第6話

 梅雨が来た。

 雨続きでグラウンドを使えない運動部たちが、廊下で筋トレをする光景がよく目に入る。

 でも、俺たちは、相変わらず、放課後になると社会科資料室へ行って、黙々と本を読む。読み終わると、互いにどうだったか感想を言い合い、面白ければ、本を交換して再び読み始める。日が暮れて、お腹が空く頃には、2人で鍵を広瀬に返して下校する。

 広瀬は、時々、資料室へ顔を出しては、俺たちの様子を伺っていく。密室に男女が二人でいるとなれば、教師としては気にはなるところだろう。むしろ、よく鍵を貸してくれたものだ。

 しかし、俺たちがいつも黙々と、それは大変健全に本を読んでいることが解ると、自分の蔵書から何冊か本を持って来て置いて行くようになった。もちろん、それがライトノベルであるわけがないのだが、その頃の俺は、彼女の影響から、ライトノベル以外の本にも興味を持って読むようになっていた。

 俺も男なので、広瀬が心配するようなことを彼女と……と、全く考えないわけではない。でも、俺と彼女の間には、いつも見えない壁があった。それは、何となく俺だけが勝手に感じていたのかもしれないけれど、彼女の異世界話を最近聞いていないことにも原因があるのかもしれなかった。


 そんな平和で変わらない日がずっと続くと思っていた、ある日のこと、俺は、彼女から借りたシリーズ作品を連日読み続けた所為で寝不足がたたり、朝起きると、もう正午近くになってしまっていた。俺の両親は共働きで、朝早くに家を出てしまうので、俺が自力で起きれなかった日は、遅刻確定となってしまう。今更慌てて授業に出る気にもなれないので、俺は、母親が用意してくれていた朝食を昼食にし、制服に着替えると、のんびり歩いて学校へ向かった。授業に出るためではない。 未だ名前のないクラブ活動のためだ。

 俺が授業を終えて社会科資料室へ向かうと、いつも必ず彼女の方が先に来ていて、本を読んでいる。今日は、俺が先に行って、彼女の驚く顔を見てやろうと資料室の扉を開けた。すると、そこには、午後の授業に出ている筈の彼女の姿があった。しかも、気持ちよさそうに机に突っ伏して眠っている。同じクラスだった頃は、彼女が授業をサボった事なんてなかったので、俺は驚いた。

 俺は、彼女を起こさないよう静かに扉を閉めると、そっと足音を立てないよう彼女に近づいた。机の上には、読みかけの本……ではなく、書きかけのノートが開いて置いてあった。それも、綺麗な字でびっしりと文章が書かれている。俺は最初、それが彼女の日記かと思い、ノートを閉じようしたが、ふと目に留まった文字にどきっとして手を止めた。そこに書かれていたのは、これまで彼女が俺に話して聞かせてくれていた異世界の話だった。咄嗟にノートを手にとり、ページを捲って目を走らせる。小説のような形式になってはいるが、どれも俺が彼女から聞いた話ばかりだ。

 彼女は、毎日ここで、この小説を書いていたのだろうか。

 そして、自分の書いた小説を俺に話して聞かせ、反応を見ていたのだ。

 俺は、今まで信じていたものが音を立てて崩れていく気がした。

 その時、眠っていた筈の彼女がふと目を開けた。その黒い瞳が俺と、俺の手に開かれたノートを認めて、大きく見開かれる。

 彼女は、何も弁解しなかった。だから、俺も何も言わず、ノートを置くと、資料室から外へ出て行った。


 それからしばらく俺は、資料室へ行かなくなった。

 彼女に騙されていたのだと解って傷ついたのもあったが、彼女が俺に何も言わなかったことに対して怒っていた。

 もし、あの時、目を覚ました彼女が、俺に向かって、それは自分が異世界での生活を忘れないように書き留めたものだ、とか、この世界に親戚がいるのは、一度あちらで死んで、転生したからだ、とか、何かそれらしい言い訳を言ってさえくれていれば、まだ俺は、あの場に居続けることが出来たのだ。

 でも、彼女は、それを放棄した。俺との関係を繋ぎとめていたものを自ら手放したのだ。そのことが俺は、ひどく悲しかった。彼女にとって俺は、その程度の男だったのだ。


 しばらく経ったある日、突然、彼女が消えた。

 何の前触れもなく、俺たちの前から消えてしまった。


 茫然とする俺の目の前に、広瀬が涙を浮かべて何冊かのノートを差し出した。

 それは、あの日、資料室で彼女が書いていたノートだった。

 広瀬が何か言っているが、俺の頭には、まるで入ってこない。

 まるで靄がかかったように、俺だけ別の世界に居るようだ。

 その時、俺は、はっきりと解った。

 彼女は、異世界へ帰って行ったのだ。

 何故なら、彼女は、異世界人なのだから。


 だから俺は……――――――。


 目の前に黒と黄色の細長い棒が見える。

 俺は、構わず、それを跨ぐと奥へと進んだ。

 遠くで鐘の音が聞こえる。

 ああ、これが彼女の言っていた異世界への扉を開く鐘の音なのだ。

 そして、大きな獣の吠える声と強い光に導かれて、俺は、意識を手放した。



 完

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【短編】俺の彼女は異世界人。 風雅ありす@『宝石獣』カクコン参加中💎 @N-caerulea

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