【コンテスト応募中】夫の裏切りを知ったあの冬の日。

三愛紫月

嘘つきなあなた【加筆修正】

毎晩のように深夜に帰宅する夫を見ていた。


「ただいまーー」


いつも、酔っぱらって夫は帰宅する。


「お帰りなさい」


私は、夫にお水を差し出す。


「どもども、助かります」


この水に毒を入られたらどれだけいいだろうか……。

夫は、コップを受け取ってごくごくと飲むと私にコップを渡してから洗面所に向かった。

その道中で、靴下を脱ぎ、ネクタイを外し、ジャケットを落とし、カッターを脱ぎ、ズボンを置いていくのだ。

そして、洗面所に着くと歯を磨き、そのまま寝に行く。

私は、廊下を見つめていた。


「はあーー」


大きな溜め息をついてから、ビニールの手袋をはめてマスクをして、それらを拾い集める。


夫の全てを汚いと思ったのは、ちょうど一年前の出来事だった。

それならば、離婚すればいいのではないかと言われると思うけれど……。

それは、出来ない。

両親の目の黒いうちに、私にそんな権利などないのだ。


私の名前は、三上玲子みかみれいこ

夫の名前は、義之よしゆき


夫とは、お見合い結婚だった。

それも、親同士が勝手に決めた縁談だった。

両親は、三上家に大変お世話になっていた。

なので、三姉妹の末っ子である私を差し出したのだ。


夫は、三兄弟の末っ子で出来が悪い男だった。

しかし、誠実さだけはありますからよろしくお願いします。

と夫の両親はそう言って、どら息子を私達に押し付けたのだ。


夫は、いろんな職を転々とし、昨年ようやく落ち着いたところだった。そして、私と夫は今年結婚して七年目を向かえた。


私は、先月妊娠がわかった友人のみな実に「子供が欲しくないの?」と聞かれた。

私は、その言葉にすぐに「欲しくない」と返答した。


互いの結婚の条件は、子供を作らない事だった。

何故なら、私達はお互いを愛してなどいないからだ。


そう思っていたのだけれど……。

長年、一緒に暮らす中で少なからず情のような愛情のような何かが私には芽生えてきている事を一年前に知った。


「さて、終わった」


私は、手袋をはずし、マスクをはずし、キッチンのゴミ箱に捨てる。

手を入念に五回は洗ってから、お湯を沸かす。


「今日も頑張った!私……」


自分へのご褒美の為に私は、ホットココアをいれる。

ダイニングテーブルに座って、ココアを飲みながらあの日を思い出す。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


一年前ーー冬


「寒いわね、早く入りましょう」

「はい」

「でも、寂しくなるわね。れなちゃんがいなくなるの」

「すみません」


私は、夫の収入が不安定な事もあってラウンジ【希代子きよこ】で週三日は働いている。

希代子ママは、私が既婚者である事、夫が12時過ぎには帰宅する事を唯一知っている人物だった。

23時30分になると私は希代子ママの運転手である村井さんに自宅近くの公園まで送ってもらうのだ。


そして、私はこの日仕事を辞める予定だった。

理由は、夫がやっと一年も仕事を続けてくれたからだった。

だから、ここではなくお昼のパートで働こうと思ったのだ。


「ママ、また三上さん来てる」


三上さん?

