第4話

【第一部隊・第一班担当区域】


獣化種協会支部に隣接するレンタルスペース。

その一室に八重木と泉を含む第一班の面々は集められた。

向かいに座るスーツの男の手首には星の入れ墨を隠すように腕時計が付けられている。

同年代としか思えない若々しい顔立ちで和やかに微笑んでいる。

「初めまして、獣化種特務部隊第一班の皆さん。呼び出しに答えてくれてありがとう。司令部とは別の命令系統だから内密での動き、感謝するよ。僕は輪島といいます。よろしく」

不安げに周囲を見回して泉が問いかける。

「…何故私達だけが呼び出されたのですか?隊長達は…」

輪島は和やかな笑みから一変し、出来の悪い子供を見下すかのように顎を上げた。

「それはね?君達訓練生の問題だからだよ。心当たりはあるでしょう?」

突然の冷たく突き放すような態度に、泉が押し黙った。他の面々もその空気の変わりようにただ固唾を飲んでその場に座っている。心当たり――――おそらく、仮配属初回の演習での騒ぎ、あるいはその前後の自分達訓練生の精神不調の事を指しているのだろう。

司令部の方からもグルーミングの注意など指示があったにも関わらず、未だに第一班にはどこかぎこちない空気が流れていた。

隊長達もそれを心配してくれていたが、こればかりは自分達でなんとかできるようになるべきだと何度も教え諭されたのだ。

不甲斐ない、と思いつつ気持ちを前に向けられない自分達に歯噛みする。

沈黙の中、パイプ椅子の軋む音だけが小さく響いた。

輪島が再び優しく見守るかのような微笑みを浮かべて話を切り出した。

「…その手助けをするように、って獣化種協会の会長代理から指示を受けてるよ。司令部より上位に位置してる組織だっていうのは知ってるよね?」

「…存じてます」

八重木の答えに満足そうに目を細めてから、全員に対して資料へ目を通すよう指で机を叩く。

「訓練の一環として、より危険な状況に置いて訓練生の能力を測る目的があるそうだよ」

そこには、直近に開催される獣化種協会の見学会で、突発性避難訓練を実施する旨が記載されていた。訓練の為の協力者として第一班訓練生のみに情報開示が行われる事、そしてその作戦内容まで細かく記されている。

目を通した八重木が顔を上げた。

「僕らが、第十三班のメンバーを分断する…という事ですか」

「そうだよ。聞くところによると、彼らって権利の乱用をしたようなものだよね?僕達人間側としても、そんな抜け穴みたいな形で危険要素に出歩かれるのは困るんだ。だから今回、民間企業からの協力という形で僕が参加させてもらっている」

「……話は分かりました。具体的には何をしたらいいのですか?」

資料の端を揃えて、班員達が顔を見合わせている。

「君達はただ、虎以外の子を足止めしてくれればいいだけだよ。どんな手段を使っても構わない。予告なしの訓練だから大規模な動きにはなるだろうけど、その辺り、近隣施設との連携は僕達が請け負うことになってるからね」

輪島が口元を隠すように両手を組んだ。目だけが第一班を品定めするかのように光る。

「……わかりました」

「ちょっと、嘘でしょ?いくらなんでもこんな急に私達だけで決めて…」

八重木の返答に動揺を隠しきれず、泉は音を立てて椅子から立ち上がった。

輪島の冷たい視線が泉を刺す。

「不安なら会長代理との席を用意出来なくもないけど…君達、正規配属まで時間無いよね?そんな事に時間割くより早く動いた方が良いと思うな。『獣残班』の子達、順調に点数稼いでるんでしょ?」

