Ⅱ 謎の雑草には良質な肥料を(1)

「──ふう……ただいま、ペケーニャ・オダリス」


 深夜、僕は汗だくになりながら大きな頭陀袋を担いで、目貫通りを一つ裏に入った小路にある、小さな自分の花屋へと帰って来た。


 何も見えない真っ暗な店内、ドアを開けると我が可愛いペット・・に挨拶をし、僕はランタンから蝋燭に火を移す……すると、仄かな橙色オレンジの明かりに照らし出されて、所狭しと置かれた鉢植えの植物が薄闇の中に現れる。


「待たせたね。ようやくいい肥やし・・・が手に入ったよ……よっこらせっと……ふう…今すぐあげるからね……」


 その鉢植え達の内でも一際大きく、カウンターのすぐ脇に置かれているものへと僕は向かい、頭陀袋を床へ下ろしながら彼女・・に声をかける。


 それは緑色の花弁に牙の如き棘々の生えた、巨大な食虫植物のような姿をしており、今は少し萎れてだらりとその茎が倒れている。


「さあ、元気におなり……」


 僕は着古したジュストコールのポケットから小瓶を取り出すと、その中に入ったドス黒い液体を、カラカラに乾いた鉢の土へとドボドボと注いだ。


 すると、僕の〝ペケーニャ・オダリス〟は、すぐにムクムクと頭をもたげ始め、萎れていた茎葉もみるみる元気になってゆく……やがて、ピンと立った茎の頂にある大きな花が、まるで猛獣が口を開けるかのように、牙の生えたニ枚の花弁を大きく開花させた。


肥料・・もすぐにやるからな……」


 再び僕は彼女に声をかけると、カウンターの裏からノコギリを持って来て、頭陀袋から肥料・・を取り出すと、一部を切り取って花弁の間へと差し入れた。


 すると、彼女は勢いよく花弁を閉じ、差し込んだその肥料──遺体の手首をバリバリと食べ始めた。


 適度に咀嚼し、それをゴクリと一気に飲み干すと、見る間に彼女は成長をし始める……伸びた枝葉はタコの足みたいに鉢から溢れ出し、背丈もひとまわり大きくなって、明らかに巨大化している。


 そして、いつもの如く花弁の奥にある真っ赤な舌のような雌しべは、食べた手首の持ち主──歯医者のオレン・クスリレロの顔に変化した。


 どうやら食べた肥料・・の顔が、そうして浮かび上がる特性があるらしい……。


「よしよし。もう一つやるからな」


 再びノコギリを握り、今度は肘から下を切り取って、また彼女の花の中へとオレン・クスリレロだったものを放り込む。


 今日、歯痛で診てもらいに行った所、あのキチガイ歯医者、有無を言わさず僕の歯を抜こうとしたので、頭に来てぶっ殺してやったのだ。


 まあ、彼女の肥料も欲しいところだったのでちょうどよかった。


〝マダタリナイ……モットヨコセ……〟


 歯医者の肘下も食べ終わった彼女は、頭の中に直接木霊する声でさらなる肥料の追加を要求してくる。


「今日はこれで終わりだよ。肥料の採集は一週間に一回と決めている。あまりやると目立ってしまうからね。あと六日、なんとかコイツでたせなくちゃいけない……」


 だが、僕は首を左右にゆっくり振ると、わがままな彼女にそう言い聞かせた。


 彼女──〝ペケーニャ・オダリス〟とは、三月ほど前に鉢植えの市で出逢った……。


 僕の名はシモーロ・モラーニョス。平民の出身で御多分に洩れず、一旗揚げようと旧大陸から、ここエルドラーニャ島へ渡って来たエルドラニア人だ。


 小さい頃より草木の好きだった僕は、〝新天地〟で新種の植物を発見し、植物学者になろうという夢を描いていた。


 だが、金と時間のかかる学問の世界は貴族や資産家の子弟に牛耳られており、植物学もその例外ではなかった……僕のような平民は、どんなに知識ややる気があっても門前払いだ。


 そこで、まずは伝手ツテを作ろうと、このサント・ミゲルを拠点に活動している貴族出の植物学者パストリク・マルティンという男に弟子入りし、彼の下で植物採集に精を出していたのであるが、あろうことかあのクソ学者は、僕の集めた標本もすべて自分の手柄として論文を発表したのである。


