02●SFのようで、全然SFじゃない!

02●SFのようで、全然SFじゃない!



※本稿では、以降に『ヴイナス戦記』のストーリーのネタバレ要素が含まれます。

 必ず、あらかじめ『ヴイナス戦記』の本編をブルーレイ等でご覧になってから、お読み下さい。絶対にですよ!

 なお、本稿は“映画の『ヴイナス戦記』”について、独立した映像作品として論評を試みるものです。

 漫画の原作は別作品として、関連性を論じるのは極力避けることとします。



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 で、『ヴイナス戦記』の、どこが「面白くない」のでしょう?

 「面白くない」とは「面白味」に「欠ける」と言うことです。

 つまりSF・ファンタジーの映像作品に大衆が期待する、「面白味」が不足している……と、観客に受け止められた、ということのようです。

 この「面白味」とは何か、が明らかになれば、『ヴイナス戦記』が今一つウケなかった原因に近づくことができるでしょう。


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 さて『ヴイナス戦記』は、どうみてもこうみても、SFのジャンルに属します。

 舞台は、テラフォーミング途上の金星。

 人類は生身で生存できるようになったけど、まだまだ大気も水も状態が不安定であり、映画イントロのテロップにある「水を中和しO2を分離するプラント」が働き続けることで、ようやく健康な生活を維持している……という、ある種の異世界です。


 時代は未来、場所は金星。

 SFそのものですね。

 しかし……


 こういったSF映像作品に、私たち観客は、どのような「面白味」を期待するでしょうか。

 私見ではありますが、下記の三つの要素の全部か、少なくともどれか一つは期待しているのではないかと思います。




【SF映画の面白味三要素】


①超メカ

……物語の結末に決定的な役割を果たすスーパーメカ。巨大ロボット、巨大宇宙戦艦、巨大潜水艦、巨大飛行艇、タイムマシンとか。例えば空飛ぶガンシップやノーチラス号やマイティジャック号など。主人公はそれを操って、戦いに勝利します。これが敵役の場合は、“巨大やられメカ”になります。巨大ギガントとか。


②超能力

……主人公の活躍に決定的な役割を果たす、超人的な能力。たとえば魔法の力、エスパー的な能力、あるいは変身による身体能力の拡張など。ガンダムではニュータイプ覚醒、ヒーローアカデミアでは“個性”、スーパーマンやウルトラマンにみる“変身”、また『時をかける少女』のタイムリープ能力などもそうですね。


③超現象

……現実の常識を超えた、奇想天外な現象の発生。たとえば異世界への転生、迫りくる天変地異、巨大隕石や移動性ブラックホールの襲来、宇宙人や未来人や大魔神の襲来や来訪、日本沈没や地球の滅亡、怪獣の大暴れ、ミクロの世界や電脳空間での戦闘、予言と神の啓示などなど……


 SF映画のポスターやチラシを見て劇場へ足を運ぶ私たちは、だいたい上記の①②③を銀幕の幻想空間で体験させてもらえるだろうと、無意識に期待しているのではないでしょうか。


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 そこで『ヴイナス戦記』です。

 上記の①②③に照らしてみると……

 確かに、どれも弱い。

 じつは①②③とも、ほぼ、ゼロに近いのです。

 ①の超メカは、敵戦車タコと戦闘バイク。“超”な機械ではありません。

 ②の超能力は、皆無と言っていいでしょう。誰もが生身の人間です。

 ③の超現象は、“金星の戦争”となりますが、金星ならではの特殊要素は感じられず、映画公開時の1989年現在に、中央アジアのどこかの平原で、只今侵略中のソ連戦車に対して、現地民がバイクにジャベリンみたいなのを載せてゲリラ戦を挑んでいても、同じような画面になったのでは……

 やっていることが、20世紀の戦争と、それほど違わないのです。


 そういった『ヴイナス戦記』の演出内容に、観客は「なんだ、こんなものか」と失望したのかもしれません。

 なにしろ、ガンダム映画にヤマト映画の洗礼を受け、スターウォーズにスタートレックを映画館で堪能してきたばかりの観客です。『ヴイナス戦記』を観て、度肝を抜かれるような驚きはまるで感じなかったことでしょう。


 そして主人公。

 バイクスタントに天才的な技量を見せるヒロですが、決してスーパーマンでなく、SASUKEの出場者や体操選手ならやってのけられそうなパフォーマンスにとどめられています。高所からテントに飛び降りて助かるといった運の良さはあるのですが、足を銃弾がかすっただけで、相当な苦痛とダメージを受けるところがリアル。

 これがスーパーなヒーローなら、「かすり傷」程度で済ませるのが一般的、英国の007氏にもなると胸を撃たれても平気の平左で暴れてくれますが、現実には、弾丸が皮膚をかすっただけでも、焼け火箸でえぐられるような激烈な痛みであると想像できますので、ヒロの苦悶は納得できます。


 このように登場人物は全員、超能力ゼロの、普通人ふつうじん

 限りなく“等身大”の人々なのです。


 作風はSFだけど、“いかにもSF”な超人は存在しない。

 メカも、人物も、出来事も、極めてフツーというか、今の現実で起こり得る範囲の延長線上から、さほど逸脱していない。

 通俗的なSFを期待していたら、肩透かしを食わされてしまった。


 だから、ヒットしなかった、そう考えると納得できます。


 あらゆる点で“等身大”だったことが、『ヴイナス戦記』のヒットをはばみました。


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 しかしこの“等身大”こそが、『ヴイナス戦記』の類いまれな真価であると、今になって思うのです。



   【次章に続きます】



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