騎士と墓暴き・5/20221216クローラ5/

「あ……ええと、おひさしぶりです……」


「その……はい、おひさし……ぶり……」


 振り向いたヤクモと、正面から目を合わせてしまったカノンは、思わず少し俯いて視線を逸らす。


 ヤクモも同様に、すこしフードを引いて、目線を合わせないようにした為、二人は視線を躱さず奇妙な雰囲気で、しどろもどろになりながら挨拶を交わすことになった。


 ヤクモは、カノンの方に向けていた身体を横に向けて、一歩後ろに下がる。棚の前から退いたのだろう。


「あ……」


 とるべきカップ麺を取っていなかった。


 恐る恐るながら前に出たカノンが棚に手を伸ばす。


「どれでしょう?」


 棚にとるものはあるかという意味合いだろう。


 確かに、一歩後ろに下がるとカノンも棚の前にいることもあって、ヤクモからは棚の大半の物に手が届かなくなってしまう。


 じゃあ、それをと恐縮しながらヤクモはとろうと思っていたインスタントラーメンを指さす。


 どのコンビニエンスストアでも見かける、ベストセラーのインスタントラーメンの、標準的な味付けのものだ。


 カノンは、指を一本立てて、数を確認する。


「あっ、はい。一つ、です」


 カノンはそのカップ麺を手に取り、ヤクモの籠に入れる。


 彼も同じカップ麺を確保して、そのまま手に持った。


 カップ麵を取って、一拍間を置くと、カノンはヤクモをレイさん、と呼ばわる。


「よかったら、あれからの事、少し話しませんか」


 彼自身、具体的に何を話すべきなのか胸中で定まったものがあるわけではなかったが、しかし、確かに話すべきことがあるはずだと感じての提案だ。


「そのっ、…………はい……」


 ヤクモは反射的に大きな声を出してしまったが、話しておくべきことはあると思い直してフードを下に引きながら俯いて、カノンの提案を受け容れる。


(……話さずにいるべきこともある。それに触れられないようにしなければならない……)


 レジまで進み、カップ麺とペットボトルの水のみの会計を済ます。他に買い足そうと思っていたはずだが、内心動転していたためか思い出せない。


「マンポインカ?」


 外国人の青年と思しき店員が、会計の際になにごとかヤクモに聞いて、ヤクモは手を振って必要ないというジェスチャーを示す。


 マーケットポイントカードという、全国的なポイントカードがあればポイントを付与するので提示してほしいという文言を早口の片言で、もはや省略して発言する為その様に聞こえるのだ。


 カノンが、缶コーヒーを手に取る。


 彼の会計は、カップ麺一つと無糖とそうでない缶コーヒー、二種二本だ。


「マンポインカ?」


「大丈夫です」



 夜の歩道を二人は歩く。


 この時間であるから、車通りも少ない。


 他に車もないからだろうか、少しスピードを乗せたセダンが車道を行くのが見えた。前を歩くカノンの、丸みのあるショートボブを灯が舐めて、テールランプの光は見る間に遠ざかっていく。


 ──闇の中で在る事を知らせる光。


 それはまた他の物を照らし、形を明かすものでもある。


(それが自分を照らすことについて、抵抗や畏怖の気持ちを抱く様になったのはいつからだろうか?)──


 ヤクモは、車の通りすぎた大通りをぼんやりと目で追いながらそんなことを考えていた。


 高架下を過ぎたところにある児童公園が見えてきた。


 その小さな児童公園には、深夜だという事もあって他に誰もいない。


 公園に入る前に、先ほど買ったコーヒーをカノンがヤクモに示す。


 無糖の物か、甘いものか好みで先に選んでほしいという事だろう。


 ヤクモは、甘いものをカノンからもらい受けた。


 くすんだ色の手すり付きベンチを通り過ぎ、砂の固まった砂場の上を歩いて、段差を超え、ヤクモとカノンはブランコにたどり着く。


 ヤクモは、パーカーの裾を抑えて錆びた鎖に釣られたブランコに座り、カノンは少し離れたブランコの策に腰掛ける。


 缶コーヒーの蓋を二人が開ける。


 二人はその間無言だった。


「おひさしぶりです……さっき言いましたね、すみません」


「はい、ええと……」


 また、しばしの沈黙が流れる。


 カノンが、缶コーヒーで温めている指を隠微に動かしながら言葉をゆっくりと選ぶ。


「昨日……じゃないか、一昨日は大変でしたね。久しぶりにレイさんを見たのがあそこでだったので驚きました」


「あた……私も、です。それで……その。今はレイハジメではなくて。名前を変えて、ヤクモアヤコって名前なんです」


 顔を起こして、カノンがヤクモを見る。すこし唐突すぎたとヤクモは唇を噛む。


 ヤクモアヤコ。その名前は、カラウスが祓い、彼をこの世から連れ去ったあの少女の名だ。


 カノンの視線は、その理由を言うのを促しているようではあったが。


 ヤクモは缶コーヒーを一口飲んで、「船谷に居ない間に、色々あって。バンチョーのアドバイスとか協力があって名前変更、簡単に出来たんです」と一応の説明をする。


「それじゃあ、今は……ヤクモさんと呼ばないとダメなんですね」


 カノンは、それ以上の説明を求めない。内心では聞くべきだろうかとも考えていたが、彼の中にいるカラウスが、同じ質問に「そいつのことだ。君はそれを聞いて何かするのか?」と答えたのだ。


