ひまわりに願いを

雪待ハル

ひまわりに願いを

そこは世界の果てだった。

どこまでも広がる紺碧の海はただ静か。

ひそやかにその中に一輪のひまわりが咲いている。海面上にぽつんと。

古くからの言い伝えによると、そのひまわりの元にたどり着けたら一つだけ願いが叶うらしい。

ボクはその為にここまで旅をして来た。

長かった。怖い思いもたくさんした。

それでも諦めなくてよかった。

ここまでずっと歩き続けてきたから心拍が早い。

呼吸が落ち着くまで、しばらくそこで立ち尽くしていた。

足元に波がゆっくり近付いては離れていくのを繰り返している。ざざあん。ざざあん。

波打つ海面の上でなお、ひまわりはぴくりとも動かない。まっすぐに堂々と、そこに咲いている。

鮮明な黄色が、ここからでもはっきりと見て取れる。それはまるで太陽のように。

――――ああ、




(きれいだなあ)




そんな事を思った。

家族にも見せたい。そう思った。

写真じゃない。動画じゃない。その目に映して欲しい。隣で一緒に見て、「きれいだね」と笑い合えたならどんなにか、

そこまで考えたらたまらなくなって、涙がこぼれた。

ぼろぼろ。ぼろぼろ。熱い。

背負っていた大きなリュックサックを砂浜に降ろしてその場に座り込んだ。

ボクは大きな感情にとらわれて身動きが取れなくなってしまった。

こんなことをしている間に他の誰かがやって来て先に願いを叶えて、「願いを叶えるのはこれが最後です」とかひまわりに言われるのかもしれない。

もしくは嵐がやって来て、ひまわりが雨風に飲まれて海に沈んでしまうかも。

いつだってチャンスは限られているのだ。

早くひまわりの元へ行かないと。

でも動けなかった。

ボクが動けないでいる内に夜になった。

満天の星空が水平線と隣り合っている。なんてうつくしいんだろう。

そんな中、ひまわりは昼間と変わらずまっすぐに咲いている。夜なのに。不思議だったが、願いを叶えるひまわりなのだからそれくらいの不思議はあって当然なのかもしれない。

その姿を見ている内に気持ちが落ち着いた。

顔は涙でぐちゃぐちゃだったが、構うものか。ボクはすっくと立ち上がった。

唯一の荷物であるリュックサックをその場に置き去りに、真っ暗な海へ向かって駆け出して――――飛び込んだ。

靴が、服が、海水を吸ってずぐずぐになる。

重い。重い。それでもしゃにむに泳いで前へ進む。

波が次から次へとやって来る。ざぶん。ざぶん。

海水を飲んでしまった。しょっぱい。

でも思う。涙の味とは違うんだな。

全身が冷えきって、凍えてしまいそうだ。

でも思う。胸に穴が開いたんじゃないかと思うほど絶望したときと比べたらこの程度の冷たさなど。

前へ。前へ。

色んなことを思っている内に、気が付いたらひまわりの元までたどり着いていた。

ボクは顔だけ海面から出して、天に向かってまっすぐに咲いているひまわりを見上げた。

海水に濡れた唇を開く。――――ボクはこの為にここまで旅をして来た。






「穏やかに眠らせてください。何の痛みもない、優しい眠りをボクにください」






もう胸の空白に耐えかねて、ひとりで泣かずに済むように。

もう失ったものを夢にみて、目覚める度に残酷な現実に押しつぶされずに済むように。

ぜんぶぜんぶ、終わらせてください。

目の前でひまわりがゆっくりと動く。

人間が頭(こうべ)を巡らせるように、“ぐりん”と花がこちらを見下ろした。

ひまわりと目が合った。


「いいよ」


高いのか低いのかよく分からない声が、一言だけ響いた。

その声を聴いたと思った瞬間、ボクは眠くて眠くてたまらなくなって、その場で意識を手放した。














彼の体が海底へ沈んでいく。

ひまわりに見守られ、優しい眠りについた彼は、もうくたくたに疲れ果てていたから、ようやく休めて微笑みを浮かべていた。

よかった。これでもう傷付くこともない。誰かに失望することも世界に絶望することもない。

よかった――――

そんな彼を追って探しに来る者がいる。

彼と一緒に笑い合えたら幸せだと、そう思って彼の目覚めを望む者がいる。

その者は果たして、彼を目覚めさせることができるのか。彼の笑顔を守ることができるのか。

それはまた、別のお話。





おわり

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