第20話

 彼は静寂を愛する。生物を愛する。生命を愛する。この愛に、偽りはない。

 だからこそ、彼は自らを沈め、ただ空間に己を委ねる座禅が好きだった。

 目を閉じると、光が見える。小さな光が辺りを漂い、中くらいの光がこちらを警戒し、大きな光は少し離れた場所で群れている。森で座禅をすると、いつもこうなる。たとえ世界が変わっても、己が変わらなければ、自然も変わらない。

 ぴくりと、森で座禅を組んでいた火葬法師の身体が動く。火葬法師の膝に乗っていた小鳥が逃げ、輪を描くように距離を取っていた猪の群れが警戒態勢に入る。火葬法師の心のゆらぎを、自然がまず察した。


「終末と終焉は救いなり。否定は大罪なり」


 火葬法師の目が開いた途端、小鳥も猪もまとめて焼けて灰となる。火葬法師の全身より湧き出た炎が、選別なき救済を与えた。

 大きな光の群れの中、新たに生まれようとしているまだらの光。先程救済した手強き男に似ているが、今しがた輝き始めた光は、あの男のまだらよりも鮮烈である。一体何が起ころうとしているのか。何が、生まれようとしているのか。

 死を救いとする絶人教団の者として、決して許せぬ。境目の森を、強大な熱が包もうとしていた。

 座禅には、食もいらぬ、時もいらぬ。もはやこうなってしまえば、放逐者の縁など雑事だ。

 火葬法師が商業地区を燃やし、境目の森にて座禅を組み始めた時より、三日ほど経っていた。


                 ◇


 人を治すことは途方もない苦行だと、かつてエルフの女王は言っていた。その辛さは、殺すことに勝ると。

 だが、それにしてもこれは――


「また一人倒れたぞ!」


「回復魔法を使えるヤツ、もう残ってないんじゃないか!?」


「むしろこっちにまわしてくれい! 鍛冶場の連中みんなぶっ倒れてるぞ!」


「メシで腹膨らませて誤魔化せ!」


 戦場である。人を生かすための戦いは、人を殺す戦場の修羅場とまったく変わらない。

 手術室の外にて成功を祈るヴィルマは、そんな感想を抱いていた。外がこれなのだから、中はいったいどんなことになっているのか。

 手術は、ぶっつづけの三日目に突入していた。

 メモを手にした自警団員がヴィルマに声をかけてくる。


「団長、一大事です」


「それはここの話か? それとも、外の話か?」


「中です。もう、回復魔法を使える人間が居ません。全員、魔力も何もかも切れて、ダウン状態です。幸い、外の救護活動はだいぶ落ち着きましたが。あとは、ここだけです」


 魔法を使うには魔力がいる。だが、必要なのは魔力だけではない。呪文への知識に、呪文をかけ続けるだけの集中力に体力と、必要なものはいくらでもある。魔力は薬でどうにかなるとしても、集中力や体力は急ごしらえで回復できるものではなかった。


「最後の一人、女王が倒れたりでもしたら、もうフォローできる人間が……」


「いくら女王とて、いつまで持つものか。だいたい、ほぼ三日間ぶっ通しで回復魔法をかけ続けている時点で、もはや偉業を超えた奇跡だ。奇跡に頼るわけにはいかない」


 フェイの生命は、無理やり回復魔法をかけ続けることで維持している状態だ。つまり、回復魔法をかけられる人間がいなくなった瞬間、フェイは死に、改造手術は失敗となる。


「あと、外のドワーフたちも限界です。三日間、ぶっ続けで金槌を振り回していれば、いくらタフなドワーフでも持ちませんよ」


 この三日間、ドワーフの鍛冶場はフル回転であった。アレを作れ、コレを作れ、コイツは使えなかったから、すぐ改良しろ。手術室のドワーフの長の指示についていった結果、ドワーフの職人たちは全員ぶっ倒れていた。最初の頃は長も手術室と鍛冶場を行き来し、時には自ら金槌を振るっていたが、ここしばらくは手術室から出てきていない。

 自警団員は、手術衣をヴィルマにそっと手渡す。


「団長。中の様子をお願いします」


 今現在、改造手術がどのような状況にあるのか、確認しなくてはいけない。中から出てきた人間は、到底聞ける状況にないほど衰弱している。

 手術から三日、すでに手術室に残っているのは、壱馬と女王と長、そしてフェイの四人のみだ。外が先に力尽きた以上、中の人間に報告し、今後の指示を聞かねばなるまい。


「わかった。任せておけ」


 ヴィルマがそう言って、ビキニアーマーの上から手術衣をかぶったその時、辺りに安堵の空気が漂った。

 未知の改造手術、中から出てくる精根尽き果てた人々、鬼気迫るほどの働きを見せる長に女王、今どうなっているのかという結果。誰もが、手術室の中に入るのが怖いのだ。

 怖いのはヴィルマも同じである。だが、ヴィルマは逃げなかった。そんなヴィルマを見て、皆安堵した。それだけだ。

 意を決し、手術室の中に入るヴィルマ。言われていた通りに、すぐ中に入り、扉を閉める。空気の入れ替えは、しない方がよいらしい。

 酒場の個室として使われていた一室。以前、ここで自警団員たちと飲んだこともある。だがヴィルマが知っているはずの部屋は、異界と化していた。

 戸も窓も閉めっきりで空気が淀んだ部屋のあちこちに、目が潰れそうなほどに強い光がある。魔力を秘めたランタンに、刺激を受けると強烈な光を放つ鬼ホタル。光に関わるアイテムや魔術が総集合である。部屋のあちこちにある怪しげなアイテムや薬草が、創られた光を照り返している。すり潰された毒草や怪しげな臓器が放つ異臭が、部屋の中の空気を澱ませていた。

