―24― 膝枕

「椎名、少しいいか?」


 寧々の部屋の掃除を終え、自分の家に戻ったオレは椎名の部屋の扉をノックしていた。

 どうにも椎名はオレが寧々のお世話をしていることが気に入らないらしい。正直、なんで気に入らないのかオレにはよくわからんのだが。


「反応がないな」


 部屋の中に椎名がいるはずなのに、なんの返事もない。


「おい、勝手に入るぞ」

「勝手にはいらないでくださいよ」


 扉をあけると、椅子に座った椎名が。お風呂上がりのようで、髪の毛はしめっていてほのかに肌は赤い。そして、パジャマをきていた。


「反応がなかったから、部屋に入っていいのかと思った」

「返事をしなかったのは、あなたを拒絶しているからです」


 やっぱり椎名のやつ、怒っているみたいだ。


「なぁ、椎名。その、なにをそんなに怒っているんだ?」


 なぜ、怒っているのかわからなければ謝ることもできない。だから、まずは理由を尋ねることから始める。


「べつに怒っていないです」


 絶対怒っているじゃん。その証拠にいつも以上につんとした態度だ。


「その、寧々の件で怒っているのは想像つくんだが、なんで怒っているのか説明してくれないとわからないんだが」

「だから、怒っていないと何度言えばわかるんですか」


 椎名はイラついた様子でそう言う。

 ここまで言って認めないとは、どこまでの強情なやつだ。

 とはいえ、これ以上主張したとしても椎名は一歩も引かないだろうし、最悪喧嘩になってしまうかもしれない。それは避けないと。


「わかった。怒っていないならこれ以上はなにも言わない」


 だから、オレはそう言って引き下がる姿勢を見せる。そして、扉を閉める前に、一言だけなにかを言っておきたい気分にかられた。


「椎名、オレはお前を一番大事にしたいと思っているから、それだけはわかってくれ」


 こんなことを言って彼女の機嫌が直るとは思えないが、言わないよりはマシだろう。


「忠仲さん――」


 部屋を出ようとした瞬間、椎名が口を開く。


「あなた、本当は七皆さんと結婚したかったんじゃないんですか」


 は? 一瞬、オレには彼女がなにを言っているのか理解できなかった。

 確かに、妹のアキがそんなことを頻繁に口にすることはあったが、まさか椎名まで同じようなことを思っていたのか。


「そんなことは一切ないが……」


 反射的にそう答えていた。

 寧々に対して、恋愛的な感情をいっさい持っていないことを説明しなければ、椎名がオレと結婚することを納得するはずがなかった。


「あなたの幼なじみに対する献身ぶりを見れば、誰だってそう思いますよ。あぁ、この人は下心があるから、こんなにも尽くしているんだって」


 椎名は吐き捨てるように言葉をつむぐ。

 下心って。

 まさかオレの行動がそんな言葉で押し並べられるとは思いもしなかった。

 確かに、昔寧々に告白したことはある。けれど、それは恋なんてものを理解していないときの話で、本当に寧々のことを好きだったかどうかも思い出せないぐらいだ。ただ、オレが寧々の世話をしていたのは彼女が心配だからという理由に過ぎない。

 けれど、椎名の目にはそう見えていなかった。

 今更になって、オレは重大な失態を冒したことに気がつく。

 仮とはいえ椎名はオレの婚約者で、なのにその相手が他の女に入れ込んでいるように見えたら、不機嫌になるのは当たり前だ。


「ごめん、椎名……」


 気がつけば、そう呟いていた。

 オレが全面的に悪かった。


「椎名がそんなこと考えていたなんて、オレは思いもしなかった。その、寧々はただの幼なじみで、だから、その、ごめん……」


 言い訳をしようとして、そのことがひどく情けない気がして、口をとざす。


「私もすこし言い過ぎました」


 すると、椎名も申し訳なさそうな表情でこっちを見ていた。


「もう少しちゃんとお話しましょうか」


 そして、オレのところにきては部屋の中に入るよう促す。だから、促されるまま彼女の部屋にあるベッドの上に座った。続けざまに彼女はオレの隣に座る。


「あなたは、ご自身の奴隷根性が異常だってことを把握すべきです」

「……そうなのかな」

「そうですよ。普通、他人の家の家事を率先してやりません」


 確かに、そういわれると普通ではないな。


「家事以外にも七皆さんの指示を聞いているんじゃないですか?」 

「えっと……」


 そう呟きながら思い返す。

 寧々に言われて足のマッサージをしたり、学校で女友達を作らないようにしたりとかだろうか。なので、それらを椎名に伝える。


「想像以上に重傷ですね……」


 彼女は頭を抱えていた。

 どうやら彼女がこうして頭を抱えてしまう程度にオレは重傷らしい。


「あなたはもう少し自分で考えることを学ぶべきかと」


 そんなことを言われても、正直ピンとこない。具体的になにをすればいいのだろうか。そんなふうに考えていることが伝わったのか、彼女は溜息をして、なにかをしようと手を伸ばす。


