Ⅱ 謎の雑草には良質な肥料を(2)

 そうして燻ったまま暮らしていたある日、何か珍しい植物はないものかと鉢物の市を訪れた僕は、そこで原住民の老人が売っていた小鉢にふと目を止めた。


 それはごく小さなものだったが、まだ見たことのない食虫植物のようだった。


「お爺さん、これは何ていう植物だい?」


 僕はその老人が広げている店の前にしゃがみ込むと、すっかり背中の曲がった彼にそう尋ねた。


「なに、ただの雑草さ。名前も知らん……」


 すると、老人はギョロリと白濁した眼をこちらへ向け、ぶっきらぼうにそう答えた。


「これはいったいどこから採って来たんだい? よく生えてるものなのかな?」


 もしかしたら新種かもしれない……そう思った僕はさらに重ねて老人に尋ねる。


「いや。そこらに生えてるもんじゃない……大昔の神殿跡から見つかった種を、蒔いたら出てきたもんじゃ」


 その問いに、予想外にも老人はなんだか奇妙な話をし始める。


「大昔の神殿?」


「ああ。なんでも、星の世界からやって来た神を祀っていたと言い伝えられておる。そこの祭壇の上に、こいつの種の入った袋が置いてあったらしい……」


 聞き返す僕に、老人は相変わらずの淡々とした抑揚のない口調で、そんな伝説めいた来歴を短く語ってくれた。


 星の世界とはいったいなんなんだろう? 天界ということだろうか? まあ、神さまは天にいるものと相場が決まっているが……それはそうと、そんな古い時代の種より発芽したものだとすれば、もしかして今は絶滅してしまった植物という可能性も……。


「その鉢植えください。おいくらですか?」


 そんな可能性に、気づけば僕はその未知の植物を買い求めていた。


「まいどあり……一つ忠告しておこう。こいつを育てるのがなかなか難しい。水ではなく、人の血肉を欲しがるのでな」


 老人は鉢植えを渡しながら、彼なりのジョークなのか? 顔の表情を緩めることもなく、僕を脅かそうとするように恐ろしい言葉もつけ加える。


「またまたあ。ま、こう見えて植物の扱いには慣れてるんでね。ちゃんと育ててみせますよ」


 僕は苦笑いを浮かべながらそう返すと、鉢植えを店に持ち帰って育てることにした。


 ちなみに我が愛しきオダリス嬢にちなんで、〝小さなペケーニャ・オダリス〟という名前をつけたりなんかもしている。


 それほどに愛情を込めて、朝な夕なに水や肥料を与え、かいがいしく世話をする毎日……もしこれが新種や絶滅した種なら、僕の名を一躍、植物学界に知らしめる大発見となるだろう……。


 ところが、あの老人が言っていた通り、この植物を育てるのはかなり難しかった。


 どんなに水や肥料をあげても、まったく大きくならないのだ。それどころか次第に萎れ、枯れ始めてきてしまう。


 食虫植物なら虫を与えればどうかとも考え、試しにハエを与えてみたが、まったく反応を示さず、やはりダメだった……。


 もう、どうしていいかわからなくなり、教えを請おうとまた鉢物市へ行ってみたのだが、なぜかあの老人の姿はどこにも見えず、落胆した僕は酒場に寄ると、憂さ晴らしにたらふくラム酒をかっ食らった。