同じ名字の人もいるものね。

私は、呑気にそんな風に思っていた。


「三上さんに会った事なかったわよね?」

「はい」

「れなちゃんが休みの日に来るから、無理もないわね。凄くいい人なのよ」


ママの言葉に、同僚の菜々美ちゃんは嫌な顔をする。


「いい人?既婚者なのに、鈴美香すみかと付き合ってるじゃないの」


むくれっ面をした菜々美ちゃんにママは、「そんな事、言っちゃ駄目だよ」と言っていた。


「私、今日はつきたくないから!だって、あの人いっつも奥さんの文句言ってるから苦手なの」

「わかったわ」


ママは、菜々美ちゃんにそう言って笑った。


「れなちゃん、ごめんだけど今日は一緒についてきてくれるかしら?」

「はい」

「後、一時間で上がりでしょ?それまででもいいから」

「はい」

「三上さん、鈴美香だけだと凄く嫌がるのよ」

「そうなんですか?」


私の言葉にママは、耳元で「鈴美香との事、バレるのが嫌みたい」と言った。


「そうなんですか……」


私は、ママと一緒に三上さんの元に行く。


「こんばんは。三上さん、いらっしゃい」

「ああ、ママ!今日もよろしくね」


私は、その顔を見て一瞬固まった。けれど気にしないようにしながら席に着く。


「三上さん、今日はれなも一緒でいいかしら?」

「いいよ、いいよ」


夫は、私を見つめていながらも一ミリも気付きはしなかった。


「初めまして、れなです」


私は、夫に名刺を差し出す。


「初めまして、よろしくね。ママ、こんな綺麗な人がいるなら早く言ってくれたらよかったのに……」

「ごめんなさいね。れなは、三上さんが来る時には休みなのよ」

「えーー。それは、残念だな」

「よっちゃん、そんな事言うなんて!最低ね」


鈴美香ちゃんは、夫にそういうとプイッと怒っていた。

私とは、違って25歳の彼女は可愛くて若くて、何よりも夫に好かれているのだ。


「ごめんよーー。鈴美香」


鼻の下をデレッと伸ばしながら、夫は鈴美香ちゃんに言っている。


「よっちゃんが、政略結婚でとんでもないデブスな嫁といるって言うから、鈴美香が癒してあげてるんでしょ?忘れたの?」

「そうだよ、そうだよ」


私は、鈴美香ちゃんの言葉に怒りを通り越して夫への殺意が沸いてきていた。


「そんなに、最悪な奥様なんですか?」


私は、冷静を装って話しかける。


「そうなんだよ。ママもれなちゃんも飲んで飲んで。れなちゃん、聞いてくれる?」

「はい、勿論です」


夫は私をフニャフニャとした顔で見つめてくる。


「いただきまーーす」


私は、明るく言って水割りを作り始める。


「れなちゃんは、何も知らないからね。よっちゃんいつもの話をしてあげなよ」 

「そうだな」


私は、ママに水割りを渡す。


「さっさっその前に乾杯しましょう」


ママは、夫に笑いながら言った。


「乾杯」

『かんぱーい』


私は、ゴクゴクと水割りを飲む。


「れなちゃん、綺麗なのに飲みっぷりもいいねーー」

「ありがとうございます」


ニタニタと笑う夫の顔に吐き気がした。


「じゃあ、ほら話してよ」


鈴美香ちゃんは、急かすように夫を焚き付ける。


「わかってるよ」


そう言うと夫は、煙草をポケットから取り出した。

夫は、鈴美香ちゃんに火をつけてもらって煙草を吸う。


「俺と妻はね。親同士が決めた縁談でね!陰気臭い女を向こうの両親がどうしてももらってくれって頭を下げるから結婚したんだよ」

「そうなんですか……」

「よっちゃん可哀想」


夫は、鈴美香ちゃんを見つめて「本当だよ」と笑って話す。


「こんな牛乳瓶の底みたいな眼鏡かけて、頬はそばかすだらけで、気色悪くて、毎朝顔を見るだけで吐きそうなんだ」

「可哀想だね、よっちゃん。よしよし」


鈴美香ちゃんは、そう言って夫の頭を撫でている。


「でもねーー。別れられないんだよ。両親が生きてるうちは……。だけど、体の関係は結婚して一年目でなくなったし。子供は作らない約束だったし。だから、何とかやっていけてるんだよ」 

