第5話

【二年前】


 密猟集団『暁明会(ぎょうめいかい)』。

主な標的として今回狙われたのは日本では珍しい「虎」の獣化種だった。

研究機関の強い要望もあり、早急な救出作戦が実行される事になった。本拠地施設内への潜入の為、反響定位が使える者は訓練生含めて全て集められた。

「雛宵、雅、佐倉、中原。お前たちは南排気口だ」

「「「「了解」」」」

任務は敵及び人質の位置や数の把握。

かなり広い敷地の為、東西南北各箇所の排気口から侵入し、音の反響を拾う。

幸か不幸か、当たりの部屋を引いてしまったようだ。

虎の少女が囲われている部屋に行きつく。

雅がダクト内で元の姿に戻って中の様子を覗き込む。

「いきなりとは最悪ッスね」

大人が四人と人質の少女一人。何事か会話をしている。少女は手足を縄のようなもので縛られていた。

「強情だな。早く獣化してくれないか?」

「―――嫌だ」

ゴッ。骨と肉がぶつかるような音がする。男が少女を殴りつけたのだ。

「毛皮に傷が付くと困る。顔以外は止めておけ」

「チッ。ほんとにしぶといな…気絶されると時間が勿体無いんだ。早く言う事を聞いてくれ」

獣化した状態の彼女の毛皮を剥ぎたいようだが、当の本人が中々虎になろうとせず困っているようだ。かなり殴られたようで、顔が赤く腫れ上がっている。

大した根性だが、大人達の苛立ちようから見てあまり時間が無さそうだ。

「興奮剤を使うか?」

「暴れられると面倒だ、水持ってこい」

水をかけられ、床に転がったまま虚ろな表情をしている。

口や目の上が切れているのか、血が滲んで滴る。

「外側に傷が付かないように、骨を折れ」

二人掛かりで押え付け、少女の腕に布を巻く。大きな木槌のようなものを引き摺ってきた。

「これはまずいッス、早く報告へ…雛宵?!」

中原と佐倉が元来た経路を急いで引き返す。それとは反対に直樹が部屋の中へと飛び込んだ。木槌を振り上げる男の頭を蹴るようにして人の姿に戻る。雅がダクト内で頭を抱えて息を殺す。

