獣残班

破蓮ヤレ

プロローグ

――――自由なものを見たい。

大空を飛ぶ鳥や、大地を駆ける獣のような、ありのままの姿を。


 俺はベンチに腰掛け、本の頁を捲った。

その昔、日本では狐や狸が人に化けるなどと信じられていたが、実際は異なる。

人が獣に化けるのだ。

そういった動物への変身能力に目覚めた者を『獣化種』と呼ぶ。

 彼らは人の世で生きる為に、獣の本能の制御を幼いうちから叩き込まれる。

その訓練を受けたのち、研究機関への所属や動物俳優など限られた職業に就きその生涯を終える。

全ては人類への貢献の為――――。

 顔を上げ、向かいに設置された掲示板に目を向ける。そこに掲示されているのは今日から自分達が配属される班の名簿だった。

『獣化種特務部隊』。獣化種に用意された将来の内の一つ。犯罪の抑止や人命救助などを主な目的とした特殊部隊だ。この特殊部隊は十二個で構成される為、四月の正規配属に向けて訓練生も十二班で振り分けが行われる。通常は成績の優秀な順に四名ずつ一班から配属される仕組みだ。

 主席である俺の名前――――『雛宵直樹』という文字は名簿の最下位、第十三班の欄に記載されていた。このまま何もせず四月を迎えた場合、部隊には入れず、獣化種を研究する機関のモルモットにされる事はほぼ間違いないだろう。

掲示板の枠を眺めながら、深く溜息をつく。そのままの姿勢で右腕を前へと伸ばした。

 その瞬間、音も無くその腕に一羽のミミズクが降り立つ。

黒や薄茶の美しい斑が視界に飛び込んできた。ジャケットの上から黒い爪でがっしりと掴まれ、僅かに腕が反動する。バランスを取るように風の流れをかき混ぜて羽を畳んだそれは、鮮やかな朱色の虹彩をこちらに向けた。

「今のはなかなか良い感じだった」

 ふっと笑いながら右腕に止まっているミミズクを見返す。その首には俺と同じ黒いチョーカーが着けられている。

空いた左手でバッグに掛けていたロングコートを掴み、ミミズクの上に容赦なく覆い被せた。ビャァと猫に似た鳴き声を上げ、腕から離れたそれは赤褐色の髪をした青年の姿に変化する。チョーカーだったものから黒いインナースーツが展開された。

 彼の名前は『瑞木翔』。俺と同じ、第十三班配属の訓練生だ。

「お前、これやらせたくてわざわざ置いてったのかよ!最低!オレの服返せバカ!」

翔はぷんぷんと怒りながらコートの裾をひき、まるでオッサンがするようなデカいくしゃみをした。寒い寒いと呟きつつ、ベンチの端に置かれたもう一つのボストンバッグから乱暴に訓練服を引っ張り出す。鼻をすすって着替えながら、こちらを見ずに問うた。

「…何でわざわざ最下位班に来たんだよ。主席のくせに」

「違う景色が見たくなった」

「適当な事言いやがって……まあいいや、待たせて悪かったな。早く行こうぜ」

 翔は俺のいたって正直な返答を一蹴し、ジャケットを着込む。

俺は本をしまい、ベンチから立ち上がった。




****




 俺達二人は正面ゲートを抜けると、寮玄関から空欄の部隊寮の位置を確認する。既に大半の者が各班と合流し終えて室内に入ってしまっている為か、廊下には俺達以外の姿は無かった。寮一階の左奥の部屋の扉の前で立ち止まる。

「この部屋だよな?やー、訓練寮はボロくて飯も不味かったけど、さすが部隊寮は違うな!デカくて綺麗だし期待できるぞこれは」

 わくわくした様子の翔を見て、俺は扉の正面を譲る。顔認証ですぐに扉が開かれた。

部屋の奥では、訓練服を着た少女が荷物を移動させている。入口の両サイドにはシャワールームとトイレがあり、そこを抜けた中央の部屋が大きく開けていて、手前にキッチンスペースがある作りとなっていた。扉が開いてすぐに、少女がこちらに気付き、足早にこちらへ歩いてきた。白く長い髪はふわふわと波打っており、まるで人形のように可憐だ。

 彼女も同じく第十三班の一人、『天音森ルナ』。

翔が慌てた様子で後退る。

「あれ、ここ女子のほうだっけ?!ごめん、すぐ出てくから…!」

 天音森に引っ張り込まれるように手を引かれ、翔の身体が前のめりになる。間近で見る天音森は、整った顔立ちに加えてその無表情が人形っぽさをより際立たせていた。翔はその儚げな瞳に正面から見据えられ動揺している。無理もないか。第十期生の次席である彼女は、他の訓練生の憧れの的だ。