「よっちゃん、大変だねーー」

「だろ?あいつの唯一のいいところは飯が上手いことと片付けが出来るぐらいだよ。それ以外には何もない」

「家政婦さんだもんねをーー」


鈴美香ちゃんの言葉に夫は、「そうそう」と笑っている。


「大変ですね」


今すぐにでも殴り殺してやりたい気持ちを押さえながらも私は笑っていた。


「そうだろーー、そうだろーー。れなちゃんみたいな綺麗な人が嫁だったら俺だって歓迎だよ」


6年も暮らしていながら、私の顔も覚えていない夫は素晴らしい人間だと思った。


「あーー、早く死んでくれないかな?」

「どっちが?」

「そりゃあ、言えないけどなーー。ハハハ」


そう言って、夫は楽しそうに笑っていた。

私にも見せた事のない顔をして……。


「あら、もう時間だわ。れなちゃんあがって」


ママに言われて私は我に返る。


「えーー、れなちゃん。もう帰っちゃうの?」

「すみません。ご馳走さまでした」

「寂しいなーー」

「もう、よっちゃん。鈴美香がいるでしょ!」

「そうだね」


私は、水割りを飲み干して席を立った。

ボーイである遠藤君にグラスを渡した。


「あの、今日は村井さん。来れなくなったので、俺が送りますね」

「わかりました。着替えてきます」

「はい」


私は、着替える部屋に行って服を着替えた。


「れなちゃん、お疲れさま。嫌なやつでしょ?三上さん」


お客さんに電話していたのだろうか?菜々美ちゃんがいて話しかけられる。


「そうね」


私の言葉に、菜々美ちゃんは「そうでしょ!奥さんが可哀想よ。あんな、ろくでもない男と結婚させられて」と言った。


「凄く嫌いなのね」

「嫌い、嫌い。大嫌い。私の父親も不倫してたの!だから、不倫してる男は全員嫌い。その中でも、特に嫌いなのはああやって奥さんの文句を言うやつ」


菜々美ちゃんは、かなり怒っていた。

私は、菜々美ちゃんのお陰で少しだけスッキリした気持ちになる。


「じゃあ、私帰るわね」

「うん。お疲れさま」

「お疲れさま」


私は、服を着替えて荷物を持って外に出る。


「れなちゃん。来週、給料渡すわね」


ママが私の元にやってくる。


「ママ。やっぱり私、まだ働きたいです」

「いいわよ!れなちゃんなら、大歓迎よ」


私は、この日仕事を辞めるのをやめた。


「じゃあ、遠藤君よろしくね」

「はい」

「お疲れさまでした」

「お疲れさま」


ママは、私に手を振っていなくなる。

私は、遠藤君と一緒に歩いて車に乗り込んだ。

【希代子】では、ボーイは三人いる。

その中で、遠藤君だけは村井さんが休みの日の送迎を担当している。

私の曜日には、一度も担当した事がない。

だから、何を話していいかわからなかった。

私と遠藤君は、黙っていた。

車がゆっくり走り出すと私は泣いてしまう。


「さっきの人。れなさんの旦那さんですよね?」


遠藤君に突然言われて私は、驚いていた。


「面接に来た時に、れなさん、三上って言ってましたよね」

「あっ……」


【希代子】に面接に来た時に案内してくれたのが遠藤君だった事を忘れていた。


「違いましたか?」


遠藤君に言われて、私は「そうです」と呟いた。


「酷い人ですね」


遠藤君は、息を吐くように話した。


「そうね。酷い人……」


私は、窓の外の流れる景色を見つめていた。


「れなさんは、旦那さんを愛してるんですよね」


遠藤君に言われて、私は少しだけ考えてから話す。


「今日、初めて何らかの感情を持っていたのに気づいたみたいなの。私」


私は鞄からハンカチを取り出して涙を拭う。


「結婚してどれくらいですか?」

「六年目よ」

「そんなに長いんですね!なのに、れなさんの顔もわからないんですか?」


遠藤君は、驚いた声をあげていた。


「そうね。気づいていなかったわね」


私は、ミラーを見ながら笑った。


「最低ですね」


遠藤君は、私の代わりに怒っていた。


「そうね。最低な人よね」