「ぐぎゃ…!?」

醜い悲鳴を上げて男が崩れ落ちた。

押え付けていた男二人と、指示を出した男が驚愕の表情を浮かべる。

「な、なんだ手前!どっから入った!」

「やべえ、やべえよ!たぶん特務部隊だ…!もう目を付けられたんだ!おしまいだ!!兄貴!」

少女を押さえていた片方が尻餅をついた。少女が驚いた様子で直樹を見ている。

「騒ぐんじゃねえ。おいガキ。どっから入ったか知らねえがわざわざ一人で突っ込んできたのは愚策だったな」

直樹が振り向くと、座ったままの男がこちらに銃を向けている。

「今時、正義の味方気取りは流行らねえぞ」

「…そのまま、俺の頭をよく狙え」

「あ?」

瞬間、男に上から飛び掛かるようにジャンプした。思いもよらぬ動きに椅子ごと後ろに倒れそうになりながら発砲する。

バンバン―――――と二発の発砲。

その内の一発で部屋の中央の電球が割れ、部屋が真っ暗になる。

ガタンと大きな音を立てて椅子から転げ落ちた男が悲鳴を上げた。

目の慣れない暗闇の中、ボスン、ドスンという鈍い音と共に男達の呻き声が次々に上がる。

少女は呆然とその場に座り込んだ。

水の散った床を踏む足音が近くに降り立つ。段々と目が慣れて、先程の少年の顔だと認識した。

「大丈夫か」

直樹が手を差し伸べる。

「――――その人達、死んだの?」

力の抜けた様子で見上げながら口を開く少女。

突然の事で状況を把握しきれていないのだろう。

「殺してない。気絶してるだけだ」

すごい、ヒーローみたい…と誰に言うでもない感嘆の声を漏らしている。

ダクトから雅も降り立った。倒れた男達を警戒しながら小声で抗議する。

「強行突破は指示されてないッスよ、後で叱られたらどうするんスか」

「虎の無事の方が優先事項だ、問題ない」

あっさりそう言い放つ直樹に呆れたとばかりに溜息をついた。

「じぶん、先行の二人と合流するッス、くれぐれも無茶な脱出は控えるッスよ」

「わかってる、報告は頼んだ」

雅は意味の無い念押しをした自覚があるのか、眉間に皺を寄せながら額に手をやった。すぐにダクトから引き返していく。

あまり長居して男達が目覚めてしまっては困る。

「ここから出るぞ、走れるか」

「私も貴方みたいに、殺さないようにできる?」

差し出された手を取りながら、少女が問う。

直樹は何を聞かれているのか判然としないながら可否を答えた。

「?指示通りにするならできる」

とにかく早く、彼女を連れてここから出なければ。

「もしできなくて、誰かを傷付けそうになったら、殺してくれる?」

強い意志を持った瞳。こんな時に何故そんな妙な事を言うのだろう。そう思いつつも、その願いに応えねばならないと思わせる力がある瞳だ。

「…そうだな。とにかく今は早く」

「わかった。ありがとう」

部屋を出て廊下を走る。

時折、反響定位で位置を探りながら進んでいく。

「多分、出入り口に二人居る。私、何かできる?」

何か。彼女にできる何か…走りながら思案する。

「足元をすくうように体当たり出来るか」

「できる」

少女はその姿を虎へと変貌させる。

初めて見るその姿に目を見開いた。

巨体に似合わぬしなやかな動きで二階から一階へと飛び降りる。

その後を追うように飛ぶ。

「ヒッ、何でここに…!」

「うわあああああああああああ!」

銃を向ける二人の男を横から低く滑り込むようにして体当たりする。

吹っ飛ばされた男の状態が気になるのか匂いを嗅いで確認している少女の横で扉を開錠する。

扉を開け放った後、少女をその場に待機させて、外の様子を確認する。

林の奥に待機組が居る。そこから飛んできた一羽の蝙蝠に手短に告げた。

「人質、玄関口に待機。南排気口から一番目の部屋四名と玄関口二名、気絶」

蝙蝠はそのまま元の場所へと飛び去って行った。

直後、狼の遠吠えが聞こえる。それは瞬く間にあちこちで上がり、それを合図に茂みから狼達が飛び出して来た。これで間もなく、ここは制圧されるだろう。

いつの間にか人の姿に戻っていた少女が立ち上がり、こちらを振り返った。

「私、貴方みたいになりたい」

迷いの無い真っ直ぐな瞳。

宵闇の風に揺れる橙色の髪。

獣化に耐えられずボロボロの布となったみすぼらしい服も、痛ましい顔の傷も全て。

何一つ気にならないくらいに――――その姿はただ堂々と、美しかった。






****



「これは」

スン、と真顔になりながら咢が言う。

ラグマットの上では俺以外の三人共、裸にブランケットのみという誤解を招きかねない状態ですやすやと眠っている。

「…事案か?」

読んでいた本をぱたりと閉じて咢を見る。

本の閉じられる音に驚き、翔が勢いよく起き上がった。周囲を見回して騒ぎ始める。

「…ふが!?なんだ、隊長?…って待て裸!!チョーカーは?は、てか何お前だけ服着てんの?!」

振り返らず壁際の充電器を親指で示す。四つのチョーカーがその上に載せられている。俺が一番先に目が覚めて、チョーカーが残量不足で起動しなかったのだ。

「全部充電中だ」

「ひ、ひとのを外すんだったら声掛けろよバカ…!」

翔の声で女子二人が眠たそうに目をこすりながら起き上がる。全員が起きる前に戻しておくつもりだったのに予定が狂ってしまった。

「なに…」

「おお…朝?」

「アッ―――、ぶないわ、この」

天音森の肩からずり落ちるブランケットを掴み、既のところで前を隠すように引き上げた。

そもそもお前が大声を出すから起きたんだろ。

俺は自分の膝に載せていたブランケットをアキラの頭に被せる。アキラは暫くその状態で固まっていたが再びクッションに沈み込んだ。まるで視界を遮られた猫のようだ。

「確かに最近俺が回したのは張り込み系がほとんどだったからな…。狸の下着泥棒の件、ずっと困らされてたんで助かったと言っていたよ」

「…。何か問題ありそうなら確認してもらって良いので」

天井の角の方を指さす。監視カメラ。

「いや、それは雅の仕事な。」

「どうもッス。本日はデートと聞いて、撮影係を仰せ付かったッス」

咢の後ろから雅が顔を出した。翔が取ってきたズボンを履きながら素っ頓狂な声を上げる。

「デートぉ?」

「…それは雅が勝手に言ってるだけだ…」

咢がどかっとラグマットの上に腰を下ろす。

「以前報告をくれた暁明会についてだ。どうも他でも特務部隊の各担当区域で訓練生に声を掛けたりと色々嗅ぎまわっているらしい。獣化種協会での見学会も間近に控えているからな、最寄りの公共交通機関の見回りを強化する事になった」



