第3話 終わりの始まり
「喜一は大丈夫なんですか!?」
「薬は打ったから一晩寝れば当面は大丈夫だよ。それにしても遊園地ね。無茶をする」
「無茶……?」
「そう。安静にしないとだめなのに」
「喜一は難聴じゃないんですか?」
「難聴? ……聞いてないなら俺からは言えないや。守秘義務があるから。えっと、色川さんが起きたら直接聞いて」
主治医は少しだけ困惑げに私を見た。困惑? そうすると難聴じゃない?
違和感はあった。運ばれたのは大学病院で、倒れた状況を詳しく聞かれて、検査に随分時間をかけていたから。穏やかに眠る喜一は何も答えない。
「由花、起きて。朝だ」
「……喜一、大丈夫なの?」
「すっかりね。もう帰らないと」
けれどもその焦点は、世界がずれているように合っていなかった。
「喜一、まだ目が見えてないよね? 全然大丈夫じゃない」
「そのうち治るよ」
「嘘。良くなったことなんてない。本当はなんの病気なの」
「俺たちは昨日別れたんだ。だから帰れよ」
「本気で言ってるの?」
付き合い始めた時、それから一年の時より喜一は耳が随分悪くなっていた。付き合う間も喜一の聴覚は悪化の一途を辿っていた。その上、目にも異常があるなんて。けれども喜一は目が見えなくても全く動揺していない。そうすると元々ほとんど見えていないか、見えなくなる事を知ってるってこと。そういえば思い当たるところがある。それで、そんな状態で。
「留学も嘘でしょう? それで行けるはずがない」
「別れたんだ。早く帰って……本当に」
喜一を思わず抱きしめた。その表情はいつものため息みたいな微笑みじゃなかった。いつもと違って、初めて見る泣き出しそうな顔だったから。トントンと病室をノックする音がした。
「色川さん、回診だよ」
「先生、一回り後にしてくれませんか。今は彼女がいるから」
「この後もあるから今じゃないと」
「由花、もう診察だから」
診察は多岐に渡った。目は照らされたペンライトで明るさが僅かにわかる程度。耳は補聴器でなんとか。それから多分嗅覚と味覚は既にない。
聞いていれば、珍しい神経の病気で、じわじわと感覚を失っていくものらしい。
「悪化してるね。無茶するからだ」
「どうせ同じでしょう?」
「遅かれ早かれだけどね」
「それなら思い出が欲しかったから」
「それ、彼女さんに直接言ったらどうなんだ? 帰ったふりしてそこで聞いてるよ?」
喜一は困ったように微笑んだ。
「由花。……帰れと言ったのに」
「何で言ってくれなかったの」
「俺はもうすぐ耳が聞こえなくなる。触覚も無くなって歩けなくなる。会っても由花を認識できない。自分の頭の中に閉じこめられるんだ。カタツムリが家に閉じこもるみたいに。付き合えない」
「そんなの喜一が一方的に決めることじゃないでしょう?」
「だから最初に3か月だけと言ったじゃないか!」
いつも穏やかな喜一が初めて上げる強い語調はまるで悲鳴に聞こえた。それでため息をついて、微笑んだ。いつも見るこの微笑みはその度に何かを諦めて次々と今を思い出に変えていたんだと気がついた。でもこれじゃそもそもカタツムリに詰める思い出を作るために付き合ったようなものじゃないか。
別れるとか会えないとか、喜一の主観的には同じかもしれないけれど、それじゃ私がその中に最初から入ってない。
でも今のが本当の喜一だとしたら、私が喜一を見たのは告白にオッケーした時と今だけで、一度も本当の喜一と付き合ってないじゃない。
全部が全部、最初の告白と一緒で一方的な通告。
「嘘つき。留学って私を騙したでしょう?」
「……いなくなるなら同じだ」
「全然同じじゃない。喜一が会えなくても私は会える」
抱き締めると喜一の拍動が聞こえた。抱き返された。まだ確かにここにいる。
「私と付き合って。期間は私が許すまで」
「許すまで?」
「そう、ずっと騙してたこと。断られても喜一が認識できなくなっても会いに来るから」
了
かたつむりの中身 Tempp @ぷかぷか @Tempp
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