―36― ★不幸な出来事

 なんでこんなことになったんだろう……と、七皆寧々は混乱していた。

 確か、お腹が空いたからと街を歩いていたら突然後ろからなにかで殴られたような衝撃があって倒れて気を失って、気がついたらこんな状況になっていたんだ。


 ひび割れた壁にタイルの色が透けている床。部屋の中はほこりっぽくて咳き込みそう。今いる場所が、当分使われてこなかった廃墟ビルなんだとわかる。ここじゃあ、いくら叫んでも誰の耳にも聞こえない。

 廃墟ビルなので当然電気は通っておらず、けれど、誰かが持ってきたのか電気で動くランプのおかげで周囲の様子はよく観察することができる。


「変なことはするなよ」


 近くに立っていた大柄の男がそう口にする。

 そんなことを言われても、寧々は椅子に両腕ごと縄で縛り付けられているため、動くことすらままならない。

 できることといえば、こうして周囲を観察することぐらい。

 見たところ、10人ぐらいの男たちが寧々を中心に立っていた。

 誰もが腕っ節が強そうで喧嘩でもしたら、なすすべもなく一方的にやられてしまうに違いない。


「なにが目的なの?」


 恐ろしい状況だが、それでも寧々は気丈に振る舞おうとする。こうして目的を聞こうとするのもその一貫に違いなかった。


「目的か」


 男は寧々の瞳に目もくれず面倒そうにそう呟く。


「金のためだよ。お前を襲えばたんまりお金が手に入ると聞いた。心当たりはあるだろ?」


 そう言われて、寧々は顔をしかめる。

 そんな心当たりなんて微塵もなかった。


「なによそれ。私を襲ってもお金なんて手に入るわけがないでしょ」


 だから、内心バカにするつもりでそう口にする。

 

「あ? なに言ってんだ? てめぇが財閥のお嬢様だってことは調べがついているんだよ。だから、嘘をついても無駄だぜ」


 その言葉を聞いて、数秒だけ放心してしまった。

 財閥のお嬢様って、自分でなく風不死椎名のほうだ、と。まさか人違いで攫われたことに気がついて頭が痛くなる。

 椎名と寧々は決して外見が似てるわけでもない。どこに間違える要素があるというのだろうか。共通点といえば、同じマンションに住んでいるぐらいか。

 もしかしたら、人違いだと説明すれば、解放してくれるかもしれないという考えが頭に浮かぶ。


「うっせぇぞ!!」


 怒号が聞こえる。

 見ると、リーダーらしき人物がこちらに睨みをつけていた。


「人質に余計なことしゃべんじゃねぇぞ」

「す、すみません……」


 さきほど寧々と喋っていた男が頭をさげた。それで満足したのかリーダーらしき男は視線を外し、寧々のほうを睨みつけた。


「てめぇもこれ以上話すなよ」


 そんな乱暴な言い方をしなくてもいいだろうと、寧々のなかの反骨心が芽吹く。こんなことに付き合うのはもう懲り懲りだ。さっさと人違いだと説明して解放してもらう。

 けど、次の瞬間、寧々のなかの気概が粉々に砕けてしまった。


「いいか、その気になればいつでも俺はてめぇを殺すことができるんだ」


 そう言って、なにかが額に押し当てられた。それは固くヒンヤリとした感触をしていた。


「え……?」


 寧々はそう言葉を発する。

 押し当てられたそれが、拳銃だと数刻遅れて気がつく。


「いいか、そのことを忘れるんじゃねえぞ」


 そう言って、男は銃口を額から離す。

 男がその気なれば、殺されていたんだという事実にゾッとする。こいつはそこらのごろつきとは違う。プロの犯罪集団なんだ。

 もし、本来の標的の風不死椎名じゃないとバレたら用済みということで殺されるに違いない。

 そのことに気がついて、呼吸が苦しくなる。

 なんで、自分ばっかり不幸な目にあうんだろうか。

 失恋で傷心している最中に、こんな怖い思いをさせられる。そう思うと、自分の運命が嫌になる。

 

「クソがっ!!」


 それから数十分後、リーダーらしき男が脈絡もなく叫んだ。他の男たちもなにがあったんだろうとリーダーのもとへ駆け寄る。

 それからなにかを話し始めるが、寧々にはその内容までははっきりと聞こえてこなかった。


「くそっ、どうやらオレたちは嵌められたようだ。間違った情報を流されていた」


 わずかに、その言葉だけが聞き取れる。

 そして、リーダーらしき男は寧々の元へとゆっくりと歩み寄る。


「よぉ、元気か?」


 ニタリとした笑みを浮かべていた。


「あ……うっ」


 寧々はというと恐怖で言葉をうまく発することができなかった。

 なんとなくわかってしまったのだ。

 きっと彼らは勘違いしていたことに気がついたのだ。そして、彼らにとって七皆寧々はもう価値のない人間。そう判断された人間にこの後なにが起こるかなんて想像もしたくない。


