第7話

 八重木達にA棟の屋上まで連れられてきた。

田口や三島達が八階から桜並木を見下ろしている。

「話って何」

屋上への扉を開け放ったまま、直樹が言う。

全員が、自分達の後ろに付いてきた二人に注目した。代表して八重木が口を開く。

「司令官から許可を得た。この前の演習では逃げられたからな、いい加減、はっきりさせたい」

許可を得ているという事に天音森が意外そうな表情を見せた。

その様子を泉がじっと見つめている。睨み合うような間が生まれた。

「もう一度聞かせてくれ。何故俺達ではなく、最下位の二人を相棒(バディ)に選んだ」

誰から何度聞かれようと同じ答えしか出せない。堂々巡りを予感し、直樹は押し黙った。

「…だから―――――」

直樹が喋らないなら、と口を開いた天音森だったが、その言葉は遮られた。

「何してんのかと思ったら。…要はストレス発散だろ、コレ」

いつの間に後を追ってきたのか、翔が天音森の口を塞いでいた。

何故?という顔をして見上げてくる天音森と直樹を交互に見てから小声で諭すように言う。

「お前らのふわっとした理由でこいつらが納得できるわけないだろ、ちょっと黙ってろ。いい加減、俺も振り回されっぱなしで溜まってるんだよ」

翔はコキと肩を鳴らしてから全員を向き直った。

「オレが、直樹とルナを誘ったんだ」

にい、と口の端を吊り上げて笑う。

「二人はホラ、優しいからな?こういうのは早いもん勝ちだろ?」

翔の言葉に全員の雰囲気が変わる。

「やはりそうか」

「…そういう事なら遠慮はいらないよね」

やり場の無い怒りの矛先がようやく定まったと言わんばかりに口々に呟きを漏らした。

翔はボキボキと指の関節を鳴らしながら鼻で笑った。

「花いちもんめはオレの勝ちだ。次は何して遊ぶ?チャンバラか?」

ビキ、と青筋が浮かぶ。

「くそが…一発殴らせろ」

「来いや」

その声を合図に少年達が翔へと殴り掛かる。その場を抜け出すようにミミズクが飛んだ。

「逃げんなよ、翔!つれねえなぁ!」

仲間同士で殴り合いかけた田口と三島がミミズクの方を振り返る。

「そう簡単に殴らせるかよッッ!」

―――――キュェ―――――ン…

翔の背後から鷹が飛び掛かってくるのを人の姿で躱しながら、こちらへ向かってきた田口の頬を殴りつける。

「やったなこの」

殴られた田口が狼の姿になり、翔の腿に咬みつく。

「いっってえんだよバカ野郎!」

バランスを崩した翔を羽交い絞めにし、三島が拳を叩き込んだ。

「くらえッッ」

ぼごっ、と鈍い音がして翔の顔にパンチが決まった。ボタボタと鼻から血を流している。

顔が熱い。熱が零れ落ちてコンクリートに染みをつくる。

「ちょっとは加減できねえのかよクソ…」

田口の腕から飛び出すように抜け、直樹に向かって叫ぶ。

「おいコラ獣タラシ!躾の時間だ、加勢しろ!」

直樹は笑いを堪えるかのように俯いた後、自分に向かってきた面々を避けるようにして飛ぶ。

――――キッキッキッ

飛行種達に自分を追わせ、急な軌道変更で壁に激突させた。

――ピィー…!ギャ―――ッ…!バサバサッ

殴られてよろめく翔が天音森にぶつかった。鼻血を腕で拭って深呼吸する。

「ルナも、オレを助けてくれるよな」

痛みのせいか、翔の瞳の中に光が揺れている。

「仕方ない、助ける」

天音森はいつもの無表情より少し嬉しそうな、あるいは困ったような、なんとも曖昧な表情をしてから獣化した。

白い狼が翔を守る様にして立ちはだかる。

鷹がその鼻先に襲い掛かった。

―――――ガチン、と歯の嚙み合わさる音が響く。空振りだ。

泉がその首に取り付いて言う。

「…ねえ今からでも、私を選んでよ。天音森さん」

答えが解りきっていてなお、靡いてくれればいいのに、と言わんばかりに顔を埋める。

「…駄目に決まってんだろ、もう今更、返さねえ、よッ」

翔が泉の腕を掴んで引きはがす。そのまま後方へ飛んだ彼女は再び鷹の姿になった。

――――キュィ――――…と鳴き声を上げながら頭上を旋回した。

直樹に翻弄されていた連中がこちらに殴りかかってくる。

「っあー、もう…まだやんのかよ」

ふらふらと膝をついた翔の代わりに、天音森が応戦する。

――――ガフ、ゴァッ!