「大丈夫、私達みんな、同じ部屋だから」

「え」

 翔の後に続いて俺が玄関口に入ると、扉がシュと音を立てて閉じた。外光が遮断され、周囲がわずかに暗くなる。鼻先が触れ合いそうなほど二人の顔が近付いた。

耳を赤くして硬直していた翔が慌てて距離を取ろうと身体を反らせる。

「いやいやいや、大丈夫とは?嘘だろ男女同室って…何考えてんだ上は」

―――なるほどな。どんな手を使ってでも脱落させたいわけか。

 後ろから様子を見守っていると、天音森と視線がぶつかった。翔から手を離し、こちらに会釈をする。

「よろしく」

「ああ」

と短く返事をしたがその声はかき消される。

「ルナー、どうしたのー?」

奥の方からもう一人の少女の声がする。終始無表情だったルナの雰囲気が少し和らぎ、俺達二人を中へと招いた。

部屋に入ると中央に大きな円形のラグマットが敷かれており、ビーズクッションが人数分転がっていた。部屋の左右の壁には扉が二つずつ並んでおり、右側の二部屋は先ほどから出入りしていたようで開け放たれている。その内の手前の部屋から先程の声の主が顔を出した。

「あ、翔と直樹君だ!」

夕焼けを思わせる橙色の髪の少女が俺の方へ駆け寄ってくる。明るく微笑みかけながら俺の手をぎゅっと両手で掴んだ。

 彼女が第十三班最後の一人、『アキラ』だ。彼女は施設入りの際に、ある事情から姓を抹消されている。

「相棒(バディ)のアキラです!直樹君に指名してもらったからには精一杯頑張るよ!」

「…直樹でいい。よろしく」

「ホント?やった、よろしく直樹!」

ニカッと歯を見せ、まるで少年漫画の主人公のよう笑う。そんな彼女の腕に掴まるように寄り添った天音森を見て、翔が意外そうな顔をした。

「アキラって天音森さんとも知り合いだったのか。途中から部隊志願で編入してきたから、オレみたいな下の奴としか関わり無いんだと思ってた…」

「ルナは、私が施設に保護された時からの幼馴染だよ」

あーそういう事か、と納得した様子で翔が天音森の方を見る。

「アキラと一緒の班になる為に、オレを相棒に選んだ…と。そういう事ね。アキラは虎で、天音森さんは狼だから…どっちも陸役だし相棒組めないもんな。そうでもなきゃわざわざ底辺のオレなんかを選ぶはずないしな」

うんうんと理解した風に腕組みしている翔に対して天音森は首を傾げて言う。

「違う景色が見られそうだから、翔を選んだ」

「何このデジャヴ…嘘だろ…。頭良い奴って皆こうなの…?」

理解できない者を見る目で俺の方を振り向く翔。流石に天音森に対しては馬鹿だのなんだの言わないようだ。

そうやって話していると突然扉が開き、慌ただしい様子でボサボサ頭の男が入り込んできた。男は息を切らしながら俺と天音森を見据えて言う。

「やってくれたな、二人とも…」

「あれ、咢先生!どうしたの?そんな慌てて」

明るい調子で話しかけるアキラに対して、咢と呼ばれた男はげんなりとした。

「アキラ…お前はお気楽が過ぎる。そんな調子で早死にされたら、俺はあの人に顔向け出来ない。頼むぞ」

「なんで?大丈夫だよ。絶対に特務部隊に入って、ヒーローになるから見ててね、先生」

まるで気にする様子もなくそう言い放つアキラに対して、咢は溜息をついた。

「…お前だけならこのまま放置していてもどうにでもなったんだがな…、問題は雛宵、天音森。お前たちはそれぞれの影響力ってものを考えた方がいい。どういうつもりか知らんが、上位二人そろって落ちてきたお陰で周りは大混乱だ。上層部に至っては何としてもお前らを脱落させる方針らしい。…何せ例の虎が正規部隊入りできる可能性も出てきたわけだからな」

「え、脱落させられるんすか、オレ達」

「ああ。瑞木については完全に巻き込まれる形だがな…同情するよ」

ショックを受けている翔の肩をポンと叩き、咢は続ける。

「こうなったら何が何でもお前らには部隊入りしてもらうしかない。いいか、他の奴らは大体同種だから連携には困らんが、お前らは虎に蝙蝠、狼にミミズクとバラバラだ。なんとしても信頼関係を築いて連携しろ。ただし、絶対に一線は超えるな。気付いていると思うが、男女同室は問題行動を理由にぶった切る為だぞ」

「んな!?そこまですんの?!」

「十三班になった時点で部隊入りは無理ではないですか?正規部隊は十二個ですし」

俺の発言に対して、何を白々しい、と言わんばかりに眉根を寄せた。

「…第十三部隊を発足させる。それが狙いだろう。…全く、大人を試すガキは好かれんぞ」

咢は特に返事を返さない俺から天音森へと視線を移した。

「ありがとう」

天音森はすんなりと謝辞を述べ、よくわかっていない様子のアキラも「先生ありがとう」と元気よく続けた。なんだ、シラを切るのかと思っていたのに違うんだな、と天音森の方に目をやる。天音森は何?といった様子でまた首を傾げた。実はあまり深く考えていないのかもしれない。

「本当に恐ろしい連中だわ…。だが、あんまり期待はするんじゃないぞ。所詮、俺は施設の飼育担当でしかない。お前たちがこれから数か月の間で成果を出さない事には話は始まらないからな」

そう言って咢は、抱えていた備品やファイル、タブレット端末を俺に手渡してきた。

「それと」

踵を返して部屋を出ていく直前で、念押しする。

「くれぐれも、この後の演習で死ぬなよ」

―――どうやら思ったよりも早く、新しい景色とやらが見れそうだ。



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