかり合い、森が震える。もはや並の人間では、この二人の争いに介入するどころか直視することすら難しい。


「悪いが、譲ってもらおうか」


 だが、並を越えた人間は、どんな無粋もこうしてやってしまう。

 ガラハの肩を叩き、前に割って入って見せたのは壱馬。あまりの強引さに、ガラハの気迫と火葬法師の熱が一瞬収まった。


「お前の相手は、俺だ」


 壱馬はそう言って、火葬法師の前に立ちはだかる。手術、そして輸血の影響もあり、壱馬の顔色は決してよくない。境目の街にて火葬法師と戦った時より、コンディションは悪くなっているだろう。

 だがその立ち姿には、一度勝利に近い形で戦いを終えた火葬法師ですら、油断ならぬと踏み込めぬ何かがあった。

 そんな壱馬に先に踏み込んだのは、ガラハであった。


「いやいや。いやいや! お前がここに来ては駄目だろう!」


 壱馬の仕事はフェイを救うことであり、一度負けた相手にリベンジマッチを挑むことではない。ガラハは壱馬にくってかかる。だが、壱馬の反応は涼やかだった。


「組織に居た時も、現場に居た時も、一度任された仕事を投げ出したことはない。俺がここにいるということは、そういうことだ。フェイと街のことは、ヴィルマに任せてきた」


「そうか……そうか……」


 多くを語らずとも、納得させる。壱馬の言葉の強さが、ガラハに手術の成功を確信させた。ヴィルマに任せてきたというより、後は頼むの一言でほっぽりだしてきたのだが、手術が終わった以上、問題ないだろう。知識はなくとも、賢い女だ。


「術後経過は大事だが、それは俺以外にも出来る。むしろ女王が復活すれば、回復魔法の力押しでどうにかなる。俺がすべきは」


 変貌していく壱馬の身体。レンズ越しの目が、炎を供とする火葬法師を射抜く。


「あの男を殺す。それだけだ」


「ふん!」


 気合そのものの、息である。火葬法師の力強い合掌が、空気と木々と炎を揺らす。それはまるで、壱馬のひりつくような敵意を祓うかのような合掌であった。


「なるほど。死より逃れし不敬者は貴様であったか! 負けを恥とも考えぬ愚か者は貴様であったか! 我が炎は、貴様のような愚者を浄化するためにある!」

 更に燃え、火の塊そのものとなった火葬法師の巨体が壱馬めがけ猛進する。


「負けは恥か……」


 壱馬は動かなかった。ただ静かにつぶやき、火葬法師を迎え撃つ。左腕を前に出し、右腕を軽く曲げ。壱馬はしっかりと自己流の構えを取っていた。

 火葬法師の大ぶりの一撃を、壱馬は寸前で避ける。がら空きとなった火葬法師の脇に刺さる連打。火葬法師はかわまず攻撃を続けるが、壱馬はただ、そのスキをついての細かな打撃を重ねていく。火葬法師の攻撃は、一度も当たっていなかった。


「むう、黄泉返ることでまともな戦い方も忘れたか!」


 苛立ちを口にする火葬法師。先の戦いの壱馬は火葬法師の剛力と炎に真正面から挑んでみせた。だが、今の壱馬は、火葬法師の攻撃をいなし、真っ向からの勝負を避けている。


「覚えているさ」


 火葬法師の振り下ろす一撃を躱しての、顎狙いの飛び蹴り。壱馬の膝が火葬法師の顎に直撃し、その巨体がたたらを踏む。壱馬は欲張らずに退き、十分な距離をとった。

 体勢を立て直そうとする火葬法師に、壱馬が吠える。


「俺は、全部覚えている。負けたことも、失ったことも、全部覚えているから、死に場所を探していた。だから、お前に殺されてやってもいい。そう思ってた。だが、今の俺は、お前程度に殺されるわけにはいかなくなったんだ」


