第2話
カーキ色のバンにもたれながら、咢(アギト)が煙草を吸っている。
そこへ虎と狼が足早に駆け寄る。空からは蝙蝠とミミズクが別々の方向から合流した。蝙蝠は虎の首元に掴まるようにしてぶら下がり、ミミズクは羽を広げた不格好な状態で狼の背に着地した。
天音森の身体からずり落ちるようにして、翔が人の姿に戻る。
咢はそれに気付くと目を見開き、煙草を落としそうになるのを慌てて拾う。
「…流石に驚いたわ」
咢は煙草を携帯灰皿に押し付けて消すと、ポケットにしまいながら言った。
「こっちも驚いたっての…」
翔は寒さに震えながらガチガチ歯を鳴らして言う。天音森の尻尾が気遣わしげに翔の身体に寄せられていた。
「いくらチョーカーがあるとはいえ、服全部捨てて逃げてくるとはな。訓練生全体で精神不調が出てると聞いた時は死人が出てもおかしくないと踏んでたが…無傷とは恐れ入るよ」
「生き残れっつったの先生でしょ…」
咢はバンのトランクからブランケットを二枚取り出した。一枚は翔へ、もう一枚はアキラの頭に被せるように放られた。直樹はそのブランケットをアキラから払い除けるようにして、人の姿に戻る。
「いきなり連携は取れませんからね」
翔が横で一際デカいくしゃみをし、咢をジト目で見ている。咢はガシガシと頭を掻きながら溜息をついた。
「まあいいや。…今しがた会議で話を通してきた。お前ら十三班が然るべき成果を示せた場合、第十三部隊を発足する許可が出た。その場合不本意だが、隊長は俺が努め、現在残っている端数要員を統括する。…これからは先生じゃなくて隊長と呼べよな」
「案外早いですね、隊長」
直樹がそう返すと、バンの窓が開いた。それに反応してアキラのヒゲが前方に集まるように動く。
「コイツらが今回の残班か。ふーん、虎って思ったより普通じゃん」
「ザンパン?なんすか、先…隊長、誰だよこの人」
翔が今度は車内でにやつく女を睨む。天音森が身体を震わせてからあくびをした。
「カガチお前…謹慎中だろうが。勝手に忍び込むな」
カガチは不機嫌そうにバンから腕を出し、もう片方の手でチョーカーの当たっている皮膚を引っ掻く。
「だーから、ここの敷地からは出ずに大人しくしてんだろうが。よぉ、ガキども。なんだよ、もっとイカれた問題児の集まりかと思って期待したってのにパッとしねえな。所詮残班は残りカスって事か」
「あ?」
翔がまともに相手にされず苛立ち始める。咢も面倒臭そうに制した。
「カガチ」
「いいじゃねーか、アタシも咢も、残りカスの先輩ってわけだ。後輩に挨拶ぐらいしたってバチは当たんねーだろ?」
人の姿に戻った天音森が、翔のブランケットの端を引いて説明した。
「司令官の相棒(バディ)を務めてるひと」
天音森を見るなりカガチは再び煽り始めた。
「クソ狼の妹。ちゃんと会話すんのは初めてだな。アイツと一緒でアンタも無能を傍に置いて優越感に浸る屑なんだってな?」
「…もういいお前はもう中に戻ってろ」
「兄の非礼についてはお詫びします。でも、翔と貴女に対する評価は取り消して」
「へえ、あのクソの妹にしては中々肝が据わってんじゃん。こんな事なら最初からアンタらに手を貸してた方が面白かったか?…まあ、今更どうでもいいか」
咢が深く溜息をついた。カガチが今度は直樹を見てにやりと笑う。
「精々上手く暴れてくれよな、『獣残班』のガキども」
****
木の葉や土を払い落とし、再び十三班の自室に戻る。
交代でシャワールームを使った後、部屋の中央に集まった。
田口や三島たちが回し読みしていた漫画雑誌では、男女で浴室の使用をしていると事故になる展開が描かれていたのを思い出す。
現実ではきちんと順番を決めてそれを守る限り、何も問題は起きない。
万が一何かあっても、獣化してしまえばある意味ではセーフと言えるだろう。
天音森が狼の状態でシャワールームから出てきて、翔の座っている隣にごろりと横になった。翔はスマホを弄りながら、自分の膝に当たっている毛並みを指で梳くように撫でる。
ふわりと石鹸の香りが漂う。
「今回俺は獣化しない」
「なんでだよ、あ」
虎の状態になっているアキラの方を一瞥すると、翔がはっと何かを察した。今度は肩を震わせて必死で笑いをこらえている。
「ぶ、くくく…。すまん。そういえば初めてグルーミングした時お前…志木宮に食われかけてたな…。お前を咥えて持ってきた志木宮の自慢げな顔が…くく」
「笑い事じゃない…。とにかく、慣れない内は俺の場合、命に関わる」
謝りながらも翔は未だ笑いを堪えている。動物同士のコミュニケーションにおいて毛繕いは重要な役割を果たす。それは、半分動物である獣化種にとっても同じだ。
「…天音森は腹じゃなくて首回り、両肩の真上あたりだ」
俺がそうアドバイスすると、とたんに笑うのをやめて真顔になる。
「それまさか、全員のやつ知ってんの?流石に引くぞ」
当然だが組んだ事があるなら知っておくと効率が良い。
触られたくない所を無理に撫でる意味はないし、気持ちよくコミュニケーションを取るのは常識だ。
むしろ何を言ってるんだこいつは。俺は翔を放置してアキラの頭を撫でた。
「アキラは、顎のとこ」
天音森が親切にもアドバイスをくれる。彼女の方を見ると人の姿に戻って起き上がろうとしていた。その鳩尾あたりに翔の手が載せられているのが目に映る。
ひゅ、と息を呑む音がしたと同時にスマホが転がり落ち、羽毛がその場に舞う。
こういう反応になるあたり、瑞木翔は、良くも悪くも分かりやすい奴だ。
「…チョーカーしてるんだから、そこまで驚くなよ…」
カーテンレールに掴まり、羽根を大きく膨らませるような恰好をしてミミズクがこちらを見ていた。
ホヷ!とデカい声で鳴き、目を真ん丸にしている。
現実でもベタな事故り方をするもんだな…。アキラが舞う羽毛を興味津々に眺めている。
翔が元の位置に舞い戻ってきて地面に頭を擦り付けた。
見事な飛び土下座だ。
「触れてしまって申し訳ありませんでした…」
「…?最初から触ってた…」
「いやそうだけどそうじゃないっていうか、マジでごめんなさい」
リラックスした状態になる事に意味があるというのに、この調子だと先が思いやられる。
「天音森…本当に申し訳ないが、戻る時は何か合図してやってくれるか」
彼女は早々に狼の姿に戻ると、ヒュィ…と鼻を鳴らして伏せってしまった。
「あああ違うんだって…。マジでごめん…、天音森さんは何にも悪くないよー…、オレのせいでごめんね…ごめんね…」
そんな天音森を見て罪悪感に駆られたのか、翔はその首元をわしゃわしゃして慰め始める。
人の姿か獣の姿かで態度に変化が出るというのはままある事だ。
その差を埋める為にも、俺達にはグルーミングが重要なのだ。
天音森の身体をはったアドバイスの通り、俺は耳の裏をなぞるようにして顎の方へと手を探らせる。ゴロ…とアキラの喉が鳴った。まさにネコ科ならでは、という感じだ。しかし、その喉の響きは唸り声にも似て、妙な緊張感を覚える。
俺の慎重な手つきからそれを察したのか、アキラは額で手を押しのけるようにして人の姿に戻って言う。
「いやー、変な声出してごめんねー。なんかわけがわかんなくなる感じだった…、あと、眠くなってきたかも?」
「やらしい触り方しやがって…、この獣タラシが」
八つ当たりのように呟かれたので、天音森に向かって教えてやる。
「…ちなみにそいつは羽角の付け根より後ろだ」
翔は再び真顔になり、後頭部をガードした。
その時、またしても突然扉が開かれる。
「うっわー。ガチで男女同室じゃないッスか。ドッキリかなんかを疑ってたのに。しかも真面目にグルーミングやってるし」
広いおでこに丸い眉毛が特徴的な少女が、首から下げているスマホでパシャパシャと写真を撮りながら中へ入ってきた。
「え、待って、何で雅が入って来れてんの?お前十班だろ」
「はいはい反応あざす。じぶん、第十班の雅まひろッス。この度第十三班の監視の任を仰せ付かったッス。以後、勝手に出入りするんでよろしく」
「この部屋にプライバシーって概念は無いのか!」
「ないッスね。じぶん以外には教官とか隊長クラスの面々は出入りし放題のはずッス。何なら、ここの部屋監視カメラめっちゃついてるんで。壊さないでくださいよ」
「――――」
翔は絶句している。
天井の隅にあからさまに設置されていたのだが、どうやら気付いていなかったようだ。
「なんだ…やっぱり施設の時と一緒かぁ」
眠たそうにそれだけ言い、虎の姿に戻って伏せるアキラを見て翔は再び驚愕の表情を浮かべる。虎の獣化種は日本では珍しい。
事件もあってアキラに対する監視は元々かなり厳しかった。
アキラの境遇に同情したのか、翔が決意表明する。
「くっ…上がそういうつもりなら…やってやろーじゃねえか。清く、正しく、そして清い共同生活!」
「じぶんとしては堕落してもらった方が有難いッスけどね。手柄になるんで」
「なら何でわざわざ教えに来たんだ?」
「まあ、その点については何故か口止めされてませんし?そもそもここへは監視じゃなくてお知らせをしにまわってるんすよ」
「訓練寮の最後の方、食事にホルモン剤が混入してたらしいッス。原因も犯人も不明。訓練後のグルーミングの時に分泌されるのと同じものなんすけど、その時期は特に実技訓練の無い期間だったッスから、ホルモンバランスの崩れた子達が多いって聞いたッス。まあ、個々の摂取量的には微量ですし、これからグルーミングさえきちんとしてれば何も問題ないッスけど」
ていうか余計なお世話だったみたいッスね、と言い添える。
「では、じぶんお邪魔みたいなんで、これで失礼するッス」
「もう来んな」
扉が閉まると同時に、翔は天音森の首辺りに倒れ伏した。
毛並みに顔を埋めると、湯船に浸かったオッサンのような声を出す。
半分埋まったままアキラの方を向いて黙っている。
当のアキラは先程の間に、完全に寝落ちしていた。俺はその縞模様が上下しているのをそっと撫でる。その様子をぼーっと眺めながら思い出したように翔が言う。
「…そういえば、アキラがお前の事、師匠だって言ってたんだけど。どういう事だよ」
「師匠?…アキラとはそんなに話した事はない。助けた時、指示するから従えって言ったぐらいだ」
口頭でまさか「師事」と聞き違えという事もないだろうし、俺は首を捻って記憶を辿った。
不信な様子でこちらを見る翔。その髪を天音森がしきりに舐めている。
「どうせまた勘違いさせるような言い方したんだろ。獣タラシ。違う景色がどうとか意味深な発言してたし、アキラはアキラでもしもの時はお前に殺してもらうとか言ってたし!絶対何か隠してるな」
違う景色が云々は天音森も言っていたはずなんだが、と彼女に視線を送る。
当の天音森は大あくびをして今度はアキラの頭を舐め始めた。
それにしても殺してもらうなんて、本気で言っていたのか。
やっぱり面白いキャラクターだな。
「何も隠してない。…直接的な言い方をするなら、虎をコントロール出来たら楽しそう、ってだけだ」
「はあ?なんだそれ、意味わからん。ていうか…お前そういうの」
異常。普通じゃない。あるいはそれに準ずる感想を予想した。
じと、と睨まれる。
「不健全だぞ」
俺は思わず笑ってしまった。
確かに不健全だ。自由なものを制御してみたい、なんて。
****
数週間前【獣化種協会日本支部】
「…なに、そう心配せずとも尾裂会長は元々、虎を野に放つおつもりは無いと言っておられた。例え良く躾けられていようとも所詮は獣だ。…もちろん分かっている、猛獣が何も問題を起こさず共生できてしまったら君の立場に関わるからな。そもそもそんな事はありえんよ。…ああ失礼、続きはまた」
朗らかに通話していた石割は、視界の端に醜悪な笑みを浮かべる女を捉えると話を切り上げた。一変し、女に向かって咆える。
「何故言う通りにしない!私はあの虎だけ暴れさせろと言ったんだ!他の獣どもなどどうでもいいのだ!!」
「はあ?逆に何で言う通りにすると思ったんだァ?頼んでも無いのに寄越しといてよ…むしろ使ってやっただけでもありがたく思えや。こっちはあのいけすかねえ司令官サマの面さえ汚せりゃなんだっていいんだよ。ったく、こんなモン、効果が出たかもまるでわかりゃしねえ」
カガチが空になった瓶を放り投げる。
床に転がったそのラベルにはホルモン剤の名前が書かれていた。
「獣化種はある程度規制せねば人間にとって脅威なのだ!そこにおいてあの虎に自由を与える事は世の中のパワーバランスを崩しかねん。これまで猛獣の類はその猛威を削いで指示に従えない限り外界には放たんようにしてきたというのに!そもそも何故、今になってあのような危険なものの編入を許可したのだ…獣ごときに自由意志の尊重など不要なのだ!」
「あーあー。難しい話は興味ねえんだわ。それアタシに関係あんの?何でもいいから次はもっと派手なモン寄越せよな。チマチマくだらねえのじゃあのクソ狼を潰せねえだろーが」
ガラスの灰皿が飛ぶ。
それはカガチの服を巻き込んで壁にぶち当たり、鈍い音を立てた。
服から這い出た一匹の蛇が壁際を伝うようにしてそのまま排気口へと姿を消した。
「くそっ、忌々しい…、伊沼!その汚らわしい抜け殻を処分しておけ」
そう呼ばれ部屋の奥にいた女が、ティーセットを持って姿を現した。
「さすがに勝手が過ぎますよ、石割代理」
トレイを脇机に置いて、カップをソーサーに載せる。
「黙れ。私は尾裂会長からある程度の自由を許されているんだ。あの男から好かれぬ貴様が口出しする権利などない!」
石割は自身のデスクに拳を叩き付けた。
それに構わず、伊沼は拳の横に紅茶を置く。
カップの縁からゆらゆらと湯気が立ち昇っている。
「…仰る通りですよ。しかし、代理。ここ最近の貴方の行為は少々目に余る。…後悔するような事になる前に、考えを改めた方がよろしいですよ」
「もういい黙れ、貴様も出て行け!」
伊沼は溜息をつき、カガチの服を拾い上げて部屋を後にした。
「全くどいつもこいつも…何故言う通りにしない?!」
石割は机上のものを怒りに任せて薙ぎ払った。カップが鈍い音を立て割れ、中身をぶちまける。カーペットに薄赤いシミが広がった。
そこから薄っすらと湯気が立つのを見て、石割は落ち着きを取り戻す。
「そうか、なるほどな」
口の端を吊り上げて呟く。
「殺してしまえば良いのだ」
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