「……っ」

輪島に言い返す事も出来ず、泉は力なく腰を落とした。

「話が早くてこちらも助かるよ。タイミングはこっちで指示するから、当日はよろしくね」

「……」

八重木が無言で頷く。立ち上がった輪島がにこやかに微笑みながら握手を求めた。

「今日は本当にありがとう。君達が今後も現場で活躍するのを期待しているよ」

会議室を出た後も続く沈黙。耐えきれず泉が小声で八重木に話しかける。

「ねえ…!本当にあの輪島って人を信用するの?」

八重木がようやく口を開いた。

「…司令官に確認を取る。とりあえず表向きは指示に従おう」

「!」

泉が目を見開き、こくりと頷いた。



****




【特務司令室】


「……なるほどな」

天音森司令官がそう呟いた後、暫く沈黙が続いた。

資料の紙が擦れる音だけが響く。

「いい。そのまま連絡を取って指示に従っていろ。そこに乗じて貴様らが第十三班を潰したいならそれも構わん」

「な…それはどういう意味でしょうか」

「今更配属の序列を変えるつもりは無いから安心して良いという事だ。不都合を抱えたまま部隊に入られるよりは清算の機会があるのも悪くない」

意外な言葉に八重木が息を呑んだ。

「協会内で私闘をさせるつもりですか」

「協会内ならば許そう。好きに潰し合えばいい」

書類を脇にどけて、椅子に腰掛けて言う。

「我々は、残った者を使う。それだけだ」

背後に現れたカガチが、不機嫌そうに腕を組む。

「…どういう風の吹き回しだぁ?司令官サマよお」

「貴様の言う通り、所詮我々は動物だ。考えを改めたまでの事。望む通りになって良かったな?」

キィと椅子を軋ませて乃郷が振り返った。さして面白くもない様子で首を捻ってみせる。

「…マジでクソだな手前」

カガチは不快だと言わんばかりに舌打ちをした。



****



―――歯が疼く。口の中を軽く咬む。

 母親を咬んでしまった時の事を思い出す。

夢中で遊んでじゃれついて、その腕から流れる赤い血に気付く。

皮と肉が削げて白い骨が覗いていた。

救急車で一緒に病院へ運ばれて、私の事が色んな人にバレた。

元々、獣化種として覚醒した人間については協会に申告をしないといけない決まりがあるが、母親はそれをしていなかったのだという。

曰く、私の存在は珍しいから、公になると離れ離れになるのが目に見えていたそうだ。

結局、名字を抹消され、母親とは引き離されてしまった。

自分が一番痛かったはずなのに、怖い思いをさせてごめんねとひたすらに謝られたのを今でもよく覚えている。

―――私の中には危ない生物が住んでいる。

咢先生はそんな私に自分を押さえる方法を色々と教えてくれた。

一緒に生活したルナはマイペースな子だったけど、とても良いお手本を示してくれた。

そうやって限られた人たちとだけ過ごしてきて、『暁明会』の人達に攫われた時、また私はどうしたらいいかわからなくなってしまった。この人達は私を殺そうとしている。

それで私は?

―――押さえて耐えて我慢して押さえて、耐えて耐えて絶えて?それから?

そんな時、私を救い出してくれた、獣化種の少年。

彼は蝙蝠の自分を上手く使いこなしていた。

ただ押え付けるのではなく、きちんと向き合う事で出来る事の幅が広がる。

それは私にとって、まさに希望の光だった。

そんな直樹に「自分を咬め」と言われた時は流石に驚いた。

また同じ過ちを繰り返すのではないかと思うと怖かった。

それでも直樹が言うのであれば、きっと意味のある事なのだろう。

何故か翔や雅ちゃんにはしこたま怒られたが、その後も咬む練習は続いている。

彼の言う事をちゃんと聞いて、彼のようなヒーローになりたい。

自分の力を意図した様に使って、誰かの役に立ちたい。

そしていつか母親に、胸を張ってその事を伝えたい。

―――そうは言っても、急に慣れるなんて事はないのだが。


****



 何処からか、遠吠えが聞こえる。

息を荒げて不良少年達が夜の路地裏を駆け抜けていく。

翔がその後を追っていた。一匹の蝙蝠がそれらを監視するように頭上を飛ぶ。

…ォ――――――――ン…

遠吠えが近付いてくる。

「っああ、クソ!何処の誰だよ!!ジュウトクに通報しやがったの!」

少年の内の一人が叫び、その声は密集した建物の壁に反響した。

酷い略称で呼ばれるものだ。

繁華街の裏手で人通りはほとんど無いが、建物同士の隙間から表の通りの明かりが差し込んでいる。ゴミ箱やドラム缶を蹴り倒しながら彼らは路地の奥へ走る。

…ォォ――――――――ン…

先程より近い位置で聞こえる。不良少年達は焦りを感じながらひたすらに走る。

「この…ウゼェんだよ…!飛んでろッ」

少年の内の一人が追手を振り返り、その腹に蹴りを入れる。ぼすっと音がして靴先がめり込むのを感じ、彼は思わずほくそ笑んだ。しかし次の瞬間、蹴り上げた足に服だけが絡みついているのを見て、少年の笑みが凍り付く。