「……ヤクモさん、の方が呼びやすいですね」


 ほんの少しだけカノンは笑う。


「シルリさんは、お変わりないですか?」


 あの後お変わりないですか、そう聞こうとしたがヤクモには抵抗があった。


 あの時の事に触れるのを恐れる気持ちがある。


 彼らがカラウスを失った日の事だ。


 それは彼女だけではなく、カノンにとっても大きな意味を持つことだろう。


 それに安易に触れるのは憚られるものがあった。


 ナイトウォッチでいる間は、彼女はカラウスのように振舞うヤクモアヤコになろうとしているが、そうでないときは未だレイハジメである部分が出てしまう不徹底がある。


「ええ、なんとか大学生とナイトウォッチの二足の草鞋を続けています……サンガスイーパーに居たスイーパーの人たちはそれぞれ移籍して、よそに移っていきました。今は、ヤクモさんのクリーンパトロール警邏とユグド掃備が船谷の全域をカバーしています。九龍院さんは、スイーパーを引退して、今は違う仕事をしています」


「その辺の経緯は人づてですけど聞いていました」


 うん、と相槌を打ちながらカノンに言うヤクモに、その情報を伝えたのは六戸だ。


 ただ、九龍院もスイーパーの間では名の知れた人物であるため、その話を知っている人物も多いだろう。


「ニヅキさんとかからですか?」


 ブランコの錆びた鎖が低く、小さく鳴く。ヤクモは膝に手を置いて小さくブランコを揺らした。


「そうです、あとは六戸さんとかからもすこし……」


 カノンをけむに巻くため、ヤクモは嘘とは言えないまでも情報源となった人間の割合をはぐらかす。


 カノンも六戸とは面識があるし、あの事件の時の瀕死の重傷は他でもない彼だ。


 ただし、カノン自身は六戸について何か知っている様子で、世間並みの礼は言うし、失礼は働かないものの、彼の前では硬い表情を崩さないし、以前は六戸の話になると口ごもる様子なども見せていた。


 しかしというべきか、やはりというべきか。


 六戸の名前が出ると、カノンの表情はどこか曇った。


 カノンはコーヒーを一口飲んで息をつく。


 ヤクモは、一年ほど前に船谷に戻ってきていたことを話す。


 それから、今どういう部屋に住んでいるか、クリーンパトロール警邏の同僚たちとの関係はどうか。


 あたりさわりのない話を出して、二人は時折小さく笑ったり、驚いたりした。


 折りを見て、カノンが切り出す。


「ヤクモアヤコさんの名前は、しばらく前からユグドにも伝わってきてましたけど、あなただったとは思いもしませんでした。スイーパーから転身した人だろう、と勝手に納得していて」


「……シルリさんとは、正直まだ顔を合わせても……何を言えばいいんだろうという気持ちがあって」


 そうした気持ちがあるのは、ヤクモの本心ではあった。


 カノンもそれは内心で一定理解するが、それでユグド掃備と同系の会社に所属することを選ぶ理由が判らない。


(淀澱現象というものへの復讐なのだろうか。それならば、スイーパーになることを選ぶことの方が自然だし、何よりもそれ以前に)


 ヤクモは、現象体と戦えるような地穢の持ち主ではなかったはずだ。


 判らないことだらけだ。


 無理に聞いても、答えは出てこないだろう。


 カノンは答えが出てこないからと言って感情的になるような柄でもない。


「僕は……いえ、ヤクモさんは、今こうしてお話していても、大丈夫なんですか?」


「……話してみてやっとわかった事ですけど、今は思ったより全然大丈夫、です……」


「僕も……僕が言うべきことばではないと思いますけど、大丈夫です。ヤクモさん、ありがとう。それから、すみません」


 二人とも大丈夫とは言うが、あの事件を口に出して触れることは出来ない。


 まだそれはどちらにとっても痛みを伴う故のことだろう。


 カノンが腰を上げて、缶コーヒーを飲み切る。


「ヤクモさんももう飲み切りました?空き缶、うちのゴミで出すので片付けますよ」


「あ……はい。家、近いんですね」


「はい、ここから歩いていける距離なんですよ」


「えっ、じゃあ……私、それ知らないで近くに住んでたんだ」


「僕もですよ」


 軽く笑って、カノンが立ち上がる。


「今日はここでお別れにしましょう……また、職場とかででも」


 ヤクモは、カノンに声を掛けて立ち上がる。


 そうしてヤクモはすこしだけ、パーカーのフードを下げた。


「はい、ヤクモさん……本当に今日話せて良かったです。ありがとう」


 カノンは軽く頭を下げる。


「私も……先送りにしていたけど、今日話せて、良かったです」


 ヤクモも頭を下げると、カノンは踵を返す。


「まだ、六時くらいまでは暗いですね」


「でも暗い時間が長い方が、私たちって落ち着きません?」


「……確かに……おっ、彩雲」


「ほんとだ、珍しい」


 二人は、公園を出る。


 空を見上げると、うっすらと色付いた半月の周りで彩雲が色づいていた。


 まだ夜の星も確かに見える。彼らに取って昼の空よりも、暗いはずの夜の空は彩り豊かなようにさえ見えた。

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ヤミノウツロウラー 二木一 @nikki__ichi

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