エピローグ いつものコーヒー

「いらっしゃいませ」


 あれから数週間後、カフェに入ると、聞き慣れない声がした。

 カウンターの中の店員さんは見たことのない顔だった。新しいバイトさんだろうか。


 私はカウンターの前に立ち、注文を伝える。今日は「いつもの」では通じない。


「コーヒーを二つ。ショートサイズのホットをマグで」

「お二つ、ですか?」

「ええ」


 店員さんの確認に短く返す。だが、店員さんは一瞬戸惑ってからまた確認した。


「お二つですね? 失礼ですが、お連れ様は、すぐに来られますか?」

「いいえ、一人です。一杯はブラック、もう一杯には蜂蜜を入れてください」

「畏まりました。どちらかを後ほどお席にお持ちしましょうか」

「いえ、二杯一緒で構いません」

「ですが、冷えてしまいますが」


 店員さんは少し困ったように言う。以前にもあったことだ。


「構いません」


 そう私が重ねて応えようとした時、店の奥から店長さんが現れた。


「御注文通りにして」


 そう店員さんに指示をしてから、カウンターに来て話しかけてきた。


「すみません、今週からの新人なので」

「いえいえ、気を利かそうとしてくれたので。反って申し訳ないです」

「すぐに準備させますので」


 そう言う横で、店員さんがすぐに二杯のコーヒーをトレイに乗せてくれた。

 勘定を済ませて、私はトレイを持った。テラス席に向かう背後で、店長さんが店員さんと小声で何か話しているが、気にせず外に出た。


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「あの方は、いつもコーヒーを二杯、一緒になの。一杯はブラック、一杯は蜂蜜入り。憶えておいてね」

「はい。でも、なぜですか? 折角のコーヒーが冷めてしまうじゃないですか。お代わりされれば良いのに」

「あの方はね、以前は御主人と二人でいらっしゃってたの。それが突然来られなくなって。暫くしてまた来られるようになったんだけど、その時はお一人だったの」

「それって……」

「ええ、亡くなられたんですって」

「……」

「御主人のことを偲んで、今も昔と変わらずにお二人でいるつもりで、コーヒーを二杯頼んで向かい合わせに置かれるの。だから、何も言わないでね」


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 私は貴方が好きだったテラス席に座り、二つのマグを置く。

 私の前の蜂蜜入りのマグを取り、一口飲みながら、心の中の貴方と語り合う。

 昨日の出来事、今日の天気、明日の予定、未来の夢。


 こうやって書く小説も、貴方と一緒に始めた趣味だった。

「恋愛小説は人物観察から」

 口癖のように言う貴方の真似をして、メモを手放さないようにして。

「趣味が悪いね」と言い合って、悪い笑いを交わし合った。

 互いに文章を見せ合って、見つけた誤字の数を競い合った。

 声に出して読み合って、つかえる場所を教え合った。


 今も私は書いている。

 貴方になり切って、読み返しては誤りを探す。歌うように読み上げてはリズムを調える。

 書いては消して、消しては書く。

 今日の文章に満足したら、席を立つ。

 冷めたブラックコーヒーを飲み干して。

「じゃあ、行こうか」と声を掛けて。

 トレイを持って立ち上がり、片手で扉を勢いよく押し開けて。

 店員さんに「ごちそうさま」と、感謝の言葉とトレイを渡す、貴方の広い背中の後ろをついていく。


 貴方が好き、とても好き。

 今も私は貴方と二人。一緒に暮らし、一緒に書き、一緒に生きている。

 今日も明日も明後日も。きっと、ずっと、その先も。

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恋愛切片 花時雨 @hanashigure

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