「──先生! ひどいじゃないですか! この新天地特有の植物標本は僕が採集したものです! これは明らかに盗作ですよ!?」


 無論、論文を読んだ僕は早々パストリクの研究室に怒鳴り込むと猛抗議をした。


「なにを怒っているのだね? シモーロ君。君のような名もなき若者が論文を発表したところで誰も注目はしてくれない。だから、この私の名で君の研究成果を有効活用してあげたのだ。むしろ感謝してほしいところだね」


 しかし、パストリクは開き直ると、そんな身勝手な言い訳をするだけで謝りもしようとしなかったのである。


 このままヤツについていても、一生そうやって手柄を横取りされるだけだ……僕はその足でパストリクの下を去ると、やはり自分一人の力で研究を続けることにした。


 とはいえ、すぐに学者として食えるようになるわけではないので、まずは日々食べていくために金を稼がねばならない……かと言って、平民出身の新参者が儲かる仕事に就けるほど新天地の社会は甘くもない……。


 そこで、研究と実益を兼ねるために小さな一軒家を借りると、住居も兼ねたそこで花屋を営むことにしたのだった。


 花屋なら、森林に分け入って植物採集をし、余分なものを売って生計め立てられる……まさに一石二鳥だ。


 ところが、いざ始めてみるとなかなかどうして、やはり商売というものは難しい……毎日食うのがやっとの、家賃の支払いにも困るような貧乏暮らしだ。


「おい! シモーロ! 先月の家賃はいつになったら払えるんだ? 毎月々〃滞納しやがって……払えないんなら、いい加減出て行ってもらうぞ!」


 大家のグラシアノ・マチャミックが、毎日のようにそのでっぷりとした巨体を店に現し、鬼のように真っ赤な形相で雷を落とすかのように怒鳴り散らしてゆく。


「ま、マチャミックさん……も、もう少し、もう少しだけ待ってください! あとちょっとで家賃分のお金できますから……」


 その都度、平身低頭、僕は支払いを待ってくれるよう頼み込む毎日だ。


 新天地へ渡って来た頃の、夢と希望に満ちた僕は何処へやら。ほんとに、路傍で往来の人々に踏みにじられる、雑草のような人生である……。


「シモーロさん、ごめんなさいね。父さんったら、ほんと乱暴者なんだから」


 そんな雑草の僕にも、心安らぐひと時がある……マチャミックさんの一人娘、オダリス嬢の笑顔を見る時だ。


 オダリス嬢は野に咲く一輪の花のような可憐な女性で、南国の太陽のようなその笑顔は僕の荒んだ心を癒やしてくれる……。


「い、いえ……僕が家賃を滞納してるのがいけないので……」


 その眩しすぎる笑顔に目を逸らすと、僕は顔が熱くなるのを感じながら、彼女の心を悩ませないようにとそう答える。


「追い出さないよう父さんには言っておくから心配しないで。お気に入りのこのお店がなくなったらあたしも困りますもん……さてと。今日はこれをお願いしようかしら」 


 すると、オダリス嬢はまた屈託のない笑みを浮かべてなんとも嬉しい言葉を口にし、店先に飾られた赤いバラの切花をその美しい指で指し示した。


 彼女はこうして、毎日のように僕の店を訪れてくれる。


「あ、ありがとうございます! ……じゃ、じゃあ……一本サービスで……」


 顔を熱らせた僕は、どぎまぎしながらバラの花束を作ると、お代の銅貨を差し出す彼女に交換でそれを手渡す。


「まあ! うれしいわ! でも、悪いわね。ちゃんとお代取らなきゃ家賃払えないわよ? それじゃ、お仕事がんばってね」


 そして、花束を受け取ると冗談を言いながら、ウィンクをして颯爽と去って行く彼女を、僕はポカンと店先に突っ立って見送った。


 そう……僕は彼女に密かな好意を抱いている。


 だが、こんなウダツの上がらないばかりか身なりもボロボロな小男に、彼女のような美しい女性が振り向くことはないであろう。


 いつか、僕が立派な植物学者になった暁には、彼女にプロポーズしようという淡い夢を抱いていたりもするのであるが……。


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