コンセイユ
“僕こそが、この国の第一王子クリーデンス・ノア・シプリアン・ビゼーだよ”
「うわああああああああああああああああ」
とんでもない悪夢に魘されて飛び起きる。ありえない。あの腑抜けたよわっちい“坊ちゃん”があの第一王子様だなんて、悪夢を通り越して……もはやなんだかよくわからないがとにかく信じられないくらい最悪な事だ。
俺は起き上がって朝の身支度を始めようとするが、服はとっくに着替えられていた。それに太陽が高い。意味が分からず困惑していると部屋のドアがノックされた。
「?誰だ」
いつもはノックなんて配慮ある行動をする人間なんていないのに。それだけでドアの向こう側の誰かは家族でないことが分かる。
警戒する声色にドアの向こうの男は「僕だよ~」なんて、何とも間の抜けた返事をする。それは間違いなく領主のバカ息子だ。
「どうしたんだよ、お前」
入ってきた男は白髪交じりの領主と違い金色に輝く髪に青い瞳をした育ちの良さがにじみ出ている男。妹のヨハンナや幼馴染のコリーはこいつが来るたびにやれ将来有望だの、まるで王子様みたいだのと言って目を輝かせるから面白くない。
「いや、急に倒れるから驚いちゃったよ、調子はどう?頭打ったりしてない?」
「……は?」
こいつの言葉に固まる。俺が倒れた?こいつの前で?そんな――あれは現実?いや、そんなはずない。こんな奴が第一王子様だと?ふざけるな!あの人は俺なんかよりずっと凛々しくてかっこよくて、少なくともこんなにへらへらしていない。
「お前、あれ本気で言ってたのか?」
「んー、そんなに信じられない?」
「当たり前だろ‼お前みたいなドーラク息子……!」
俺が口走った瞬間、体感温度が下がるのを感じてそれ以上何も言えなくなった。このとてつもない緊張感はどこから来るものなのか、喉の奥が渇いて苦しい。
「道楽息子、か。そんな事を言われたのは初めてだなあ」
いつものようにニコニコしているだけのこいつが突然大きな怪物のように見えて冷汗が止まらない。何が起きている?こいつは誰だ?
「あれ、どうしたの?いつもみたいな威勢の良さが無いね」
「……したんだよ」
「ん?」
「なにしたんだよ、これ……」
「なにって、なんのこと?僕はいつも通り君とお話してるだけだよ?」
ふざけるな、こんなのいつもと全く違うじゃねえか。それどころか、これはまるで――。
「君の方こそいつもと違って怯えた小動物のようだよ。……あの日のようにね」
「――あ」
その時俺の中にストンとこの人こそあの第一王子様なのだと落ちてきた。
「ふふっちょっとやりすぎちゃったかな」
そう笑った第一王子の顔は年相応で胸をなでおろす。
「あの、俺……すみませんでした‼」
これまでの無礼の数々を思い出して必死に謝る。
「許される事じゃないってわかってます。俺はどうなったっていい。でも!家族の事は許してください‼」
頭を床に擦り付けてそれでも足りないような気がして胸が苦しくなる。俺だけならどうなってもいい。けど、父ちゃんや母ちゃん、ヨハンナの事を危険に晒すのは嫌だった。こうなって初めて気づく。自分の行動が招く事態の重さに。そして同時に目の前の男には敵わないと知る。彼はそれが当たり前なのだ。平民の俺には一生分からない苦労。
「顔を上げて、コンセイユ」
「でも、俺——!」
「いいから」
穏やかだけれど有無を言わさぬ声に僕は意を決して顔を上げる。そこにあったのは、神話の神様みたいに穏やかな顔で僕を見下ろすクリーデンス様の顔だった。
「そんなに僕に悪いと思うならさ、僕の側近として働いてくれないかな?」
「……そんな、だって俺は、」
「僕が望んでいるんだよ。コンセイユは将来誰よりも素晴らしい僕の右腕になる。だから、君のその忠誠心を僕のために役立ててくれ」
器が違う。年下なんて言ってられない。目の前のこいつは俺よりずっと大人で、ずっと進んでいる。そこに追いつけるだろうか?いや、追いつかなくては。
俺は膝をついてクリーデンス様を見る。俺の意思が伝わったのか、クリーデンス様は俺の肩に腰に下げていた剣を置き物語の騎士の任命式を再現する。
「これでコンセイユは一生僕のものだね」
「気持ち悪いこと言うなよな」
「あー言ったな!」
夜、俺は父ちゃんのところに行った。父ちゃんは酒を飲んでいたのか、ろうそくの明かりの中で一人椅子に腰かけている。
「父ちゃん、今いいかな」
「あ?ああ、コンセイユか。……どれ、こっちに座れ」
「うん」
隣の椅子に座って、父ちゃんの横顔を眺める。俺はずっと父ちゃんの跡を継ぐと思って生きてきた。第一王子の護衛をしたいと口では言っていても、ただの平民の俺には城勤めすらありえないともわかっていた。それは、父ちゃんもわかっていたことだ。だから、いつも俺を否定しなかった。父ちゃんが否定しなくても、現実がいつか俺の夢を否定するから。けれど、今は違う。目の前に第一王子様が現れて、俺にそのチャンスをくれた。だから、俺はちゃんと話さなくちゃいけない。父ちゃんに謝らなければいけない。
「お前ももう十か」
「え、あ、うん」
驚いた。俺から話さなければと思っていたのに、口を開いたのは父ちゃんだった。父ちゃんの顔は蝋燭のせいで陰になっていて、肝心の表情は読み取れない。それでも、なんとなく、その姿はいつもより小さく見える。
「ここまでよく成長してくれたな」
「なんだよ、急に……」
俺の言葉には返事をせず、手に持ったカップを煽った。
「俺にはな、兄貴がいたんだ」
「ダヴィドおじさんだろ?知ってるよ」
「いや違う。ダミアン兄さんだ」
聞いたことのない名前に困惑する。これまでダヴィドおじさんは夏になると家族を連れて遊びに来ていた。けれど、ダミアンと言う名前は聞いたこともない。
「死んだんだよ、俺がお前くらいの時にな」
「え」
「いいか、お前はもう大人だ。だからこの話をした。人生は長いようで短い。それも、あっけなく、突然奪われる儚いもんだ」
父ちゃんは不意にカップを置くと俺を見つめる。
「後悔だけはするな。それが、俺がお前の父ちゃんとして最後に教えられることだ」
その目は酒を飲んでいるはずなのに真っすぐで、心臓がざわざわした。
「わかった。俺、頑張るよ」
父ちゃんはそれだけ言うともう寝ろと言い残して寝室に入って行った。俺は部屋に戻ったけれど心臓がうるさくてその晩はなかなか寝付けなかった。隣で寝言をこぼし顔を蹴るヨハンナが大切な宝物に見える。
――俺は、翌日家を出た。あの人の最強の右腕になるために。
君の眠る記憶 彩亜也 @irodoll
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