「でも、れなさんは別れられないんですよね?」

「そうね。別れられないわ。両親が生きてるうちはね」


私は、涙を拭った。


「それなら、れなさんも旦那さんの事を裏切ればいいのに」


遠藤君は、笑っている。


「私みたいなおばさんを相手にする人なんて既婚者ぐらいでしょ?誰もいないわよ」


私は、笑いながら外の景色を見る。


「それにね。ダブル不倫なんて、目も当てられないわよ」


遠藤君は、自宅近くの公園で車を停めてくれる。


「れなさんを好きになってくれる人は、既婚者だけじゃないですよ」

「そんな風に言ってくれてありがとう。遠藤君みたいな若い子に言われて凄く嬉しいわ」


私は、遠藤君に笑った。

遠藤君は、運転席から降りて、後部座席をあけてくれる。


「ありがとう」

「あの、れなさん」

「何?」

「一度だけ、俺とご飯を食べに行きませんか?」

「私と?」

「はい」

「私は、いいけど……。彼女に怒られちゃうわよ」

「大丈夫です。それに、彼女なんかいませんから……」


遠藤君は、名刺を渡してくる。


「れなさん、泣きたい時は、話を聞きますよ。って、言っても夜中になりますけどね……2時以降になりますけど」

「ありがとう」

「いえ。お疲れ様です」

「お疲れ様」


私は、遠藤君に頭を下げて家に帰る。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


あれから、一年が経った。

私は、あの日から夫を不潔に思い生きている。

料理も洗濯も勿論している。

お店での経験もいかしながら、普通を装っている。


ブーブー


「もしもし」

『今、帰宅しました』

「お疲れさま」

『はい』

「今日は、忙しかった?」

『それなりですよ』


あの日から、私は遠藤君と電話をしている。


「じゃあ、明日も忙しいのかな?」

『どうですかね?忙しいといいんですけどね』


私は、相変わらず【希代子】で働いている。


「今日も、あのひとは来てた?」

『はい。来てました』

「そう。たくさんお金を使ってもらわなくちゃね」

『そうですね』

「私の話も相変わらずしてたでしょう?」

『はい』

「フフフ、いいんじゃない」


私は、遠藤君に笑う。


『玲子さん、今度はどこに行きますか?』

「そうね。今度は、お弁当を作って行きましょう」

『それは、嬉しいです。俺、玲子さんのご飯が大好きですよ』

「嬉しい。そんな風に言ってくれるのは遠藤君だけよ」


私と遠藤君は、月に数回ご飯を食べたり、出かける仲になっていた。

もちろん、ボーイと女の子の恋愛は禁止だから……。

それ以上になるつもりはない。

私は、何度目かのお出かけで遠藤君はもしかして私を好きなのではないだろうかと思っていた。


『玲子さん、お店をやめたら、付き合ってもらえますか?』


そう思っていたのを今、ハッキリと口に出されてしまった。


「私は、結婚してますよ」

『それは、結婚って言うんですか?俺には、奴隷だと思いますけど』

「そうね。でも、無理よ。両親が生きてるうちは……無理。あの人とは別れられないわ」


私の言葉に遠藤君は、『そうですよね』と落胆したような声を出す。


「遠藤君は、まだ25歳でしょ?私よりも一回り下でしょ?もっと、年が近い人と付き合った方がいいわよ」

『そんなのは、いらないです。俺は、ずっと玲子さんを待ちますよ』

「そんな事言ってたら、あっという間に年をとってしまうわよ。それに、自分の子供だって望めないわよ」


私の言葉に遠藤君は、『それでも、待ちます』と言い続けていた。


「だったら、好きにすればいいわ!でも、私は不貞は働かないわよ」

『どうしてですか?』

「だって、離婚できるようになった時にあのひとに不貞をはたらいたって難癖つけられたくないもの!それに、目撃されて慰謝料とか取られる側にもなりたくないわ。今までこんなに我慢してるのに、別れてまでそんな想いしたくないわ」


