第6話

 桜の開花のニュースが流れる。

街を行きかう人々も心なしか浮足立っているように感じられる。

獣化種協会日本支部内のイベントホールの窓からも桜並木を見る事ができる。

会長不在の間、その代理である石割は各学校の卒業式や入学式などの挨拶回りなどの仕事で忙しく立ち回っている。そんな中でも、協会の見学に来る者達へ顔を見せるのは最も重要な仕事の一つだった。

「君達の中にも、近いうちに獣化種の能力に目覚める子もいる事だろう。その時にはこの施設で色々とお勉強をする事になるだろうから、今のうちにしっかりと見学して、分からない事があれば先生に聞いてほしい。それでは施設の中を見て回る時間を取るので先生方の指示を良く聞いてはぐれないように。いいかね?」

石割代理の挨拶に元気な声で返事をする子供たち。

保育所や幼稚園の遠足には必ず、一度は獣化種協会に足を運び、講習を受ける事が義務付けられている。

今回の共同任務はその講習会の警護と監視だ。

と言ってもさして気を張るような場面は無い。

基本的に子供達には教員が付いているので、何か聞かれれば子供の相手をしてやったり、はぐれた子供を引率してやる程度の任務だ。

翔が廊下で大きな欠伸をする。

小さくて黄色い帽子達が建物の中を思い思いに動き回っていた。

「お姉ちゃんアキラっていうの?僕と一緒!」

漢字で彰と書かれた名札を胸に着けた少年が、アキラを見上げてくる。

一人が話しかけるとそれに続くようにして他の子供達も集まって来た。

「お姉ちゃんは何の動物になれるの?」

アキラは子供達の群れに目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。

「虎だよ」

ガオーと爪を構えるポーズをして見せる。

「それ僕知ってる!しましまでグルグル回るやつでしょ。絵本で見た」

子供たちの内の一人、威勢のいい少年が自分の知っている情報を自信たっぷりに披露して、その場を走り去っていく。

子供の興味は恐ろしいほどに移ろいやすい。

反対に物凄い執着を見せる子供も居る。彰と名乗った少年は後者に該当するようだ。

「虎って、危ないんでしょ?」

「そうなの?」

残酷な質問にもしれっと返すアキラが気になるのか、翔がちらちらとその様子を窺っている。

「うん。知らないの?お父さんとお母さんが危ないって言ってたよ」

「そうなんだ。でも悪い事する虎はパンケーキにして食べられちゃうから平気でしょ?」

アキラが直樹を一瞥した。

「ああ」

短い返事に対して、にかっと笑みを返してくる。

アキラと直樹のやり取りを頭上に見て、彰は急に俯いた。

「…僕も、お姉ちゃんみたいになるのかな」

獣化種として覚醒する可能性がある事を不安に思ったのだろうか。

なるかもしれないし、ならないかもしれない。それは誰にもわからない。アキラが問い返す。

「怖い?」

不安げに下がる眉。鞄の紐を両手で握りしめている。

「よくわからない…」

他の子供達が割って入るようにして問うてくる。

「お姉ちゃんは怖かった?どうしたら怖くなくなる?」