 良く言えば豪快、悪く言えば雑。それが今までの壱馬の戦い方であった。生身では許されぬ無謀さ、いわば改造人間のスペックだよりの戦い方である。

 だが、今の壱馬の動きは洗練されていた。相手の攻撃を回避し、鋭い一撃を何度も相手の急所に叩き込む。おそらくこれこそが、壱馬本来の戦い方なのだろう。

 捨鉢から、慎重へ。いったい、何が変貌の理由となったのか。この場にいる人間で、それを気にしているのは、戦いを見守る立場になったガラハだけだった。


「不敬! 不信心! 不敬! 不敬! 不敬ぃ!」


 ただひたすらに、単語を叫ぶ。火葬法師の心は、怒りの炎に満ちていた。炎は徐々に赤を失い、黒く染まっていく。超常的な炎が主張するのは、どす黒い殺意であった。

 火葬法師は両腕を高く掲げ、そのまま壱馬に掴みかかろうとする。大柄な身体による、被さるような猛進。多少の攻撃など、この肉体と炎で防いで見せる。壱馬の打撃もミサイルもナイフも、これだけ炎を滾らせれば効かぬ。なんとも恐ろしい巨漢の特攻である。

 壱馬は動かない。だが、前面のアーマーが、大胸筋や腹筋を模した形を持つアーマーのあちこちが、筋繊維に沿う形で浮き上がった。


「対人爆雷発射」


 壱馬のアーマーより放出される、豆サイズの爆雷。ふわりと浮き上がった無数の機雷が、火葬法師の前に散布された。

 目を潰れ、鼓膜が破れる。ガラハは危機を感じ、己の耳をふさぎ目を閉じた。

 それほどまでに猛烈かつ微細な爆発が、爆雷に巻き込まれた火葬法師を包み込んだ。一発の爆発は、指からのミサイルの方が大きいだろう。だが爆雷は何しろ数が違う。


「があ……ぐお……」


 口から煙を吐き、よろめく火葬法師。全身を覆っていた荒法師の装束が破れ、ついにその素顔と肉体が明らかになる。

 焼け焦げた水気を一切感じさせない黒い肌に、白濁した瞳。体中で炎がぶすぶすとくすぶっており、臭気が鼻孔を締め付けてくる。

 動く焼死体。終わらぬ火葬。火葬法師は、その名の通りの存在であった。


「ぬう……うぉぉぉぉぉ!」


 火葬法師の火勢が増し、未練がましい装束の切れ端が灰となる。動く焼死体は、歩く炎へと変貌した。


「やかましいな」


 壱馬の感想はそれだけである。

 壱馬の手刀が火葬法師に振り下ろされる。壱馬のチョップは、火葬法師の炎と共に肉も刻む。続いて、袈裟斬り、横一文字、真一文字。壱馬がチョップを振るうたびに、火葬法師の火勢が弱まり、淀んだ血が辺りに飛び散る。

 壱馬の小指から手首にかけての部分、チョップで使う手の腹から刃物が飛び出ていた。

 火葬法師の右腕が、壱馬を振り払うように振るわれる。とにかく、この猛攻を止めなければ。そんな火葬法師の思惑は、壱馬が避けることなく受け止めたことで霧散した。

 両手で抱えた火葬法師の巨腕を、壱馬は全身の力を使ってへし折る。ポキなどという生易しい音ではない。メキメキメキと、巨木がへし折れるような音が森に響いた。

 強引な関節技に引っ張られ、火葬法師は思わず片膝をついてしまう。火葬法師の顎に突き立てられる、壱馬のトーキック。つま先に仕込まれたナイフが、火葬法師の顎に突き刺さっていた。

 火葬法師の左腕が、自身の顎に突き刺さったままの壱馬の片足を掴んだ。


「信賞必罰! その脚、もらい受ける!」


 血を吐き出しつつ、火葬法師が叫ぶ。全身を使わずとも、火葬法師の握力があれば壱馬の脚ぐらい簡単に捩じ切れる。お返しを口にしつつ、折る程度で済ませるつもりは、毛頭なかった。

 火葬法師の手が届く直前、壱馬が回った。片足を火葬法師の顎に突き刺したまま、もう片方の脚でひねりを加えるように跳ぶ。火葬法師の顎に突き刺さったナイフが横に動き、今度はその顎を切り裂く。ひねりによる回転は、届く直前だった火葬法師の手も弾いた。

 ナイフが自由になったところで、壱馬はさっと火葬法師との距離を取り、ナイフも戻す。火葬法師が出来たのは、左手を顎に押し当てることだけだった。血が止まらないだけではない。このまま何もしなければ、傷口からそのまま顎が落ちてしまう。壱馬のナイフは、肉だけでなく骨すら切り裂いていた。


