第1話

  仮配属通達数日前【特務司令室】


「どういうつもりだ貴様ら」

静かな怒りを湛えた男の声が薄暗い部屋に響く。制帽の鍔が影を落とし、その奥で灰色の瞳が刺すような殺意を放った。

「雛宵」

「…相棒を自由に選ぶ権利が与えられたので、彼女を選びました。何か問題がありますか」

「天音森」

「雛宵と同様です」

男の正面には、雛宵と呼ばれた黒髪の青年と、天音森と呼ばれた白い長髪の少女が並んで立っている。男の表情は険しい。

「まず、例の虎についてだが、アレは保護当時、傷害事件を起こしている。普通の人間が生活する市街地で任務を行う部隊への参加を認めるつもりは無い」

「その傷害事件というのは、覚醒直後で力の加減がきかない状態の彼女が母親にじゃれついて発生したものだと聞いています。私がその後の密猟事件で彼女と接触した際には、死人を出さず事態を収束しました」

「やはり当時の事がきっかけか…。そんな事は我々の間では把握済みだ。だが部隊の決定はあくまで上層部のみならず、外部評価に基づくものだ。我々の任務が犯罪の取締りと人命救助が中心である以上、人間に不安を与えるような存在を世に出すわけにはいかない。そんな事もわからない貴様ではなかろう」

雛宵はそれ以上答えず、黙って男を見る。

「そして瑞木翔についてだが、こちらはさして問題は無い。普通にしていれば部隊入り程度は果たせただろう。だが問題は天音森。貴様が雛宵と揃って下位成績者を相棒に指名した事にある。あの虎の編入が無ければ、四人ごとの十二班編成で数が合うように調整されていた。他の上位訓練生を差し置いて下位の者を第一班に編成できないという事は理解できるな?」

「…理解できません」

天音森が返答すると男は、モニター前のデスクに拳を叩き付けた。

モニターには第十期生の成績が詳細に映し出されている。

「人間にも獣化種にもプライドというものがある。貴様らにわからずとも評価のヒエラルキーを容易に踏み躙って良い道理は無い。そのような蛮行に出る貴様らはもはや上位班はおろか、規律を重んじる特務部隊には相応しくないと言っているのだ」

今度は雛宵が口を開いた。

「では、改めて公に我々の真価を示せば部隊への配属が認められますか」

「…あくまで考えを改める気は無いという事か。実に愚かとしか言いようがない。…正規配属を目前としたこの時期に今更成果など出せるものか」

男は苛立ちを露わに吐き捨てる。

「証明して見せます」

「言ってわからんのならば、―――諸共に潰す」

雛宵が断言すると、男は語気を強めた。天音森がそれに反応し、男を睨み付けて言葉を返す。

「…私の邪魔をしないで。例え兄さんでも潰す」

そうして二人は踵を返すと、短く挨拶をして男の部屋を後にした。




****




 二人が部屋を出てすぐ、男はデスクへ移動し椅子に腰掛けた。司令官として、中断していた書類仕事に取り掛かる。再び静寂の流れる部屋の中、シュルシュルと音を立てて移動してくるものがある―――――やがて男の足元にやってきたのは一匹の蛇だった。

蛇は椅子の下を抜け、男の背後に立った(・・・)。

「チョーカーはどうした、カガチ」

男は振り向かずに言う。背後でにやにやと嫌な笑みを浮かべて裸の女が立っていた。女はコート掛けからジャケットを取って羽織ると、男の横でデスクの引き出しを漁り始めた。

「着けるわけねーだろ。あんな気持ち悪ぃモン身体に這わせるアンタらの気が知れねぇ」

首を絞める真似をしてオェとやりながら、引き出しから種類の異なる二つの髪留めを手に取った。色も形も違うシュシュを使い、髪をツインテールに結びながら話を続ける。

「コレ、また渡せなかったのかあ?…アハハ!残念な奴だな」

「――――それより貴様、寮の食事に何かしたそうだな」

「…あー?寮の飯が不味いって意見書が上がってたからな。改善の仕事をしたよ」

「とぼけるな」

カガチの手が止まる。にや、と笑い振り返って言う。

「…なに、ちょっとばかし食ったら幸せになるモノをぶち込んだだけだ。一週間程でやめたが…ああ、そうか。おかげでバランスが崩れたってワケだ」

「余計な事を」

男は勢い良く立ち上がり、胸倉を掴んだ。

「はッ…ざまあみろ。規則で縛ろうが所詮畜生…ぐだぐだとガキどもに高説垂れてたようだが、獣化種なんぞどいつもこいつもただのケダモノだって直ぐに解らせてやるよ。天音森乃郷」