****



 ここ数日はまさに春の陽気、といった感じで暖かくて過ごしやすい。

先に外に出て、女子三人が出てくるのを門の辺りで待つ。

翔が大きく欠伸をした。

咢の声でスマホから顔を上げる。

「来たな」

「…お待たせ」

天音森がアキラの手を引いて歩いてきた。

色は異なるが、二人ともデザインの似たワンピースを着ている。

雅は動きやすそうなシャツにホットパンツ姿で、天音森とアキラの写真を撮っている。

翔がそわそわと視線を泳がせる。アキラがスカートの裾を少しだけ持ち上げた。

「ルナとおそろいなんだ」

照れたような嬉しそうな笑みを浮かべるアキラに、天音森がぎゅっと身を寄せた。

「良く似合ってる」

さらりと言ってのける直樹の後ろで、翔がなんとも言い難い渋い表情をした。

雅がヒューと囃し立てるように口笛を吹いた。

「でもいざという時、脱がしにくそうだな」

ワンピースを観察しながら直樹が感想を口にした。

「ハァァ?!ちょ何言って…」

ぎょっとした様子で翔が直樹の口を塞ごうとする。

「そうでもないよ、背中のファスナー引っ張ったらこう、スポーンとね」

アキラがくるりと直樹の方へ背中を向けて見せた。

「え」

「薄い素材だから、自分でも破ける」

天音森は首元をぐいっと引っ張って見せる。

「なら大丈夫か」

ふむ、と口元に手を当てて納得する直樹。

「えええ」

翔はへなへなと肩を落とした。

「何、オレがおかしいの?オレだけやましい感じ…?」

「お前の感性は間違ってないと思うぞ…」

咢は言いながら、頭を抱える翔の肩を不憫そうに叩いた。

「マジでぶっ飛んでるッスね、この班」

雅が若干引いた様子で笑っている。

「直樹は、いつものジャケット」

天音森が直樹と翔を見る。

翔の方はYシャツにベージュのズボンを履いていた。直樹は黒いTシャツにジーンズ姿だが、上着はいつもの訓練服だった。

四人ともいつも通りチョーカーを着けているが、スイッチはオフになっている。

直樹がポケットを引っ張って見せる。

「使い勝手が良いんだ」

「確かに」

天音森は納得した様子で頷いた。




****




 訓練校から獣化種協会支部までは電車で五駅ほど。

ただ、どちらも駅までの距離が長い。

公共のバスやタクシーなどを利用しても三〇分程かかる。

駅前のバスターミナルに到着すると、辺りは沢山の人で賑わっていた。

「世間様じゃ今日は日曜日だからな、普段より人も多いさ。見回りとは言うが、要は不審人物がいないか、街の様子を見てくれって事」

キッチンカーや露店が営業している。

「そういや飯食って無いわ。隊長、買い食いはアリですか」

「まあ、ただ歩いてるのも不自然だからな…好きにしていいぞ」

「隊長、たい焼き」

天音森がぐいぐいと袖を引く。隊長はたい焼きではありません。咢が渋々といった様子で財布を取り出す。翔がその様子をみてほう、と目を光らせた。

「隊長。クレープ」

「隊長、私も!」

「じぶんにもジュース奢ってくださいッス」

「コーヒーで」

「お前らな…」

アレコレと買わされた後、咢はうんざりした様子でベンチに腰掛ける。

「一口は寄越せよな、一口は」

そう言われてアキラがえー、と声を上げた。

「咢隊長の一口でっかいからなあ…トリプルアイスなんか2段目までかじられちゃうし」

天音森がたい焼きの横腹にかぶり付いた。予防線のつもりだろうか。

「一口とは」