「言われなくても飛ぶっつーの」

背後で声がして、後ろ手に締め上げられた。悲鳴を上げながら仲間たちはその少年を見捨てて走り去る。

逃げる少年達の頭上で蝙蝠が不規則に飛ぶ。

翔は捕まえた少年を手早く拘束した。脱ぎ捨てたジャケットを着直す翔の横を、白い影が走り抜けていく。

不良少年達が逃げ込んだ先は行き止まりだった。悪態をつきながら元来た路地を振り返る。

オォ――――――――ン…

遠吠えの主が迫ってくる。もはやソレが暗がりのすぐそこまで追って来ているのだと確信した。

不良少年達は自らを追う獣の正体に身構える。

彼らの目の前に、直樹が降り立った。

「…しょうもない仕事を増やさないでくれ」

面倒くさそうな顔で言う。

「はっ…ははは!何かと思ったらただの蝙蝠かよ!ジュウトクが来たっつーからどんな化物が来るかと思ったら!ビビらせやがって…どうせさっきの奴もそうなんだろ!はは!」

金髪の少年は拍子抜けしたと言わんばかりに笑い、急に強がるように大声で言い放った。

直樹は特にそれを気にする風でもなく突っ立っている。

「おい、あっちはただの蝙蝠だぞ!今のうちにやっちまえ」

「でもよ、さっきまで吠えてたのは…」

「知るかそんなもん!とりあえずコイツをやっちまえばいいんだよ」

不安げに言う茶髪の少年の制止を聞かず、金髪の少年が前に進み出た。少年の身体が見る見るうちに形を変えていく。着ていたパーカーから覗く手足は人間のものではなくなっていた。それは一匹の狐の姿を取る。後ろ足に纏わりついたジーパンを邪魔くさそうに蹴とばすと、狐は牙を剥き、直樹に飛び掛かかろうと地面を蹴った。

直樹は身を屈める。その背を踏み台にして遠吠えの主が飛び出してきた。

それが背中を通り過ぎるのを確認すると、蝙蝠の姿に戻り頭上を旋回する。

―――グァゥッ

荒々しく吠え立てたそれは、白い狼。向かってきたパーカーの狐の胸倉に咬みつき、振り回すようにして地面へ叩き付ける。それを目の当たりにして他の少年たちが再び悲鳴を上げる。

「ヒィッ、ほらみろ…だから言ったんだ!特務部隊はヤバいのがいるって!狐や狸程度で敵うはずないだろうが!クソ!」

悪態をついた茶髪の少年もその姿を狐へと変貌させ、白い狼をすり抜けるようにして逃げ出そうとする。天音森は逃すまいとその首を捕まえた。

――――ギャ―――ッギギャ―――ッ!と激しい悲鳴を上げる。

壁際に居た残り二人の少年も同じように走り出そうとした瞬間、片方の少年の頭上にアキラが降り立った。

「ちょっとごめんね」

「ぐ…え?」

妙な声を上げて崩れ落ちる仲間を振り返り、もう一人の少年が顔を引き攣らせた。一人目の少年の脳天を蹴って勢いをつけたアキラはその姿を変えて向かってくる―――虎だ。

「ヒッ!?と、虎…っ?うそ、ぎゃ」

自分に飛び掛かる虎に成すすべもなく踏み倒された少年はその場で気を失った。

虎の横に蝙蝠が降り立ち、再び人の姿を取る。アキラの落としたジャケットを拾って肩にかけている。

「アキラ、もう大丈夫だ。気を失ってる」

二匹を押さえつけていた前足が人間の手に戻る。

妙な汗がアキラの頬を伝う。直ぐには慣れない。

自分が自分を制御出来ているのか不安になる。どくん、どくんとこめかみ辺りが脈打つ。それでも前よりは、牙を見せたり咆えたりする程度であれば、躊躇なくできるようになってきた。