なぎ倒された少年達が灰色の狼に姿を変えて食らい付く。

獣化時の体格差は歴然で、狼達は容易に振り落とされ、地面に転がされていく。

拳を振り上げていた八重木が天音森に吹っ飛ばされて組み敷かれる。息を荒げて呻く。

八重木を押さえつける前足をトントンと叩き、翔が言う。

「…もういい、充分だろ。…疲れた」

はあはあと肩を上下させる。

「…思ったより、すっきりしないものだな。やるだけ、損した気がする」

八重木が苦笑しながら自分を見下ろす天音森と翔に向かって言った。

「ホントにな…」

直樹が他の少年達を床に転がし、ジャケットを拾う。

「くそー」

「ほんとムカつく…」

泉達が口々に言い、天を仰いでいる。

「つーか、アキラは何処だよ」

翔が直樹に向かって問う。

「…お前と居たから置いてきたんだが」

「え?二人についていったと思ったから追ってきたのに」

「…」

三島が声を上げた。

「なあ、向こう、変じゃね…なんか、火上がってるぞ」

警報は鳴っていない。泉が慌てて自身の荷物を探る。

「火事?うそ、何で…!こんなの聞いてない」

突如、着信音が響く。

震える手で泉が通話ボタンを押した。輪島の声だ。

『…ねえ、チクるなんて酷いじゃん。喧嘩すら許可されないと出来ないなんて、随分と飼いならされた畜生だね。君達には失望したよ』

「待っ…」

一方的に言い、切電される。力なくその場にしゃがみ込んだ泉が呟く。

「どうしよう、アキラが…『暁明会』に殺されるかも」

その一言に翔が目を見開いた。

「は?!なんでだよ」

「あれ?雛宵、こっちに居たんスか?さっきアキラが一人でC棟に向かってたからてっきり」

雅が息を切らしながら屋上に駆け込んできた。

即座に直樹はジャケットを着て、屋上から渡り廊下の屋根へと飛び降りる。

彼の向かう先では一階から火の手が上がっているのが見える。

「ちょっと?!もう流石に逃げてるはず…あっちはヤバいッスよ?!」

「それより避難…子供達は?!」

泉が雅に詰め寄る。

「それなら隊長達が外へ移動させたッス!皆ここで何してたんスか?!早く外へ!」

泉の手を引いて、連れ出そうとする雅の前に男が立ちはだかった。

「貴様らは出なくても構わんよ」

「え…?」

「石割会長代理…」

現れたのは獣化種協会の会長代理を務める石割という男だった。

その後ろにはカガチが腕を組んでにやにやしながらこちらを見ている。

「全く、司令部も管轄が違うからと言う事を聞かんとはな」

忌々しげにそう呟くと、屋上に転がる少年達を見下して言う。

「だがどうやら貴様らは見放されたらしいではないか?ちょうどいい。浅ましく争っていたようだし、危険分子はまとめてここで消えろ」

「!」

懐から銃を取り出し、ちょうど正面に立っていた翔に向けて発砲した。

天音森が体当たりするも、銃弾は翔の横腹を掠める。

「ッッッあああ」

どくどくと血が流れ出る。天音森がその傷口を押さえながら石割を睨み付けた。八重木が身体を起こして止血を始める。

「どういうおつもりですか、石割会長代理」

「私怨で諍いを起こす獣など危険だから処分するだけだ。何がおかしい?」

信じられない光景に全員が動きを止め、石割の様子を警戒する。

石割は残弾数を確認すると、舌打ちをしてカガチを振り返った。

「カガチ、貴様の毒でこいつらを殺せ」

「はあ?何でアタシがそんな面倒くせえことしなきゃなんねーんだよ」

それまで面白そうに見守っていたカガチが、その表情を歪める。

「そうか、ならば貴様も用済みだ。死ね」

「誰に銃向けてんだ手前」

自身に向けられた銃口の下に潜り込むように身を屈め、その手を蹴り上げる。

その反動で銃が屋上の端へ転がった。

カガチはべろりと舌を出して石割の胸倉を掴み上げる。そのまま扉に叩き付けた。

「舐めるなクソジジィ」

「ぐっ…ゴミめ…!」

石割は苦しげにもがく。

その隙に、飛行種達が屋上から飛び立った。

翔が天音森の支えで起き上がる。弾は浅く掠めただけで、止血も滞りなく済んでいた。

その瞬間、階段下からキラリと光の反射が天井を流れる。

「!…カガチ!」

「あ?」

呼び捨てにされ、不快そうに翔の方を見た。

ズガンッ―――――

耳鳴りがする。

「―――――は…」

カガチはそのまま膝から崩れ落ちる。

「フ…アハハ!馬鹿な女だ!使えん上に思い上がりも甚だしい!それにしても…」

石割が呼吸を整えるようにしながら階段下から上がってくる人物を睨む。

「遅すぎるぞ輪島!貴様ら一体何をしていた!」

「あのねえ、代理。勝手な動きをしないでくださいよ。虎だけ殺して終わりって話だったでしょ?僕達お金で繋がってるんですから、余計な動きされちゃうと追加料金請求しますよ?」

