クズニートと引き籠り娘と児童養護施設

 次の日。

 朝早くから地図で指定された場所へ向かう。

 電車で片道一時間ちょいの隣町。その郊外にある国道の脇の森。金網のフェンスで森と道が分けられているが舗装されているのは車道側のみ。縁石を挟んで歩道側は舗装されていない少々おかしい道を歩いた先。『猫々宮ねねこみや児童養護施設』と書かれている正門らしきところで仁翔は佇んでいた。

 今日は生憎の雨のせいでここまでの道中、土が泥濘と化して紐が解けた靴とズボンの裾が泥だらけになっている状態だ。


「ふぅー。住所と名前を見る限り、ここ……のはずだよな?」


 何回も名前と場所を見比べて確認し、いざ門のインターフォンを鳴そうとしたその時、避ける暇もなく強い衝撃を上から受ける。傘は重さに耐えきれずひしゃげて勢いのままに手放してしまった。身体は重力の方向のままにぬかるんだ地面に尻餅を搗く。


「――あだっ!」


 尻から地面に着いたお陰でなんとかダメージは最小限に出来た。しかし勢いが殺しきれず背中まで地面に着いて泥だらけになってしまっている。

 仰向けの状態で雨空を見上げると猫モチーフと思わしき合羽を着た少女が仁翔の顔を見下ろしていた。


「知らにゃい人、すまんにゃ!」

「……お、おう?」


 舌足らずな独特な喋り方と雨にも負けない程に清々しく元気いっぱいな勢いの雰囲気に呑み込まれて唖然する仁翔はゆっくりと上半身を起こした。

 するとフェンスの向こう側から複数の合羽を着た子供が現れる。


「あ~いけないんだ~! 院長先生に言っちゃお~」

「にゃにおう! お前らが脅かすからこうにゃったんにゃろう!」


 フェンスの向こうにいる子供たちはやいのやいと口々に囃し立ている。子供特有の煽りに腹を立てその場で毛を逆立てる様に地団駄を踏む少女。

 泥が跳ねて仁翔の顔にかかる。


「おい、テメェ、泥! 泥飛ばすな!」


 服はもう泥塗れなのでこれ以上、顔に飛んできても誤差の範囲だから気にならないけれど咄嗟に出た言葉だ。初対面の子供に悪いが多少、汚い言葉でもしょうがないだろう。


「重ね重ねスマンにゃ!」


 威勢の良さだけで謝る猫耳合羽の少女は何かの気配を悟る。顔を青ざめて壊れたロボットの様にぎこちなくゆっくりと門の方を見た。

 白色の高そうなブラウスと紺色のロングスカートのカジュアルな服装を綺麗に着こなしている黒髪の高校生くらいの女の子が傘を差してそこに立っていた。


「今日は雨だからお外禁止って言ったのに約束破った子だぁ~れ?」


 女の子の後ろに般若の顔を幻視する気迫だ。仁翔も悪寒を肌で感じる。

 フェンス越しにいた子供たちはいつの間にか消えおり、猫耳合羽の少女だけが取り残されていた。一人残された少女は絶望に打ちひしがれている。


「あ……すみません! ウチの子がご迷惑かけました!」


 直ぐに仁翔のことに気が付いた女の子は急いで門を開けてレインブーツに飛び跳ねる泥など気にせず走って近寄ると有無を言わせず少女の頭に拳骨を入れた。半泣きで「横暴だ!」と喚く少女を傍らに置いて話を進める。


「――こんな状況ですみません。今日の訪問者の方ですよね? お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」


 差していた傘を仁翔に傾けて事務的に尋ねた。


(この施設に住んでいる纏め役の子なのかな?)


 高校生くらいならそんなもんかと思いつつ、所作が綺麗でやけに大人びいている印象を受ける仁翔。


「あ、えっと葛城仁翔です」


 ゆっくり立って軽く泥を払った。払ったところで濡れているし下着まで泥水が浸透しているので手遅れ極まりないが気持ちの問題だ。


「やっぱりそうでしたか。本当にすみません。猫神ちゃん、傘持って来てくれる?」

「はいにゃ!」


 『猫神』と呼ばれた少女はキビキビとした返事をすると拉げた傘を拾ってダッシュで建物の中へ入る。戻って来きたその手には似たような傘を持ち、拉げた傘と似たような傘だ。それを仁翔に手渡した。

 もう雨と泥で散々汚れて無駄だが仁翔は一応、差しすことにした。


「この度はこの娘がご迷惑をお掛けてしまい本当に申し訳ありませんでした。直ぐにシャワーとお洗濯の用意を致しますのでどうぞ中へお入りください。ほら、猫神ちゃんも行くよ」