直樹がず、とコーヒーを啜る。

「その件については正直すまんかった…」

周囲を行く人達の様子を眺める。電車やバスの到着時間帯に合わせて、改札や停留所の人混みが増減する。

大きな楽器を背負った人。ビジネススーツの人。作業着を着た人。家族連れ。

十人十色、様々な人物が目の前を通り過ぎて行く。

駅やコンビニのゴミ箱、公衆トイレや植え込み、ベンチや噴水の様子。

普段、任務で出歩く以外、自由に外出する事が無いので異変があるかどうかという判断は自分達には難しいように思う。

正直なところ、あまり意味のある任務とは思えない。

雅が妙なモニュメントの前でアキラの写真を撮っている。何しに来たんだあれは。

咢がぼんやりした顔で人混みを眺めている。

ふと直樹の腕の赤みに気付く。

「…雛宵、お前咬まれたのか?」

コーヒーの蓋を開けて中身を見る。焦げ茶色の中に直樹の顔が映る。

「咬ませたんですよ。いつまでも過去に囚われている方が寧ろ危険なので」

うーんと眉間に手を当てがった。理解に苦しむといった様子だ。

「何故、アキラと翔にこだわる?」

「……心配しなくても任務自体はちゃんとこなしますよ、与えられた仕事ですから。でも誰と一緒に働きたいかぐらいは楽しみにさせてもらってもいいでしょう」

スラスラと答える直樹に対して、咢は眉間に当てた手をぐりぐりと動かしている。

「…質問の答えになってないぞ」

天音森が、おそらく咢の為に残した一口分のたい焼きをずいっと差し出した。

「直感」

「あのなあ…」

呆れた声を出しながらそれを受け取って、大きく開けた口に放り込んだ。

「一緒に居たら、面白そうって直感した」

咢を見上げながらもう一度言う。咢はというと疲れた表情で天音森を見下ろしている。

「よくわかってないまま動いてるのかお前ら…」

「隊長も大変すね。獣残班のお世話係になっちゃって」

ちょっと距離を置いた位置でクレープを頬張っていた翔が近付いてきて隣に座る。

残りの少しを天音森に倣って咢の目の前に差し出した。もうほとんど皮とクリームの残りしか入っていない。

本当にな、と言いながら頭をガシガシと掻いた。

雅がそんな三人の様子をカメラに収める。その写真、何に使うんだ?

辺りをうろうろしていたアキラがこちらに戻ってくる。

「ねえねえ、不審人物ってあんな感じ?」

アキラが指さす先には駅の案内板前に立つ一人の女性の姿があった。

長身でメリハリのある体つきをした美女。胸元の大きく開いた真っ赤な服は水商売のドレスを彷彿とさせる。片手には時刻表の紙を何枚も広げて持ち、もう片方で真っ暗な画面のタブレット端末を睨みながらブツブツ呟いている。

確かに不審だ。

「いやあれは不審というかなんというか…おのぼりさん的な?」

「絵に描いたようなおのぼりさんッスね。何故に大量の時刻表?」

「かっ」

咢が慌てて口を押える。

その声の大きさに周囲の人々もこちらをチラチラと見ながら通り過ぎて行った。

声が聞こえたのか美女が声の方を振り返る。ぱあっと表情を明るくして手を振っている。

バサバサと時刻表があたりに散らばった。

「因幡―――ちゃうわ、アギちゃんやん!久しぶりやなあ!いやあ参って,てん、狸に言われてこっち戻ってんけども。ノゴーちゃんが使え言うて寄越した、たぶれっと?なんや報告資料見れるし時刻表も見れるて言いよってんけど…こちとらようやっと携帯電話使えるようになったとこやさかい、えらい難儀しててん」