「ガボ……ゲボ! な、なぜだ! 貴様はここまで、ここまででは無かった!」


 血を吐きつつ、火葬法師が絶叫する。

 以前戦ったときとはまるで違う。力も、武装も、技術も、何もかもが違う。

 座禅で精神と身体を整えていた火葬法師と、フェイの手術と輸血により消耗状態だった壱馬。それなのに、深手を負っているのは火葬法師であり、壱馬はほぼ無傷だ。

 今の二人の間には、傷以上の差がある。それがわからぬ、火葬法師ではなかった。


「言っただろ。お前程度に、殺されるわけにはいかなくなったと」


 それだけで、それだけでここまでの差が生まれるのか。愕然とする火葬法師めがけ、壱馬の顔、ヘルメットで封印されている口蓋部が開いた。

 壱馬の口から出た液体が、火葬法師の両足を侵す。ぐずりと崩れ落ちる、火葬法師の脚。

 これぞコロシアムで衛兵たちを一気に溶かした溶解ガスの原液である。ガスに比べ範囲は狭いが、その効果は遥かに上をいく。

 まるで膝を屈するかのように崩れていく巨漢の火葬法師と、それを立ったまま見下ろす壱馬。両者の今の力関係がありありとわかる構図であった。

 だが、火葬法師はめげた様子もなく、高らかに天に向かって吠えた。


「わが同胞! 絶人教団の友たちよ! 我もついに救済に達したぞ!」


 その声は目の前の壱馬ではなく、先に死んだ同胞、そしておそらく自分と同じく、この世界に放逐されたであろう友に捧げられていた。

 死は救済である。この心情は、たとえ教導師の立場であっても変わらぬのだ。

 ついに今、火葬法師に救済が与えられるのだ。


「鳥葬! 土葬! 水葬! 救いは、この世界に」


 飾り気もなにもない。ただ鋭い壱馬の横蹴りが、低い位置となった火葬法師の頭を叩く。鋭く、速く、ひたすらに完成度の高い蹴りは、火葬法師の首を跳ね飛ばしてみせた。


「あったのだ! あったのだ!」


 宙を舞う生首となっても、火葬法師は叫んでいた。

 ボッと同時に着火する、火葬法師の首と胴体。火だるまとなった首と胴体は、またたくまに灰となり掻き消える。


「何一つ共感できないヤツだったが、最後の言葉だけは悪くなかった」


 変身を解き、人間態へと戻る壱馬。

 救いはこの世界にある。

 壱馬も、火葬法師のこの言葉には同感できた。


                  ◇


 火葬法師が燃え尽きたのを確認し、壱馬とガラハは商業地区へと戻る。村で待ち構えていたのは、まずヴィルマに、後は眠りや気絶から覚めたエルフの女王とドワーフの長、そして無境の村の多様な人々であった。

 ヴィルマが代表としてたずねる。


「あの燃える化物は?」


 ガラハが口を動かすより先に、力強く拳を握りしめた壱馬が堂々と答えた。


「倒した」


 遅れてガラハがうなずくことで、答えは真実として響いた。

 壱馬の答えを皮切りに、湧きあがる人々。あんな前代未聞の怪物を、倒してみせた。未だ、壱馬について詳細を知る者は少ないが、ガラハは強さも人格も広く知られている。ガラハの追従が、人々にたった二人の怪物討伐を信じさせた。


「よくやった! お主こそバケモンじゃ!」


 ドワーフの長の感嘆を皮切りに、多くの人間が歓声を上げる。壱馬とガラハはそんな称賛をあしらいつつ、酒場の門をくぐる。

 無言のまま、フェイが眠る部屋へと移動する二人。フェイはまだ、手術台に寝たままであった。包帯まみれの姿も、術後と変わっていない。


「フェイ……」


 こんな姿でも、生き延びてみせたのか。思わずガラハは娘の名を呟く。

 その声に反応したのだろう。仰向けで寝ていたフェイの首が、ゆっくりと横を向く。


「お、おっ、お」


 顔に巻かれた包帯の隙間から、声と息が漏れている。


「いくらなんでも、まさか」


 なにやら不安げなことを口にしつつも、壱馬はフェイの元に駆け寄り、顔の包帯を慎重にほどいた。

 あらわになったフェイの顔は、一部を除き元に戻っていた。大半の傷は塞がり、潰された片目も、元のようにちゃんとある。怪物の目を移植したとは到底思えない。唯一変わってしまったのは、両目の下から顎の左右にまで伸びる、太く赤い手術痕であった。


「二人とも、おかえりなさい」


 ニコリと笑うフェイ。ガラハはおぼつかない足取りでフェイの元へ行く。

 ガラハの節くれ立った手が、フェイの頬を撫でる。フェイの目も、ガラハの目も潤んでいる。不思議なことに、まるで血の涙を流しているようなフェイの手術痕は、ガラハが撫でるたびに薄れていった。