輪島はそう言いながら倒れたカガチを足で転がす。

「…はっ、クソジジィ…密猟集団とも組んでたのか?マジでどうしようもねえ屑だな…」

「黙れッ!」

石割が蹴りを入れるが、またしてもすり抜けるようにして服だけ残し、蛇が這い出ていく。

やがてそれは雨樋のパイプへと滑り込んでいった。

「アレはもう虫の息ですよ。そいつらだってもういいでしょ?流石にここまで大騒ぎにしてるんだから、さっさと僕らを海外へ脱出させて下さいよね」

輪島が面倒臭そうにしながら石割の背中を押した。

「くそっ、こんな…どいつもこいつも…私を見下しおって…!」

前髪をぐしゃぐしゃと掻きむしりながら呪詛のように同じ事を呟いている。

後ろに控えていた男がそれを見て言葉を濁した。

「輪島さん、ソイツもう…」

「思ったより早く人が集まって来ちまってる!下の階で横付けは無理だ!」

仲間が下から駆けあがってきた。

輪島が舌打ちして、無線機を取り出す。

「…予定変更だ、A棟屋上に降ろせ」

暫くしてバタバタとやかましい駆動音が近付いてくる。

逃走用のヘリコプターの中で仲間達が合図を出した。輪島は石割を引き摺るようにして仲間達と共にヘリへの方へ歩いていく。

屋上に残っていた訓練生達はただ様子を窺っている。

「バイバイ。生き残れて良かったね」

そう一言残してヘリに乗り込もうとした、その瞬間。

「―――俺の大事な隊員を撃っといて、タダで返すわけないだろ」

屋上の縁から咢の手が伸びた。

「――――――ヒッ…」

暁明会の面々が戦慄する。

ビルの外壁を登ってきた咢は、片手でヘリの脚を掴むと、口を大きく開いた。

そして、勢いを付けて咬みつき、獣化する。

――――その姿は体長八メートル以上ある、巨大なワニだった。

「嘘…マジかよ」

翔が呆然としながら声を漏らす。

容赦の無いデスロール――――巨大なワニはヘリの脚に咬みついたまま全体重を掛けて身体を回転させた。

ヘリが振り回されるようにして制御不能に陥る。

「うッ…わあああああああああああああ!!!」

恐怖で輪島達はワニに向かって銃を乱射するが、ヘリに当たるばかりでまるで意味の無い抵抗だった。

そちらへ気を取られている隙に天音森は狼の姿になり、屋上に残されているメンバーの背後から飛び掛かった。

―――ガアッ!

それに続くようにして他の狼達も走り出す。

「あああああああッッくそ!!くそ!畜生の分際で!!!」

「ヒイイイィィィィッッッたすけてッ助けてえええッ!!!」

「やめろ…!やめてくれええええッッッ!!!」

―――――轟音と爆発。渡り廊下に突き刺さるようにしてヘリが墜落した。

渡り廊下の屋根がヘリの羽根を削り取るような状態になり、ヘリ胴体部分だけが廊下に不時着している。中に人の影が見えるがその安否は不明だ。

咢は、直撃の寸前で人の姿に戻り、その一つ下の廊下の手すりにぶら下がっている。

よじ登って廊下に立つと、屋上を見上げた。

特に怪我を負った様子は無さそうで、屋上から見下ろす二人の顔を見付けると、ホッとしたような表情を見せた。

「隊長…マジで何者だよ」

翔が屋上の手すりに掴まりながら呟いた。天音森が翔の袖を引く。

「先生もあまり、獣化しないから」

「ていうか…あの人が一番危険なんじゃ…?」

輪島や石割たちは既に他の班員達の手で拘束されている。

下の方ではパトカーや消防車が続々と到着し、消火活動と交通整備などに追われているのが見えた。

翔がハッとして振り返る。

「そうだアキラ…!アキラは?!」

「直樹が行ったから、大丈夫だと思う、けど…」

わからない、と首を振る天音森を見て、翔の頭に嫌な想像が過った。

「二人を探さないと…」

天音森が、手すりから乗り出す翔の腕を掴む。

「怪我してるから、安静にしないと」

「…大丈夫。無茶はしないから、ルナは暁明会の引き渡しと、状況報告に行って」

天音森の方を向き直り、彼女の手を解く。

「翔…――――」

名前を呼ばれ、天音森に向かって心配ないと言うかのように微笑みかける。

そのまま背面から手すりに乗り出し、落下する。

包帯替わりの布が解け落ちた。

一羽のミミズクが滑るような軌道を描いて、C棟の方へと飛んでいく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る