アキラはクレープの残り半分を咢に押し付けてから、ぱたぱたとその女性に駆け寄った。天音森も一緒になって散乱した時刻表やガイドを拾い集めている。

「…何故こんなタイミングで…」

「えっ、てことは…、もしかしてこの子がアキラちゃんでこっちが天音森のお嬢ちゃん?えー、めっちゃ可愛らしなあ!えらい大きなってから」

アキラと天音森をぎゅっと抱きしめてよしよしと頭を撫でている。

咢が面倒くさそうにボサボサ頭をがしがしと掻いた。

唐突に男二人を振り返ると訝しげな顔をして詰め寄ってきた。

「なあ、こんな美少女と生活しとって何もしとらんの?アンタらホンマに雄?」

とんでもない発言だな。翔は若干引いた様子で、雅と直樹の後ろへと下がった。

「セクハラは止めろ」

「あーん何、酷いわあ」

咢に首根っこを掴んで引き離された。

「お初にお目にかかります。君らの事はアギちゃんからよう聞いとるよ。私の事はそうやな…ケイって呼んでくれてええよ♡」

こちらにウィンクして、アキラの方へ向き直った。

「なあアキラちゃん、何で特務部隊入りたいん?別に研究所におっても外出ぐらいできるで?」

唐突な質問に一瞬、緊張した空気が流れた。間髪入れずにアキラが答える。

「私、ヒーローになりたいんです」

はらはらした様子で翔が二人の顔を交互に見ている。

「そんなん、適正がある人に任せといたらええやん。わざわざ危ない事しやんでもホラ。動物俳優とか目指したらええんちゃう?アキラちゃん美人さんやし」

「うーん、それは、なりたい人に任せます」

「へー。意志は固い、ちゅうことやね。そりゃ残念」

ケイは思いの外あっさりと話題を切り上げた。

意図が全く読み取れない。

高度な心理戦でも見せられたかのように咢と翔が膝に手を付いている。

「ようやくこちらへ戻りましたか」

「「おわっ?!」」

その背後から別の女性に声を掛けられた。今度は背の低い、スーツ姿のスレンダーな美少女だ。少女というにはかなり落ち着いた空気を纏ったその人物は、目の前の二人を無視してケイの方を見る。