「あの、椎名さん……?」

「動かないでください」


 そう言われるので、じっとする。すると、彼女は体を倒すように動かす。


「えっと、これは一体?」

「膝枕ですよ」


 こんなことも知らないんですか? という蔑むような口調で言われても……。もちろん、膝枕は知っている。


「えっと、なんで唐突に膝枕を?」

「いつもがんばっている忠仲さんにご褒美ですよ」


 そう言って、彼女はオレの頭を優しく撫でる。こんなことをするなんて、彼女は一体なにを考えているんだろうか。

 まぁ、決して悪い気分ではないのだが。


「美少女の私があたなに貴重な膝枕をしてあげたのです。途方もない価値があるので、せいぜい堪能したらいいです」


 なんでこいつはこう余計なに一言を言うのだろうか。


「あぁ、言われたとおり堪能するよ」


 実際、椎名の膝は柔らかくてなぜか甘酸っぱい匂いがして、居心地は最高ではあるのだが。


「このこと、七皆さんの両親はどう思っているんですか?」


 寧々の両親か。思い出そうとして、眉をしかめる。


「色々と複雑なんだよ。正直、ネグレクトなところはあるのかな。だから、寧々もかわいそうだとは思うんだ」

「そうなんですね。あなたの父親は……聞く必要ないですね」


 オレの父親が相当の変人であることは椎名もご存知のようだ。


「なぁ、椎名。オレは寧々の世話をするのはやめたほうがいいのかな?」

「忠仲さんはどうしたいですか?」


 椎名はまっすぐオレの目を見ていた。

 彼女なりにオレの気持ちを尊重したいと思ってくれているんだろうか。


「そうだな、少しぐらい寧々の生活を支えやらないと、あいつはすぐダメになると思うんだ」

「そうやって、あなたが甘やかすから彼女はいつまでたっても自活能力が芽生えないんじゃないんですか?」

「確かに、それは否定できないな。でも、いきなり突き放すのはかわいそうというか……」


 そう口にすると、椎名がオレのことをジト目で見つめる。やはり、オレの考えは甘いんだろうか。


「だから、椎名、助けてくれないか? 椎名の力があれば、一番いい結果を生み出せると思うんだ」

「まぁ、あなたは人に頼ることを学ぶべきですもんね」


 と、彼女は口にして、


「ひとまず、私とあなたで七皆さんの生活を支えます。されと、あなたは今後一人で七皆さんの家にいかないでください」

「あぁ、それはもちろん承知した」

「そして、生活を支えるのはあくまでも一時的で、最終的には七皆さん一人で生活できるように彼女を指導していくってことでいいのかと」


 確かに、それなら異論はないように思える。


「あとは、このことを彼女が承知してくれるかどうかですね。どうやら私は七皆さんにひどく嫌われているようですし」

「そこはオレがなんとか説得するよ」


 寧々だってちゃんと話せば納得してくれるはずだ。


「椎名、ありがとうな」

「改まってなんですか?」

「えっと、色々とオレたちのことを考えてくれて。てっきり椎名はオレに関心がないのかなと思っていたから」


 椎名の第一印象がひどすぎて、てっきりオレにはまったく関心がないのかと思っていたが、実際には積極的に家のため動いてくれている。


「それはあなたが見ていて危なっかしいから、仕方なく手を貸しているに過ぎません」

「それはなんというか申し訳ないな」


 そう言いつつ、オレは苦笑いする。


「まぁ、でも少しだけ嬉しかったな」

「なにがですか?」

「その、嫉妬してくれたってことだろ」


 もし、椎名がオレのことを嫌悪の対象しか見ていないなら、オレが寧々に対してなにしようともなんの反応を示さなかったはずだ。けど、彼女はオレが寧々の家に行くことを嫌がった。つまり、それって彼女がオレに対して嫉妬しているということだ。


 嫉妬と言われたことが気にくわなかったのか、彼女はムスッと不満そうな表情をしていた。


「別に、嫉妬なんかしてないです……っ」


 そう彼女は不平を漏らした。


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