私の言葉に遠藤君は、『わかりました』と小さな声で言った。


『付き合えなくてもいいです。ただ、そのかわり今まで通りお出かけ友達でいてもらえませんか?』

「勿論よ!遠藤君と食事する事は、凄く楽しいわ。それに私の料理を褒めてもらえて幸せだもの」

『それなら、よかったです』


遠藤君が、いつものように笑ってくれているのがわかった。

後、五歳若かったら……。

もしかして、私は不倫をしていたかもしれない。

夫と結婚して、すぐだったら私は告白を受け入れてたかもしれない。


「そろそろ、寝るわ!おやすみ」

『じゃあ、また、明日。おやすみなさい』

「おやすみ」


プー、プー。


私は、遠藤君みたいな人と結婚したかった。

愛されるって、きっと幸せなものなのよね。

私は、遠藤君との連絡を終えて、いつものように歯磨きをしてから部屋に行く。

夫と寝る部屋が別々で本当によかったと思ってる。

もしも、寝室が一緒だったら、息を殺して寝なければいけなかったから……。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


朝目覚めて一番にする事は、窓を開ける事。


「おはよう。寒いよ」

「エアコンの温度下げたからかしらね」


ってのは、真っ赤な嘘。

私は、キッチンにある窓を開けてるのだ。

最近の私は、夫と同じ空気を吸うだけでも吐き気がしてくる。

それは、きっとこのひとも同じはず。


「朝御飯どうぞ」


旅館のような朝食を作りもてなす。何故かわかる?

