―39― 始まり

「ぐはぁッ!」


 腕をへし折りながら腹を蹴り上げると、男は呻き声をあげながら倒れる。これでまた一人無力化することができたな。


「後はお前だけだな」


 目の前には、こいつらを仕切っていたリーダーが立っていた。とはいえ、すでに全身ボロボロで満身創痍のようだが、戦う気力はまだあるらしくこっちを強く睨み付けてくる。


「意味わかんねぇよ! なんでてめぇみたいなガキにボコボコにされなきゃいけないんだよ!」


 耳をつんざくような叫び声だ。思わず、うるさいなぁと愚痴を吐きたくなる。


「お前らが弱いからだろ」

「舐めるのもいい加減にしろッ!!」


 そう言いながら、男は突進しながら拳を叩きつけてくる。

 だったら、それを片手で受け止める。


「う、動けねぇ……」


 男は離れようとするもオレが拳を握りしめているせいでそうもいかないらしい。

 やっぱり弱いじゃないか。

 最後にとどめとして、腕を蹴り上げてはへし折る。すると、男は痛みを抱えながらその場にうずくまった。もう戦うことは無理に違いない。

 これで全員無力化できたな。


 ……イライラが収まらないな。

 ふと、そんなことを思ってしまった。全員をこうして倒すことができたというのに、イライラがとまらない。それだけオレの中で寧々に手を出したということが、腹立たしいことだったらしい。


 だから、憂さを晴らすためにリーダーの首根っこを掴もうとする。もう少し痛みつけてやろうと――。


「かなう……ッ!!」


 ふと、陰から寧々が飛び出した。勢い余ってなのかオレに抱きついてくる。


「よかったよぅ……、奏生が無事で。ワタシずっとこわかったから……っ」


 寧々は泣きじゃくりながら訴えかけてくる。まだ動揺が収まらないのか喋る内容がどこか要領を得ていない。

 憂さを晴らすことより寧々の心のケアをすべきだったよな。優先順位を間違えそうになった自分が嫌になる。


「オレも、寧々が無事でよかったよ」


 だから、オレも彼女の背に腕を回しながらそう口にした。



『知り合いがすでに向かっているから、お兄ちゃんはなにもしなくていいよ』

「あぁ、わかったよ」


 まずは妹のアキと連絡をとって、寧々を襲った連中をどうするか尋ねた。やはりアキはすでに手を回してくれていたようだ。

 そして、オレと寧々で行くときに使った自動車に乗り込む。運転席に誰もいないことに寧々は驚いたが、説明したらあっさりと納得した。まぁ、昔からこういった発明品が時々我が家にはあったため慣れたもんなんだろう。


 それから、次に心配しているであろう椎名に連絡する。


『わかりました。待っています』


 用事が済んだので、あと少しでそっちに行けそうだと伝えると椎名がそう返事をした。椎名の口調がいつもよりこわばっている気がするが、まさか怒っているのかな……。そうじゃないといいのだが。


「ねぇ、奏生」


 ふと、隣に座っている寧々が腕に絡みつくように身を寄せてきた。おかげで通話に使っていたスマートフォンを落としそうになる。


「おい、あまりくっつくなよ」


 スマートフォンを落とさないようにポケットに入れつつ、寧々のほうを見る。今の寧々は直視しづらい格好をしているため、できればもう少し離れて欲しい。


「もしかして照れてる?」


 ニタリ、と悪戯な笑みを浮かべて余計にくっついてくる。正直、寧々の服が裂けているため胸が直接肌に当たっているため、これ以上くっつかれると、色々とまずいんだが。

 

「奏生、ありがとう。助けにきてくれて、すごく嬉しかった」


 ふと、寧々がそう口にする。


「当たり前のことをしただけだよ」

「それでも、すごくうれしかった」


 そう言った寧々は、いつもの勝ち気な様子と打って変わって潮垂れていた。そんなギャップにオレは目を奪われてしまっていた。


 それから寧々を家まで送り届ける。


「その、色々あって落ち着かないと思うけど、ゆっくり休めよ。もし、体調が悪くなったら、すぐ駆けつけるからいつでも連絡してくれ」


 そう伝えながら、彼女に入れたばっかりの紅茶を差し出す。


「ありがと」


 そう言って、ソファに座っている寧々は紅茶を受け取る。

 本当はもっと一緒にいてあげたいが、今日はどうしても外せない用事がある。だから、頃合いを見てオレは帰ろうとした。


「それじゃあ、オレはもう帰るから」


 途端、寧々がオレの手を強く掴んだ。


「……………………」


 なにか言いたいことがあるのだろうかと思っていたが、寧々は俯くだけで言葉を発しようとしない。


「その、離してくれないと帰れないんだが……」


 そう言うも、掴まれた手の力はますます強くなっていく一方だ。

 それからしばらくの間、沈黙していた。寧々の気が済むまで手を握っていようと思った。

 どれだけこの状態が続いただろうか。体感としては1時間以上経った気がするが、恐らく気のせいで実際には5分も経っていないに違いない。

 それだけの沈黙の後、彼女はゆっくりと口を開いたのだ。


「……いやだ」


 と。

 その声はなんとも切なげで涙が滲んでいた。

 ここからでは彼女の顔はうかがい知れないが涙目になっているんだろうことは容易に想像がついてしまう。


「帰んないでよ……っ。私の側にいてよ」


 寧々が心の底から訴えていることがわかる。

 オレだって、彼女に願いを叶えてあげたいと思っている。でも、オレには彼女の側にいる資格がない。


「そういうわけには……」


 だから、オレはそう言う。

 すると、寧々が顔をあげた。

 その表情はなにかを決意したかのようで、まぶたが大きく開いていた。

 彼女は立ち上がっていた。

 近くで立っていたオレの目元に彼女の頭が迫ってくる。

 そして――、オレはあまりの不意の出来事に思考が停止してしまっていた。


 キスをされていたんだ。


 寧々がこんなことをしてくるなんて、オレは微塵も想像していなかっただけに、事態を飲み込むのに時間を要した。

 その間に、彼女とキスをしたという事実が浮き彫りになっていく。

 長いキスだった。オレのほうから彼女をどかさなくてはいけないはずなのに、体が硬直してしまいそれができなかった。オレは彼女になすがまだった。


「ふぅ」


 と、吐息が聞こえる。

 彼女がオレは唇を離していた。

 それでもオレは呆然としていた。

 気がつけばオレは腰が抜けたようにソファに座っていて、寧々はそれに覆い被されるように腰を低くしていた。

 そして、彼女はオレの目をまっすぐ見ながら口を動かす。


「好き」


 確かに、彼女はそう言ったのだった。


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