いけにえの娘

鈴木空論

いけにえの娘

 人里から遠く離れた山奥に、ひっそりと佇む寒村があった。

 その村は周囲を険しい山々に囲まれ、道も整備されていない。

 他の集落からは隔絶された貧しく過酷な環境を生き抜くため、その村では長い間ある風習が続いていた。


 その風習とは人身御供。

 五年に一度、山の神へ若い娘を生贄として捧げていたのである。


 そして今回生贄として選ばれたのはルリという娘だった。

 ルリは白無垢を着せられ、一人で山へ入って行った。




 山道を進んで行くルリの顔に悲壮感はなかった。

 産まれてからずっとお前は生贄になるのだと聞かされて育ってきたし、自分が嫌だと言えば代わりに生贄にされるのは幼い妹である。

 妹を助けられると思えば山の神に喰われることも怖いとは思わなかった。




 やがてルリは山の神が住むという大きな洞窟へ辿り着いた。

 思わず息を飲みながらもさらに奥へと進んで行くと、そこに山の神はいた。


 山の神は巨大な白蛇の姿をしていた。

 小柄なルリ程度なら一飲みにできてしまうだろう。

 生贄の日だというのに眠っているらしく、山の神はまるで起きる様子がなかった。

 ルリはその場にひれ伏し、山の神に声を掛けた。


「山神さま、お目覚め下さい。今回の生贄のルリと申します」



 すると山の神はゆっくりと眼を開けた。

 ルリを一瞥すると、起き上がって面倒臭そうに大欠伸をした。


「ああ、もうそんな時期か。お前の村の者も懲りないな。いい加減、生贄の風習など辞めてしまえばよかろうに。本当に面倒だ」


 ルリは内心首を傾げた。

 どうも反応がおかしい。

 山の神は若い娘が好物ですぐ一飲みにしてしまうと聞いていたのだが……。

 しかし反応がおかしかろうとルリは役割を果たさなければならない。

 村のため、妹のため、ルリはこの白蛇に喰われなければいけないのだ。


「山神さま。どうか私めを御身にお納めください」


 しかし山の神は溜め息をついた。


「お前も今までの娘たちと同じことを言うんだな。何故そんなに喰われたがるんだ」

「村のためでございます」

「そんなことを言われもな。いいか? 俺は人間など美味いとも思わんし、お前のような奴を喰っても気分が悪くなるだけだ。……まったく、右も左もわからん小娘などではなく、村長が直接来ればいいものを」

「山神さまは若い娘より年老いた男のほうがお好きなんですか?」

「馬鹿者、そういう意味ではない。俺はそもそも、生贄を差し出せなどと言った事は一度もないのだ。山に入って食い物が取りたければ勝手に取ればよかろう。お前らが多少持って行ったところで俺は困らんし怒りもせん」


 ルリは驚いた。


「では何故生贄の風習などがあるのですか」

「知らん。お前の村の者が勝手に始めたのだ。こちらとしてはただの迷惑でしかない。村長辺りが直接話をしにくれば誤解も解けて下らん風習もあっさり終わるだろう。まあ、いくら待ってもやって来ないところを見ると今の村長もこれまでの歴代同様そんな度胸はなさそうだが」


 ルリは愕然としていた。

 では自分は何のためにここへ来たのか。

 山の神はルリを喰う気は無いと言ったが、村の者たちの誤解が解けなければ村へも戻れない。


「山神さまから村の者たちへ話をして誤解を解いて頂くわけにはいかないのでしょうか」


 しかし山の神は不機嫌そうに言った。


「どうしてお前らが勝手に始めた事を俺がわざわざ弁解しに行かねばならんのだ」


 もっともである。

 だが、村長というか村の者たちは本気で山の神を恐れている。

 生贄を差し出せばそれで許されると思っているのだから、決して自分たちからは山の神に近付こうとはしないはずだ。


 自分はどうすればいいのだろう。自分の人生は一体何なのか。

 村のためと信じていたから耐えて来れたのに。

 虚無感か、徒労感か。無意識に涙が零れてきて、ルリはその場に伏してしくしくと泣き始めた。

 すると山の神は溜め息をついて言った。


「まあ、お前も死んで来いと追い出されてきた村になど戻りたくはなかろう。たった一人でここまでやって来れた勇気に免じて褒美を与えてやる」

「褒美、でございますか?」


 山の神は尻尾を軽く持ち上げて、洞窟のさらに奥へと続く穴を指し示した。

 小柄なルリにならなんとか潜り込めそうな小さな穴だった。


「あの穴を抜ければ山の外へ出られる。村のことは忘れ、新たな地で生きるがいい。これまで生贄としてやってきた娘たちにもそうさせたのだ」

「新たな地……? 村以外にも生きる場所があるのですか?」

「当り前だろう。世界は広いぞ。村とは違う苦労はあろうが、自分でやりたい事を見つけて好きなように生きればいい。お前はまだ若いからどうにでもなるだろう。……あとそうだな、先立つ物が必要だろうからそこに転がっている物を適当に持って行け」


 山の神にそう言われた方向を見ると金銀に宝玉、珊瑚や綾錦といった宝が無造作に山積みにされている。

 ルリは大層驚いた。


「宜しいのですか?」

「構わん。それらはこれまでの生贄の娘たちが送ってきた物なのだ。外の世界で成功した恩返しのつもりらしい。そんなものより美味い食い物でも寄越せと伝えたのだが、食い物とは別にさらに宝を寄越してくる始末でな。俺では使い道もないからお前のように新しく生贄としてやって来た娘に持たせることにしているのだよ」


 それらの宝は村では見たこともないような見事な物ばかりだった。

 村の外に出れば、こんな物が手に入るのか。

 ルリは生きる希望が湧いてきた。


「山神さま、ありがとうございます。私、外の世界で頑張ろうと思います。ただ、行く前に一度村に戻って村長たちにちゃんと事情を話してきます」


 すると山の神は心配そうな顔をした。


「止めておいたほうがいいぞ。奴らは自分の命惜しさに他人を差し出す卑怯者だ。お前の話など聞かないだろうよ」

「平気です。きっと説得してみせます。それに私には妹がいるのです。もし村の人たちに話を聞いて貰えなかったとしても、あの子ならきっと私のことを信じてくれる。あの子だけでも外の世界へ一緒に連れて行ってあげたいのです」


 ルリはそう言うと、決意を胸に村へ戻っていった。





 ところが、村人たちは山から戻ってきたルリを見て山の神から逃げ出してきたのだと思い込んだ。

 山の神の祟りを恐れた村人たちは碌に話も聞かず、ルリを袋叩きにして殺してしまった。

 そして、ルリの妹を代わりの生贄として山の神の元へと向かわせた。


 ルリの妹が山を登ってしばらくすると、にわかに黒雲が村を覆い、雷が鳴り始めた。

 激しい雨が降り続き、山が崩れて土砂が村に雪崩れ込み、人や建物、あらゆるものを押し潰した。


 黒雲が過ぎ去ったあと、村があった場所には何も残されていなかった。

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