「―――貴様も潰す」

「―――やってみろ、クソ狼」

カガチは乃郷の手を払い除ける。床に落ちた報告書を踏みつけながら乃郷の横を通り抜けるとそのまま部屋を出て行った。

ギリ、と歯噛みする音だけが小さく響いた。




****




 夕方の風は一層に冷たさを増す。

暦の上での春は近いが、オレを取り巻く環境は穏やかではない。

まあ、獣化種になってこの方、穏やかだった事なんて無いけどな。

振り回されるのには慣れている。

そろそろ平穏が訪れてもいい頃なのでは?と何度思ったか定かではない。

咢先生が出て行った後、十分と立たないうちに演習開始時間の繰り上げが通達された。演習と言っても、要は新しい班の交流が主目的なので、ただのお散歩と言った方が正しい。

現在、オレ達は訓練場に隣接した林の入口に集められている。

「絶対に認めない…」

そして、囲まれていた。

「わあ、何事?」

アキラが呑気にきょろきょろと自分を取り囲む訓練生達の顔を見る。

「天音森さんが相棒(バディ)になるなら諦めようと思っていましたけれど…まさか貴女だなんて。一体どんな手を使って雛宵君を誑かしましたの?…許せませんわ…!」

「ちょっと志木宮さん!どういう事よそれ!陸種だからって私達飛行種を置いて抜け駆けする気があったって事?!そんなのファンクラブとして絶対認めないわよ!」

志木宮と呼ばれた緑の縦ロール髪少女がアキラを睨み、その周りで他の女子が騒ぎ立てる。

「雛宵君…どうして近い成績の子を選ばなかったの…?どうしてアキラさんなの…?」

今度は女子達が揃って直樹を取り囲む。すると直樹が口を開く前に狼が三匹割り込んできて、じゃれつき始めた。直樹は大型犬くらいのサイズ三匹にのしかかられたり、袖を引っ張られたりしてもみくちゃにされている。

「ちょっと男子!今私達が話してるでしょ!入ってこないでよ!」

「はん、この阿呆!雛宵にはもふもふの方が効果あるんだよ!悔しかったら獣化して媚びろ!」

女子達の後ろから飛び出して来たその青年は、狼の姿に変身し直樹を囲む群れに混ざる。

「この…アンタ達は毛づくろいされたいだけでしょ!アタシだって、雛宵君に腕が六本くらいあったら遠慮なく鷹に変身してるわよ!」

まさに修羅場―――この世の地獄のような有様だ。これ、そもそも直樹が悪いわな…そう思いながら若干距離を取ろうとした時、突然後ろから首を絞められた。

「おい瑞木…どういう事だ?なんでお前が天音森と組んでるんだ?お?この裏切り者め…」

「ぐえ、離せ田口…そんなもんオレが知りたいわ」

締め上げる田口の手をべしべしと叩いていると、別の奴が指で横腹を突き刺してきた。

「瑞木、お前見損なったぞ。弱みを握ってまで天音森を引きずり降ろして…そんなに俺達と組むのが嫌だったのか?」

「いてえ、刺すな三島!そして人聞き悪い事言うな!オレはそんな事してねえ」

当の天音森さんはアキラの手を握ってこちらをじっと見ていた。その無表情はどういうアレなんでしょう…。問答無用とばかりに田口と三島は狼に変身し、飛び掛かってきた。

「おい、マジでやめろバカ!お手!お座り!ちんちん!三回まわってワン!」

当然ながらオレの言う事など聞くはずもなく、二匹掛かりで服を引っ張ったり噛んだり無茶苦茶をし始めた。

「田口、三島、待て」

直樹の声がして、ぴたりと二匹が大人しくなる。見ると直樹の周りの四匹もお座りをしている。「くっ…この獣タラシめ…。そしてお前らは直樹の指示じゃなくてオレの話を聞けや…」

オレは地面に転がったまま不貞腐れる。それにしても、獣化状態でよくどれが誰だか判別できるな。オレには全部灰色の狼にしか見えない。

「渡辺、鈴木、中野、園寺。ハウスだ」

お座りをしていた四匹がしぶしぶと自分の脱ぎ散らかしたジャケットの元へ帰っていくのが見える。…ハウスってそういうので良いのか?恨めしい目で直樹の方を見ていると天音森さんが近付いてきて手を差し伸べる。

「…友達と引き離して、ごめんなさい」

どうやら天音森さん的には今のが仲良しのじゃれ合いに見えていたようだ。勘弁してほしい。

「いや、そういうんじゃないから」

差し出された手に掴まって立ち上がった。田口と三島は人の姿に戻り、ジャケットを着ながら嫉妬の表情を浮かべている。やめろ、訓練場に唾を吐くな。

そうこうしていると、教官から号令が掛かった。

「騒ぐな、整列しろ」

ぞろぞろと並ぶ訓練生の中から、何人かがこちらへ凍るような視線を投げてくる。

―――その視線には、先程のふざけたノリでは済まさないという明確な殺意が込められていた。

「今回の演習は班内の交流が目的ではあるが、必要以上に浮かれるな。裏山を抜けたら各班、隊長と合流してその後の指示に従うように。以上、開始しろ」

教官の合図で、班ごとに林の中を進んでいく。

「私と直樹から」

前を歩いていた天音森さんが急に立ち止まり、ぶつかりそうになった。

「っと、びっくりした」

「服、お願い」

そう言うとジャケットを脱いで後ろ手に渡してくる。その後ろ姿は瞬く間に白い狼の姿へと変わった。地面に落ちたズボンを咥えて淡黄色の瞳がこちらを振り返った。他の奴らと違って全身真っ白で、身体も圧倒的に大きい。横になったらオレよりも大きいんじゃないだろうか。彼女の服を受け取り、直樹とアキラの方を見る。

「じゃあ、頼む」

「了解!」

腕を少し持ち上げたその一瞬のうちに、黒い影が飛び立つ。アキラが残された服を片手で抱き寄せるようにしてキャッチした。…妙にこなれてるな。

「アキラって、直樹と初対面じゃないだろ」

「ん?うん。二年前の密猟事件の時、助けてもらったのが最初だよ」

二人して天音森さんの後を追う。頭上高くでは一匹の蝙蝠が不規則に飛び回っている。

「あー…、なるほど…」

オレは嫌な話題を振ってしまった事に気付き、思わず言葉を濁してしまう。密猟集団『暁明会』。収容施設を襲い、獣化種の毛皮を剥ごうとした事件。アキラはその被害者だ。取り繕う言葉も出てこなかったので素直に謝罪する。

「…あー、えっと、どういう関係かなって気になって。ごめん。嫌な事思い出させるつもりはなかった」

関係?と顎に手をやって考え込む。あまり気にしていない様子に少しほっとした。

「師匠、かな?色々教えてくれるし…あと、もしもの時は私を殺してくれるって」

――――なんだそれ。アキラの顔に影がかかる。その眼差しは真っ直ぐで、透明で、何を考えているのかわからない。どういう意味だと聞こうとしたその時、背後から声が掛かった。

「どういうつもりなの」

「…急に何だよ。泉」

さっきから散々聞かされた言い回しに少々苛立ちながら彼女を睨み返した。先程号令があった時、遠巻きに刺すような視線を投げていた一人だ。

「貴方なんかに言ってない!私は天音森さんに言ってるの!」

天音森さんは狼の姿のまま、特にこちらを気にする様子もなく先を進んでいく。

「…私の話なんて聞く気も無いってわけ…?。信じてたのに…私を選んでくれるって思ったのに!どうしてコイツなのよ!」

泉の後ろから相棒の狼が付いてきている。狼の姿になっているだけで、言葉がわからないわけではない。お互い正式に組んだ相手がいる前で、さすがに酷い事を言う。彼女がこんなに冷静さを欠いているところは初めて見た。

「泉さんには、自分がついていなくても大丈夫だって思ったからじゃないかな」

オレが何と言ったものか答えあぐねていると、アキラがさらりと言ってのける。

「っ…うるさい!あんたに、何がわかるのよ」

不意を突かれたのか、泉はそれ以上何も言えず、オレ達を追い越して先へ進んだ。片腕で目元を覆うような仕草は泣いているようにも見えた。なんか、これじゃ本当にオレが悪いみたいじゃないか…。

「…囲まれてるな、どうする」

直樹が唐突に降り立った。

「またかよ。どうするって…どうすりゃいいんだよ…」

「とりあえず話を聞くとか?」

服を返そうと差し出すアキラに対し、直樹は静かに首を振る。前方の人影に、全員が立ち止まった。

「雛宵、天音森。…僕達が言わんとする事はわかっているな?」

第一班の八重木だ。直樹が溜息をついて、アキラのジャケットを引っ張った。何事か耳打ちしている。

「寮を出る前に説明しただろ。お前達の部隊配属に影響は出ない。脱落するとしたら十三班だけだ」

直樹の回答に八重木がまくし立てた。

「そんな話が信用できると思うのか?上からはそんな話どころか、今回の配属についてほとんど何も説明を受けていない。それでどうして安心できると思う」

取り囲んでいる灰色の狼達がそれに呼応するかのように低い唸り声を上げる。

「面倒な事になる前に、お前達全員を消す」

泉といいこいつらといい…こっちが黙ってりゃ好き勝手言いやがって。オレが思わず拳を握りしめると直樹が言う。

「逃げるぞ」

「は?」

アキラの身体がゆら、と前傾する。ぞわりと気味の悪い感覚が走った。黒と夕焼けの縞―――その模様に心臓が早鐘を打つ。前にも見たことがあるというのに、どうしても慣れない。

危険だ、逃げろ、と本能に迫るその姿は、虎だ。直樹がオレから目を離さず指示する。

「咆えろ、アキラ」

――――轟音。それはまるで巨大なエンジン機構が大地を抉るような咆哮。

間違いなくその場の全員が怯んだその瞬間。オレと直樹は上空へ飛びあがり、追ってくる数匹の飛行種を躱しながら木々の間を縫うようにして林を抜ける。

飛び掛かる灰色の狼達を白い狼が薙ぎ払い、群れの中央を突っ切るようにして駆け抜けていくのが見えた。再びの咆哮と体当たりで転がされる狼達を置き去りにし、その猛獣は白い影に続く。

 全く、最悪のお散歩だった。

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