「うーん、よくわからない」

えへへ、と笑って見せるアキラの背中に数人の少年がじゃれついている。

虎になって!虎になって!と喚きながらぐいぐいとアキラの肩をゆすっている。

「えーそれじゃあわたしたちの勉強にならないじゃん」

「大人なのに、こどもと一緒とか、ダメダメじゃん」

女の子も男の子も口々に言う。ませてるな。

「そうかな?」

アキラはぐらぐら揺らされながらも笑みを絶やさない。

「答えが無いもん」

「答えってどこかにあるの?」

「そりゃあ…あるよ。うちの兄ちゃんも、教科書に書いてあるって言ってたよ」

彰が少しムキになって言葉を返す。

「いいね、教科書か。答えがわかったらお姉ちゃんにも教えてよ」

アキラは素直に肯定する。子供の扱いが随分と上手い。

「大人のくせに仕方ないなー。でもいいよ。答えがわかったら、お姉ちゃんにも教えてあげる」

「良い答えが見つかるといいね」

「とーぜん!」

ぱたぱたと駆けていく背中を見送る。

そうしてようやく解放されたアキラが立ち上がり、軽く伸びをした。

横を走っていく子供達を邪魔くさそうな目で見ながら、カガチがこちらへと歩いてきた。

「残班のクセに協会本部の任務に就くとか、生意気だな?」

翔がうげ、と嫌そうな声を出した。

「…あんたもそうなんでしょ。ていうか特務本部の方に居なくていいんすか」

「謹慎は解けたからな。どこに居ようがアタシの勝手だろ。なあ、それより妹の玩具になってる気分はどうだよ?」

カガチは首を回しながら翔を煽るように顔を近付けた。その首にチョーカーは着いていない。

「別に、玩具になってませんよ」

「ふん、どうだかなァ?」

挑発には乗るまいと、翔は顔を背ける。

「何が気に食わないんですか」

「気に食わない?ああ、気に食わないねえ…そりゃ強いて言うならあのクソ狼の血筋か?」

怪訝そうにカガチを見る翔。

「おいおい、まさか気付いてないわけないよな?特務部隊ってのは言わば天音森一族の用意する『箱庭』さ。代々その期毎に監視を立ててアタシら獣化種を閉じ込めてるんだよ」

「箱庭…」

確かに特務部隊の上層部は天音森の一族が力を握っている。他の部隊の隊長クラスにも天音森の血を引く者が何人もいるのは紛れもない事実だ。

でもそれは、単に血筋だけではなく、実力も伴ったものだと認識していた。

「あのお嬢ちゃんも手前の事、面白い玩具ぐらいにしか思って無いだろうよ。あのクソ兄貴がそうなようにな」

司令官と関わるような場面はそう無いが、嫌う人物と自分の仲間を並べて言及されるのは良い気分ではない。翔が言葉を返す。

「勝手な事言わんでくださいよ。なんかその表現、腹立つんで。大体、そんなに嫌なら特務部隊になんか入らなきゃ良かったでしょ」

分からん奴だな、という顔でカガチが壁にもたれた。

「さっき言っただろ、選択肢がある様に見えてるのか知らねえが、実際アタシらに選ぶ権利はねえんだよ。アタシにとっちゃ、部隊に入れられようが、研究機関でモルモットにされようが大差ねえがな。まあ…アイツの自己満足の為だけに特殊部隊にぶち込まれてる分、今の方が胸糞悪いぐらいだ」