嫌いでも、吐き気がしても、私の元に帰ってきてもらわなきゃ困るのよ。


「いただきます」

「どうぞ」

「ああ」


新聞を読みながら、夫は朝御飯を食べている。

私は、一緒に食べたくないから、キッチンでコーヒーをいれていた。

夫の食べ終わるタイミングをはかって、お店のようにコーヒーを持って行く。


「どうぞ」

「ありがとう」

「はい」


私は、キッチンに戻ると夫のお弁当の用意をする。


「じゃあ、行くよ」

「今夜も遅いの?」

「そうだね」

「わかった。気をつけてね」

「じゃあ、行ってきます」

「行ってらっしゃい」


私は、夫にお弁当を渡して見送った。

いなくなったのを見届けて、私は全部の窓を開け放つ。

そして、手袋とマスクをはめて、夫の部屋に入り窓を開けた。

それから、掃除機をかけたりシーツを洗ったり……。

やる事は、完璧にこなす。

そうじゃなきゃ……。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


今日は、遠藤君とのお出かけの日。


「こんにちは」

「お弁当持ってきたわよ」

「めちゃくちゃ嬉しいです」


私が夫に完璧に接する理由は、遠藤君のお陰だった。


「遠藤君のお陰で、私、家事をまた完璧に出来るようになったわ。本当にありがとう」

「それは、よかったです。玲子さんの役に立てているなら……」

「役に立っているわよ。それに、保険金を受け取る為にも長生きしなきゃね。って、あっちが長生きしちゃったら損するわね」

「確かにそうなりますね」


遠藤君は、私を車に案内する。


「これに変えるんですよね」

「ありがとう」


私は、【希代子】で働いたお金で、最近高級なブランドバックを買った。

それを、遠藤君に預かってもらっていた。

車に乗り込み。

私は、鞄をうつしかえる。


「いつか、玲子さんが自由になれる日を楽しみに待っています」

「それまで、私を待ってるつもり?」

「もちろんですよ!今日は、公園に行きましょうか!」

「いいわよ」


遠藤君は、誰もいない公園に私を連れてってくれる。


「お弁当食べよう」

「はい」


私と遠藤君は、公園のベンチに腰かける。私は、お弁当を差し出した。


「遠藤君は、何で私に何か興味があるの?」

「玲子さんにですか?最初から、気になっていましたよ。初めて玲子さんを案内した日から……」

「遠藤君と初めて会った時って、まだ遠藤君は二十歳じゃなかった?」

「そうですね」

「そんな若い子が、私なんか……気に入ってくれたなんて」

「年は、関係ないですよ」


遠藤君は、私を見つめて笑った。

もしも、20代だったら遠藤君の手を取って駆け出して行っただろう。


「お弁当、食べて」

「いただきます」

「はい」


遠藤君は、私の作ったお弁当を美味しそうに食べてくれる。

これだけでいい。

これだけで、充分幸せ。


「玲子さん、この卵焼き美味しいよ」

「よかった」

「この唐揚げも美味しいよ」

「よかった」


いつの間にか私は、遠藤君と一緒に食事をするのが楽しみになっていた。

だって、遠藤君は、私の手料理を美味しい美味しいと言って食べてくれる。


「幸せってこういうものなのかな」

「玲子さん……。離婚する?」

「まさか、しないわよ」


私は、遠藤君を見つめる。


「玲子さんは、頑ななだね」

「そうね。私、きっと両親もあのひとも怨んでるの。だから、ここで、逃げ出したくないの」

「どうせなら、保険金をもらって別れたい?」

「そんな事は、殺人でもしない限り無理よね」


遠藤君は、私の言葉に「俺がしてあげようか?」と言って笑った。


「それは、駄目」


遠藤君は、驚いた顔をする。


「鳩が豆鉄砲食らった顔って、そういう顔を言うのかしらね」


私は、フフフと笑う。


あのひとが死んで、遠藤君が逮捕されちゃったら……。私を愛してくれる人がいなくなるじゃない」

「玲子さん……」

あのひとがいなくなった後、私と一緒にいてくれるんでしょ?」


私は、遠藤君を見つめて笑う。

自分でいいながら、恥ずかしい。


「勿論だよ。玲子さん」

「それじゃあ、夫の殺害はなしね」

「そうだね。それは駄目だね」

「夫と終わりを迎えるまでは、こうやって遠藤君に会えるだけで私は充分よ。それに遠藤君は、恋人を作ってもいいのよ。若いんだから……」

「そんなのいらないよ。俺は、玲子さんを待ってるから」


遠藤君は首を横に振って笑ってくれる。

その後も、私達は変わらない日々を過ごし続けていた。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


あれから5年の月日が流れた。

私は、夫を見つめていた。


「気を落とさないでね。玲子さん」

「はい」


私は、夫の両親にそう言われていた。


「玲子、大変だったわね」

「ええ」


私は、可哀想な未亡人になり、夫は最低な人間だと周囲に言われた。


昨夜、夫は鈴美香に殺されたのだ。

警察に捕まった鈴美香の話によると、子供をおろせと言われた事、妻とは絶対に別れないと言われた事にどうやらむしゃくしゃしたらしい。


