―29― ★絶望

「け、結婚って。あんたたちまだ高校生でしょ。なに言ってんの?」


 突然、椎名の口から発せられた結婚という単語に寧々は当惑の色を見せていた。


「実は、私と忠仲さんは親が勝手に決めた許嫁なので」

「――は?」


 寧々の唖然とした声が聞こえてくる。

 今時許嫁なんて珍しいし、驚くのも無理はないか。


「な、なんで、許嫁なんかになったの……?」

「彼の家は私の家に百億を優に超える借金をしているので、結婚することでその借金を帳消ししてあげるのです。まぁ、私としては勝手に決められた人と結婚なんてしたくありませんが、結婚してあげないと彼の家は借金地獄になってしまうので仕方がありません」


 流石に私のせいで彼の家で落ちぶれてしまうのは可哀想ですから、と。


 椎名のやつ、オレの借金事情まで他人に言うなよ、といった考えが一瞬頭に過ぎるが、オレたちの関係をちゃんと説明するためには借金のことは避けて通れない。

 それに、寧々なら借金のことがバレてしまってもいいかと思っていたし。


「なによ、それ……」


 そう言った寧々の声色がどことなく震えていた。



 七皆寧々は忠仲奏生のことが好きだ。

 そう自覚したのはつい最近のことだったが、思い返してみれば、ずっと昔から好きだったんだと思う。

 寧々にとって、奏生は当たり前のように隣にいる存在で、この関係がずーっと未来まで続くんだと勝手に思っていた。

 けど、そうじゃないんだと気がついたのは、奏生に彼女ができてから。その上、彼女は全校生徒の間で評判になってしまうぐらいの美人で。

 最初は悔しくて泣いたけど、なんとか前向きな気持ちになれた。

 だって、彼女ができたって、奏生との関係が簡単が切れるわけじゃないんだってことがわかったから。

 その結果、寧々の中でも様々な心境の変化が現れた。今までみたいになんでも甘えるのではなく、もう少しだけがんばってみようと。それは椎名に対する対抗心でもあった。

 ずっと一緒にいれば、いつかこの想いが成就するはずだと信じて。


 だから、椎名の発した言葉はあまりにも衝撃的だった。

 結婚、それも許嫁で、しかも百億という途方もないお金を清算するために結婚するなんて。


「意味わかんないッ!!」


 気がつけば、そう叫んでいた。

 そして、それは本心からの言葉だった。突然そんなこと言われたら、誰だって混乱する。


「意味わかんない、意味わかんない、意味わかんない……ッ!!」


 さっきから頭がクラクラする。視界はぼやけて、動悸が激しい。感情がヒートアップして、理性を失っているのがわかる。


「意味わかんない、だって、そんなの……」


 私に勝ち目がないじゃない、と。

 今ほど、お金がほしいと思ったことはなかった。百億の借金は私が肩代わりすると。でも、そんなお金あるはずもなく、そんな無責任なこと言えるはずがない。


「おい、どうかしたのか?」


 振り返ると、そこには奏生が立っていた。

 奏生の姿をみた瞬間、感極まって余計涙が溢れそうになる。


「奏生はそれでいいの?」


 言った瞬間、自分はなにを言っているんだろうと思った。もし、それで奏生がイヤだ、と言ったら、自分は嬉しいのだろうか。

 でも、こんなこと聞くのがそもそも卑怯な気がして、なんだか自分がイヤになる。


「いいって……椎名との結婚のことならオレはもちろん納得はしている。いや、むしろオレは椎名と結婚したいと思っているが」

「……そう、なんだ」


 そう頷くのがやっとだった。


「寧々、大丈夫か?」


 流石に、奏生の目から見ても今の自分はおかしいらしいと寧々は気がつく。

 だから、奏生が手を伸ばそうとして――パシンッ! と、手でそれを払いのける。

 奏生の困惑した表情が見えた。

 あぁ、もうイヤだ。一刻も早くここから消え去りたい。

 さっきから息苦しくて、この部屋に居続けたらおかしくなってしまいそうだ。なんだか自分がひどく惨めなようで、情けない。

 これ以上、こんな姿を奏生に見られたくない。


 これから奏生と会う度に、こんな気分になるんだってことが容易に想像できた。

 だから――、


「合鍵返して」


 気がつけば、そう口にしていた。


「あぁ、それはかまわないが」


 戸惑いながらも奏生はポケットから合鍵を取り出す。自分の家の鍵と判別するためか、鍵にはかわいらしいキャラクターのストラップがついていた。

 その鍵を奪い取ると、ダッシュで玄関まで駆け抜ける。


「おい、どうしたんだ!?」


 振り返ると慌てた様子の奏生がいた。


「その、なにに怒っているんだ?」


 そんなこと聞かれても本当のことを言えるわけがない。

 だから、理由を探す。


「なんでそんな大事なこと今まで黙っていたの!?」

「黙っていたって、寧々には関係のないことだろ」

「もういいッ!!」


 こんなのただの八つ当たりだ。

 けど、もう自分を止められそうにない。


「もう、私の家に来なくていいからッ!!」


 そう叫んで、扉を乱暴に閉めた。

 言った直後、すぐに後悔する。

 けれど、もう他にどうしようもなかった。



「おい、寧々!」


 突然寧々が叫んでは家を出て行ってしまった。

 一体、なんでそんなことになったのかオレにはよくわからない。

 いや……恐らく、寧々はオレと椎名が結婚しなくてはならないこと知って、それでおかしくなったのは事実だ。

 だから、恐らく寧々は……、

 ともかく、このまま寧々を放っておくわけにもいかないため、彼女を追いかけようと玄関へと向かう。

 ギュッ、と服の袖を掴まれた。

 振り返ると、椎名がオレのことを掴んでいた。


「………………」


 彼女はなにも言わずただ黙っている。けれど、瞳は左右に揺れていて不安に感じているんだってことはわかる。


「えっと……」


 そう呟きつつ、彼女がオレになにをしてほしいか考える。

 そして、すぐに気がつく。

 もし、ここで寧々を追いかけたら、椎名を裏切ることになるんだと。


「寧々ちゃん!!」


 ふと、オレたちの横を妹のアキが走り去っていった。アキはずっと隣の部屋で宿題をしていたようだが、騒ぎに気がついてでてきたのだろう。


「寧々のことはアキに任せて、オレたちは先に夕飯にしてしまおうか」


 もう、オレは幼なじみに構っていられないのだ。


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