後頭部を壁にぶつけるようにしたまま、こちらを向いて問うてくる。

「手前はどうだよ、お嬢ちゃんに良いように手のひらで転がされて、惨めだとは思わねえのか?」

「だから別にオレは…っ」

先程からそれこそ蛇のように躱すような問答。思わず声を荒げる翔を、カガチが制した。

「おっと、時間だな。まあとにかくアタシはアイツが苦しめば何だっていいのさ」

あばよ、と手を振ってそのまま去って行く。




*****




「雛宵、天音森。話がある。今いいか」

第一班の八重木が横から直樹に声を掛けてきた。その後ろには他の班の数名も一緒だ。

天音森が判断を委ねるかのように直樹の顔を見上げる。

「…少しなら」

直樹がそう答えるとついてこいと促された。揃って別の棟へと渡り廊下を移動する。

二人が移動したのに気付き、アキラがその後を追おうとした。それを協会の職員と思しき男が後ろから呼び止める。

「アキラさん、咢隊長がC棟で呼んでたよ」

「?わかりました」

不審に思いつつもそれに従って、反対の棟へと移動した。

渡り廊下を歩き、突き当りの部屋を覗く。誰も居ない、次の部屋を覗く。

どの部屋で呼んでいるのか聞くべきだった。

困った様に頬を掻いてから、順番に部屋を見ていく。

「こっちだよ」

突然、背後から口を塞がれた。麻酔を嗅がされる。

アキラはそこで一度、意識を失った。

次に目を覚ました時、一人の男がにっこりと微笑みかけてきた。

「お、目が覚めたね。輪島と言います。別に覚えなくていいけどよろしくね」

頭が痛い、吐き気がする。

輪島と名乗った男の顔を怪訝そうに見つめる。

その手に星の入れ墨を見付けた。任務終わりに声を掛けてきた少女と一緒に居た男で間違いない。

「これ、なーんだ」

弱った様子のアキラを見て嬉しそうにしながら、唐突に空の注射器を出した。かつて『暁明会』に捉えられた際、男達が自分に打とうとしたものと同じ見た目をしている。

既に空となったそれを放り捨てて、今度はナイフを取り出した。

「虎になるならなってみせてよ、剥いであげるから、毛皮」

「…」

「ふーん、やっぱりならないか」

つまらなそうに言いながら、早々にナイフを仕舞う。

「まあ、毛皮とか正直どうでもいいんだよね。大体、獣化種の虎の毛皮なんか、どうしたって足が付くじゃん?そんなどうでもいいものにこだわってるから親父達はブタ箱にぶち込まれた訳だし。でもお金はもらいたいわけよ」

どうやら以前逮捕された『暁明会』の血縁者のようだ。

しかしながら彼は毛皮には興味が無いと言う。密猟が目的ではなく、金銭目的。

自分がこうなる事で利益が生まれる取引が行われていたようだ。

吐き気がする、歯が疼く、猛烈な不快感に暴れ出したくなる。

「ケダモノはケダモノらしく暴れてくれないとね。大義名分ってやつ」

「…ぎ、ぅ…」

アキラは自らを腕で抱くようにして床に転がった。

歯を剥き出しにして輪島を睨み付けながらも、必死に本能に抗う。

話に聞いていた通りの有様に、輪島は憐れむかのような目をした。

「いい子ちゃんにしてるならそれも構わないよ」

周囲に待機していた仲間に指示を出す。

「お前ら、下に火をつけて回れ」

「オッケー」

輪島は男達と一緒にその部屋を出る間際、柱の陰に向かって声を掛ける。

「菜月も、着いてきたんなら仕事してよね」

「わかってる、先行ってて」

柱の陰から姿を見せたのはあの時一緒に居た少女だった。輪島達が去るのを確認してからアキラの髪を引っ張って問う。

「ねえ、教えてよ。フツーって何」

「…わかんないけど、フツー」

イラつきながら手を離す。ゴン、と鈍い音がしてアキラの頭が床に打ち付けられた。

「こんな目に合うのも、アンタのフツー?…どうせそうやって、うちら人間の事、馬鹿にしてるんだろ」

「…してないよ」

「今酷い事されてるってわかるよね?ホラ、怒れよ!殺されそうになってんだから殺したっていいだろ?やれよ!」

荒く息を吐きながら、自分に向かって喚く菜月を見つめている。

「…反撃してこないんだったらもっと、可哀そうにしてろよ」

「どうして、可哀そうにしてなきゃいけないの?」

子供に質問する時と同じ調子で返すアキラに、菜月がしびれを切らして近くの椅子を蹴り飛ばした。

「惨めに振舞ってりゃ、こんな風に目ぇつけられたりしねえんだよ!のこのこ表に出てきやがって!そんな事もわかんないとか、本気でバカなんじゃないの?」

「…心配してくれてるんだね、ありがとう」

転がったまま、菜月に微笑みかけた。理解できないものを見下ろし、床を蹴った。

「っだから、なんでそうなるんだよ!意味不明…!キモイんだよお前!」

「ごめんね」

アキラに謝罪され、熱が冷めたかのように表情を消す。

「…もういいわ、そんなに死にたいんだったらそこで死んでろ」

ガンと扉を乱暴に開け、そのまま部屋を出て行った。

ふぅ、と苦しげに息を吐いて一人呟く。

「ごめんね、それでも…無暗に傷付けるのだけは、もう嫌なんだ」


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