 そんな光も匂いも物ともせず、部屋の片隅でいびきをかいて寝ているドワーフの長。魔力担当でない以上、純粋な体力切れによるダウンである。金槌を持ったまま、壁によりかかって寝ている姿。きっと寝る直前まで、自分の仕事をしていたのだろう。

 自分の力を最後まで使い切る。それは、エルフの女王も同じであった。


「後は、任せました……!」


 フェイに回復魔法をかけ続けていた女王が、ついに限界を迎え崩れ落ちた。

 補充が、間に合わなかった。女王が倒れたその時、無境の村の回復魔法は底をついた。手術の失敗を察したヴィルマ。ヴィルマの目の前も、光に構わず暗くなってきた。


「よくやったな」


 壱馬の声がヴィルマの意志を引き戻す。それは、女王への称賛であった。


「既に峠は越えた。もう、回復魔法をかけ続ける必要はない。フェイは、生き延びた」


 生き延びた。その言葉を聞き、再びヴィルマの視界が怪しくなる。ヴィルマは湧いてきた涙を拭うと、改めて現状を確認する。この場で大事なのは、エルフの女王やドワーフの長よりも、フェイの様子なのだ。

 手術台に寝るフェイと、その傍らに立つ壱馬。その様子を確認したヴィルマは、思わず息を呑んだ。


「なんだ、それは。今、何をしてるんだ。それはいったいなんなんだ」


 全身余すとこなく包帯に巻かれ、まるで白いイモムシになっているフェイはまだ許容範囲である。ビックリはしたが、ヴィルマの許容範囲だ。問題はそんなフェイの脇に立つ、壱馬のやっていることである。


「輸血だ。俺の血を、フェイに与えている」


 壱馬の腕の血管に刺さっている、金属の細い針。針は皮製のチューブを通し、そのままフェイの腕に刺さる同型の針に繋がっている。ドワーフの鍛冶師と獣人の針職人に作らせた、急ごしらえの輸血用チューブ。急ごしらえで作ったこと。それ自体が、この世界に輸血の概念がない証であった。


「血液とは身体中に酸素を送り込むため、つまり人間の生命維持に必要なものであり、血を失うことや心臓に障害を負い血圧が下がることは死に直結する。足りない血液を補うために人由来の血液や血液成分で補う治療法が輸血であり、本来は状況に適した血液製剤が求められるが、今回の手術においては」


「待った待った待った! そんなつらつらと言われても困る! 私は専門家じゃないんだぞ!」


「そうか……いや、とにかく、そこで寝ている女王や長が、色々聞いてきてな。わかるからこそ、専門家だからこそ、年寄だからこその、口出し。もうなんというか、機械的に答えないとやってられないぐらい大変だったぞ」


「うん。だいたいなにがあったのかはわかるが、女王が起きてる時には、年寄のとこは言わないほうがいいぞ」


「わかってるさ。何回か口が滑って、そのたびに死を覚悟したからな」


 ふふふと、珍しく力なく笑う壱馬。顔色もどことなく悪い。理由は明白だった。

 ヴィルマが言う。


「私にとって、血とは怪我や病気の際に出るものであり、無くし過ぎれば死ぬもの、そして魔術の媒介に使えるぐらいの知識しかない。そうやって、自分の血を他人に分け与えるなんてのは、知らないやり方だ」


「誰にだって出来るわけじゃない。ちゃんと、血液型……お互いの相性が一致しないと出来ない行為だ。幸い、俺とフェイの相性は良かった。もっとも、フェイに組み込んだ様々な仕掛けをなじませるのに、改造人間である俺の血が必要な以上、駄目でもどうにかするしかなかったがな」


「何故だ」


「ん?」


「フェイに恩義を感じているというのはわかる。ごく自然な話だ。だが、今のお前は、献身的すぎる。ついこの間まで、周りがどうなろうと関係ないとばかりに、なすがままだった人間が、何故ここまでしてくれる」


 ヴィルマは、壱馬に感謝すべき立場にいる。だがそれでも、放置しておけない疑問がある。

 フェイを助けるために、周りの人々に協力を求め、知識と技術と体力を総動員し、更には自分の血すらフェイに分け与える。今までただ、気が向くままに、悪く言えば他人に構わず生きてきた人間が、こうも唐突に献身的になれるものなのか。

 壱馬の答えは、簡単だった。


「恩義を感じている。それだけじゃ駄目なのか」


「別に駄目というわけでは……」


「俺は火に巻かれて死ぬところを、フェイに助けられた。命をかけて助けてもらった以上、命をかけて助けようとするのは、自然なことだろう。それは、たとえ生まれた世界が違っても、変わらないはずだ」


 実に正論である。こうも真正面から言われてしまっては、追求のしようがないくらいに。

 ヴィルマは思わず叫ぶ。


「それはそうだが!」


 そもそも、そういう物言いをしているのが不思議なのだ。いつの間に、フェイの手術に携わってから、間違いなく壱馬は軽口を叩くくらいの人間味を得た。喜ばしい変化も、唐突すぎれば恐怖である。

 話を立て直そうとしたヴィルマの口を、突如湧いて出た熱気が塞いだ。


「ヤツか」


「ああ」


 急激な手術室の気温の上昇、その理由を既に壱馬もヴィルマも察していた。

 姿を消した火葬法師が、再び無境の村へとやって来た。不快な熱気はその予兆であった。

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