 親娘のやり取りを、満足気に見守る壱馬。そんな壱馬に声をかけたのは、遅れてやって来たヴィルマだった。


「どういうことだ?」


「人に聞くなら、主語を使ってくれ」


「さっき、フェイの顔の包帯を取る時、やけに驚いていたな? それに、さっきまでフェイの顔に浮き出ていた、大きな傷。まさか、手術に失敗したなんて言うんじゃないだろうな」


「まったく、わがままなことを言う。ああやって生きている時点で、成功と思ってほしいんだが。まず、顔の傷だが、アレは手術の後遺症だ。必死に言葉を絞り出すときに浮き出て、ガラハが顔をなでたら消えた。おそらく感情により、今後もあの傷は出たり消えたりするだろう」


「女の顔だぞ。どうにかならないのか」


「本当に望みが多いな。だいたい、今こうして自分の意志で首を動かして、ちゃんとわかるような言葉で話している時点で、物凄いことなんだからな。正直、腰を抜かしたいくらいには凄い。いや、今からでもどひゃあ! と言って崩れ落ちたい。いいか?」


「いやそれで、ウンという奴は、どこの世界にもいないだろう。だから駄目だ」


「正直俺は、フェイが少しでも動けるようになるまで、最低でも一年はかかると思っていた。むしろ、少しも動けないまま、一生を終えてもおかしくないと思っていた」


 一年に一生。今度は、ヴィルマが驚く番であった。


「脳に神経に筋肉、あらゆるところに手を入れて、欠けていた物を埋めて。外見や人格は一緒でも、中身はまるで違う。頭と身体のすり合わせが、どれだけ難しいことか。それに何より、フェイは正気だ。勇ましいことを言っていても、いざ自分が別の者になった瞬間、耐えきれなくなる。むしろ、あそこまで正気な方がおかしい」


 やれやれと言わんばかりの壱馬の胸ぐらを、ヴィルマが乱暴につかむ。

 ヴィルマは怒っている。その怒りがなんなのか、彼女自身も理解していない。外に吐き出すのが難しいほどの乱雑さである。しかし、思わず行動に移さずにはいられなかった。

 そんなヴィルマに胸ぐらをつかまれても、壱馬の表情に変化はなかった。


「だが、これは予想通りだ。フェイには、揺らがぬものがある。だからこそ、耐えきれると思っていた。驚いているのは、そんな俺の生ぬるい予想すら越えてみせたからだ。お前とは違う形かも知れないが、俺も真剣に彼女を救いたいと思っている。この気持ちに、偽りはない」


 壱馬の目は、まっすぐかつ真剣だった。このような目を向けられた以上、ヴィルマも壱馬の胸ぐらから手を離すよりほかなかった。

 フェイの元へと向かう壱馬の背を、ヴィルマは目で見送る。


「ここまで動けるなら、治療のステップを上げてもいいだろう。悪いが、厳しくいかせてもらうぞ」


「き、厳しくですか」


「怖いのか?」


「今までのわたしは、少しでも厳しくされたらすぐ倒れるくらいでしたから。なので、厳しさは初めてです。よろしくお願いします」


「こちらこそ、厳しいと言って喜ばれるのは初めてだ……」


 フェイと会話を交わす壱馬。一見、そこに異常はない。だがどうにも、違和感がある。

 以前、ガラハは壱馬のことを空っぽの男と評していた。自ら動くことはなく、ただ流され、効率を求める。ヴィルマも、その見方には同意である。

 だが、今の壱馬には、フェイを救おうとする情熱と、周りのことを気にするだけの余裕がある。おそらく、今までの壱馬であれば、フェイを見捨て、手術チームを率いることもせず、自らが火葬法師を倒したことを誇りもしなかっただろう。

 だが、壱馬はフェイを救い、女王や長と上手く付き合い、火葬法師を倒したことを大勢の前で宣言した。

 今の壱馬には、おそらく中身がある。だがいったい、どのタイミングで、中身を得たのか。普通に考えれば、フェイに命を救われた時である。だがいったい、どのような中身を得れば、ああも急に様変わりするのか。その正体が、わからない。

 親友が紆余曲折あれども蘇った。本来ならば、喜びに浸るべきなのに。

 ヴィルマの心は、どうにも晴れなかった。

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