第4話 信じられる者
客室に戻った鏡華は、目の前に座った見慣れぬ貴婦人をまじまじと見つめた。あの老婦人とは似ても似つかない出で立ち。年恰好も随分と若くみえる。質素な婦人とは対照的に、派手な服装からはいかにもな家柄の良さムンムンと放たれている。お世辞にも愛想がよいとは云えないむすっとした表情からは、とてもあの優しい微笑みは想像できなかった。
「…なにか?」
貴婦人は鏡華の方をジロリと一瞥した。
「あっ、あいすみません…」
貴婦人の不愛想な態度に鏡華は少しムッとしたが、その気持ちを抑えて顔を背けた。目の前のこの貴婦人があの婦人であるとはにわかに信じ難かった。しかし見た目も態度も表裏ほど違う人を、単に記憶違いで間違えるものであろうか。
鏡華は車掌の言葉が信じられなかった。
「やっぱり、おばさまはこの列車のどこかにいるはずよ…」
そう思い立った鏡華は再び客室を飛び出した。
今の鏡華はまるで別の世界へと迷い込んでしまったかのようだった。記憶と酷似しているがまるで別物である。あたかも狐につままれたかのような心地で、自分だけが知らない場所に居るかのような心細さに時折くじけそうになりながら、車内を探し回った。
周囲の目は鏡華をなにか気が触れた女のように見ていたが、なりふり構っている余裕などなかった。ただ彼女はどうにもならない不安を癒すための安心材料が欲しかったのである。
前も見ず、速足に何かに急き立てられるような焦りを覚えていた鏡華はとうとう前から来た男とぶつかってしまった。
「おっと。失礼」
男は細身だが松の木の如くごつごつとした長身で、腰から日本刀を下げた玲瓏な軍人であった。
「こちらこそ…ごめんなさ…」
鏡華が申し訳なさそうに顔を上げた時だった。彼女の焦燥感に曇っていた表情が途端にパァっと晴れやかになった。これはまさしく閉じ込められた暗闇に一筋の光が差し込んできたようであった。
「庸輔さん?ネェ庸輔さんよね!」
鏡華は男の軍服の袖をギュッと握り締めそう訊いた。
「…鏡華?」
「エェ鏡華よ!向かいに住んでいた鏡華です」
先ほどの焦りはどこへ消えたのか、鏡華は嬉し気に声を上げた。
男の名は
「鏡華か。久しぶりだな。随分と大きくなったから解らなかったよ。何年ぶりだろうか」
「七年ぶりです。庸輔さん、士官学校へ行ったきり一度も顔を見せてくださらなかったから、わからなくて当然ですわ」
鏡華は不満げに袖を引いた。
「そうか。もう七年になるのか。早いもんだなァ…何かと忙しく年忌の法事以外では帰っていなかったから、しばらくぶりだな。ところで、憔悴しきっていたようだが何かあったのか?」
「そう…そうなのよ。庸輔さん、助けてくださいな」
鏡華は声を震わせながら、今日の顛末を庸輔に話して聞かせた。
「鏡華?それは本当なのか?」
「本当よ!確かに私はあのおばさまを見たんですもの。でもだぁれも信じちゃくれないのよ」
「俺は君を信じたい。でも今はそれを明かす証拠がない。その為には先ず落ち着くことが大切だ。ひとまず客室へ戻ろう。振り出しから一緒に考えよう」
「庸輔さん…あたし、庸輔さんとここで出会えて本当によかったわ。やっぱり、一番困ったときにそばに居て欲しい人だもの」
「それは買いかぶりすぎだ。俺は一軍人でしかないんだから」
庸輔は照れ臭そうに軍帽を深く被りなおした。
新橋発、特別急行 正保院 左京 @horai694
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。新橋発、特別急行の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます