第3話

 己を以て人を量るのではない。予め用意した基準に従い、量るのだ。

―――そこに己など不要。


 私は眼前に並ぶ資料と、屋外で戯れる同世代を見比べた。一枚の資料を手に取り、お父様を見上げる。

「どうやら、ルナにはまだ難しいようだね。これはお友達を選ばせているのではないよ」

お父様は微笑みながら私の手から資料を取り上げた。そこには写真と共に「アキラ」に関する情報が書かれていた。窓の外に彼女はいない。彼女は他の子達とは違って特別らしく、私の家族の監視の元で生活していた。

「もう一度、教えた通りに選んでご覧」

私は再び窓の外を見る。子供たちは時折、その姿を変え、地べたを走ったり、空を飛んだりしている。その中の一人、赤褐色の髪をした少年と目が合う。お父様が言うには、向こうからは鏡のようになっていて、私の事は見えていないそうだ。きっと勘が良い子に違いない。彼の写真が貼付されている資料に目を通す。持久力や直感に長けているといった評価が並んでいる。「瑞木翔」と書かれた資料を手に取った。

「そうだね、特殊任務において身体能力の高さは大事な要素の一つだ。彼のような勘の良さや持久力は役立つだろう。だが、彼は周囲に影響を受けやすく、集中力に欠ける側面があるようだ。一番に選ぶには適切ではないと言えるだろう」

今度は私から資料を取り上げず、別の少年の資料を手に取って見せた。そこには「雛宵直樹」と書かれている。窓の外では、木陰に数匹の蝙蝠が身を寄せてぶら下がっているのが見えた。おそらくその内の一人が彼なのだろう。私はお父様の顔をじっと見た。

「今回第十期生の中で、一番基準値に近いのは彼だ。何故だかわかるかい?」

差し出された資料に目を通す。協調性、連携能力、忍耐力、様々な評価が書かれている。

「しゅうだん行動ができて、自己せいぎょができるから」

「正解だ」

お父様が私の頭を撫でてくれる。

「いいかい、ルナ。私達獣化種は、人間に安心して共生してもらえるように振舞わなければいけない。その為に、その二つはとても重要な要素なんだよ」

「それから、もう一つ大切な事がある。それは、我々天音森の人間は評価者であって、被評価者ではないという事だ。すぐに理解はできないかもしれないが、そうだな前に教えたように」

お父様は窓の外を指さす。

「他の者を見極める時は、この景色を思い出しなさい。私達は内側に立ち、他の者達は外側に立っている。そこには絶対的な差があるのだから」

よくわからない。よくわからないけれど私は頷いた。

兄さんもそうしたように、私もそうすればいい。

窓の外を見る。先程からずっとこちらを見ていた少年が、他の子にぶつかられてその場から飛び立った。その斑模様がとても美しくて、私は暫くそのまま窓の外を眺めていた。

―――でもお父様。本当に資料の通りなの?

アキラは危ない子で、瑞木翔は一番にはなれなくて、雛宵直樹は誰よりも秀でているの?

それから私は初対面の相手を見る時、その記憶を思い出すようになった。



****



 私は私の胸倉を掴んでいる男を見上げる。

頭の中の基準に当てはめて考える。

この人間は、今まさに銀行強盗を行っている人物の一人。

他の仲間と思しき面々に比較して冷静な態度。もう一人の忙しない挙動から考えても、こちらが主犯で間違いないだろう。

「お嬢ちゃん、お手洗いに隠れてたにしては随分堂々としてるな?外の騒ぎが聞こえなかった、なんてはずは無いよな?」

視界の端には音も無くこちらへ迫るミミズクが映り、思わずそちらへ視線を向けてしまった。もう一人の男が頭上を通過する気配に驚き、悲鳴を上げる。

手を離した男が銃口を私からミミズクの方へ向けた。

「チ、今度は鳥か、は?」

目の前に迫るのは鉤爪ではなく、青年の足。顔面を踏み抜くような蹴りが炸裂し、男が吹っ飛ばされる。床を転がり、男はそのまま動かなくなった。

「飛び蹴りってのはな、こうやるんだよ」

「う、動くんじゃねえ!コイツがどうなっても良いのか?!!」

銃を片足で押さえるようして着地した翔が、私の方を振り返る。

私の首元には包丁が突き付けられていた。翔が困ったような曖昧な表情を浮かべてうーんと呻る。私はジャンパースカートのファスナーに手をかけた。

「あー…残念だけど、その子強いから」

「何を言って…」

男が言いかけた瞬間、その腕を下から抜けるようにして私は白い狼へとその姿を変える。

「ひ、ぎゃッ…」

包丁を持ったその腕に咬みつくと、男はバランスを崩した。

「あああああいたい痛い!痛いやめでだすけて!あああああああ!」

「暴れるからだろ、はいはいもう拘束しちゃうからそいつ離して大丈夫だよ」

二人して犯人を拘束し、人質に暫く待機するよう案内をする。

降ろされていたシャッターを上げると、外では逃走用車両と思しきワゴンがパンクさせられているのが見えた。

こちらに気付いてアキラが手を振ってくる。その隣には直樹が立っていて、第二班の面々に囲まれていた。

所属できる部隊の無い第十三班は、成果を上げるにしても大した任務自体回ってくる事がない。今回の事件は第二部隊の担当区域で、直樹が各所に許可を取り付けてくれたのだ。

「タイヤっておいしくないね」

アキラが水道で口を濯いでいる。翔は車のタイヤをまじまじと見つめた。

「そりゃあ食うもんじゃないからな…。にしても歯形えぐ…」

「志木宮、任務への参加に協力してくれてありがとう。助かったよ」

「他ならぬ雛宵君のお願いですもの。当然力になりますわよ。しかしまさか全部の班員と今後も交流する為の作戦だったとは…恐れ入りましたわ」

志木宮さん含む他班は、直樹が正規配属後も皆と関わる為に今の立ち位置を取ったと解釈したらしい。直樹の方を見ると口元に人差し指を当てている。黙っていろという合図に、瞬きだけ返した。志木宮さんがずいっとアキラに顔を近付ける。

「ですが!アキラさん。そういった事情はさておいて、雛宵君に手を出したら承知しませんのよ!」

「?手なんか出したら返り討ちに合うと思うけど」

タオルで顔を拭きながら、頻りに歯の調子を気にしている。

「なななどういう事ですの…?くっ、そんなに自信ありげな顔で…ハレンチですわ!」

「???」

会話がどこか嚙み合っていなかったようで、志木宮さんが真っ赤になって怒っている。アキラはますます首を傾げた。

「修羅場製造機かよ。これで現場のナビゲーション一番うまいんだから腹立つよな」

横を見上げると翔がスマホを弄りながら悪態をついていた。直樹の能力に嫉妬している様子なので、さりげなくフォローを入れる。

「今日は翔、大活躍だった。一撃必殺」

「……。というか、さっきのアレ…天音森さん、こっち見ちゃだめでしょ。奇襲の意味がないし、普通に危ない」

ちょっとむすっとした表情で抗議された。確かに彼の言う通りだったので謝罪する。

「ごめんなさい。とても、綺麗だったから」

ぴし、と硬直する翔の顔を覗き込むと、大げさに視線を逸らされた。

「…直樹の真似だったら絶っ対、やめたほうがいいぞ。あんな風に破滅する天音森さんとか、見たくない…」

特に真似をしたつもりは無かったけれど、そんなにも私と直樹は似ていたのだろうか?

正直、私には直樹が何を考えているのかよくわからない。

彼も私もこれまでと違う景色を期待した。その点はきっと同じだ。どうやら彼は、見るだけでは満足しないようだが。

私はただ、見たいものを見る。この景色は私のもの。

『獣残班』などと呼ばれた者達の集まり―――その評価者は、私だ。




****




殊更に不満を言うつもりは無いが、不平等だなとは思う。

獣化種の内、狸や狐など野生動物として日本に分布が確認されているタイプの陸種は基本的に施設で指導さえ受ければ通常の人間同様の生活が保障されている。

しかし、飛行種や猛獣、野生での分布の無い生物などは無条件で施設に拘束されるのが現状だ。

そういう危ないものを繋いでおきたいという気持ちはわからなくもない。

隣を歩くアキラを見る。

彼女については――――純粋に、最高の操作性だなと思った。

野生の虎は本来、長時間獲物を追い回すような狩りはしない物陰からそっと近付き、油断している獲物へ一気に飛び掛かる。その為、狩りの成功率はかなりの低さだという。

獣化種であるアキラの場合も同様だった。天音森や他班の陸種と比較しても明確に短期決戦型の要員だ。

とはいえ、野放しになっている獣化種が起こす事件というと、空き巣や泥棒、万引きや引ったくりなど普通の人間とさして変わらないものばかりだ。危険度が低い事件―――あえてそれを平和の範囲と呼ぶのであれば…。

平和である方が、猛獣の運用は寧ろ注意が必要になる。難易度が上がるのだ。

アキラがこちらの視線に気付いて首を傾げながら微笑んで見せる。

歩道橋の階段に座り込んでいた少女が話しかけてくる。

「ねえねえ。獣化種の人達だよね?聞いてもいーい?」

「おいおい、話しかけるなよ」

一緒にいた男が手すりに寄りかかってスマホを弄っている。

「いいじゃん別に。あたしは計画と関係ないし。勇太は勝手にやってなよ」

歩道橋から見下ろすようにして俺達四人をじろじろと見回す。

「獣化種でちっさいのになる奴ってさー。食べた物とか排泄物で窒息して死んだりするってまじ?うち、周りに獣化種いなくてー。ネットで見たんだけど薬とか食事制限とか大変なんだって?」

「そうだ」

少女が指摘する通り、人と獣の姿で体格差が大きい場合、体内に吸収されていない状態の異物が残っていると、それが原因で死亡事故に繋がる恐れがある。幼少期に一番に指導される事項の為、日常的に気を付けて既に習慣化していた。

俺が肯定すると嬉しそうに手を叩く。

「ヤッバ。まじウケるじゃん」

翔が不快そうに眉根を寄せる。天音森は相変わらずの無表情で少女を眺めている。

「しかもー、匂い違うせいで野生動物の仲間にもなれなくてー、そうやって人間様のご機嫌取って生きるしかないんだっけ?超かわいそうじゃん!そんなの何の為に生まれてきたかわかんないよね?」

カッターナイフを取り出し、チキチキと音を立てながらこちらを見下ろす。アキラがまっすぐに相手を見つめるようにして立っている。

「ねえ虎さん達。うちらが、助けてあげよっか?」

何故アキラの事を知っている?

基本的に屋外で獣化させないようにはしているが、どこかで見る事があったのか。

「心配してくれてありがとう!」

アキラはごく自然な様子で少女に笑みを返した。

「でも大丈夫!君にどう見えてるかはわからないけど、私達はそれなりにフツーに生きてるよ」

フツー、か。この手の煽りに対しての返しとしては上出来だな。

妙な沈黙が流れて、少女は苛立たしげに表情を歪める。

アキラの橙色の髪が風に揺れた。ふわふわで撫でたら柔らかそうだな、とぼんやり眺める。

「ハァ?…なにその回答。超シラけるんですけど…」

刃先が地面に突き立てられ、ジギッと音を立てる。男が弄っていたスマホから顔を上げると、今度はそれを耳に当てて手すりから離れた。パーカーの袖口から星を模した入れ墨がちらりと覗いた。

「あーあ、もういいでしょ。行くよ、菜月。ターゲット、決まったから」

ふん、と鼻を鳴らして、菜月と呼ばれた少女は立ち上がり、男に続くようにしてその場を去った。

翔がはー、と大げさに溜息をついた。

「…こっちまで毒気抜けれるんだよなあ。アキラの言動…」

「え?ごめん?」

半身で振り返るようにしてよくわからないまま謝罪する。

「いや褒めた褒めた。まあいいや、オレらもさっさと撤収しようぜ」

彼らが去っていった方向とは反対へと歩き出す。

「アキラ、さっきの」

俺が声を掛けるとこちらを特に見ないまま、うん、と頷く。

「あと、男の人ほうの左手のとこ…あれは、暁明会の入れ墨だった」

かつて彼女がその被害者となった、密猟集団『暁明会』。その関係者は全て摘発されたはずだが、まだ活動していたのだろうか。念の為、報告をしておいた方が良いだろう。

―――それにしても。何も考えてなさそうな顔をして周囲をよく観察している。

風がざわざわと木の葉を揺らず。

本当に油断できない奴だ。




****




 昼間は暖かく、ボディスーツだけでも過ごせそうだが、夜中となるとまだ少し肌寒さが残る。

タブレット端末を手に、自室からリビングへと出た。

メインの明かりは消えた状態の部屋で、キッチンのライトだけが付いている。

そこでちょうどアキラが歯を磨いているところに出くわした。

「…何回目だ」

「ふあ、五」

アキラは流しで口を濯ぎ、コップに歯ブラシを差した。

「なんか、タイヤ齧ってからずっとムズムズするんだよね」

いー、と口の端を引っ張りながら顔を顰めている。

「見せて」

一瞬、気乗りしない様子を見せたものの、口を開いて見せた。親指を差し込んで、上の犬歯を持ち上げる。特に異常は無さそうだ。

「…あふなひ、よ。直樹」

アキラの目に天井の明かりがギラリと反射する。爛々と光るその目に前髪が影を落としていた。

何かを狙うような、あるいは警戒するような。

頬の筋肉が強張っているのがわかる。

虎の状態で何かを咬む事に慣れていないのだと察しがついた。

「…それは歯磨きじゃ解決しない」

「……」

唾を飲み込み、アキラの喉が鳴った。

「咬む力の加減が出来るようになった方がいい。このまま噛んでみろ」

「――――」

アキラが顔を顰める。歯を軽くこすって、早くと促した。

「今は人間の歯だろ、気にするな」

ぐっと親指に歯が食い込み、やがてゆっくりと離れていく。

俺の指には彼女の歯型が残った。ほら、とそれをアキラに見せて言う。

「このくらいなら、傷にはならない。感覚を掴め」



****



 翌朝、欠伸をしながら部屋から出てきた翔がぎょっとした顔をして動きを止めた。

「直樹お前、首どうした」

若干腫れがあり、皮膚に赤みがさしている。

恐らく歯型なのだが、どう見てもそれは人間のものとは思えない大きさをしていた。

本日の食事当番は直樹。

部屋の扉の前で固まっている翔を一瞥するも、特に返事はせず、トーストや目玉焼きをテーブルに運んでいく。

リビングでは天音森がアキラの髪を梳かしている。

ふとアキラの背中を覗き込んで首を傾げた。

「…?アキラ、怪我してる」

「え?」

ぺろりとシャツを捲り上げられたアキラの背中には、引っ掻き傷のようなものが付いている。

「ああー、ちょっと加減わかんなくて…。昨日はごめんね」

「問題ない」

直樹はアキラの方を見ることなく、腰を下ろした。

頂きます、と手をあわせてさっさと食事を始める。

アキラが特にその傷を気にする様子が無かったので、天音森もさっさとブラシを仕舞った。

そのやり取りを見て翔が慌て始める。

「おいおいおいおい何してくれちゃってんの?色んな意味で大丈夫なんだろうな?!」

うるさいな、と眉を顰める直樹の向かいに、アキラと天音森が座る。彼女達の食事は直樹の皿に盛られているものより若干多めにしてある。

「いただきます!」

「いただきます」

「早く座って食べろ」

直樹が調整剤の入ったアルミケースを取り出してコップの隣に置いた。

「いや、大事件起きてんだろ無茶言うな」

言いながらとりあえず腰を下ろす翔を、アキラが不思議そうに見る。

「?なんか事件?」

「え、事件ではないの?もうわかんねえよ…何なの」

玄関の扉が開き、雅がずかずかと入り込んでくる。

食事時にバタバタしないでもらいたい。

「ちょっとちょっと、何なんスか昨夜のはー。スプラッター映画見る趣味は無いんスから勘弁してくださいよ。人食い虎の事件映像かと思ったッス。暴力沙汰もご法度ッスよ!」

びっと指を突き付けて怒る雅を見てから、翔は真顔で言う。

「マジで何してたんだお前ら」

「「咬む練習」」

その後小一時間程、雅と翔から不健全だのなんだのと説教を食らう事になった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る