「もう、10年以上も玲子を騙していたのか!!このろくでなしの甲斐性なしが……」


父さんは、そう言いながら死んだ夫に怒り狂っていた。


「もう、いいわよ。すんだことだから……」


私は、夫の亡骸を見つめながら涙を流していた。

通夜、告別式は、滞りなく行われ私は【希代子】を辞めた。


「まさか、三上さんが、れなちゃんの旦那さんだったなんてね。知らなかったわ」


49日を終えて、あのひとをお墓に入れた。

その日の帰りに私はママに呼ばれていた。


「すみません。内緒にしていて」

「いいのよ。でも、れなちゃん上手かったわよ!演技」

「そうですね!毎回、席についてましたから……」


私は、ママに笑っていた。


「そうよねーー。もしも、知ってたら、席にはつかせなかったわ」

「ママのお陰で私は、夫の本心がしれてとてもよかったですよ」


私は、ママににっこりと笑った。


「れなちゃん。幸せになりなさいよ。もう、不倫男は、死んじゃったんだから……」


私は、ママの言葉に泣いていた。


「愛は、あったのよね?」

「そうかもしれないですね」


ママは、私にハンカチを差し出してくれる。


「ありがとうございます」

「じゃあ、遠藤君。よろしくね」

「ママ」


私は、ママの言葉に驚いていた。


「他人は、騙せても。私は、無理よ!れなちゃん。遠藤君が好きなのは、わかってたけど……。まさか、れなちゃんも遠藤君を好きだなんてね」


ママは、ニコニコと嬉しそうに笑った。

私が、何か話す前にママは「じゃあね、村井ちゃんが待ってるから……。れなちゃん、幸せになるのよ」と言った。


「はい。さようなら」


ママは、ヒラヒラと手を振っていなくなってしまった。


遠藤君とこんなにも会わなかった事なんてなかったかもしれない。


私は、スマホを取り出した。


♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡


「玲子さん、久しぶり」


私は、遠藤君と久しぶりに再会していた。


「元気にしてた?」

「ええ。希代子は、辞めましたけど……」

「そう。今は何してるの?」

「今は、就活中です」


遠藤君は、頭を掻きながら苦笑いを浮かべた。


「こんな事あると思ってた?」

「えっ?」

「こんなに早くいなくなるって、私は思ってもなかったわ」


私は、遠藤君を見つめる。


「玲子さんは、やっぱり旦那さんを愛していたんですね」


「そんなわけ……ないでしょ」


遠藤君は、私の頬に手を当てる。


「じゃあ、どうして泣くんですか?」

「どうしてかなーー」


私にも、よくわからなかった。

どうして泣いているのか……。


「あの日も、泣いていましたよね」


遠藤君は私の涙を優しく拭ってくれる。


「情かな?愛情かな?何なのかな?」

「俺には、わかりません」

「駄目よね。私……。自分の気持ちもわからないなんて」

「そんな事ありません。旦那さんだって、ずっと玲子さんの事、気づかなかったじゃないですか……」

「そうね」


私は、遠藤君を見つめていた。


「俺への気持ちは、わかってますか?」


私は、その言葉にゆっくりと頷いた。


「玲子さん、これからは、俺と幸せになりませんか?」

「私なんかといたって、子供は望めないわよ」

「そんなの構いませんよ」


遠藤君は、私を引き寄せて抱き締めてくれる。


「玲子さん、中学生の頃、小学生の男の子を助けませんでしたか?」


その言葉に、私は記憶を辿る。


「ひき逃げよね。確か、自転車に跳ねられて……」

「それ、俺だったんです」

「えっ?違うわ。だって、あの子は……」

柴山篤郎しばやまあつろう。母が再婚する前の名前でした」

「そうだったの……」


遠藤君は、私の顔を覗き込んだ。


「俺は、初めて会った日から気づいてましたよ!あの時、骨折した俺を助けてくれた人だって……」

「遠藤君」

「ずっと、探してたんです」

「探してた?」

「俺の初恋だったんですよ!不安だったんです。あの場所で、誰にも見つからずに死んじゃうのかなーって」

「死んだりなんかしないわよ。そんな怪我じゃなかったじゃない」


私は、遠藤君を見つめて笑う。


「だけど、あの時の俺はそう思ったんですよ。それを玲子さんが助けてくれた」

「大袈裟よ」

「大袈裟じゃないよ。だから、次は俺が玲子さんを助けるって決めたんです」

「遠藤君」


私は、遠藤君の言葉に泣いていた。長い間、忘れてしまっていたけれど、これが恋なのを思い出していた。


「俺が、玲子さんを幸せにします。だから、一緒に生きて行って欲しい」

「はい」


私は、遠藤君の背中に手を回してしがみつく。

好きな人と一緒になるって事は、こんなにも幸せな気持ちになれる事だと遠藤君は私にもう一度教えてくれる。

まさか、こんな早くあの人がいなくなるなんて思わなかった。

神様はいるのだと思った。


「愛してるよ、玲子さん」

「私も愛してるわ。遠藤君」


ずっとこうしたかった。

二つのシルエットがゆっくりと重なり合う。






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