「端末がろくに使えないなんて無能にもほどがあるのですよ…貴方、相変わらず下品な恰好ですね」

「――――」

ケイの目が更に細くなり、張り付いたような笑みが消える。

剣呑な雰囲気を感じ取った翔が咢に耳打ちする。

「もしかして隊長の今カノと元カノですか」

「勘弁してくれ」

咢はぞっと顔を青ざめさせる。

ケイはさっきまでの饒舌が嘘のように静かになり、先導するように歩き始めた。

「ほな行くわ、また会おな」

スーツの少女がケイに続く。不意に咢の方を振り返った。

「貴方にも仕事ですよ、因幡。そのまま着いて来なさい。過保護は程々にするのですよ。彼らは子供ではないのですから」

「いや俺は」

咢が言い淀む。スーツの少女は冷めた表情で全員を見回した。

「まあ、咢隊長いない方がスクープ撮れそうッスよね」

事もなげに言い放つ雅に、おい、と翔がツッコむ。

「駅周辺の見回りだけですし、俺達だけで大丈夫ですよ。隊長」

直樹が目を細めて笑みを作る。一口啜っただけのコーヒーを片手に振って見せた。

「何かあっても、何とかしますから」






****



【特務部隊会議室】


咢が不満気に煙草をふかしている。

「出たばかりだったのにここに戻らされるとはな」

「特に示し合わせたつもりは無いのですよ。ですが助かりました。私だけだとアレは意固地になって動かないのですよ」

伊沼がお茶の準備をしている。煙草の煙にほんの少し嫌悪の表情を浮かべ、銀色の灰皿を運んできた。アクセサリーやメイクを落としたケイが部屋に戻ってきた。

「なんやアギちゃん。いつまで拗ねてんねん、大人げないわあ」

「一向に連絡が無いと思ったら突然戻ってきて。何を考えてるんだ、会長」

「ま、酷い言い草やな。僕かてかなーり忙しいねんで?海外支部との会合会合…はー。もうちっと労ってもええんと違う?」

「そんな状態で無理矢理戻ってきたせいでこれから尻拭いさせられるんだろ、俺は」

咢は煙草を灰皿にぐしゃりと押し付けた。

「そもそもここを中途半端に自由にさせてるせいで色々拗れてるんだよ、わかるだろ」

赤いドレスを無造作に脱ぎ捨て、和服へ袖を通す。

ケイの身体と声は、女から男へと変化した。

「ええやないか、青春」

細身の男は絵に描いたような微笑みを浮かべて、咢の方を振り返る。

「歪まされた青春を見せられるのは沢山だ。見ているこっちが病気になる」

「悪いけどすぐには改善したれへんねん。堪忍な」

帯を締めながら、襟や背中を姿見で確認している。

「獣化種全体の話はどうでもいい。あいつらの時間は有限なんだ」

咢は額に手を当てて溜息をついた。

「…あの虎の事、えらいお気に入りなんやねえ」

鏡越しの咢にニッコリと笑いかけた。

「…しゃーないなあ、でも、もうちぃっとだけ我慢してくれるか?ちょうど獲物が釣れたところや」

伊沼が男の前に茶托を置き、そこへ湯呑を置いた。続いて同じように、その向かいに座っている天音森乃郷、そして咢へと順にお茶を提供する。

伊沼の動きには一切反応を示さず、男は乃郷へ視線を投げた。

「ほな、話聞かせてもらおか、ノゴーちゃん」

「承知いたしました、尾裂会長」





****


【数年前】


うつらうつらと船を漕ぐ。頬に当てた手からがくりと落ちそうになり、目が覚めた。

咢の隣では寝っ転がったまま綾取りをする少女の姿があった。

「アキラ…お前いつになったら寝るつもりだ…?」

「狐と狸は仲が悪いの?」

唐突な質問に片眉を上げてから大欠伸する。先程、寝しなに聞かせた昔話の事だろう。狐と狸が化かし合うお決まりのお話。

「…そういうわけでもないんだがな」

咢は何か手っ取り早い例え話が無いかと思案する。綾取りで「すべり台」を作ったアキラが見て、と両手を目の前に突き出した。

「アキラはルナと仲良しか?」

「うん、仲良し!」

「そうかそれは良い事だ」

アキラが次は「亀」の形を作った。

「例え話をしよう。アキラとルナが仲良しだとして、ある時、喧嘩する。何も知らない周りの人達が、喧嘩しているところだけを見たらどう思う?」

「うーん?…仲が悪いのかなっておもう?」

「一つの側面しか知らなかったら、そう思う人もいるだろうな」

言いながらアキラの両方の中指に掛かっている紐を外した。びょんと伸びたところから慌てて中を拾い上げている。

「知らない所でたくさんの人達がお互いの事をお互いに対して悪く言う…それが何千年も何万年も積み重なって…そのうちに」

またしても眠気に襲われ、欠伸をする咢。

反対に一向に眠くならない様子のアキラは、びよんびよんと伸びる「ゴム」の形を作った。

「…二人はとうとう本当に仲が悪くなってしまいましたとさ」

アキラの綾取りを終わらせたくて意地悪に紐を絡めて取る。アキラの小指に残された糸が絡まってぶら下がった。

「ああー、先生ひどい」

「こんなに絡まったらもう駄目だな。はい、終了」

アキラから綾取り糸を取り上げ、一か所の輪っかをきつめに引っ張って固結びにして見せる。

むう、と納得いかない顔で咢を見て言う。

「でもこれ、結べたんだから、解くことだって出来るよね?」

咢はそれをポイっと適当に布団の脇に放った。

「そう簡単にはいかないんだよ」

アキラに布団を被せてぽんぽんと叩く。

「簡単じゃない事は、出来ない事?」

布団から覗くように咢を見る。

「…いや」

無意識に否定した事に気付いて、自分に少し驚いた。

「まあ、出来る事だ」

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