「は~いにゃ」


 汚れちまった仁翔、まったく反省の色が見えない少女、綺麗な所作で歩く女の子と三者三葉、門を潜り建物の中へ歩いて行く。


(退屈しなさそうなところだなぁ……)


 それが仁翔が最初に抱いた『猫々宮児童養護施設』の第一印象であった。


 入って直ぐ玄関脇の受付で女の子に説明されるままに受付で紙に必要事項の記入をし、風呂場まで案内をされる。

 建物内は小学校と小規模な病院を足して二で割ったような雰囲気であった。

 風呂場まで案内される道中、少女は合羽を女の子に脱ぎ投げ渡すと進行方向とは逆の方へ走って行ってしまい、数秒後に聞こえた子供たちの騒がしくも楽しそうな声が響いて女の子が頭を抱えいた。


「――ここがお風呂場です。少し温いですがお風呂は沸いていますので直ぐに入れます。着替えはお風呂に入っている間に此方で用意します。汚れた服は全部、この洗濯機に入れといて下されば後はやりますので。ああ、新しい包帯も用意しときますので安心して下さい。お風呂から出て着替えましたら向かって左方向へ歩いて突当り右にある『談話室』へお向かい下さい。それでは、後程」


 申し訳なさそうに一つ一つ丁寧に説明する女の子は終わりにペコリと軽く頭を下げてその場を立ち去った。


 風呂場は個人経営の銭湯と同じくらいの広さだろうか。圧倒的に広いという訳では無いが大人数で入ることを前提にしたお風呂場だ。壁には立派な富士の絵が描かれている。

 言われた通り脱いだ服を全部を洗濯機の中へと放り込み、仁翔は全身を洗って風呂へと入った。仁翔にとって丁度良い湯加減だったので普段よりも長めに浸かってしまう。

 風呂から出ると女の子の言っていた通り、代わりの着替えが置かれていた。洗濯機は回っており乾燥機の設定もされている。残り時間を見るに帰る前には乾いているだろう。

 着替えは明らかにビニールから取り出されていない新品で紺色なダサめのジャージ。包帯も袋から開けていない新品だ。新品というのに少し躊躇う仁翔だがこれ以外には用意されていないので否応が無し、勢いをつけて袋を破り使った。

 着替え終わり、脱衣所から出た仁翔は先程言われた通りの道なりを歩んで行き、『談話室』へと向かう。


(向かって左方向の道を進んで突当りを右っと……)


 『談話室』の扉は開いていた。中には先程の女の子と机を挟み相対するように御手洗が座っている。


「あ、どうぞ。こちらにお座りください」


 女の子が椅子から立ち上がり仁翔に席を譲り、新しく自分の椅子を出して机を囲むような位置に椅子を置いて座った。空けられた椅子にはまだ温もりが残っているが気にせずに仁翔は座る。


「葛城さん、こんにちは。今日はよろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願いします」


 正面に座っている御手洗の挨拶に返す。

 改めて今回の面会に対しての緊張感が芽生える仁翔。背筋がピーンと伸びた。


「では、まず私の自己紹介からですね。今回、面会の仲立ちをさせて頂く甘岸かんぎし燐歌りんかと申します。ここ、猫々宮ねねこみや児童養護施設の院長として務めています。こう見えて一児の母です。よろしくお願いしますね」


 悪戯に成功した子供のような屈託ない微笑みで喋るその姿に思わず息を飲む。

 彼女の言葉が非常に受け入れ難い仁翔は本当に事実としても容姿が十代後半で止まって老いもその兆候も全く見えないなどあり得るのだろうか。などとジロジロと見て考えてしまい、頭を振って冷静になる。


