Ⅴ 瀕死の雑草には自己犠牲の精神を(ニ)

 マチャミックさんの持ってる物件ではあるが、オダリスの家から僕の店までは一通りほど離れている……。


 少しの後、駆け足で店まで戻った僕は、慌てて裏口のドアに手をかける。


「おかしい……鍵が開いてる……」


 だが、まさかと思ってドアノブを回してみると、しっかりかけたはずの鍵がなぜか解かれ、苦もなくドアはガチャリ…と開いてしまう。


 ますます嫌な予感が込み上げてくる……強い不安を抱きながら暗い室内を早足で進み、手にしたランタンで店舗スペースを照らし出したその時。


「なっ……!?」


 僕は息を飲み、心臓が止まるかと思うくらいの衝撃を受けた。


 そこは、自分の店とは思えないような何か得体の知れない気配の残滓と、濃厚な蝋燭の香りで満たされている……そして、白墨の粉が散乱する床には茶色く萎れた長い蔓が横たわり、その蔓を辿った先、カウンターの上に置かれた鉢植えの植物は、無惨にも枯れ果ててその巨大な花弁を項垂れていた。


「ペケーニャ・オダリス!?」


 僕は慌てて駆け寄ると、その鉢にしがみつく。


「……ひどい……なぜだ……いったい何があったっていうんだ……」


 見れば、花弁にも大きな穴が空き、そのカラカラになった土気色の枝葉からは生気というものがまるで感じられない……今夜、家を出る前はあんなにも生き生きしていたというのに……誰かの仕業だとしても、いったいどうすればこんなことになるんだ!?


「……あの男の仕業なのか? ……僕のペケーニャ・オダリスに何をした……?」


〝チダ……チガホシイ……イマスグ……シンセンナチヲ……〟


 見るに絶えない彼女の姿に涙ぐんでいた僕の脳裏に、苦しそうなか細い声が弱々しくも響く。


「……い、生きてる! まだ生きてるぞ!」


 すっかり枯死してしまったものと諦めていた僕は、彼女にまだ息があったことに一転、狂喜乱舞する。


「で、でも血か……よ、よし! 待ってろ……」


 しかし、この瀕死の状態では時間の問題だ。早く血を与えて生気を取り戻さなくては……。 


 僕はカウンター裏の床に収まった蓋を開けると、急いで塩漬け肉・・・・の甕のとなりに置いてあった小壺を取り出す……その中には塩漬けにする前に抜き取った肥料・・の血が入っているのだ。


「ほら、血だ。これしかないけど飲んで元気になってくれ……」


 その小壺を鉢植えの上で逆さにし、中の粘り気あるドス黒い液体を、僕はドボドボと枯れ果てた彼女の上に注いだ。


 だが、血は肉と違って毎日くれなくてもよく、殺した直後に流れ出たものを与えてからは、週に一、二度やるぐらいで充分ので、現在、壺の中にはほとんど残っていない状況だ。しかも新鮮じゃないし、これで事足りるものかどうか……。


〝ダメダ……タリナイ……モット、モットシンセンナモノヲ……〟


 案の定、か細い彼女の声はさらなる生血を貪欲に欲した。


「困ったな。どうしよう……これから獲りに行く時間はないし、この状態じゃ肉を食べるのも無理そうだしな……」


 瀕死の彼女を救うべく、僕は懸命に考え悩む……。


「そうだ! こうなったら僕の血を……」


 熟考の末、僕は最後の手段に思い至った。


 もう、残された手はこれしかない……なあに、多少血を流したところで、人間、そう簡単に死にはしないだろう。


「痛っ……さあ、今度こそ新鮮な生き血だ。たっぷりと飲んでくれ……」


 僕はナイフを取り出すと自分の左腕を切り、滴る真っ赤な鮮血を再び彼女の上へと注ぐ。


 すると、ようやく彼女の枯れた身体にもあの日と同じように変化が現れ始める……。


 赤茶けていた枝葉は鮮やかな緑色を取り戻し、倒れ伏していた茎もむくむく次第に起き上がってゆくと、項垂れた花弁の頭も正面を向いて、もとの威厳ある姿勢をどうにか復活させた。


 大穴の開いた上花弁がなんとも痛々しいが、これでもう大丈夫だろう。


「フゥ……よかった。一時はどうなることかと焦ったよ……」


 命の危機を脱した彼女に、僕はどっと疲れを覚えながら大きな溜息を吐く。


〝ニクダ……ニクモタリナイ……シンセンナニクモヨコセ……〟


 するとまた僕の頭の中に、相変わらずの彼女の声が今度は元気に響き渡った。


「ああ、お腹も空いたんだね。すぐにあげるよ。今は塩漬け・・・で我慢してもらうけど、今夜にでも新鮮なのを用意してやろう……」


 いつもの食いしん坊に戻った彼女に、引っ込めた腕の傷をハンカチで押さえながら、僕は無性に愛おしさを感じてそう語りかける。


〝ダメダ。イマスグシンセンナニクヲヨコセ……〟


 だが、貪欲な彼女の声がそれを拒否したその瞬間。


「んぐっ…!」


 僕の頭は鋭い牙の生えた彼女の巨大な花弁に、パクリと喰いつかれて一口に飲み込まれた──。





「──昨日は様子が変だったし、なんだか心配だわ……」


 翌朝、シモーロの身を案じるオダリスは、早くから彼の花屋を訪れていた。


「探偵さん、あの気味の悪い鉢植えをちゃんと調べられたのかしら? ……何事もなければいいんだけど……」


 探偵カナールに協力を依頼され、シモーロを食事に招待することで花屋を留守にさせていたオダリスも、あの鉢植えがただならぬ危険な存在であることを薄々は勘づいている。


「お店、まだ開いてないわね……やっぱり何かあったんじゃ……」


 まだ開店準備もされておらず、いつになく閉まっている表の扉を見ると、ますます不安を募らせた彼女は急いで裏口へも回ってみる。


「開いてるわ? ……シモーロ! 入るわよ? どうしたの? 何かあったの?」


 すると裏口のドアの鍵はなぜか開いており、さらに強まった不安に胸をドキドキさせながら、彼の名を呼んでオダリスは中へと侵入する。


「おはようシモーロ! シモーロ? いないの?」


 彼の名を連呼しながら、建物内を早足で捜して回るオダリス……まず彼女の脳裏を過ったのは、昨夜、予定より早く帰ったシモーロが探偵と鉢合わせをし、刃傷沙汰にでもなって倒れているのではないかということだった。


 あるいは、あの鉢植えのせいで気の触れたシモーロが、その狂気から思わず探偵のことを……。


「シモーロ! どこなのシモ……!?」


 だが、裏の居住スペースを抜け、表の店舗へと足を踏み入れた彼女がそこで見たものは……。


 窓の隙間から差す朝の日の光を浴びて、キラキラと輝くカウンターの上で大輪の花を咲かせるあの鉢植えの植物……その花弁の真ん中で巨大な雌蕊めしべに浮かび上がる、なんともいえない恍惚の表情を湛えたシモーロの顔だった。


(La petite boutique des horreurs ~恐怖の花屋~ 了)

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La petite boutique des horreurs 〜恐怖の花屋〜 平中なごん @HiranakaNagon

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