「悪いが面倒になる前に、てめぇには死んでもらう」


 ニタニタと笑みを浮かべながら、男は拳銃を見せびらかす。

 いよいよもって寧々は呼吸するのが難しくなって、走ってもいないのに息切れしているかのような状態になる。


「いや、すぐ殺すのはもったいないでしょ。俺らで楽しみましょうよ。よく見ると、かわいいじゃないですか、この子」


 ふと、誰かがあまりにも最低な提案をする。

 リーダーもそれもそうだな、と頷いていた。


「おい、縄をほどけ」


 そう指示を出すと、2人の人間が後ろにまわって椅子にくくりつけられていた縄をほどき始める。ほどけたと思ったら、男二人が寧々の両腕をわしづかみにした。


「は、はなして……」


 反射的に寧々は抵抗した。

 掴まれた手をふりほどこうと強く引く。

 けれど、女子高生の腕力でどうにかできるはずがなかった。


「おいおい、抵抗なんてするんじゃねぇ。殺されてぇのか」


 そう言いながら、リーダーがちらりと拳銃を見せびらかす。すると、全身が恐怖ですくみあがり力が抜けていった。


「おい、ナイフを持っていたよな」


 リーダーがそう言うと、誰かがナイフを手渡す。


「そのナイフでなにをするんすか?」


 誰かがそう尋ねると、リーダーは笑いながらナイフを寧々へ向けて、


「こう使うんだよ!」


 そう言いながら突きつける。

 ビクリ、と寧々は体を震わせる。一瞬、ナイフで体を刺されたのかと思った。

 けれど、実際にはそうではなくて、男の目的はナイフで服を切り裂くことだった。

 ギシギシとナイフをノコギリの要領で縦に動かしながら首元から裾まで上下に切り裂いていく。

 中に付けていたブラジャーも切り裂かれたせいで真下へ落下する。おかげで、寧々の谷間やおへそといった部分があらわになった。


「へー、意外といいもん持っているじゃねぇか」


 ぐにゃり、と強く握りしめるように胸を揉まれる。寧々の中にあった尊厳のようになものがあっさり踏みにじられた瞬間だった。

 そのおぞましい行為を見たくもなかった寧々はただ上を見上げていた。

 イヤだった。

 なんでこんなことをされなきゃいけないんだろうと、涙がさっきからこぼれ落ちてはとまらない。

 あまりにも乱暴に扱われるため痛いと叫びたかったが、そんなこと言えば殺されるかもしれないと思って声に出せなかった。


「おい、寝かせろ」


 リーダーがそう告げた。

 腕を掴んでいた二人が無理矢理寧々の背中を床に押しつける。


「や、やめて……」

「おい、暴れるな」


 逃げようと腕を動かすと、強く押さえつけられて動けなくなる。あまりにも強く押さえつけられたため呼吸がうまくできない。


「やめてください……」


 必死の懇願だった。

 これからされるであろうことを考えると、こう言うしかなかった。

 いやだ。

 初めては普通が良かった。普通に好きな人といい雰囲気でやりたかった。そんな誰も当たり前のように願うことさえ、もう自分は叶えることができないんだ。


「今更そんなこと言ってもおせーんだよ」


 ひどく粘着質な声質だった。

 同時に、寧々の表情から生気が失われていく。

 すでに、心は暗く閉じていて絶望の直中にいた。脳内はすでに麻痺していて、これからなにが起きても現実を直視できないようになっていた。その上、瞳の焦点があわなくなり目の前の光景をうまく認識することができなくなっていた。


「げへっ」


 合図とばかりに男が喉を鳴らして手を伸ばす。

 それを見て寧々は唇を動かす。ぽつり、と。特に考えて言葉を発したわけではない。無意識のうちに言葉を紡いでいた。


「かなう、たすけて……」


 それを聞いて、誰かがフッと笑う。この状況から助かるわけがないだろ、と。

 それもそうか、と寧々は思った。

 なんてバカなことを言ったんだろう。



 パリン、というなにが物が壊れる音がどこからともなく響いた。

 一体なんの音だろう、とある者は首を傾げる。同時に、誰かが音の正体にまっさきに気がつく。

 暗闇の廃墟ビルの中を照らすために置いてあったランプが割れていた。音の正体は、電球のまわりを覆っていたガラスが割れたことによるものだった。

 おかげで、辺りが暗くなる。

 なにも見えない。

 誰かが気分を害されたとばかりに舌打ちをした。せっかく、後少しお楽しみだったというのに。


「がはぁッ!」


 間抜けな声が聞こえた。

 叫び声の後、殴打のような音が数発続いた。なにかにぶたれたようだった。


「おい、どうした!?」


 状況を把握しようと、男は叫ぶ。誰もが暗闇の中で一歩も動くことができないでいた。


「誰かいるぞ!」


 そう言葉を吐いた瞬間、鈍い音が聞こえる。やはり、何者かの攻撃を受けているみたいだ。


「おい、灯りをつけろ!」


 リーダーが指示を飛ばす。

 見えないことには襲撃に対してなんの対策をうつこともできない。まずは周囲を照らして、敵の正体を確認することからだ。

 灯りがつく。懐中電灯をつけた者がいたらしい。


「なんだ、ただのガキ一人じゃねぇかよ」


 そして、敵の正体を見て男はあざけ笑う。目の前のそれは、武器ひとつもっておらず体格だってあまりにも貧弱そうだ。もっと最悪な想像をしていただけに、敵の正体につい笑いたくなる。

 こんなやつ相手に拳銃を使うまでもない。そう判断して、両手でわしづかみにしてやろうと、手を伸ばした。

 ぐにゃり、と視界が揺れた。

 コンマ数秒遅れて、自分が地面に背中をつけていることに気がつく。まさか、こいつになにかされたのか? そう思考して、いやバカな、と否定する。こんな貧弱そうな見た目の男に弄ばれたなんて認めることができない。


「寧々、悪い。遅くなった」


 男はそう告げる。

 寧々は目の前の光景をなんとも言い難い面持ちで見つめていた。まだ目の前の状況をうまく把握できない。けれど、助けに来てくれたんだってことだけはわかる。

 さっきから涙で前がよく見えない。

 けど、決して悲しいから泣いているんじゃない。どう見てもうれし涙だった。


「かなう……ッ!」


 寧々は最愛の人の名を叫んだ。

 王子様が助けてに来てくれたみたいだった。


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