「クソ〜っ! どいつもこいつもバカにしゃがって〜!」


 すっかり酔っ払った僕は大声で叫びながら、千鳥足に夜道を店へと向かう。


「ああん? 誰がバカだとコラ? 調子乗ってるとイテまうでコラ!」


 しかし、悪いことは重なるもので、怒鳴りちらしながら歩いていた僕に、薄暗い路地裏で街のチンピラが絡んで来た。


「はあ? おまえこそ誰に口きいてんだあ! 僕は新世界一の植物学者だぞお!」


 酒の勢いで気の大きくなっていた僕は、いつになくチンピラに食ってかかってゆく。


「てめえ……ふざけやがって! 死に腐れやコラっ!」


 当然、殴り合いのケンカとなった……ていうか、僕が一方的に殴られたのであるが。


「…ぐはっ……ひっ…く、クソぉおおおーっ…!」


 ボコボコに殴られ、命の危機を感じた僕は、咄嗟に腰のナイフを引き抜く。


「舐めんなコ…ぐはっ! ……う…うぅぅ……」


「……ハァ……ハァ……えっ?」


 我に返ると、僕は血のついたナイフを手に握り、僕の前には事切れたチンピラが苦悶の表情を浮かべて倒れていた。


「……ぼ、僕は……なんてことを……」


 胸を真っ赤に染めたチンピラの無惨な死体を見ると、僕の酔いは一気に覚めてしまう。


「い、遺体をなんとかしなきゃ……そ、そうだ! 店に運ぼう……」


 事件の発覚を恐れた僕は考えを巡らし、ともかくもこの目立つ場所からチンピラの遺体を移動させることにした。


「……ハァ……ハァ……も、持って来たはいいが、いったいどこに隠せば……」


 なんとか人目を避けて店まで辿り着けはしたものの、その先のことまでは計画していなかったので、床に横たえたチンピラだったもの・・・・・を見下ろし、またも僕は困惑する。


〝ソノチヲ……ソノチヲヨコセ……〟


 と、その時、僕の頭の中にそんな声が木霊したような気がした。


「…… ペケーニャ・オダリス、おまえなのか?」


 しかも、直感的にその声は彼女の方から聞こえたように思われ、僕は無意識にその鉢植えの方へ視線を向けると、答えるわけもないはずなのにそう尋ねてみる。


〝チヲクレ……チガホシイ……〟


 すると、再び僕の頭の中に今度ははっきりと声が響き渡った。


「そういえば、あの爺さんも〝人の血肉を欲しがる〟とかなんとか……」


 その声に、僕は市場で老人の言っていたことを不意に思い出す。


 あの時は冗談かと思ったけどもしかしたら……。


 僕は急いで遺体の刺し傷に雑巾を押し当て血を吸わせると、試しに鉢植えの上から絞って与えてみた。


「……!」


 次の瞬間、萎れかけていた彼女は目に見えて生気を取り戻し、項垂れていた茎もみるみるムクムクと上体を起こし始める。


〝ニクモクレ……ニエヲ……ニエヲモットクレ……〟


 さらには茎の頭に付いた二枚の花弁を上下に開き、まるで牙のような棘々を見せつけながら、またもそう訴えかけてくる。


「に、肉か……よ、よし。待ってろ……」


 そこで、私はナイフを抜いてチンピラの小指を切り落とすと、恐る恐る彼女の方へそれを差し出してみる……。


「ひっ…!?」


 その刹那、あたかも動物のように花が動き、ものすごい勢いでバクリ! …と花弁がチンピラの小指に噛みついた。


 いや、そればかりかさらに花弁を口のように動かして、ボリボリと噛み砕いてゴクリ…と飲み込んでしまう……。


 血に加えて小指まで食した彼女は、先程にも増して鮮やかな緑色を取り戻し、市場で買った時のようになんとも生き生きとしている。


「そうか! 水や普通の肥料は受け付けないんだ。あの爺さんが言っていた通り、人間の血と肉で成長する植物なんだな。確かにそりゃ、育てるのが大変そうだ……」


 僕は、ようやくにしてこの謎の植物の栽培方法を知ることができた……こんな見たこともない聞いたこともない特性、やはり現在では絶滅してしまった古代の植物……植物学的には新種に違いない。


 僕は、ついに植物学者として身を立てる糸口を見つけた……これは、なんとしてでも枯らさずに観察を続けなくては……。


「固まらない内に血を採取しておかないとな……あと、この南国の陽気じゃすぐに肉が腐るな。塩漬けにでもしておくか……」


 この夜以降、僕は肥料・・の確保に苦慮しつつ、彼女の世話を続けてゆくことになるのだった──。

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