「終了だね」

二人して転がった少年達を拘束していく。翔が先程途中で見捨てられた少年を担いで現れた。

天音森が狼の姿のまま翔の元へ駆け寄る。

「天音森さん、ナイス追い込みー。よしよーし」

首元をもふもふと撫でられ、嬉しそうにぺろぺろと翔の顔を舐めている。

ちょっと特殊な連携がうまくいったからか、翔が調子に乗って決め顔で言う。

「人襲ったり物を盗ったりするとろくな目に合わねーんだぞ、わかったか悪ガキども」

「…いいから手伝え」



****



 直樹の腕が痣になってしまうのは忍びないので、この頃は時々グルーミングの際の獣化を交代してもらっている。そうすると何故かルナも、翔に獣化をせがむようになった。

膝の上にハンカチを敷いて、その上にそっと直樹を降ろす。

蝙蝠の姿の彼は、手のひらに載るサイズしかなく、あまり強く触れると傷付けてしまいそうだった。

膝の上でひたすらじっとしている直樹を、指の腹でこしょこしょと撫でる。

「やっぱり本当は、どこかにぶら下がったりしてる方が落ち着くのかな」

「野生とは違うから、そうとも限らない」

向かいではクッションに深く座ったルナが、翔を招くように手を差し出している。どうしたものかとキョロキョロする翔を翼ごと抱えるようにしてお腹の上に載せた。猛禽類特有の鋭い爪が引っかかってしまわないよう気遣っているのか、くしゃっと握った足が可愛い。

「でもさすがに仰向けは辛いんじゃ…なんか、とけてるね」

「ひっくり返す…」

今度はルナの胸の上に嘴をちょこっと突き出して、うつ伏せのペンギンのようになって撫でられている。そんなにされるがままで大丈夫なんだろうかとちょっと心配になった。膝の上の直樹をそっと持ち上げて、ルナの隣に移動する。

「羽角より後ろ、気持ちいいみたい」

「ほんとだ」

横から手を伸ばし、翔の背中を撫でる。目を閉じてじっとしている。

ルナと同じようにクッションに深めに沈んでから、直樹が潰れてしまわないように胸元に乗せた。こちらもじっとしたまま動かない。

「直樹も気持ちいいところとかあるのかな?」

「あまり獣化しないから、誰も知らないと思う」

ルナがこちらへ横向きになるのに巻き込まれ、翔も転がった。少し驚いたのか羽を広げかけ、目を真ん丸にしている。ルナの手が直樹に伸び、その背中を撫でた。もぞもぞと身じろぎし始めたので、小さな手足が肌に触れてちょっとくすぐったい。

「私、この班になって良かったなあ」

思わず声に出して呟いてしまう。ルナが不思議そうにこちらを見る。彼女はそうでもないのだろうか。つい気になってしまった。

「…ルナは、この班になって良かった?」

ルナには「良かった」という言葉が腑に落ちなかったのか、口の中で唱えるように確かめている。あれ、と少し不安になったが、彼女は翔を見つめながら頷いた。

「良かった」

まるで、言葉が自分の感情に馴染んだかのように、はっきりした声で言う。

「えへへ、ルナと一緒で良かった!」

私は小さい時そうしたように、ルナの髪を撫でた。白くてふわふわで、ゆらゆらと広がるそれは、御伽話のお姫様みたい。

ルナが少しだけ口元を綻ばせた。

「アキラと、一緒」

不意に直樹が飛び立って、反対側のクッションに留まった。それを見て翔もルナの腕から抜け出て、クッションの裏に落下する。

「うッ…いてて…。ぬいぐるみにはなりきれんわ…」

ごろりと仰向けに転がった翔の隣で、直樹がさっさと立ち上がった。

「あれ、グルーミング終了?」

「…。コーヒー淹れる。何か飲むか?」

お湯を沸かしにキッチンへ入っていく直樹に、翔が「ココア!」と叫んだ。

「翔なんで怒ってんの」

「や、怒ってないし…。…そうだアレだわ、アレ!お前ら知らないと思うけど、百合の間に挟まる男は消されるんだよ」

「ユリ?消される?」

良くわからないが、何か居辛い感じがあったようだ。皆と仲良くなるのは難しい。早く打ち解けられるといいな、と思う。

「私も、ココア入れる。アキラは?」

ルナが立ち上がって戸棚からマグカップを取り出す。クッションに沈んだまま、ルナと直樹を見て考える。

「ココ…、コー…」

「鶏か」

「あ、カフェモカ!」

翔が吹き出して笑い転げている。何かそんなにおかしな事を言っただろうか…確かにここには別々のインスタントの粉しかないが…。えー…と直樹に視線を投げると、コーヒーの瓶をトントン叩いていた。

「…まあ、混ぜるだけだな」

おお、混ぜてくれるんだ。直樹は優しい!思わず頬が緩んだ。



直樹について、私は知らない事だらけだ。でも一つだけ確信している事がある。

たぶん、彼も自分では気付いていない事。

直樹は任務の時、虎の状態の私が必要以上に誰かに近付きそうになると、僅かに背中側へ手を回す癖がある。

あれは恐らく、ナイフの位置を意識しているのだろうと思う。

―――彼は私を確実に殺せる。

それならもし私が、耐えられなくなったとしてもきっと大丈夫だ。

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