「……葛城仁翔です、よろしくお願いします」


 雑念を振り払ったら今度は緊張が降り掛かり、若干たどたどしく自分の名前を口に出す。


「燐歌さん、毎回その自己紹介はどうかと思いますよ」

「良いじゃない、亜弥ちゃん。私の数少ない楽しみの一つなんだから。冗談が通じない子に育てた覚えはありませんよ?」

「この人はもう……後で息子さんに呆れられても知りませんよ――」


 困り顔の御手洗と口元に手を当ててクスクス笑う甘岸の二人は旧知の間柄なやり取りをしていいる。仁翔は置いてぼりだ。


「えっと……その、お二人の親交は深いんですね」


 二人で話しているのを遮るような形になるがこのままでは本題に進むのも遅くなるだろうと思った仁翔はやや強引気味に話題を変えた。


「ええ、まあ。付きあいは長いですから……」


 やれやれと呆れた御手洗は大きく溜め息を付いた。


「そうやって言葉を濁すところは変わらないわね。まあ、良いわ。話を戻しましょう」


 少し不満げに頬を膨らます甘岸は手を軽く合わせて言う。


「――昨日、亜弥ちゃんから話を聞いたと思うけど確認とおさらいを兼ねつつ、現場で話そうと思うの。百聞は一見に如かずって言うしね。付いて来て」


 そう言って部屋から出て行く甘岸について行く仁翔と御手洗の二人。

 案内されたのは施設の奥、人があまり通った形跡がない綺麗なリノリウムの廊下を歩いた先にある『特殊面会室①』と書かれたプレートが設置されている部屋だ。


「ここが今日の面会場所ね」


 部屋に入って直ぐに目に入るのは壁と床が真っ白な部屋を二分割するように置かれている出入口の付いた鉄格子。そしてその鉄格子を境に向かい合う様に置かれた鉄パイプの椅子が二脚。鉄格子の奥にも扉が設置されている。天井には大きな天窓があり、日の光が直接部屋全体に当たる構造になっている。生憎今日は雨天なのでその構造は無意味だが。


「っ……想像以上に異様な部屋ですね」


 仁翔は思ったことがそのまま口にするのは良くないと口を一回噤もうとしたが案の定、止められず漏れ出た。


「ここは『特殊面会室』って名前の通り面会する何方か片方、または双方に問題がある場合に使うところですから。異様なのは仕方がないの……今回の場合は直美ちゃんが極度の男性恐怖症という大きな問題を抱えているのでここですることになりました。亜弥ちゃんからこの辺の事情は聞いていると思うので私からは言う事はありません」


 はにかむように苦笑いをして甘岸は話を続ける。


「――ここから直美ちゃんとの面会方法のお話です。鉄格子の奥に扉が在りますよね? あの扉の奥に今、直美ちゃんが待機しています。発狂して暴れる可能性があると直美ちゃん本人の要望で手枷とアイマスクとヘッドフォンをしているけど驚かないで下さいね」

「昨日、話を聞いて何となくイメージは出来ているので大丈夫だと思います。想像と違ったら驚くかも知れません」


 暴漢から助けた日の直美の姿を思いだした仁翔は短く息を吐き気合を入れた。


「あ、そうだ。忘れてたわ。ちょっと待ってて」


 何かを思い出して手を軽く叩いた甘岸は二人を置いて部屋の外へ出た。数分後、帰って来た甘岸の手にはインカムが握られている。


「はい、これ。付けて貰っても良いかしら。 一応、この部屋の壁には監視カメラが埋め込んであるのだけれど音声は記録出来ない使用でね。だから、指示とかのやり取りは全部インカムでするの。手で軽く触れればマイクがオンになるわ」

「あ、はい。分かりました」


 受け取ったインカムを教えて貰いながら覚束ない手つきでなんとか装着出来た仁翔。何度か触れてマイクの感度確認を終えると甘岸はニコニコとしていた。


「うん、これで準備は整ったね。それじゃあ、私と亜弥ちゃんは部屋から出るけど心の準備の方は大丈夫かしら?」

「だ、大丈夫です」


 トントン拍子で物事が進み、もう直ぐで直美と再会すると認識したことにより仁翔の身体は強張っていた。


「硬くなり過ぎだわ。ほら、息を大きく吸って……ゆっくり吐いて……」


 言われた通りに呼吸を整えると肩から力が抜けて自然と落ち着けられた。

 すると、この部屋に来てからずっと黙っていた御手洗が心配そうに訪ねる。


「上手く出来そうですか?」

「成るようにしか成らないと思います。ケセラセラってやつです」

「ケセラセラ……ですか。面白い言葉を使いますね。そうですね、ここからはケセラセラです」


 軽く笑い、表情が柔らかくなった御手洗。ずっと緊張でしていたのだろう。


「さて、もうそろそろ直美ちゃんと葛城君の面会をしようと思うのだけれど良いかしら?」


 甘岸の言葉に二人は揃って頷き、御手洗は甘岸の後を追って部屋から出て行く。その手前、御手洗は直美の母として切実に頭を下げた。


「直美のことをどうかよろしくお願いします」

「頑張ってみます」


 不安は払拭しきれないが仁翔は僅かばかりにある興味に似た今は名もなき感情に期待する自分に託した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

クズと訳アリ娘の未観測予報 猫神流兎 @ryuujinmaou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